何だか巷では「画が汚い!」とか「王家とは何事だ!」とかいろいろと言われている様ですが、一番の問題はそんなところじゃないだろうと思いました。
―大河ドラマ「平清盛」(NHK)
一番引っかかった、一番解せない、一番腹立たしいと思うのは平太こと後の平清盛の出自。冒頭で源頼朝が「平清盛は武士の世の嚆矢だった」みたいなことを言っていたけれど、平清盛はこの大河ドラマでは白川法皇の子であった(!)とされているところじゃないのか。武士の世を築き上げた平清盛が実は天皇家の血筋だったというのは何と言う悪い冗談か。後の公家趣味の理由と言えば、筋は通りそうだけれど、結局は天皇家の血筋がって言うことのほうがよっぽど馬鹿にしている、と思うのです。
このことに関連して気になる描写がいくつかあります。第一に清盛の生みの母が舞子と言う名の白拍子、今で言えば娼婦という設定。何だかマグダラのマリアを思わせます。また彼女が清盛を産み落とす場所が厩だったりとどこと無くキリスト教的なモチーフを思わせます。また第一話のラスト、育ての父忠盛が地面に刺した洋剣(?)を抜くシーンは「王様と剣」のアーサーを想起させます。清盛が天下を取ることにまるで王権神授説的な正当性を持たせようとしているかのように思われます。(脚本化が歴史公証に反してまで天皇家を「王家」と表現するのはこの点があると思うのは邪推でしょうか。)
冒頭から表現された穢れた存在=武士という描写は現代にも普遍性のある興味深い描写だと思いました。自らの手は汚さず、それを武士に外部化している公家たちが武士を穢れていると見下げる。そんな見下げられた武士たちが政治の表舞台に立ち、天下を公家から奪うと言う歴史のダイナミズムを期待していたのに、その実その主役とも言うべき清盛が実は天皇の息子であったと言うのはどうかと思うのです。(もちろん出自など関係無く、結果として公家の世を一旦は終わらせるのでしょうが。)被差別者が差別者を越えて行ってこそ得られたものもあったのではと思います。
第二話の予告に「野良犬として生きてやる」とあります。ですが、血統書付きの野良犬です。確かに一度は捨てられた存在ですが、結局は天皇の子、”王家”の血筋を引く子供です。もちろんそこには様々な苦難や清盛自身の研鑽が表現されるのでしょうが、やっぱり解せないのです。結局は権力の座に着くべき人間が権力の座に着くという構造に思えてなりません。天皇家を軽んじていると非難された脚本ですが、その実は以後の武家社会はを作ったのは、武家社会は公家によって作られたものであると言われているような気さえしてしまいます。
いや、上記の点を鑑みても「平清盛」は面白いです。今まで観た中で一番綺麗な吹石一恵とか妖怪のような邪悪さを称えた伊藤四朗とかすごくいいです。松田聖子だけ何故かミュージカルのような芝居で一人浮いていますが、俳優もとても豪華で、映像もとてもリッチです。ただ冒頭の忠盛と舞子の立ち回りはとても良かったのに、海賊との戦闘は一部で観辛い箇所があったり、アクションが分かり辛いシーンも。加えて、忠盛と舞子が心を通わすまでが拙速だったり、朧月の子が平太に出自を言ってしまうと言う脚本にはちょっと引っ掛かりを覚えます。まぁ散々文句を言っておいて、第2話以降も観るんですが、「カーネーション」的な驚きは感じられないのでしょうか。
―大河ドラマ「平清盛」(NHK)
一番引っかかった、一番解せない、一番腹立たしいと思うのは平太こと後の平清盛の出自。冒頭で源頼朝が「平清盛は武士の世の嚆矢だった」みたいなことを言っていたけれど、平清盛はこの大河ドラマでは白川法皇の子であった(!)とされているところじゃないのか。武士の世を築き上げた平清盛が実は天皇家の血筋だったというのは何と言う悪い冗談か。後の公家趣味の理由と言えば、筋は通りそうだけれど、結局は天皇家の血筋がって言うことのほうがよっぽど馬鹿にしている、と思うのです。
このことに関連して気になる描写がいくつかあります。第一に清盛の生みの母が舞子と言う名の白拍子、今で言えば娼婦という設定。何だかマグダラのマリアを思わせます。また彼女が清盛を産み落とす場所が厩だったりとどこと無くキリスト教的なモチーフを思わせます。また第一話のラスト、育ての父忠盛が地面に刺した洋剣(?)を抜くシーンは「王様と剣」のアーサーを想起させます。清盛が天下を取ることにまるで王権神授説的な正当性を持たせようとしているかのように思われます。(脚本化が歴史公証に反してまで天皇家を「王家」と表現するのはこの点があると思うのは邪推でしょうか。)
冒頭から表現された穢れた存在=武士という描写は現代にも普遍性のある興味深い描写だと思いました。自らの手は汚さず、それを武士に外部化している公家たちが武士を穢れていると見下げる。そんな見下げられた武士たちが政治の表舞台に立ち、天下を公家から奪うと言う歴史のダイナミズムを期待していたのに、その実その主役とも言うべき清盛が実は天皇の息子であったと言うのはどうかと思うのです。(もちろん出自など関係無く、結果として公家の世を一旦は終わらせるのでしょうが。)被差別者が差別者を越えて行ってこそ得られたものもあったのではと思います。
第二話の予告に「野良犬として生きてやる」とあります。ですが、血統書付きの野良犬です。確かに一度は捨てられた存在ですが、結局は天皇の子、”王家”の血筋を引く子供です。もちろんそこには様々な苦難や清盛自身の研鑽が表現されるのでしょうが、やっぱり解せないのです。結局は権力の座に着くべき人間が権力の座に着くという構造に思えてなりません。天皇家を軽んじていると非難された脚本ですが、その実は以後の武家社会はを作ったのは、武家社会は公家によって作られたものであると言われているような気さえしてしまいます。
いや、上記の点を鑑みても「平清盛」は面白いです。今まで観た中で一番綺麗な吹石一恵とか妖怪のような邪悪さを称えた伊藤四朗とかすごくいいです。松田聖子だけ何故かミュージカルのような芝居で一人浮いていますが、俳優もとても豪華で、映像もとてもリッチです。ただ冒頭の忠盛と舞子の立ち回りはとても良かったのに、海賊との戦闘は一部で観辛い箇所があったり、アクションが分かり辛いシーンも。加えて、忠盛と舞子が心を通わすまでが拙速だったり、朧月の子が平太に出自を言ってしまうと言う脚本にはちょっと引っ掛かりを覚えます。まぁ散々文句を言っておいて、第2話以降も観るんですが、「カーネーション」的な驚きは感じられないのでしょうか。