子どもというのは、面白い。
親が思ってもみない発想を持っている。
本能的に行動することが多いので、すごい事を口にしても、大人は『どこの聞きかじりだ?』と思うだけで、どの程度の知能から言っているのか計り知る事が難しいのは確かである。
衣食を自分で充分にこなせない知能の者であるのに、あの堂々たる絶妙な間合いを持ったり、場にあった事を言う、タイミング良くつっこみを入れるなど、素晴らしいのひと言である。
時々、3歳児の世界へ戻ってしまうが、ある程度は意思の中で動いている。
それが何気なくならただの場を読む能力だろう。
でも、私自身の記憶からすると3歳の時点で7歳くらいのつもりでいたようだ。
山形を3歳になってすぐの7/7に引越した。その冬母方の祖父が亡くなり、お葬式に行った。
その時に父方の実家に寄り、雪の中で兄と撮った写真がある。
後年、その写真の記憶は7歳くらいのつもりだったが、実は3歳頃だと分かり自分で驚いたものだ。
いろいろな意思を持っていた。
3歳といえど侮れない。
親が思ってもみない発想を持っている。
本能的に行動することが多いので、すごい事を口にしても、大人は『どこの聞きかじりだ?』と思うだけで、どの程度の知能から言っているのか計り知る事が難しいのは確かである。
衣食を自分で充分にこなせない知能の者であるのに、あの堂々たる絶妙な間合いを持ったり、場にあった事を言う、タイミング良くつっこみを入れるなど、素晴らしいのひと言である。
時々、3歳児の世界へ戻ってしまうが、ある程度は意思の中で動いている。
それが何気なくならただの場を読む能力だろう。
でも、私自身の記憶からすると3歳の時点で7歳くらいのつもりでいたようだ。
山形を3歳になってすぐの7/7に引越した。その冬母方の祖父が亡くなり、お葬式に行った。
その時に父方の実家に寄り、雪の中で兄と撮った写真がある。
後年、その写真の記憶は7歳くらいのつもりだったが、実は3歳頃だと分かり自分で驚いたものだ。
いろいろな意思を持っていた。
3歳といえど侮れない。