NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

シン・ゴジラ感想

2016-08-07 | 授業


冒頭の無人のプレジャーボートのシーン、
プレジャーボートには自殺を暗示するように並べて整えれた靴と
「私は好きにした。君らも好きにしろ。」と遺書とも挑戦状ととも捉えられる
封筒を残して物語のキーマン、牧吾郎が居なくなってしまうというシーンは、
『機動警察パトレイバー the Movie』の冒頭ですべてを仕掛けて自殺した帆場暎一を彷彿とさせます。
※牧吾郎という名前は84年版『ゴジラ』の主人公の名前であり、
 写真のみの出演となる演者は67年版『日本のいちばん長い日』の岡本喜八監督。

陸軍の若手将校達が暴走しクーデターを企てた
『日本のいちばん長い日』のラスト、笠智衆演じる鈴木貫太郎は
「これからの日本はもっと若い人が中心になってやるべきでね」と語ります。

本作の若いエリート(とはぐれモノ)官僚を中心とする巨災対の活躍は、
上記の鈴木貫太郎の台詞を受けてのことなのではと邪推します。
またルールを無視した陸軍関係者が誰も責任を取らず自害してしまった『日長』と比べると、
本作の筋は愚直にルールを守って最後まで逃げずに対応した巨災対との対比を感じます。


昔から既存作品からの引用・影響を
自覚的且つ批判的に行ってきた庵野監督の『シン・ゴジラ』は、
クエンティン・タランティーノの『キル・ビル』のような、
物語から演出から劇判に至るまでもが
先行作品からの引用の嵐というとてつもない映画でした。

『機動警察パトレイバー the Movie』、67年版『日本のいちばん長い日』などなど
引用やオマージュには枚挙に暇が無く、設定などに留まらず、
演出や劇伴までもが先行作品からの要素に溢れています。
そのことで誰もが過去作の要素を探して、話したく、
もう色んな作品が関係あるんじゃないかと思ってしまうシン・ゴジラ脳になっちゃいます。

ただ、とても面白くて、『エヴァ』的なサブカル的謎解き・物語的謎解きがあり、
過去作の引用に溢れているので、その点についても特にオタクは盛り上がり、
話をしたくなるような仕掛けに溢れているのですが、これを撮ったのが庵野監督というのが何というか。
間違いなくとてつもなく面白い怪獣映画であり、会話劇であるのは間違いないのですが、
結局は先行作品をモチーフとした縮小再生産でしかなく、
これを大傑作!だとか持ち上げることには心理的な抵抗があります。

シン・ゴジラ

2016-08-03 | 授業
【題名】
『シン・ゴジラ』
シン・ゴジラ


※思いっきりネタばれしています。
 ネタばれを気にされる方は下記ご注意ください。

【あらすじ】
すべてが朱に染まる夕暮れ、篠原重工の天才プログラマー・帆場暎一が、バビロンプロジェクトの要となるレイバー用海上プラットホーム「方舟」から投身自殺を図る。海に向かって飛び降りる彼の口元には嘲りの笑みが浮かんでいた。(機動警察パトレイバー the Movie

物語の舞台は西暦2000年9月13日に起きた大災害セカンドインパクトによって世界人口の半数が失われた世界。その15年後の西暦2015年、主人公である14歳の少年碇シンジは、別居していた父、国連直属の非公開組織・特務機関NERV(ネルフ)の総司令である碇ゲンドウから突然第3新東京市に呼び出され、巨大な人型兵器エヴァンゲリオン(EVA)初号機のパイロットとなって第3新東京市に襲来する謎の敵「使徒」と戦うことを命じられる。(新世紀エヴァンゲリオン

東京に1人で暮らしている「私」のところに、突然弟がやってきて「明日、この街は滅ぶ」と予言めいたことを言い出す。いつもはそんなことを言わない弟の言葉を冗談だと思う「私」だったが、翌日に突然異形の巨人「巨神兵」たちが東京に現れ、町を焼き尽くしていくのだった。(巨神兵東京に現わる

昭和天皇や閣僚たちが御前会議において降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。(日本のいちばん長い日

【感想】
ゴジラのリブートというか、一回きりの実験的な作品として現れた奇形種。ストーリーは散々指摘されているように、『ゴジラ』をベースにしてゴジラを3・11の原発事故の象徴として描きつつ、構成は岡本喜八版『日本のいちばん長い日』をベースにした会話劇。そこに『新世紀エヴァンゲリオン』や『巨神兵東京に現わる』、『機動警察パトレイバー the Movie』的な要素を展開。ストーリーだけではなく劇伴も『新世紀エヴァンゲリオン』、『ゴジラ』から拝借という荒業で、これぞオタク的なコラージュの集大成のような映画。

見所は、3・11時の官邸の対応を綿密に取材して当時の状況を盛り込んだ映画の全体の6割は占めるであろう会議シーン、会話劇と言われていますが、個人的には違いました。やはりゴジラが東京を破壊していくシーンが素晴らしい。覚醒したゴジラが東京を無慈悲に蹂躙していく姿にはある種の神々しさが宿っていて、破戒のカタルシスがすざまじく最高でした。このまま破壊しつくしてくれと切に祈りながら口をあんぐり開けながら映像に見入っていました。

【もやもや点】
会議シーンも確かに面白かったです。特にバイプレイヤー総進撃と形容したくなるほど、日本の脇役俳優たちのオンパレード。ただ庵野監督の演出なのか、何ともモヤモヤした気分が残るものがありました。演技力と言うよりも演出力と言うか。。

主演の3人のお芝居に関しても、竹野内豊さんと石原さとみさんはお世辞にも実力派俳優と呼べないけれども、実力派として知られる長谷川博己さんも前者の二人と同じくらいちょっと微妙でした。演技のラインが少し大仰というか。そして見た目の問題も。長谷川博己さんも竹野内豊さんも石原さとみさんもこの映画だと何だかパッとしません。特に長谷川博己さんと石原さとみさんのツーショットシーン。また、アメリカ生まれの役のはずの石原さとみさんよりも日本人役の長谷川博己さんの英語の発音の方が流暢に聞こえたり。。

やっぱり人間の芝居に関しては、庵野監督は向いていないのかもと思いました。


【まとめ】
この映画、本当に面白いです。間が無いくらいに延々と何かが起き続け、誰かが喋り続けます。喋らない時はゴジラが暴れています。演出に関してもその脚本に見合うだけとってもリズミカルです。どこかで観たようなカット、カット、カット。これは実写なのにアニメで観たようなカットが頻出して眼福の極みです。そしてバックでは『エヴァ』の劇伴が流れて…ラストの働く車、電車作戦の地味さのカタルシス。伊福部サウンドが更に興奮を煽ります。面白くないわけが無いです。本当に面白い。

何ですかね。アクション映画オタクのクエンティン・タランティーノのオタク的な集大成が『キル・ビル』だとしたら、『シン・ゴジラ』は特撮オタクの庵野秀明のオタク的な集大成と言ったところでしょうか。

イラショナルマン

2016-06-25 | 授業
【題名】
『教授のおかしな妄想殺人』(原題『Irrational Man』)
イラショナルマン


※思いっきりネタばれしています。
 ネタばれを気にされる方は下記ご注意ください。

『教授のおかしな妄想殺人』こと『イラショナルマン』を観ました。
『重罪と軽罪』や『マッチポイント』の系譜にある作品と言う前知識のみで鑑賞。
端的に言って、『イラショナルマン』はその系譜の地続きではあると感じました。
町山さんの『マッチポイント』評を援用しつつ、考えてみたいと思います。

【あらすじ】
仕事にも恋愛にも打ち込めない日々を送っていた主人公がある日、悪徳判事の噂を耳にする。
そして何故か彼はその悪徳判事の殺害を夢想することで、
社会正義を果たすことが出来、惹いては自信の存在の意義が生まれると考える。
自身の存在に自信を見出してからと言うもの、仕事にも恋愛にも精力的になり、人生を謳歌し始める。
そして彼は実際にその夢想を現実に移してしまう。

【殺人を扱った過去作との比較】
『重罪と軽罪』では、
資産家の娘である妻を持ちながら愛人がいる歯科医が愛人に離婚を迫られ、
マフィアに殺害を依頼し愛人を始末する。歯科医の罪は露見はせずに逃げ果す。

『マッチポイント』でも、
金持ちの令嬢と結婚した主人公が、その裏でスカヨハと不倫し妊娠させてしまう。
自体が露見し妻の財産を失う事を恐れた主人公はスカヨハを強盗の仕業に見せかけ射殺する。
その際、自身の姿を目撃した無関係な老婆を射殺してしまう。
主人公の計画は酷く杜撰だったが、運良くホームレスが犯人として逮捕され逃げ果せた。
ラスト、生まれたばかりの主人公の子供に対して運だけあればいいと願う。

『イラショナルマン』では、
人生に意味を見出せなくなり、死を渇望する日々を送る哲学科の教授が、
ふとした切っ掛けで金で動く悪徳判事の存在を知り、義憤に駆られる。
判事を殺して社会正義を実現すれば、自分の人生に価値を見出せると考えた彼はそれを実行。
ところがその犯罪の事実を知った教え子に、告発すると告げられその教え子の殺害を計画するが、
その過程で事故死してしまう。

【比較検討】
『罪と罰』では、
学生のラスコリーニコフが義憤から悪徳金貸しの老婆を殺害するものの、
居合わせた老婆の妹も殺害してしまい罪の意識に苛まれる。
罪の意識に耐えかねて、結局ラスコリーニコフは自首をする。

上記3作品の主人公たちはみながみな『罪と罰』を読んでいるシーンがあります。
3作は実存主義と神の存在をテーマとして持っているように思いますが、
『重罪と軽罪』は不倫相手を殺すという物語的な話に落とし込んでいます。
『マッチポイント』に居たっては、不倫相手を殺すという筋は『重罪と軽罪』から引きつつ、
結末以外はほぼ『罪と罰』の構造をなぞっています。というか、まんまです。

そして『イラショナルマン』は義憤によって悪を正すという動機と、
悪徳判事を殺害し、それに気づいた教え子をも手に掛けようとするという展開も含めて、
『罪と罰』に寄せてきていると思います。
そもそも『Irrational Man』というタイトル自体が60年代の実存主義の教科書のタイトルだそうで
(しかもアレンの愛読書!)、主人公が実存主義哲学の教授であることからそのテーマは明らかです。

作品を重ねる毎に、実存主義的テーマを物語に落とし込むということから遠のき、
元ネタであろう『罪と罰』の動機、物語の構造、結末に寄せてきていて、
どんどんと純化というか、短絡化しているとも言いえると思います。

【感想】
生きる目的が見出せず、死を望む哲学の教授を演じるのが、まさかのホアキン・フェニックス。
アレンや若しくは優男が演じていれば、この映画の印象は大きく異なっていたように思います。
いつも飲んだくれて、死を渇望してやまない、屁理屈をこねまくる哲学者がアレンであれば、
それは恐らく同じ脚本であってもコメディ然としていたように思いますが、
演じるのは稀代の獣性を称えたホアキンであり、それは必然的にコメディにもなりえず、
かといってシリアスなドラマにもなりきれて居ない、つまりは下手にリアリティがあるのです。

正直、本作で哲学科の教授が語る授業の中の哲学の説明はとても表層的な部分にとどまります。
またエイブが悪徳判事の存在を知るダイナーでのシーンに関しても、唐突で不自然な印象を受けます。
はっきり言って、脚本の推敲が足りていないと感じます。

ただ、アレンやそれに準じたコメディの空気を持つ俳優が演じていれば、
受け取る印象は異なったと思います。
ホアキンが演じることで必要以上のリアリティが生まれてしまい、
この粗が目立つ物語がコメディにも寓話にも、
かといって『マッチポイント』のようなサスペンスにもなりえなかったと思います。

また本作が下手にリアリティを持ってしまっているのは、
撮影監督のダリル・コンジの写実的なパキっとした映像のためでもあるように思います。
脚本とテーマ性と俳優と映像が不協和音を奏でているような印象です。

あと、日本語タイトルと宣伝の仕方、ビジュアルワークが酷いです。
原題だと伝わりづらいから仕方が無い部分があるとは言え、
『教授のおかしな妄想殺人』では原題のタイトルの持つ意味が失われてしまいます。


【参考】
「町山智浩の「映画の謎を解く」⑦ ウディ・アレン『マッチポイント』(05年)」(町山智浩の映画ムダ話)
https://tomomachi.stores.jp/items/560e4726bfe24cda5f004e10

「Woody Allen interview: 'Murder and death are very seductive'」(The Telegraph)
http://www.telegraph.co.uk/film/irrational-man/woody-allen-interview/

「Woody Allen dishes on money, murder and music」(Telegram.com)
http://www.telegram.com/article/20150720/NEWS/150729976



大人になるとは社会と自分の折り合いをつける事、フランシス・ハ

2015-11-29 | 授業
【題名】
『フランシス・ハ』(原題『Frances Ha』)(2012)
フランシス・ハ

【あらすじ】
主人公のフランシスは、ダンサー見習いの27歳。大学時代の同級生で親友で出版社に勤めるソフィーと共にルームシェアをしてニューヨークで楽しく気ままに暮らしている。そんなある日、フランシスは彼氏から同居を持ちかけるもソフィーとの生活が手放せず、その申し出を断り彼氏とも別れてしまう。ところが、フランシスが彼氏を捨ててまでソフィーとの生活を選んだにも関わらず、当のソフィーは以前から憧れていた地区へ引っ越すためにあっけなくフランシスとの同居を解消してしまう。そこからフランシスの生活は大きく様変わりをしていく。

【感想】
映画全体のトーンとしては、コメディというよりもユーモアといった感覚が近く、特にフランシスとソフィーがふざけている場面などはBGMも陽気な音楽に変わっている。冒頭のシーンなどは『女は女である』を想起させるようなポップなユーモアが漂っている。ただ、この陽気さは単なる陽気さではなく、悪い意味での子供っぽさの象徴のように描かれていく。ちなみに彼女の服装は映画を通してほぼ変わらない。お気に入りの服だけ着ている。いつも同じ革ジャン。


大人になりきれない行動や周囲との経済的・社会的な価値観の差異が露呈し、次第に周囲との軋轢を繰り返し、負のスパイラルに落ちていく。前半で同様の振る舞いをしているときは天真爛漫さが微笑ましく見えるが、後半に同様の振る舞いをするシーンでは痛々しさが際立っていく。

自分の好きなものを優先し、何事にも反発して、見栄を張って、大人になりきれない子供っぽい大人が如何にして大人になるかというお話。夢が必ずしも叶うとは限らない。「夢が叶わなかったときにどうするべきなのか」という結構重たいテーマではあるけれども、主演と共同脚本を手がけたグレタ・ガーウィグが実際に27歳の時に執筆したというだけあって、厳しくも優しい。


全編を通して、本作は白黒で撮影されており、その意図に関して監督のノア・バームバックは「映画の本質を分かり易くさせるためであり、且つ映画自体に歴史やノスタルジーを感じさせるため」とIMDBに記載がある。(出展不明)確かに色が無いほうが人物に集中できるし、且つiPhoneやMac Bookなどが存在しているのに白黒という画面はノスタルジーと共に趣を与えているように感じる。


様々な変化を通して、ラスト『フランシス・ハ』という題名の持つ意味に到達する。大人になるということは社会というよりはむしろ自分自身と折り合いを付けることなのだと思う。


【参考】
映画『フランシス・ハ』 ノア・バームバック監督独占インタビュー(東京WISE)
Frances Ha(IMDB)


【予告動画】
Frances Ha Official Trailer #1 (2013) - Noah Baumbach Movie HD


遅れてきた日本版『glee』?、『表参道高校合唱部』

2015-08-06 | 授業

金曜ドラマ『表参道高校合唱部』(TBS)
表参道高校合唱部

日本での『glee』の放送が終わった7月に日本版『glee』的な『表参道高校合唱部』が放送されるのは興味深い。といいつつ、本日だ1話をようやく観てみたので、とりあえず感想を書いてみよう。


表参道高校合唱部

【内容精査】
・テーマ:やりたいことをやろう?

・主人公の目的:家族の再生

・タイムリミット:3ヶ月(離婚調停後離婚成立までの期間)

・目的を達成するための手段:
 ①昔の恩師の下で合唱をする
 ②両親の母校でもある高校で”あるもの”を見つける

・主人公への障害物
 ①学校内のヒエラルキー・いじめ
 ②合唱部の部員不足で廃部危機
 ③学校内の合唱部への無関心・嫌悪?
 ④③に関連して無気力な部員と顧問
 
【感想】
香川真琴は『桐嶋』の映画部の前田的。

主人公の前に立ちはだかる障害を乗り越えるために、
合唱が武器になるかどうかが鍵だと思う。

声が平凡であるのなら、やはり演出やシナリオが重要になると思う。
第1話の後半の合唱シーンは合唱が持つ力の説得力を与えるものだったと思う。

小学生時代に引っ越した先の香川でなじめなかったときに、
主人公が言ってもらった台詞が、
歌の語源は訴えること。自分の気持ちを訴える。

テーマはやりたいことをやる?

練習パートでタイアップ的な音楽入れるのはどうなの?
合唱がぼやける。

合唱部がはぶられて居る一方で吹奏楽部はそれなりに評価を得ているよう。
そこの整合性が引っかかった。

ヒエラルキーのトップに居る子が西野翔に見える。