NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

ウディ・アレンの怠惰、『サン・セバスチャンへ、ようこそ』

2024-01-20 | 備忘録
-『サン・セバスチャンへ、ようこそ』(公式)
rifkinsfestival


2024/1/19(金)公開『サン・セバスチャンへ、ようこそ』爆笑問題 太田光ナレーション予告


2024年現在、ウディ・アレンの新作映画を劇場で観ると言う事には少なくない後ろ暗さがある。
そんな後ろ暗い心持で公開当日に劇場に足を運んだものの、いつものウディ・アレンの駄作。そしていつも以上の駄作で人によっては怒り出すレベルのもので心底疲れた。

ウォーレス・ショーン演じる主人公のモートはいつものアレンのオルターエゴで、ご丁寧にM-51を着てジーンズを履いている、いつか傑作を書きたい小説家。世間を見下し、自分こそは世界の真実を知り、実存の問題を常に考えていると憚らない。モートはジーナ・ガーション演じる妻のスーは映画業界のプレス・エージェントで新進気鋭の若手映画監督、フィリップのサポートとしてスペインのサン・セバスチャンでの映画祭に参加する。

もうこの時点で『ミッドナイト・イン・パリ』とほぼ同じような粗筋。そして『ミッドナイト・イン・パリ』と同様にモートはスーとフィリップの浮気を疑い悶々としだす。そんな中で体調を崩したモートは知人に紹介された女性医師、ジョーに惹かれていく。完全に『ミッドナイト・イン・パリ』の粗筋とおんなじで驚く。ただ、『ミッドナイト・イン・パリ』と異なるのは本作の主人公が70代後半の老人であり、お世辞にも華があるとは言えないウォーレス・ショーンが演じている点。モートがジョーとの関係を縮めていく過程が病気でもないのに病院に行き、ぐいぐいと関係性を進捗させようとする描写は男の私から見ても気持ちが悪い。実際にこう言う男性患者に迫られる若い女性医師っているんじゃないかと想像し、映画に載れなくなってしまった。

そんな気持ちの悪い主人公でウディ・アレンの過去作でも最もお金のかかっていなさそうな本作唯一の見どころは、モートが作中見る白昼夢だ。映画祭が舞台と言う事もあり、往年の映画界の巨匠たちの名作をオマージュして白昼夢は演出される。『市民ケーン』、『8 1/2』、『突然炎のごとく』、『男と女』、『勝手にしやがれ』、『仮面/ペルソナ』、『野いちご』、『皆殺しの天使』、『第七の封印』の9本の名作のパロディで白昼夢がヴィットリオ・ストローラの撮影で演出される。しかも『勝手にしやがれ』については実際のフッテージも挿入される贅沢さ。ちなみに劇中の映画祭でゴダールを招いての上映会が実施される設定だった。海外での公開時2020年時点ではゴダールも存命だったが、安楽死後の2024年に観るのは切ない。

これまでも自作で『8 1/2』や『第七の封印』などを引用して憚らなかったウディ・アレンがついに直接的なパロディに打って出たのは、個人的には衰退だと感じた。このパロディについてはシネフィルのスノッブさの到達点でもあると思う。高橋ヨシキさんはその点を痛烈に批判している。ただ、私はそのスノッブさもウディ・アレンがウディ・アレンらしさとして”ギミック”として入れているだけの様にも感じた。

※参考:「高橋ヨシキが映画『VESPER/ヴェスパー』と『サン・セバスチャンへ、ようこそ』をレビュー!」(週プレNews)
https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2024/01/19/121999/

見どころはあるが、本作はウディ・アレンの近作で最もつまらない。正直気持ちが悪い。アレン映画なので落ちないことも多いが、群を抜いて落ちていない。劇場公開してくれたロングライドには感謝するが、本当に面白くない。ウディ・アレン自身の問題を考えなくても何故映画を撮り続けられるのか不思議に思った。このモヤモヤした気分でAmazonプライムでアキ・カリウスマキ監督の『コントラクト・キラー』を観た。どのカットも画が決まり、セリフは極限まで少なく説明台詞は無く、とても映画的で、かと言って誰が見ても楽しめる映画。良い映画を観て一日を締めくくられて良かった。アキ・カリウスマキのブルーレイボックスが再販されたそうなので購入する。

・コントラクト・キラー (字幕版)
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A9%E3%83%BC-%E5%AD%97%E5%B9%95%E7%89%88-%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BC/dp/B0B4BY2XX4

2024/1/19(金)公開『サン・セバスチャンへ、ようこそ』ウディ・アレン監督×太田光(爆笑問題) スペシャル対談


ウディ・アレンと爆笑問題 太田光さんの対談。太田さんは映画を撮りたいと長年言っているが、この対談を観る限り北野武の様な体系的な映画の知識は無いようなので難しいだろうなと思った。

『バービー』、『2023年バービーの旅』みたいな映画

2023-08-20 | 備忘録
映画『バービー』オフィシャルサイト


ようやく『バービー』を観ました。

私は正直、冒頭の『2001年 宇宙の旅』オマージュシーンからのバービランドの紹介、ダンスシークエンス以降は微妙でした。特にバービーに異変が起きる理由や現実世界にバービーが良く理屈や現実世界のリアリティラインが乗れず。また、現実世界に行ってからの物語を転がしていくシーンはかなり強引と感じました。

ただ、後半トキシック・マスキュラリティに魅せられたケンによって支配されたバービーランドを取り戻すための作戦はその理屈も面白く、その作戦を実行するくだりもコメディシーンになっていて面白かった。そして出色はバービーたちがバービーランドを取り戻してめでたしめでたしのあと、バービーがケンと恋人関係になることも、ユートピアであるディストピアでもあるバービーランドに残ることも拒否しばバービーランドを去って、人間になると言う終着は『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』のジョーの結末にも似ていました。

このバービーが人間になるまでのシーン、バービーの生みの親であるルース・ハンドラーにより人間世界の現実を教えられるシーンの後に人間になるバービーの結末は、本作でオマージュを捧げた『2001年 宇宙の旅』のスターゲイトを通って、ホワイトルームからスターチャイルドへ進化を遂げるシーンの様だと個人的には感じました。冒頭の『2001年 宇宙の旅』オマージュシーンからのバービランドの紹介以降も、『2001年 宇宙の旅』の展開をなぞっているように感じました。

後半のケイト・マッキノン演じるへんてこバービーは『ブレードランナー』のプリスのようにも感じました。


参照:2001: A Space Odyssey - The Dawn of Man


参照:2001: A Space Odyssey - 1968 - "Stargate Sequence Scene" - Keir Dullea


参照:2001: A Space Odyssey (1968) - Star Child Scene (6/6) | Movieclips


参照:Deckard vs Pris Movie Clip - Blade Runner (1982)






劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影』はオールドファンほど楽しめるコナン映画

2023-04-18 | 備忘録
劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』(公式サイト)
劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』

劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』

“死ぬな、灰原──”絶体絶命の海洋頂上決戦《オーシャンバトルロイヤル》ミステリー、ついに開戦!劇場版第26弾『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』大ヒット公開中!

劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』

 

劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』を初日に観ました。劇場版『名探偵コナン』を劇場で観るのは、第1作の『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』以来。
また、『名探偵コナン』は70巻くらいまでは原作を読み、アニメも観ていましたが、10年前くらいにドロップアウトした元ファンです。

FBIと黒の組織の対決や安室の警察学校の仲間たちがメインになった近作もアニメと劇場版は概ね履修して『黒鉄の魚影』に挑みました。劇場版の基本方針としては、ミステリーではなくアクションメインの作劇で、アクションメイン作でのパターンである巨大建造物でのバトルと破壊がスペクタクルとして描かれる映画でした。

正直に言えば、映画として観ると粗だらけでツッコミどころしか無いのですが、それが前提である『名探偵コナン』映画として観ると、非常に満足感の高いスペクタクルだったと思います。灰原哀を誘拐した黒の組織を追うため、直角の崖をスケートボードで駆け降りるコナンはツッコミ所しかないですが、ある種の様式美だと思います。

そしてやはり重要なのは登場人物の関係性を描く部分です。これが本作の魅力の9割がたであると言っても差し支えないかと思います。公開前に公式Twitterへのリプライでネタバレしてしまったコナンと灰原哀のキスです。ただ、灰原哀がメインとなる映画だと公表された時点で想像の範囲内でした。実際劇場で目にすると強烈な破壊力でした。長年皆が妄想してきたものが劇場版とは言え現実になるのは感慨深いものがあります。

一方で今回の公式へのリプライはコナンと灰原哀のキスシーンに反感を持つコナン×蘭カップリング原理主義勢だった様で、『名探偵コナン』ファンダムの恐ろしさと幼稚さを感じさせます。オールドオタクおじさんからするとカップリングで怒る、ましてや公式に文句言うって意味が分からないし、気持ちが悪いなぁと。

今回のコナンと灰原哀のキスシーンは、昔ながらな人工呼吸をキスと捉えるキスシーンであり、演出も極めて客観的にキスシーンではなく人工呼吸として演出していたのが印象的でした。灰原哀のモノローグで人工呼吸がキスである事が強調されるのと不和もわざとなのでしょう。加えて言えば、ラストに灰原哀が蘭にキスをして、「唇を返す」と言うのも含めて、コナン×蘭の公式カップリング勢への配慮にも思えました。


話が逸れましたが、『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』は子供の頃に『名探偵コナン』が好きだった人、灰原哀が好きだった人は観た方がいいんじゃないかと思いました。スピッツ書き下ろしの主題歌「美しい鰭」も物語と相まって良かったです。

HBOドラマ版『THE LAST OF US』は原作通りでありながら、原作通りと全く異なるドラマだった

2023-03-14 | 備忘録
シーズン1の第9話で明確になったのは、ペドロ・パスカル演じるこのドラマ版ジョエルは、原作ゲーム版のジョエルと比べて、実の娘サラの死を20年経っても乗り越えていない、と言うことです。


◾️サラの死を乗り越えられていないジョエル
最終第9話でそれが明確になりますが、実は第1話からジョエルがサラの死を乗り越えられていない事は暗に示されていました。

隔離地域から脱出する際に、FEDRAの兵士に見つかり彼らを倒しますが、原作では単に兵士を倒すだけなのに対して、ドラマでは20年前にサラと逃げる際に陸軍兵士に撃たれてサラが亡くなった状況をフラッシュバックし、サラを殺害した陸軍兵士とFEDRAの兵士を重ね、殴り殺します。

※『The Last of Us PART Ⅰ』ドラマ原作該当箇所


◾️サラの死を埋める代替存在としてのエリー
ファイアフライの残党が潜伏しているとされるセントメアリー病院へ向かう途中のジョエルとエリーの何気ない会話。感染爆発した当時の思い出話パート。サラの話をするのを頑なに拒んでいたジョエルだったが、この何気無い会話のラストではサラの死を乗り越えられた様な事が示される。

※『The Last of Us PART Ⅰ』ドラマ原作該当箇所

ドラマ版でもこの該当箇所が基本的には原作通りに再現されていた。しかし衝撃的な台詞が追加されていた。1点目はサラの死後、生きる目的を失ったジョエルが自殺未遂をしていたと言う点。

そしてもう1点、その傷は時が癒したのかと問うエリーに対して、時じゃ無いとエリーを見つめて答えるジョエル。エリーがサラの代わりとなってジョエルの傷を埋めた事が明示されます。

ジョエルはサラの死を乗り越えたのでは無く、サラの代わりであるエリーを得た事で精神が落ち着いたと言う事なのです。

◾️サラの代替であり、サラより価値が低いエリー
感染症の治療薬開発の為に、エリーが命を落とすと知ったジョエルは、エリーを取り戻すべくファイアフライの兵士たちを殺害しエリーを奪還し、弟のトミーが暮らすジャクソンに戻る。ここまでの流れは基本的に原作通り。

基本は原作通りでは有るのですが、ラストシーンの直前のジョエルとエリーの何気無い会話がドラマでは大きく改変されていて、ジョエルの人物像が原作とは大きく異なる印象を与えるものになっていました。

※『The Last of Us PART Ⅰ』ドラマ原作該当箇所

サラが登山が好きだった、エリーとサラはいい友だちになれた、ものすごく気があっただろうとジョエルは語っただけでした。

ところがドラマでは、サラはエリーを気に入っただろう、だがサラとエリーは似ていない。むしろ全然違ってサラの方が女の子らしく、サラはエリーより背が高く、笑顔が最高だった、と。エリーは面白いから、サラを笑わせられるから、サラはエリーを気に入るだろうと、ジョエルは語ります。
ゲーム版ではあくまでサラとエリーを同列に扱っていたのに対して、ドラマではエリーはサラのあくまで下位互換で有る事が示されている様に思います。

◾️全く同じで全く異なる物語を紡いだHBOドラマ版『THE LAST OF US』
今回のドラマはゲームと基本的に同じ物語です。感染爆発の混乱に際して、実の娘のサラを亡くしたジョエルが感染症に対する免疫を持つエリーとの旅路の中で関係性を育み、感染症の治療薬開発の為に命を絶たれるエリーを奪還して帰ると言う物語はそのままでした。

ですが、ジョエルがサラの死を乗り越えず、メンタルが未だ不安定で、エリーをサラの代わりにしたいと言う欲望を持った人物で有ると人物像が絶妙に変更された事で、精神的に自立した大人で有るジョエルから、自分の為にエリーを自分の娘にする精神的に自立できない大人になっています。

この変更によりジョエルの人物像は、ドラマ版第8話で登場したカニバリスト集団を率い、エリーをペットにしようとした神父デビッドと大差が無い様に思います。

※『The Last of Us PART Ⅰ』ドラマ原作該当箇所


このゲームと人物像が異なるジョエルを擁して、HBOドラマ版『THE LAST OF US』はシーズン2製作が発表されました。

『The Last of Us PART Ⅱ』をベースに、翻案に留めつつも『PART Ⅱ』全体は1シーズンでは描けないとしています。
『PART Ⅱ』は『PART Ⅰ』から4年後の世界がゲームでは舞台となっている為、シーズン2は4年の間のジョエルとエリーの関係の破綻と許しまでを描くのかも知れません。


HBO版『THE LAST OF US』の魅力は原作の深掘り、再現性の高いルック

2023-02-19 | 備忘録
2月16日放送の「アフター6ジャンクション」でライターのJiniさんがHBO版『THE LAST OF US』の紹介と解説をされていました。理屈っぽ過ぎるのと話題の第3話「長い間」についてあらすじを詳細に述べ続けるだけの面白く無いネタバレがあり正直ガッカリでした。

「アフター6ジャンクション」2023年2月16日放送分

今回のJiniさんの件をきっかけにHBO版『THE LAST OF US』の何が優れているのか改めて考えてみました。

◾️HBO版『THE LAST OF US』は原作の取捨選択と原作が描かなかった余白の埋め方が絶妙
HBO版と原作の違いの一例として、感染者が発生した原因の描写が挙げられます。

原作である『The Last of Us』は感染者と呼ばれる所謂"ゾンビ"的な存在が現れ始めた所から描かれますが、感染者発生のパンデミックの端緒は描かれるものの、何が原因であるのか、どうしても広まったのかは原作では描かれませんでした。

主人公ジョエルの娘、サラの目線から街中で煙が上がる円形やニュースの中継、そして感染者と化した隣人、街中で感染者が溢れかえる様子が市井の一市民の目線で描かれますが、何が原因であるかは示されませんでした。

一方HBO版は同じくサラの目線で描いていくものの、朝から徐々に街の中で緊急車両のサイレンが鳴り響きはじめたり、パンデミックの発生を察した市井の人が徐々にその状況を察し始める状況を具に描写して見せます。

原作では感染者になってからしか現れなかった隣人もHBO版ではパンデミックの発生の朝から隣人とジョエル、サラとの関係性をきちんと描いてくれます。その上で感染者の発生の要因が感染者となってしまう菌に汚染された小麦を多くの市民が食べたことによって引き起こされた事が説明されます。

なお、何故ジョエルやサラは感染しなかったのがよくよく観ると、分かるように自然に描写されているのも、本作のクオリティ高さを表しています。

◾️説明、深掘りの絶妙な塩梅
この様に、HBO版では原作で具体的に説明されなかった、深掘りされなかった部分が具体的に描写されており、原作よりも物語を飲み込みやすくなっています。

この説明や深掘りは下手な製作陣が作れば、蛇足だったり、わざとらしくなったりと原作の良さを殺してしまうことになりかねないドラマ化の方向性だとは思いますが、原作の大枠は変えずに些細な箇所を説明したり、分かりやすくしたりと言う範囲に留めているからです。

話題になったHBO版第3話「長い間」や原作のピッツバーグからカンザスシティに舞台を変更した第4・5話は特にその取捨選択が顕著で、原作で描かれなかった部分を描いたり、描いていた部分を更に拡張することで、ゲームでは無いからこその描き込みでより高い感情移入を図ったのだと思います。そしてそれは今の所大成功していると思います。


HBO版は原作の取捨選択と追加要素の塩梅が良いだけではなく、ルックも原作を再現していて、俳優の芝居も素晴らしいです。原作のジョエルに近いペドロ・パスカルはともかくあまり原作のエリーに似ていないベラ・ラムジーには当初は慣れませんでしたが、徐々に慣れて第5話では彼女はエリーにしか見えなくなりました。製作陣が14歳くらいの俳優では無く、19歳ではあるがベラ・ラムジーを起用した理由がわかるはずです。

全9話で原作をどこまで描くのか本当に楽しみです。

※【第1話特別無料公開】『THE LAST OF US』(吹替版)<U-NEXTにて独占配信中!>