NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

『デス・ストランディング』をプレイした

2020-01-05 | 備忘録
『デス・ストランディング』(公式)
joker


"A HIDEO KOJIMA GAME"最新作、『デス・ストランディング』をようやく完走した。

■オープンワールドゲームは苦手
いきなりの自分語りだが、オープンワールドゲームは苦手だ。オープンワールドのゲームは好きだけれども、苦手だ。特に『グランドセフトオート』タイプの都市部で車や人が溢れていて、移動中に事故ってしまたり、NPCと戦えてしまうタイプが苦手だ。一方で、あまりNPCが存在しない『レッドデッドリデンプション』タイプ、と言うか『レッドデッドリデンプション』が得意というか好きだ。

■レッドデッドリデンプションの楽しさ
『レッドデッドリデンプション』は『グランドセフトオート』シリーズを製作しているロックスターゲームスが、カプコンUSAから製作していた『レッドデッドリボルバー』を源流とした西部劇オープンワールドゲームだ。アメリカの開拓期を舞台としているため、車やNPCで溢れかえっておらず、町々の間には西部の荒野が広がっている。プレイヤーは西部のガンマンとなり、荒野を駆ける。もちろんロックスターのオープンワールドゲームなのでファストトラベル機能は用意されているが、私はあまり利用せず西部を馬で延々と移動した。『グランドセフトオート』のサンアンドレアスなどとは異なり、この西部の大地には車もNPCも溢れていない。馬で爆走してもぶつからない。好きなだけ駆け回れるのだ。

■デス・ストランディングの面白さ=移動の楽しさ
『デス・ストランディング』の新規性として、既に多くの人々に指摘されているが、移動自体をゲームプレイの中心に据えたことが上げられる。本作の主人公は配送業者であり、配送業者として様々な荷物を運ぶことがゲームプレイのメインとなる。それはこれまでのゲームの中では"おつかい"と揶揄されてきた命じられるままに移動するプレイスタイルそのものだ。だが、本作では移動にレベルデザインを取り入れることで、従来のゲームの"おつかい"を別の次元に昇華させた。本作の"おつかい"は驚くべきことに面白いのだ。それは単に移動して荷物を届けるというメカニズムから、どのように移動すべきか、どのように動くべきかという戦略性を盛り込んだ賜物だ。

■デス・ストランディングの楽しさ=景色の美しさ
ただ、移動に戦略性を持たせたとはいえ、それだけでは本作のような面白さを獲得できたとは思えない。本作の白眉は『レッドデッドリデンプション』を凌ぐ、フォトリアルな自然の雄大さの描写だと信じて疑わない。本作は荒廃したアメリカ大陸。荒廃しきっているため、『レッドデッドリデンプション』の如く町々の間は遥かなる荒野が広がっている。しかもただの荒野ではない。地は裂けていたり、険しい陸が広がっていたり、大きな河が広がり、荒々しい雪山が立ちふさがる。大雨は振り付け、吹雪が吹きすさぶ。そんな風景がフォトリアルに描画される。これは風景を観る事自体目的となり得る。私は可能な限りフィールドを主人公、サムの徒歩で進めた。車で移動するのはもったいない。時間は掛かれど徒歩で踏破することでサムと一体化できる。何より風景もより身近に感じられるからだ。

■デス・ストランディングの奥深さ=プレイヤーが演出する楽しさ
『デス・ストランディング』では基本的にはフィールドで音楽は掛からない。環境音的に掛かる場合もあるが基本的に音楽は鳴らない。ただし、新しい目的地に近づいた時には狙い済ましたように音楽が掛かる。しかも曲名とアーティスト名も画面に表示される。とても明示的な演出だ。そして私は音楽が掛かりだすと、自律的なプレイをせずには居られない。ここで私が言う自律的なプレイとは、地図を見ない、可能な限り音楽が鳴り止むタイミングで目的地に着くようにスピードを調整する、カメラもゲームプレイがし易いことよりも映像的に美しいカメラになるかを意識する、というプレイだ。

■デス・ストランディングの魅力=作品のトーンにマッチした音楽
本作では前述の通り、新しい目的地に近づくなどのタイミングで音楽が掛かる。その音楽の大半はLow RoarやSilent Poetなど北欧っぽいと言うか、ダブぽいと言うか、壮大だけれどもダウナーな音楽。この音楽がフォトリアルな荒野との相性がばっちりで、否がおうにも荒野を1人荷物を配達する主人公、サムに感情移入させてくれます。そしてだからこそ前述のような演出を意識したプレイをせざるを得なくなる。これはSHAREボタンや録画機能をゲーム機自体に標準搭載したPS4のゲームだからこそのプレイスタイルかもしれない。と言うか、ほかの人もそういう風にプレイしているのだろうか。

■デス・ストランディングの驚異的な部分=フォトリアルなグラフィックと一流俳優とシュールレアリズム的な演出
ノーマン・リーダスやマッツ・ミケルセン、レア・セドゥなど一流俳優がもはや実写の如くゲーム無いでカットシーンを演じる。何なら操作したり、対峙出来たりもする。競合作品と比較してもそのクオリティは頭一つ以上抜けている。且つ、映画的演出も欧米AAA作品にも追随を許さない小島秀夫監督作になっている。また、前作『メタルギアソリッドⅤ:THE PHANTOM PAIN』でもその一端は垣間見られたが、シュールレアリズム的なカットシーンはこれまでのどんなゲームや映画でもなかなか観たことの無い演出が山盛り。これだけでも本作をプレイする価値がある。Youtubeのプレイ動画ではなく、是非プレイの中で体感して欲しい。「これがゲームなので?」となる体験はコントローラ越しが望ましい。

本作は紛うこと無き"A HIDEO KOJIMA GAME”だ。それは良い点も悪い点も含めて。

■"棒"と"縄"のゲームは、やはり未だに"棒"を使わざるを得ない
joker
小島監督は、本作をして"棒"ではなく、"縄"のゲームであると語った。意味するところは、戦うことが主たるゲームプレイではない、仲間にすることがメインであると言うことであると理解している。確かに、本作は武器は存在するが、敵を殺害することは大きなペナルティとなる。ゲームデザインとして、敵を倒す以上殺害することは評価されない。なので、システムとしては、確かに嘘は無い。ただ、本作の多くの場面で"棒"を表現するゲームプレイ、銃撃戦は重要なゲームシステムとしてデザインされている。そしてラスト付近の重要な場面でもそれは繰り返される。"縄"は確かにメインとして設定されているが、"棒"は確かに重要なゲームプレイとして組み込まれている。天才、小島秀夫監督も"棒"からまだ逃れられていない。

■"A KOJIMA HIDEO GAME”の欠点
プレイステーションでリリースされた『メタルギアソリッド』は、そのシナリオが高く評価された。米国Fortune誌でも「20世紀最高のシナリオ」と評されたそうである。むべなるかな。印象的なカットシーン、挑発的なゲームプレイ、そして分かり易くも二転三転するシナリオ、エンターテイメントでもある素晴らしい脚本。『メタルギアソリッド』のシナリオは隙の無い素晴らしいものだった。ただ、『メタルギアソリッド』以降、続編の『SONS OF RIBERTY』、『GUNS OF PATRIOT』、『SNAKE EATER』も『PEACE WALKER』もキャッチーで面白い入りだったが、結末部分の切れ味がどうにも…残念ながら『デス・ストランディング』に関しても同様だった。これは最早"A HIDEO KOJIMA GAME”の構造的な欠点かもしれない。

■小島秀夫監督の饒舌
小島秀夫監督の作品の魅力はそのストーリーだ。そして、小島監督はストーリーを語るのに饒舌だ。そして饒舌過ぎるきらいがある。本作は特に饒舌だった。語るべきストーリーを現状のシステムの中で表現したため、プレイヤーが操作できないカットシーンが頻出した。後半、一部にプレイヤーが操作できるカットシーンはあるものの(そしてこのカットシーンの操作方法などは流石小島監督というべき新鮮なものがある)、多くの場合キャラクターが一方的に語りつくす、若しくは回想シーンが頻出する。この点に関して、まだ改善すべきことがあるはずだ。

『デス・ストランディング』は野心的なゲームだ。野心的なゲームシステムはまだ発展途上ではあるものの、今後大きな影響を後世のゲームに与えるのではないだろうか。発明されたこのタイミングでプレイしておくべきゲームだ。

『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』を観た

2020-01-04 | 備忘録
『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』(公式)
joker


『ロングショット 僕と彼女のありえない恋』を観た。

監督は『50/50 フィフティフィフティ』のジョナサン・レヴィン。脚本・原案でクレジットされているのが『The Interview』のダン・スターリング。もう1人脚本としてクレジットされているのが、『ペンタゴンペーパーズ 最高機密文書』のリズ・ハンナ。かなり難産だったようで、ダン・スターリングが手がけた初稿はオバマ政権を想定してかかれており、セス・ローゲンが関わったのが8年前、セス・ローゲンがシャーリーズ・セロンに参加を乞うたのが5年前。そこから脚本を練りつつ、今回のバージョンになったとのこと。

オバマ政権を経た結果、本作の大統領は大統領時代にテレビドラマに出演し、その反響に味をしめて1期限りで大統領を止め、テレビドラマ俳優を目指すと言うトンでも設定。そして現実のトランプ大統領同様、ツイッターで過激な発言を厭わない人物として描かれる。そして、その大統領を支援するメディア王、ウェンブリーが登場する。もちろんニューズ・コーポレーションを率いるルパード・マードック。馬鹿でろくでなしの大統領とそれを支えるセクハラ、強権メディア王はまんま現実の反映だ。こんな大統領やメディア王が跋扈する世界では『デーヴ』など夢のまた夢。

そんな大統領に仕えるのが国務長官、シャーロット・フィールド。なかなかお目にかかれないシャーリーズ・セロン。ただ、嫌だ味を爆発させるシーンはジェイソン・ライトマン監督の『ヤング≒アダルト』のメイビスを彷彿とさせられる。そんなシャーロットと恋に落ちるフレッドはいつものセス・ローゲン。ただ、いつもと違って骨太のジャーナリスト=自分を曲げられない人というのが物語上非常に機能していたように思う。

中身はドラッグ、オナニー、顔射、スパンキング、首絞めセックスなどなどド下ネタオンパレードなのに、PG12指定。そしてこんな内容なのに、PC的に一切の隙の無い2020年のコメディー映画になっている。逆『プリティウーマン』という評も納得だけれども、それ以上にヒロインもヒーローも人間臭く、現代的な問題に悩み躓く。

個人的には設定としての大きさに比して、制作費の問題なのか描写がこじんまりしている点や上記のアップデートされた表現以外では凡百のロマコメと変わらないのでは?と思ったりもした。また、大まかな話の筋以外に細々としたネタが散りばめられているが、特に音楽ネタなどはかなりハイコンテクストなので、ネタが配されているのが分かるけれど、内容が分からないと置いてかれてしまう感覚に襲われる。半端に映画的な知識がある自分は、音楽的知識が足りずもどかしかった。

人を選ぶけれど、嵌る人にはとことん嵌るロマコメだと思う。もう一度行けたらいいなぁ。