大澤朝子の社労士事務所便り

山登りと江戸芸能を愛する女性社労士が、
労使トラブル、人事・労務問題の現場を本音で語ります。

◆もう一度観たい高遠城の桜

2013年03月10日 01時16分17秒 | 近頃思うこと
社会保険労務士の大澤朝子です。

事務所のある旧大宮市では、ようやく梅が満開となっています。
ふくよかな梅の香が漂う市民公園が近いので、昼休みに観に
行ったりしています。
この地では、梅→ハクモクレン→桜と決まった順番で開花してくれるので、
これから1か月間は、花の咲くのが頼もしく、目の疲れを癒してくれます。
極めつけは桜で、盆栽町、大宮氷川神社周辺で満開となると
仕事で車を走らせるのも楽しみになってきます。

桜といえば、名所旧跡いろいろあれど、3年前に行った
伊那・高遠城は、特に強く印象に残っています。

高遠城は、戦国時代、武田方の最後の砦として、織田軍5万の兵に対し
わずか3000で立ち向かって全滅した城で有名ですが、
(以後武田方は滅亡へと向かう。)
その後も江戸時代は普通に幕藩体制の中にあって、
廃藩置県まで城は存続したようで、
桜は、明治8年に旧藩士の方々が高遠城の馬場にあった桜を移植して
育て、今のような桜の名所になったのだそうです。

高遠城の桜は「タカトウコヒガンザクラ」というそうで、
ソメイヨシノよりもややピンクがかった色が、武田方3000の
血の色のようだと言われてみれば、確かにそのようにも思えてもきます。

東京・八王子城は今ではハイキングコースとなっていますが、
ここは、小田原北条氏の支城で、秀吉軍の小田原攻めの折、わずか1日で
全滅した山で、例えば夏場などにこの山に登ると、
なんとはなしにここだけ異常に蒸し暑く、イヤな雰囲気を感じた
時がありましたが、それもその筈、1日で全山死体の山になった
とは、後で知りました。

高遠城は平山城で、城から降りて一旦街に出、市街地から
もう一度反対側に登りかえして小高い地に登ると(由緒ある神社、寺院
がある)、目の前に広がる全山桃色の山が、そんな悲劇を思わせないくらい
穏やかに華やいで見え、いつまでも飽きないで眺めたことです。

当日は、信州そばをいただき、武田勝頼母墓なども見学し、
(高遠城は武田方の領地になるまでは諏訪氏の城。勝頼母は諏訪氏。)
桜茶やまんじゅうなど、町の方々の温かい接待まで受けて帰途につきました。

町には、携帯を見ながら自転車に乗っているような人は一人もおらず、
桜の時期だけ臨時駐車場となる高遠中学校のグラウンドでは、
先生・生徒が総出で観光客をもてなしてくれました。
その清々しい態度のこと。
中央自動車道から高遠に向かって延々と車を走らせてきた苦労? が
報われた思いです。

大袈裟に言えば、まるで織田軍に果敢に戦って散っていった人々の
気概が今日までも引き継がれているのではないかと思わせるような。
……こんな素朴で清冽な町が今の日本にあったのかと、
こちらもなんとなく心が洗われるような気がしたものです。

開花の時期は4月中旬だそうですが、もう一度行きたい桜の名所
といえば、真っ先に高遠城を挙げたいと思います。

にほんブログ村 経営ブログ 中小企業社長へにほんブログ村