NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

シューティングゲーム

2011-02-05 | 仕事
ここ最近、シューティングゲームを”集める”っていうゲームをしてる気がする。



物欲



『デススマイルズⅡ』、『ケツイ』を買ったのをきっかけにシューティングを集めるブームが再燃しつつあります。学生時代サターンとドリームキャストのシューティングを漁った経験から、「縦シューよりも横シューが好き」、「『メタルブラック』や『ダライアス』、『ダライアスⅡ』、『ボーダーダウン』(ここまでタイトー系だ)や『サンダーフォースⅤ』とかの硬派SF設定で非弾幕系シューティングが好き」と分かったのに、ケイブの弾幕や彩京の殺しに来る高速弾が苦手というか嫌いって分かったのに、今やケイブのシューティングばかり。そもそもシューティングにはまったのは『超連射』がきっかけなのに。

というか、今のコンシューマの2Dシューティング市場はXbox360くらいにしか存在せず、そこでリリースしているのはほぼケイブ作品。今月もケイブから『怒首領蜂 大復活』と『むちむちポーク/ピンクスイーツ』がでるし。弾幕が悪いとは言わないし、『ケツイ』も『怒首領蜂』も面白いけど、「避けて撃つ」的なシューティングって今だとほぼ皆無なんだなぁと。ドリームキャストの頃はまだメーカーに多様性があったし、ジャンル内ジャンルの多様性もあったのになぁ。いや、出してくれているだけでありがたいことなんだけど。『プロギアの嵐』とか『赤い刀』もリリースして欲しいとか思うですよ。

でもケイブ以外のメーカーから、弾幕以外も出ないかなぁ。いや『バレットソウル』や『エスカトス』リリースされますが、やっぱりあれらは弾幕系。AC版『ダライアスバースト』をプレイしてけど、音響は良いけどゲームの雰囲気や二画面が微妙な気が…格好良い硬派なSF世界観を持った非弾幕系シューティングとかどっかの狂ったメーカーがリリースしないかしら。とはいえ、今ぼくが興じているのはシューティングゲームを集めるというゲームなのでなんだろうが買いますが。


いっそのこと『超連射』をインディーズゲームでリリースしてくれないだろうか。

NHKスペシャル「世界ゲーム革命」

2010-12-13 | 仕事
久しぶりにテレビゲームが主題になったドキュメンタリーということで、しかも水口哲也さんなどが出演される、それも長期取材だったと聞いて、期待していましたが…


「NHKスペシャル」(NHK)


結論から言って、とって微妙な出来のドキュメンタリーでした。ゲームエンジンの採用やテスターの使用で効率化を推し進める西洋のゲーム産業と職人芸の日本のゲーム産業っていう二項対立も非常に恣意的だし、いまや欧米のゲームと日本のゲームはそういうパラダイムは通り越してしまったんじゃないでしょうか。

また何で欧米のゲーム業界が2000年代以降急速に市場を拡大し、日本のゲーム産業が置いてけぼりになってしまったかということを説明するのかと思いきや、「効率化」という言葉でお茶を濁してしまっていた。結局欧米のゲーム産業に人材や資本が流れてきたのはITバブルがいったんはじけたからで…


「(レベル5の)日野の辞書に妥協という言葉は無い。納得できるまでどこまでも時間を掛け考え抜く。ゲームエンジンやテスターに頼り、効率優先の欧米勢とは対極にある。」


このナレーションには心底あきれたというか。まさかこんな認識の日本のクリエーターはいないでしょうが、少なくとも日本の公共放送の認識はこんなものなんですね。クール・ジャパン室なんていう失笑な部署を設けている経済産業省も似たようなものなのかしら。

そもそも欧米が「職人技」(笑)に勝る「効率化」を推し進めることが出来たのはゲーム産業に優秀な人材と資金が流入してきたからで、そしてそもそも20年近くゲームの基礎研究という下地があったからこそ欧米のゲーム産業は跳躍したわけです。一方人材も資金も、基礎研究も無い日本では実体の無い、口頭伝承の「職人技」という不確かなものに頼らざるを得ないわけです。

そこを説明しないのはどうなのかと。このわけのわかっら無いストーリーを維持するためなのか、明らかに恣意的に任天堂の存在を無視したVTR作りにも辟易します。ドキュメンタリーなんだから製作者の恣意で作られるのは当たり前のことですが、それにしてもてめえのストーリーを描こうとするあまり枝葉末節に走りすぎている感が否めません。


つうか、KAOSスタジオなんて微妙すぎるです。ぶっちゃけあんなキワモノソフト、NHKくらいしか注目してません。そしてエンザイムとかロシアの脳科学者とかもとっても極端で、瑣末なケレンな話題でしかないなぁと思いました。別にこれは最先端かもしれないけど決してメジャーじゃないだろ。


「電源を切るまでゲームは続く」


またこの言葉に代表されるような、VTRから見え隠れする製作者のゲームに対する偏見も気にかかった。ゲームテスト会社に勤める青年が如何にゲームに取り付かれているかを強調したり、テスターが脱落した後の説明には悪意しか感じられないよ。



期待していただけにとっても気分が悪くなりました。今日の夜中に再放送もありますが、こんな認識でNHKは作り、ゲームをしない人たちにそんな認識を共有されてしまうのかと思うと悲しくなります。

さすらい記

2010-11-27 | 仕事
さすらい記

ハンバートハンバートの2年ぶりのニューアルバム。ちょっと悩んだけど買いました。

全体的にやっぱり完成度が高いなぁと思う一方で、毒っ気が減じたかなぁと思います。でもアルバム全体に通底しているのは別離であり、死であったりするのはハンバートハンバートっぽいなぁって思います。幸せそうな「待ち合わせ」ですらラストの佐藤さんの歌唱部分を聞くと、必ずしも幸せな歌ではないんだなぁという思いを感じますし。「引越しの準備」なんかは別離の歌ですし。

関東の人間には東急電鉄のCMソングな「待ち合わせ」。熱狂的なファンというわけでも無いので、記事とかインタビューを追いかけていないので、正確なところは分からないけれど、聞いた印象の限りだとどうにもサビの部分だけ作ってあって、それ以外は後から作ったんじゃないかと穿ってしまいました。だってサビ以外の部分はかなり平坦なんだもの。

「罪の味」。曲自体を知って随分経つけれど、今更ながらこの歌が、罪が指し示すものが自殺のことなのかなぁと思い始めました。だからこそ「とうとうおいらやってしまった 超えては成らぬ線を跨いだ」なわけで、ラストの「後光のような輪っか」であり、「Bye My Honey おしまいだ」なわけで。でも前半を聞くと法律上の罪のような気もするし。アレンジは楽しい。


完成度は高いけど、ちょっと遊びが無いかなぁという印象。でも「おべんとう」とかとっても良いですし、どの曲も良いです。「アセロラ体操のうた」以外は。あれはいくらボーナストラック扱いでも酷いだろと。楽しいけどあくまでCMソングだし、「アセロラ体操」目当ての人を狙って中途半端な曲をボーナストラックだろうが入れて欲しくなかったなぁ。



それにしても、DVD付きの初回版をタワレコで買ったけど、アマゾンだと900円も安い…再販制度から守られてないDVD付きは恐ろしい。シールは付いてたけど。

トイストーリー3

2010-11-06 | 仕事
まぁ、ヤバイよなぁ。


『トイストーリー3』(ディズニー公式)
トイストーリー3


ぶっちゃけ基本的なストーリーラインは前2作と同じで、アンディの元から引き離され、そこからの脱出を図るというお馴染みのもの。1作目は近所のサイコ少年で、2作目はおもちゃマニア。そして3作目は同じおもちゃ。でもここは水戸黄門的な王道であればこそのべたであり、繰り返しであり、問題は無いんじゃないかと。やはり重要なのはラスト。

『トイストーリー3』で一番重要なのはラストのけりの付け方。ウッディたちの持ち主であるアンディは結局大学へ行くときにウッディだけを連れ、他のおもちゃたちは屋根裏に置いて行こうとする。そして最後にはウッディもおもちゃたちもアンディのその決定を認めて、それぞれの人生を受け入れる。受け入れるんだけれど、『1』からの主題歌が想起される。

最後の最後でウッディは仲間たちと別れることを再認識してしまい、受け入れたはずのアンディの意思を翻して、アンディ宛にメモを残す。それは仲間との未来を選ぶ行為だったけれど、一方で一番の友達で、相棒だったアンディとの別れを意味しちゃう。というか、そんなことをおもちゃ自体が差し向けちゃう。でもアンディもそれを受け入れる。

アンディはウッディの提案を受け入れて、アンディたちおもちゃたちをおもちゃを大事にしてくれる子供の元へ届ける。ある種大人な対応で、おもちゃを手放す青年な様子をアンディは見せるんだけれど、大学にも連れて行くはずだったウッディが子供へあげるおもちゃの中に見つけて逡巡。子供がウッディに手を伸ばすと、拒絶する反応を見せる。


でも結局アンディはウッディたちがおもちゃを大事にしてくれる子供たちといることが幸せだと考え、彼らを手放す。確かに良いシーンなんだけど…アメリカだからこういうラストしかありえなかったのかなぁとも思うけど…不可避な別れなのかなぁとか大学の寮にまで自分の年齢以上のビンテージなプーさんを連れて行った身としてはちょっと思うところがあるのです。日本だったら、他の選択肢もあるんじゃないのかなぁとか思うんです。


『トイストーリー』を観ると、おもちゃを大事にすべきと思うと同時に、軽々しくおもちゃを買えないよなぁって思うのです。ペットを飼うのと同じで最後まで面倒を見る責任があるんじゃないかと、神様ことUFOキャッチャーで取ったたくさんの人形を捨ててきた人間としてそう思います。

27歳

2010-10-19 | 仕事
高校生の頃、ロックにかぶれていた頃は27歳で死ぬと思っていたけど、ところがどっこい生きている。そんな話を恥ずかしげに妹にすると、「ロックな生き方していないんだから、なわけないじゃん」と。確かに。ただニートという生き方はある種ヤクザな、ロックな生き方であると思うけど、基本的には妹の言うとおりだった。



27歳で死んだロックな人々の先頭には十字路で悪魔に魂を売ってギターの超絶な演奏技術を手に入れたロバート・ジョンソンがいて、ジミー・ヘンドリクスがいて、シド・ビシャスがいて、カート・コバーンがいて、尾崎豊なんかもいたりする。ただみんな毒を盛られたロバート・ジョンソン以外はみんなドラッグで死んでいる。ぼくはタバコすら吸わないし、まったくロックじゃない。


で、28歳になってしまった。特段にロックじゃない、むしろ普通の人よりもしょっぱい27歳が終わった。そしてニートじゃなくなって、普通になっていくんだろうか。ニートって最高だったな。