NOTEBOOK

なにも ほしがならなぁい なにも きたいしなぁい

犬は吠えるがキャラバンは進む

2010-02-26 | 休み
犬は吠えるがキャラバンは進む


学生時代、セカンドアルバムの『LIFE』はよく聴いていたけど、ファーストは引っかからなくてあまり聴いていなかったのに…最近はこればかり聴いてる。セカンドはポップさ全開でラブソングばかりなのにこれは。


「天気読み」は何だか山下達郎風味。歌詞もっぽいけど、歌唱法すら達郎さんっ”ぽい”。「赤いダイアリー」の”リー”の部分”リィィ”が特に。「カウボーイ疾走」のサビの変調するところがゾクっとする。「ローラースケートパーク」はしょっぱなの歌詞から良い。サビの裏ビートで韻を踏むのが凄く気持ち良い。詩もいちいちよく引っかかる。

プラチナトロフィー

2010-02-24 | 休み
『HEAVY RAIN -心の軋むとき-』(SCE)
HEAVY RAIN
ということでプラチナトロフィー。何としてでも物語の全てを把握してやろうと、この週末『HEAVY RAIN』をこれでもかとやりこんではみたものの、40時間以上プレイしてトロフィーが77パーセントにしか達せず、あんまりにもトロフィーが進まないので飽きたを通り越して嫌いになりかける。なので仕方なく攻略サイトを参考に何とかプラチナ獲得。それでも凄い時間がかかった。初プラチナだ。


チャプターはともかくエンドロールは一度観ていたとしても飛ばせないのがことほど辛い。映画的なのはゲーム内容ばかりではなく、エンドロールも映画並みに長く、5分以上ある。それが一切スキップすることが出来ない。セーブデータが3つまで、またセーブデータを自由に使えず、チャプターも選択中のセーブデータのみに限られる等々とにかく制約が多く、トロフィー100パーセントを目指すといった繰り返しプレイには非常に辛い仕様。


こういった点だけは日本のゲーム、殊にこの種のミステリー、サスペンスジャンルのADVに一日以上の長がある。もちろん制作側の意図として、技術的な問題ではなくそういったゲーム的なプレイを拒絶しているのかもしれないが。



以下盛大にネタばれ



重厚な交響楽団の音楽で騙されそうになるが、シナリオや細かい点に不満が多い。


爆発から逃れるために冷蔵庫の中に隠れるという描写があるが、冷蔵庫は構造上内側からは開けられないんじゃないのかという疑問がまず浮かぶ。またショーンの監禁場所をつかんだマディソンが他の人に電話で知らせるというシーンがあるが、イーサンはともかく何故一面識も無い(少なくとも一切描かれていない)ジェイデンの電話番号を知っているということになっている。いくらジャーナリストだといってもありえない嘘だ。

最も強く不満を抱く、酷い場面は時計屋の主人、マンフレッドが口封じに殺害される場面。探偵のスコットが同行者のローレンと共に訪ねて行った際に、マンフレッドが探し物をするために隣の部屋に行ったが一向に戻ってこない。痺れを切らしてスコットが部屋に向かうと、部屋でマンフレッドが撲殺されている。それはユーザー視点、スコットの視線でそのように描かれるので、プレイヤーはそのシーンに異論を挟めない。

HEAVY RAIN
HEAVY RAIN

ところが犯人はスコットだったと後半明らかにされる。スコットが実は折り紙殺人鬼で、マンフレッドが持つ手がかりを隠滅するために彼を殺したという。マンフレッドを呼びに行く振りをして、スコットはマンフレッドを殺害、外部からの進入を工作したことが示される。だが前段のシーンではローレンがよそ見をしている描写が申し訳なさそうにあるだけで、ユーザーが目に出来るのはスコットは単純に現場に行き、死体を発見した場面だけだった。

HEAVY RAIN

これはプレイヤーに見せた事件のシーンがフェイクだったということ。フェイクを見せておいて、「実は犯人はスコットでしたよ」というのはさすがにあんまりだという気がする。こういうことは他にもあって、例えば犯人が身に着けていたという金時計。クラブでの犯行では金時計を付けていた、金時計を持っている人物が折り紙殺人鬼だということになるのだが、スコットが劇中他のシーンでは金時計を身に付けている描写がなされていない。

加えて言うと、しがない私立探偵でしかないスコットに何故港湾倉庫や試練用の車を所有し、アパートや豪華な部屋などを借りられる資金があったのか。それがまた不明だ。悪徳警官だったから裕福だったのか。また父親たちに試練を与えるカーナビのシステムなどかなり専門的な知識を要するガジェットを使っている点など、そういった技術にまで精通していたのかなどなど犯人の細かな点に想像が及ぶと、途端に本が弱く思えてくる。


些細な疑問は枚挙に暇が無い。試練の中でイーサンはドラッグディーラーを射殺する選択肢を取る場合があるが、その殺人罪は被害者が犯罪者であるから無罪放免なのか、その後イーサンが罪に問われている描写が一切無い。無関係の人間を殺しておいても悪人だから執行猶予が付いたのだろうか。全く不明だ。少なくともエピローグを見る限りでは、グッドエンドでもバッドエンドでもイーサンがこの殺人で罪に問われることは無い。

スコットが折り紙殺人鬼としたゴーディの父で、街の権力者コールマンはスコット達を糸も簡単に殺そうとした(殺した)人物であり、ゴーディが殺害した(とする)子供についても子供たちの死は貧民街の子供だから取るに足らないという趣旨の発言をしている。にも関わらず、ジョン・シェパードの死に対しては負い目を抱き、彼の事故死以来墓に花を供え続けているという設定はどうにも一人の人間の行動としては理解しがたいものがある。


HEAVY RAIN


またマルチシナリオについても、制作者が意図している物語のラインの中ではある程度自由に行動や決定を行うことが出来るが、一度そのラインから外れたことを意図すると、前世代のテキストADVと何一つ変わっていないことに気付かされる。主人公のイーサンや探偵のスコットはどんな行動を取ろうともラストまで死ぬことはないし、FBIのジェイデンは暴力的な捜査を行えない。結局は基本ラインからは抜け出すことは出来ない。

これはシステム自体が旧態依然としているためだ。フラグ管理のフローチャート型ADVをQTEとリアルタイムレンダのグラフィックで覆っただけというのが『HEAVY RAIN』のシステムについての正確な評価だと言える。確かに革新的な表現ではあるが、別に自由度に満ちたシークエンスの有機的な結合の結果として物語が立ち現れるのではなく、小さなシークエンスの無機的な順列組み合わせの結果が物語になっているに過ぎないのだ。

だからQTEの成否は思ったほど映像的には変化をもたらさず、シークエンスの結合はところどころの科白に不整合な部分を孕んでしまっている。見た目には非常に進化しているが、システムの根本はテキストアドベンチャーとなんら変わりは無い。もちろんこれはゲームで物語を語るための措置だとは分かる。自由度を確保すればするほど、物語ることが難しくなるのは『GTAⅣ』などオープンワールド系ゲームを見れば明らかだ。

HEAVY RAIN
HEAVY RAIN

グラフィックは確かに綺麗ではあるが、細部には残念な部分も多い。特に人物では女性キャラクターのモデルが見事に「不気味の谷」に落っこちている。同じファーストパーティ製の『アンチャーテッド』ではかなり女性もがんばっていたので、余計に女性キャラのモデリングは見劣りする。不気味だ。一方の男性キャラクター陣、特に中年以上のスコットやマンフレッド、パコなどは目の周りもしっかりと動いているので不気味さは少ない。



文句を書いてきたが十二分に凄いゲームであることは疑いようが無い。グラフィックの進展がテキストアドベンチャーに足りなかったアクティブな興奮を与えている。それだけでも評価されるべきゲーム。ただしシナリオや演出には前述の通り不満は多い。今作単体ではマディソンやジェイデンの問題など全ての事柄が明らかにされたわけではない。数ヵ月後にダウンロードコンテンツとして販売されるらしいので、それで満たされるのかもしれないがやはりソフト単体で完結しないことは少し残念だ。

HEAVY RAIN

2010-02-19 | 休み
開発のQuantic Dreamの前作、『Fahrenheit』が面白いとの評判ながらも好みではなかったので『HEAVY RAIN』は買うつもり無かったのに、開発会社のギオームさんとかのインタビューを読んでいて、アマゾンであんまりにも安かったんで注文してしまった。結局アマゾンはキャンセルでゲーム店で買ったのだけど。そして結構売ってなくて数軒梯子。


『HEAVY RAIN -心の軋むとき-』(SCE)
HEAVY RAIN


幼児連続殺人犯、シリアルキラーを追いかけるサイコサスペンスが話の本筋。そこに4人の登場人物のそれぞれの事情を描きつつ、それぞれに連続殺人犯を追うという正にハリウッドサスペンス映画の王道。プレイする前はシナリオはB級かと思ってたけれど、割と高度などちらかというとA級寄りのサスペンス。少なくとも「午後のロードショー」レベルは超えてるし、日本の最近のサスペンス映画よりは数段面白い。後半微妙だけど。


ただシナリオよりも何よりも注目すべきなのはシステム。QTEをより身体化(右、左、上、下などを各ボタン毎にファジーに当てはめて、キャラクターの動作を表現。例えば「歩く」という動作ではL1、R1を交互に押すなど)させたことで、従来のような「映像に合わせて単純にボタンを押すだけ」なQTEとは一線を画している。言い換えれば、ボタンを押すことに対して意味がちゃんとプレイヤーに伝わるようになってる。

しかも従来のQTEよりボリュームが多く、1つのシークエンスのQTEでかなりの入力をする必要がある。加えてこのQTEの成果でキャラクターの生死が左右されてしまう(≠ゲームオーバー)場面まである(しかも生死後もゲームは展開される)ので、必然にQTEに熱がこもらざるを得ない。さらにそういったシークエンスも高品位のリアルタイムデモで展開され、前述のQTEの身体性も相まって没入感やゲームとしての面白さも強い。

またQTEと対を成す、日常生活の些細な行為・行動までを表現する右スティックでのコマンド入力も当初はイロモノな機能だと思っていた。小便をする、髭を剃る、椅子に座る(特に意味は無い)などなど。車を運転するにしても、ドアを開けて乗り込む→シートベルトをする→エンジンをかける→シフトブレーキを解除→ギアを1に入れる、という一連の動作をコマンド入力して初めて車で出発することが出来る。

HEAVY RAIN

確かに最初はこんなところまでやる必要あるのか?と思うのに、プレイしていくうちに次第に慣れて、右スティックによるコマンド入力が自然の行為、必然的なものに思えてくる。慣れも有るんだろうが、最大の要因はこのコマンドの自然さだと思う。QTE同様に身体性にある程度連動するように設計されているので、コマンド入力であるにもかかわらず身体感があって単純なコマンド入力には無い没入感を生み出すことに成功してる。


移動が左スティックだけではなくてR2ボタンと右スティックを組み合わせたレースゲームみたいな移動システムだったりと、システム関係は多少人を選ぶところがあると思う。でも全体的には凄くプレイヤーの没入感を煽るような優れたシステム。そしてそれを結構高品質なリアルタイムデモで行われ、ムービーとQTE、調べるパートなどがシームレスに地続きになっているのでさらに没入感が高まる。本当に凄いし、面白い。

惜しむらくはマルチシナリオだからこその不整合。ゲームの構成としては5分から30分の小さなシークエンスを、4人の主人公を時系列に相互に切り替えられていくことで物語が展開される。だからこそ小さなシークエンスの結果が細かく物語に反映される、のだけれど、その際の問題として分岐が全て綺麗に繋がってるとは言えず、少なくない箇所で前後の科白がかみ合わない箇所があるのは、システムがこれだけ凄いだけに残念。

HEAVY RAIN

個人的な不満としてはやっぱりFBI捜査官、ジェイデンが使用するARIという調査ツール。文字通り、AR(現実拡張)を用いた操作ツールで、『マイノリティリポート』のごとく、現実の延長線上に仮想空間を映し出して操作資料を集めたり、捜査資料を閲覧できる。便利は便利だし作品に異なった彩を添えてはいるけど、本格サイコサスペンスの世界観にこういったSF要素は非常に違和感。作品世界を壊しかねないツールだと思う。


こういった不満が無いわけではないけれど、それにしても凄い完成度とクオリティ。何より面白い。期待していなかったからなのかもしれないけど、『アンチャーテッド2』に勝るとも劣らない没入感と興奮度。QTEに関しては、『シェンムー』や『竜が如く』、『ナルティメットストーム』、『God of War』など今までのどの作品よりも優れた完成度と面白さを兼ね備えてると断言できる。システムと演出のクオリティの完成度が高い。

ADVとしてもこれまでのテキスト型や探索型とも違った形を提示できてると思う。テキスト型ADVを3D化したようなベルトスクロール型とでも呼ぶようなスタイル。3D化されていて一見自由度が高そうで何でも出来そうで、迷いそうなのに出来ることは限られていて、プレイヤーはファジーに示された選択肢の中でゆるく自由に行動、選択することしか出来ない。でもそれをQTEなどで上手く表現してるので「やらされてる感」は少ない。

これにはキャラクターの人格は大抵のゲームではプレイヤーと=の存在なのに本作では決して=ではないことも少なからず影響しているかも知れない。L2ボタンを押すことでプレイヤーはキャラクターがその時点で何を考えているのか明示され、知ることが出来る。それはヒントという側面もあるけれど、キャラクターとの人格の乖離を示している気がする。キャラクターと”一体化する”というより、キャラクターを”演じる”に近い。



マルチシナリオにしても完成度が高い。くだらないアニメの焼き直しのような国内のゲームをするくらいなら『HEAVY RAIN』をプレイするべき。操作方法など人を選ぶゲームだと思うけど、それを補って余りある体験が出来ると思う。モーションコントローラの使い方はPS3のソフトの中で今までで一番上手い。吹替えもクオリティ高いし。



<画像参照>
SCEJ、PS3「HEAVY RAIN 心が軋む時」日本正式タイトル決定! TGS 2009にプレイアブル出展 シリアスな現実と感情を描く“大人向け”なインタラクティブアドベンチャー(GameWatch)
PS3ゲームファーストインプレッション「HEAVY RAIN -心の軋むとき-」(GameWatch)

ヘビーレイン

2010-02-18 | 休み
『HEAVY RAIN -心の軋むとき-』(SCE)
HEAVY RAIN
お金無かったけど、買ってしもうた…


プロローグまでちょこっとやってみての第一印象(ネタばれ含む)。以下に箇条書きと感想。


・操作形態はR2で「前進」、左スティックが方向決定(首を向ける)。この2つの操作を併せて移動する。
・右スティック、ボタンで歯磨きや髭剃り、着替えなどさまざまな動作・行為・行動を行う。QTE的。
・L2でキャラクターの思考確認。その時キャラクターが何を考えているのかをプレイヤーが確認出来る。ということはプレイヤー≠キャラクターであり、プレイヤーはキャラクターと乖離した存在。
・従来のADVのように会話の選択肢は存在するが、ウインドウではなくキャラクターの思考として表現されている。(前述のキャラクターの思考と同様にキャラクターの周りを文字が浮遊している。)

・演出。1つの部屋に2人以上居るとき、その人たちが離れると『24』的な画面を分割する演出処理がなされる。
・誕生日会前のシークエンスからモールのシークエンスへの場面転換に大いに問題がある。ブツっと切り替わるので、誕生日会前の自宅とモールがつながらない。


操作形態はかなり癖がある。『バイオハザード』のラジコン操作的でも有るけど、移動にしてもスティックだけでは許さないどちらかというとリアリズム的な操作形態のアプローチを見ると『ブシドーブレード』を思い起こさせる。人間は首から先に体を動かすのでこの操作形態は人体的には非常に正しい。またQTEにしても、単なるボタン押しにならないように入力する方向やボタンの組み合わせにやはりリアリズム的なアプローチを施している。

かなり攻撃的なアプローチ。これが成功しているか失敗しているのかはまだ分からないけれど、プロローグをプレイした限り製作者の意図は伝わってくるし、何より慣れてきた。後は最後までプレイしてどう感じるか。演出周りなどはかなり頑張っていて良い雰囲気。結構期待できるかもしれない。

引っかかったのが子供の1人、ジェイソンが買い物中に居なくなる場面。何故かいきなり弦楽器を多用した恐怖感をあおるBGMに切り替わってしまう。ゲームの情報を事前に仕入れていたプレイヤーにとっては、その後どういう展開が待っているのか知っているのでこのBGMの意味合いを理解できるが、子供が迷子になった程度でこのBGMは少し強引な気がする。モールの外の道路でジェイソンを見かけた時ならこのBGMもわかるけど。


とりあえず最後までプレイしてみよう。

WALL-E

2010-02-16 | 休み
金曜ロードショーで『崖の上のポニョ』が2月の頭に放送されていて、もちろん予約録画したんだけれど何故か結果は所さんの番組が録れていた。観る気になっている時に観られないのはカレーだと思って帰ったら晩ご飯が刺身だったみたいな心持がして収まりが悪いので『ポニョ』をDVDで借りに。そしてそれだけだとなんなのでその他も。


WALL-E


前評判通り、主人公のウォーリーのアニメーションが素晴らしく可愛らしく愛らしい。卑怯なほどに。ついでにウォーリーの唯一の友達?である、地球上で唯一?のゴキブリの動きまで素晴らしくアニメ的で可愛らしく面白い。ゴキブリなのに。目指すモノも表現方法も違うのにフルアニメーションという点では『ポニョ』も『WALL-E』も非常に最先端。よく出来たアニメには科白すら必要無いことを教えてくれる。いや科白はあるけど。『ポニョ』とは違う眼福。


面白かったのは今作のディストピア像。地球の環境が悪くなったから、良くなるまで宇宙に居ようという少し『宇宙戦艦ヤマト』ちっく設定で、人類は住環境が整った巨大な母船に乗り込んで700年間宇宙で生活をしていた。その間人間は移動する椅子に乗って生活し、ロボットたちが全ての世話を妬いてくれた(管理された)おかげで他人と直接コミュニケーションを取らなくなり、肉体は肥満体になり運動機能も退化してしまったという描写。

ディストピアに関わらず、SF的な未来人の描写は『スタートレック』のカーク艦長のようなスマートな人たち(カーク船長役のウィリアム・シャトナーは見る影も無く太ってしまったけど)という描写が多いのに、今作の未来の人類は何不自由ない生活の結果として、全員モニター付の移動する椅子に一日中座っていた結果として徐々に肥満化し、退化してしまっている。誰一人痩せていなくて、皆太ってる未来がディストピアってユニーク。

もちろんこれは高度大衆消費社会誕生以来のカウチポテト族(死語)から続くテレビやPCモニタの前に座って娯楽を享受しているだけの人たち(ぼくを含む)がモチーフになっているんだろうし、それを揶揄したのが何でも出来るモニター付の椅子に一日中座って生活する未来人。そんな人類と外でコツコツ仕事をし、イヴを追いかけてどんどん積極的に行動を起こして、成し遂げてしまうウォーリーとの対比が気持ち良い。人類を救うのもロボットだし。

太ってしまって、運動能力も退化し、何事にも消極的になってしまった。でも人類はそれに不満は無いというディストピアってそれまでのディストピア描写と比べて、科学的な推論に基づく最悪な未来予想なSFというよりは現代的な問題意識の反映、提起くらいのノリ。感情の発露が悪、読書が悪、記録することが悪、みたいな捻った設定じゃなくて、現代人の生活自体を皮肉ったディストピア。でもそんなに本気でそういうことを言いたい訳ではなさそう。


気になったのがロボットの扱い方。ウォーリーやヒロインのイヴ、壊れてしまったポンコツロボットたちは愛嬌のある善玉として描かれていて破壊の対象から逃れているんだけれど、そうではないシステムに従順で正常なロボットたちは冷徹な悪玉として描かれていて彼らを捉えようとするとイヴとかに破壊されてしまう。悪の親玉?である自動航行装置ロボットのオートも大統領に権限を委任されて人間の為に管理してただけで別に悪意は無いのだし。なのでちょっと違和感。

あとラスト。オートの強力な電気ショックによって電子回路を破壊されてしまったウォーリーをイヴが地球に帰って真っ先に直すんだけど、光学部品とかならまだしも心臓部っぽい電子回路まで逝かれてしまったウォーリーは当初は記憶?を失くして、愛嬌の無い単なるロボットになっちゃう。戻っちゃう。普通に考えたら記憶とか戻りそうもないし、悲しいけど映画的には単なるロボットになっちゃった方が現実的だし、完成度も高まったように思う。『ミリオンダラー・ベイビー』っぽいけど。

でももちろん映画の結末の方が圧倒的に正しい。物語の山を作るためには阻むものが必要なわけで敵としてのロボットは有意だと思うし、ウォーリーは元の記憶を取り戻して、人間と共に生きていくのは元よりイヴや仲間と仲良く暮らすっていうエンディングの方が誰もが喜ぶエンディングだとも思う。そして何より結果としてすごく面白い冒険譚になっていてさすがアカデミー賞アニメ部門の作品賞。アニメーション自体や演出は凄いけど物語を志向していない『ポニョ』が取れなかったのは当然と思う。



ホントすごい完成度。アニメーションとして素晴らしいだけじゃなくて、アニメーションの演出力が見応えがあるし、物語としても十分な強度がある。おまけに過去作品や他の映画のパロディ(「ツァラストラはかく語りき」をBGMに艦長が初めて直立に立ち上がるという『2001年 宇宙の旅』の猿のパロディしか分からなかったけど)までやっちゃう。エンドロールの人類が新たな歴史を作っていく演出も素敵。ドット絵の表現も。