マンガ家の楳図かずおさんが亡くなったというニュースが入ってきました。
じいちゃんの記憶では、中学生の頃に少年マガジンで読んだ「半魚人」くらいからか…。
作品歴を調べてみたら1966年から1年間ほど「ウルトラマン」にも関わっていたようで(これは知らなかった)、「猫目小僧」や「おろち」、そして「漂流教室」などを読んでいました。
1976年から1981年までサンデーに掲載された「まことちゃん」の頃は、もう大学から社会人になり、あまり接する機会はありませんでしたね(もちろん知ってはいましたが)。
そしていつの頃からあの赤と白のボーダーのトレーナー姿の楳図さんをTVでよく見掛けるようになりました。
ホラー漫画の第一人者であり、ギャク漫画でも名を馳せた超有名漫画家は、やっぱり変わった人だとTVを見てて感じました。
ある意味ぶっ飛んでて、あんな人が天才なんだと…。
ホラー漫画の「漂流教室」なんて、本当に気持ち悪かった。
でも、お終いまで読んでしまうのは、やっぱりすごく魅力があったからでしょう。
リアルタイムで作品に触れられたのは、嬉しい限りです。
たくさんの作品とユニークな人柄で、じいちゃん人生の一時期に潤いを与えてくださった天才漫画家のご冥福を祈ります。
※内容の一部にSNS情報を引用しました。
じいちゃんの記憶では、中学生の頃に少年マガジンで読んだ「半魚人」くらいからか…。
作品歴を調べてみたら1966年から1年間ほど「ウルトラマン」にも関わっていたようで(これは知らなかった)、「猫目小僧」や「おろち」、そして「漂流教室」などを読んでいました。
1976年から1981年までサンデーに掲載された「まことちゃん」の頃は、もう大学から社会人になり、あまり接する機会はありませんでしたね(もちろん知ってはいましたが)。
そしていつの頃からあの赤と白のボーダーのトレーナー姿の楳図さんをTVでよく見掛けるようになりました。
ホラー漫画の第一人者であり、ギャク漫画でも名を馳せた超有名漫画家は、やっぱり変わった人だとTVを見てて感じました。
ある意味ぶっ飛んでて、あんな人が天才なんだと…。
ホラー漫画の「漂流教室」なんて、本当に気持ち悪かった。
でも、お終いまで読んでしまうのは、やっぱりすごく魅力があったからでしょう。
リアルタイムで作品に触れられたのは、嬉しい限りです。
たくさんの作品とユニークな人柄で、じいちゃん人生の一時期に潤いを与えてくださった天才漫画家のご冥福を祈ります。
※内容の一部にSNS情報を引用しました。