菅総理が緊急事態宣言の延長と愛知・福岡の追加などを発表しました。
その中で「東京・大阪などに出した緊急事態宣言で大型連休の人流はかなり抑え込んだ」と言ってましたが、最近よく使われる「人流」って一体なに?
そのまま読めば「人の流れ」ということでしょうが、敢えてこの「人流」という単語を使い始めたのはなぜなんでしょうか。
分かりやすく「人の流れを抑える」と言えばいいものを…。
これまでコロナ禍で使われた言葉は「ステイホーム」とか「テレワーク」とか「東京アラート」とか「オーバーシュート」とかいろいろありますが、英語を元にした言葉では分かりづらいと批判が出たので、聞きなれない「人流」という日本語を使ったんでしょうかね。
行政がなぜこのようなキャッチコピー的な言葉を使わなければいけないのか疑問です。
「ステイホーム」「テレワーク」「東京アラート」は何となく理解できましたが、「オーバーシュート」に至っては何のことやらさっぱり分かりませんでした。
昔、働いていた職場で親企業の営業マンが英語交じりの話ばかりでクライアントを煙に巻いていた時期がありましたが、まあ国民に危機感を与えるための言葉だったんでしょう。
それなりの効果はあって、コロナウイルス感染への怖さは伝えられたのかもしれません。
しかし、「人流」という単語はある意味みんなが理解できて分かりやすさもありますが、危機感をあおるほどのものではなく「自粛疲れ」した多くの人が街へ繰り出してしまいました。
確かに、GWを利用して旅行したりすることは少なくなりましたが、その分近場で楽しもうという人たちが多くて、銀座・原宿・渋谷等は密状態でした。
名古屋の昼間の繁華街も同様です。
これじゃ~、大都市での感染は治まるはずありません。
今のコロナ禍の状況は、安易な単語で抑えられるものではないことを菅政権は理解してるのでしょうか?
言うこと聞かない国民が多いから憲法を改正して、国民の権利を縛り付ける「緊急事態条項」を追加したいと為政者が考えるのは仕方ないことなのかもしれません。
一度改正してしまえば「憲法は為政者のもの」で将来起こるであろうパンデミックでは「緊急事態」を使って時の政権による国民の人権を無視した政策が行われるかもしれません。
またパンデミックが治まっても、国民の人権を無視して自分たちがやりたいことをやるという政策のために「緊急事態」を解除しないという怖い政権が生まれてしまうかもしれません。
憲法改正は「為政者を押さえつけ、国民の人権を守るため」のものだということを国民一人一人がよく理解して、賛成・反対を決めなければなりません。