アルバムの『SMILE』あたりからちょっと縁遠くなってしまいました。”スガシカオっぽい曲”を書くアーティストっぽくなってしまったような、要は自己模倣と言うか、スガシカオが書きそうな詩を書きました、それも時々ポジティブ入れて、って感じがどうにもあざとく思えて。『TIME』からはレンタルで済ますようになってしまってました。悪いとは思わないけど、ゾクゾクさせてくれないというか。
―佐野元春のザ・ソングライターズ(NHK)
楽しみにしてたワークショップ。学生の人の詩は面白いものが多くて良かったですが(あの帝京の学生はいったいいくつなんだ!?)でも詩であって歌詞ではないというところがさださんのワークショップの時とは違ったのが残念でした。あの時は数小節分だけではあったけれど、一つのテーマを提示して曲までつけていたので。その手法の一端まで分かったし。主題や思い込みから”外す”ってのはあるかもしれませんが。
シカオちゃんへの詩ではカタカナが多いのに(意味性を除去するために。芸名のスガシカオと万葉集から由来する本名の菅止戈男との差と言うか、”戈”(ホコ)が転じて”戦争”の意。つまりは戦争を止める男という如何にも左翼インテリゲンチャなお父さんが付けたあまりにも壮大なジョン・レノンじみた名前はやっぱり重そう。)なんで歌詞に出てくる神様は漢字なのか、シカオちゃんにとってどういう存在なのか、という問い。
私の中では神様は”カミサマ”なんですが、と。ただカタカナの”カミ”様ってあんまり言わなくね?いや、質問者的には無宗教だから意味透明ってことなんだろうけど、それに比してシカオちゃんの答えは宗教を持っていないことを前提として提示した上で、神を「得体の知れない自分の中にある良心」みたいな絶対的なものだから、それには嘘も付けないし後ろめたい生き方な自分からは恐い、と。その絶対性が漢字の”神様”ってことのよう。
売れることでの様々に受け取られることについて聞かれ、誰かに聴かれると言う事を商業主義的な反発から暗に避けていたみたいだけど、2000年ごろから考え方が変わって聴いて欲しいと、人が聴くってこと人に影響を与えるってことを意識して曲を作るようになったとか。2000年の『4Flusher』収録の「波光」とか「そろそろいかなくちゃ」とかまさにその意識の変化を体現してる、ような気がします。『SMILE』以降ファンが増えた一方で離れたファンも多いわけで。
例えば、別れの歌で比べてみると。
「グッド・バイ」-スガシカオ(『SWEET』1999年)
「サヨナラ」-スガシカオ(『SMILE』2003年)
もちろん大枠が「別れの歌」というだけで、中身は全く異なるけれど全く感じ方が違う。音が全体的に軽めのシャカシャカした感じになってそれだけでも大分印象が違うけれど、肝心の歌詞もそれまではどこか客観的で聴き手の感情を乗せにくい感じであったのが、より主観的な感じの聴き手の感情を乗せやすい詩になってる気がします。「これが欲しいんだろ?」的な。
で、客観的な視線を意識してから曲も変わったけど、見た目まで変わって渋谷系ライクなセルフレームにパーマという真山スタイルだったのが段々といわゆるお兄系のぎらぎらしたファッションに。まぁだからこそ若い女子も付く訳で、マスに聴かれるにはそれなりに受け入れられるスタイルにする必要は確かにあるものね。でも、ちょっと寂しいなと「コノユビトマレ」とか「Party people」とか聴くと余計に思うんです。
それにしても次週予告の矢野顕子さんの回の聴講学生の少なさ。そりゃこの面子では若年層に一番知名度は無いだろうし、チャート的なものとはここ数年無縁だけどさ、ミュージシャンというかレベルは随一の人じゃん、何なのあの閑散さ。学生、酷すぎ。
―佐野元春のザ・ソングライターズ(NHK)
楽しみにしてたワークショップ。学生の人の詩は面白いものが多くて良かったですが(あの帝京の学生はいったいいくつなんだ!?)でも詩であって歌詞ではないというところがさださんのワークショップの時とは違ったのが残念でした。あの時は数小節分だけではあったけれど、一つのテーマを提示して曲までつけていたので。その手法の一端まで分かったし。主題や思い込みから”外す”ってのはあるかもしれませんが。
シカオちゃんへの詩ではカタカナが多いのに(意味性を除去するために。芸名のスガシカオと万葉集から由来する本名の菅止戈男との差と言うか、”戈”(ホコ)が転じて”戦争”の意。つまりは戦争を止める男という如何にも左翼インテリゲンチャなお父さんが付けたあまりにも壮大なジョン・レノンじみた名前はやっぱり重そう。)なんで歌詞に出てくる神様は漢字なのか、シカオちゃんにとってどういう存在なのか、という問い。
私の中では神様は”カミサマ”なんですが、と。ただカタカナの”カミ”様ってあんまり言わなくね?いや、質問者的には無宗教だから意味透明ってことなんだろうけど、それに比してシカオちゃんの答えは宗教を持っていないことを前提として提示した上で、神を「得体の知れない自分の中にある良心」みたいな絶対的なものだから、それには嘘も付けないし後ろめたい生き方な自分からは恐い、と。その絶対性が漢字の”神様”ってことのよう。
売れることでの様々に受け取られることについて聞かれ、誰かに聴かれると言う事を商業主義的な反発から暗に避けていたみたいだけど、2000年ごろから考え方が変わって聴いて欲しいと、人が聴くってこと人に影響を与えるってことを意識して曲を作るようになったとか。2000年の『4Flusher』収録の「波光」とか「そろそろいかなくちゃ」とかまさにその意識の変化を体現してる、ような気がします。『SMILE』以降ファンが増えた一方で離れたファンも多いわけで。
例えば、別れの歌で比べてみると。
「グッド・バイ」-スガシカオ(『SWEET』1999年)
「サヨナラ」-スガシカオ(『SMILE』2003年)
もちろん大枠が「別れの歌」というだけで、中身は全く異なるけれど全く感じ方が違う。音が全体的に軽めのシャカシャカした感じになってそれだけでも大分印象が違うけれど、肝心の歌詞もそれまではどこか客観的で聴き手の感情を乗せにくい感じであったのが、より主観的な感じの聴き手の感情を乗せやすい詩になってる気がします。「これが欲しいんだろ?」的な。
で、客観的な視線を意識してから曲も変わったけど、見た目まで変わって渋谷系ライクなセルフレームにパーマという真山スタイルだったのが段々といわゆるお兄系のぎらぎらしたファッションに。まぁだからこそ若い女子も付く訳で、マスに聴かれるにはそれなりに受け入れられるスタイルにする必要は確かにあるものね。でも、ちょっと寂しいなと「コノユビトマレ」とか「Party people」とか聴くと余計に思うんです。
それにしても次週予告の矢野顕子さんの回の聴講学生の少なさ。そりゃこの面子では若年層に一番知名度は無いだろうし、チャート的なものとはここ数年無縁だけどさ、ミュージシャンというかレベルは随一の人じゃん、何なのあの閑散さ。学生、酷すぎ。