日々の事から

日々のあれこれ   by Kirari

良心的に解釈するか、反感を持って態度に示すか‥

2011-10-22 12:30:18 | 日記
動作が慎重すぎる‥

生来緩慢な場合と慎重に考え過ぎの場合があるが、それに関わる相手があると、自分の立場さえ危うくなるだろう。

関わる相手が気を遣わなければ、良くは解釈してくれない。
そんな、人に関わる暇はないと思う。

例えば、何かを効率的にやらなきゃならない場合、動きがトロければ話にならないし、考え過ぎて譲りあっていては無駄な間ができてさらなる無駄である。

急いでいるのに無駄な動きをされると、当然『何やってんのよ』と罵りたいところだ
トロさをあげつらう事は、よろしくはない。でも、自分に関するから、日常的に遭遇し唖然とする場面がままある。

私が育った西三河ではチャキチャキとことを進めるタイプの人が多かったのかもしれない。
無駄な動きには容赦なかったから、今、名古屋でそんな場面に出くわすと(苦笑)するしかない。
名古屋人は呑気か?


後輩を叱りたいが、ぐっと我慢して、うちの子のように待つ。
うちの子は生来ののんびりタイプなのだ
うちの子どもが考えて行動してしまうタイプであり、また、考えてる内容が大人より思慮深いために叱らないようになったから。

叱らず待つというのは忍耐がいる。
待ってくれてる人がいることに気づいてね

日常で使うのに?

2011-10-22 08:41:34 | 日記
結婚して、だんなの親達の使う難しい言葉に接する事が度々ある。
だんなは下伊那の人だから、方言かと思って、その場の雰囲気で解釈していた。

私は国語を学ぶのが好きなので、同世代のレベルなら多少難しい言葉を使う方だろう。

方言の例なら、
おかしまする→ 正座をする
切り板→ まないた
など。

ところが、
勘考して作った→ 創意工夫して作った
とか、
熟柿→ 熟した柿
とかは、方言と思い込んでたら辞書に載っている‥。

今、70歳前後の世代で、戦中・戦後のあらゆる方面で恵まれなかった世代の人だから、中卒で社会人になっている人ばかりである。
内容も今ほど難しいものはないだろう。
上の学校に行けなかったからと言って、自分で学問に勤むことはできなかったはずだ。
義父は、3男なのに、病で上の兄を二人も亡くして、ずっと長男として家を守っている。
姉妹弟たちの、その子ども達が小学校に入学する度にランドセルを皆に贈ったと聞く。
代々の資産家なら、なんとも普通な話だろうが、全くそうではない。
よくそんな事を持続できたと感心する。

そんな状況だから、どうやって難しい言葉を日常的に学んだのか不思議である。
昔の人の方が難しい言葉を遣いこなしていただろうが感心してしまう。