人間の二重性あるいは多重性。その自覚は十七世紀半ばから十八世紀末にかけて大量に報告されるようになってきた。
「人間は二重なのだ、と私は心に思った。ーーー『余は我が裡に二人の人間を感ず』と或る教父が書いている。ーーー二個の霊魂が寄り合って一個の身体の裡にこの混合胚種をおろし、身体はそれ自身、その構造のあらゆる器官の中に再現されている二つの相似的部分を呈するのである。あらゆる人間の裡には一人の観客と一人の俳優、話す者と応える者がいる」(ネルヴァル「オーレリア・P.41~42」岩波文庫)
二重なのは確かだ。けれどもただ単に二重なだけだろうか。
「《愛と二元性》ーーーいったい愛とは、もうひとりの人がわれわれとは違った仕方で、また反対の仕方で生き、働き、感じていることを理解し、また、それを喜ぶこと以外の何であろうか?愛がこうした対立のあいだを喜びの感情によって架橋せんがためには、愛はこの対立を除去しても、また否定してもならない。ーーー自愛すらも、一個の人格のなかには、混じがたい二元性(あるいは多元性)を前提として含む」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・七五・P.67」ちくま学芸文庫)
オーレリアの死はネルヴァルに多彩なダメージを与えた。もう一人の自分の出現だけでない。無限に延長される諸商品の系列のように留まるところを知らずに増殖する気配を漂わせる。
「オーレリアはもう私のものではないのであった!ーーーどこか他所で行われている儀式と、私の結婚ではあるが、《今一人》が私の友人オーレリア自身の思い違いに乗じようとしている或る神秘の結婚の用意とに就いて、色々話し合っているのが聞えるような気がした」(ネルヴァル「オーレリア・P.42」岩波文庫)
それは詩人にとって宿命的な感受性ゆえ、ほとんど口にする人々はいないけれども、実際に詩を書くことによってそれがどれほど現実的か、こっそり告げてはいるだろう。
「遊ぶ子供はこの世界を真剣に受け取ってはいないなどと思ったら、それは誤りである。どうしてどうして子供は自分の遊びを非常に真剣に考えている。遊びというものにたいへんな情動量をそそいでいるのである。そして遊びの反対は真剣ではない。ーーー現実である」(フロイト「詩人と空想すること」『フロイト著作集3・P.82』人文書院)
さらに言えば、もっと多く大量に変身するのではないか。たとえば古代神話を見てもユピテル(=ジュピター=ゼウス)の変身は有名である。
「アラクネは、織り進む。ユピテル(=ジュピター=ゼウス)が、こんどは獣神(サテュロス)に身をやつして、美しいアンティオペに双生児を身ごもらせたこと、アンピトリオンになりすまして、その妻アルクメネを欺いたこと、黄金の雨となってダナエを、火炎となってアイギナを、羊飼いとなってムネモシュネを、まだらの蛇となってプロセルピナをだましたこと」(オウィディウス「変身物語・上・巻六・P.226」岩波文庫)
「ゼウスは、へーラーの祭官の職にあった彼女(イーオー)を犯した。ヘーラーに発見されてゼウスは少女に触れて白色の牝牛に変じ、彼女と交わったことはないと誓った」(アポロドーロス「ギリシア神話・第二巻・P.72」岩波文庫)
「また一部の人によれば、ゼウスが黄金に身を変じて、屋根を通してダナエーの膝に流れ入り、彼女と交わったのである」(アポロドーロス「ギリシア神話・第二巻・P.79~80」岩波文庫)
「一説によればエウローペーはアゲーノールのではなくして、ポイニクスの娘であるという。彼女をゼウスが恋して、馴れたおとなしい牡牛に身を変じ、彼女を背に海を渡ってクレータに連れて行った」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.119」岩波文庫)
「ゼウスは白鳥の姿となってレーダーと、また同じ夜にテュンダレオースが、交わって、ゼウスからはポリュデウケースとヘレネーが、テュンダレオースからはカストール<とクリュタイムネーストラー>が生れた」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.148」岩波文庫)
ユピテル(=ジュピター=ゼウス)だけでもかなりのものだが、人間はもっと多様ではないだろうか。神話を創造したのはほかならぬ人間だからだ。
「どうして、私たちが私たちのより弱い傾向性を犠牲にして私たちのより強い傾向性を満足させるということが起こるのか?それ自体では、もし私たちが一つの統一であるとすれば、こうした分裂はありえないことだろう。事実上は私たちは一つの多元性なのであって、《この多元性が一つの統一を妄想したのだ》。『実体』、『同等性』、『持続』というおのれの強制形式をもってする欺瞞手段としての知性ーーーこの知性がまず多元性を忘れようとしたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一一六・P.86」ちくま学芸文庫)
ところでネルヴァルはふと「アンフィトリオンとソジ」の神話について思い出している。モリエールの戯曲で有名になった。一六六八年パレ=ロワイヤル劇場で初演。好評を博した。シナシオは宮廷恋愛にギリシア神話を闖入させた形式に置き換えられている。だが問題になっているのはただ単なる変身奇譚とその効果というばかりではないようには思える。ジュピターはたった今引用しメルキュールが述べているように「いろんな姿になるのを楽しんでる」わけである。
「メルキュール ジュピターさまは、アルクメーネの眼差しにやられちゃって、夫のアンフィトリヨンがボイオティア平野のただなかでテーベ軍の指揮を取っているすきに、夫になりすまし、とろけるような喜びを味わって恋の痛みをいやされているのさ。あのふたりが新婚なのはジュピターさまの恋には好都合、数日前に結婚したばかりでアツアツだから、ジュピターさまもおの素晴らしい手を思いついたのさ。何もかも計画通りで順調だ。けど、愛する女を手に入れたいなら夫に変身するのは考えもんだね。夫の顔が奥さんに歓迎されるとはかぎらないからな。/夜の女神 ジュピターさまもあきれたものね。どうして次から次へと変身なさるのかしら。/メルキュール ああやっていろんな姿になるのを楽しんでるのさ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.154~155』臨川書店)
だが十七世紀も半ばになれば客層は王侯貴族に属する人々だけではない。当時だんだん台頭してきた新興ブルジョワ階級も当然入ってくる。モリエールがそれをどのように捉えていたかはわからない。だがメルキュールの言葉は、少なくとも新しい観客の耳には、ただ単なる宮廷恋愛の範疇に収まるわけはない。
「メルキュール おまえの馬の歩みをゆるめて、ジュピターさまが恋を満喫できるように、この美味しい夜を一番長い夜にしてほしいのさ。あの方が存分に思いをとげられるように、夜が明けるのを遅らせてもらいたい」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.156』臨川書店)
延長可能になった夜の時間、という感覚がある。闇の世界は神々の手を借りずとも人間の手で自由に延長させることができる。それは十六世紀に近代資本主義が出現して以降、当たり前に普及してきた感覚でもある。ソジに変身したメルキュールとアンフィトリヨンの召使ソジによる次の会話はたいへん感心を引く。メルキュールはジュピターの命令を受けてすでにソジに変身している。だが、そっくり瓜二つに変身したというだけでは何かが上手く行かないのだ。メルキュールはそれが何かを知っている。だから二人の会話は長いものにならざるを得ない。
「メルキュール(ソジの姿をしている) あいつにそっくりなこの顔で、あのお喋りをここから追い出してやろう。あいつに邪魔されたんじゃ、恋人たちが仲良く味わっているお楽しみが台無しだからな。/ソジ なんだ気のせいか、何でもなかったみたいだな。だけど、何か悪いことが起きたら大変だから、話の続きはお屋敷に帰ってからにしよう。/メルキュール おまえがこのメルキュールさまよりも強くなきゃ、そんなことは無理なのさ。/ソジ(メルキュールには気付かないで) 今夜はとんでもなく長い夜だなあ。俺が出発してから、アンフィトリヨンさまが朝と夜を取り違えてるのかな?それとも、金髪のアポロンさまが酒の飲みすぎで寝坊してるのかな。/メルキュール こいつめ、神さまを馬鹿にするような口をききやがって、ふてぶてしいその態度に今すぐこの腕で思い知らせてやるからな。それに、顔だけじゃなく名前も取り上げて、こいつをからかうのも愉快だろうな。/ソジ ああ!思った通りだ。もうダメだ、俺は何てかわいそうなんだろう!お屋敷の前に誰かいるぞ。どうもよくない予感がする。俺は平気だってことを見せるためにも、ちょっとここで歌ってみるか。/メルキュール 歌で俺をイライラさせるふてぶてしい奴はどこのどいつだ?この手でたたきのめされたいのか?/ソジ この人は音楽が好きじゃないみたいだな。/メルキュール もう一週間以上も、誰の骨も折っていないな。使わなきゃ、せっかくの腕がなまっちまう。手ごろな背中が見つかれば、調子が戻るんだがな。/ソジ こいついったい誰だろう?恐ろしくて死にそうだ。だけど、どうしてそんなに震えてるんだ?こいつだって俺と同じくらいびくびくしてるかもしれないじゃないか。こいつがあんな大きな口をたたくのも、威勢のいいフリをして本当は怖いのを隠そうとしてるのかもしれないぞ。そうだそうだ、なめられないようにしなくっちゃ。本当は気が弱いってことを見せちゃダメだ。頭を働かせて、勇気のあるフリをするんだ。あいつだって俺と同じ、ひとりじゃないか。俺は強いんだ。立派な旦那さまがついてるんだ。それに、ここは俺たちの家じゃないか。/メルキュール 誰だ!/ソジ 俺だ。/メルキュール 『俺』って誰だ?/ソジ 俺だ。勇気を出せ、ソジ。/メルキュール どういう筋の者だ?/ソジ 人間で、口がきける者だ。/メルキュール おまえは主人か、召使か?/ソジ そんなの俺の勝手だろ。/メルキュール どこへ行く?/ソジ 俺の行きたいところさ。/メルキュール ああ!気に入らないな。/ソジ 俺は嬉しいね。/メルキュール ぜひとも、力づくでも何としても、おまえの口を割らせるぞ。こいつめ、こんな暗いうちから何をしている?どこから来た?どこへ行く?何者だ?/ソジ 俺はいいことと悪いことをかわるがわるやるのさ。俺はあっちから来てこっちに行く。俺は俺の旦那さまにお仕えしてる。/メルキュール 頭のいいところを見せて、俺と張り合おうってのか?お近付きのしるしに、この手でいっぱつお見舞いしてやりたくなってきた。/ソジ 俺にか?/メルキュール おまえにだよ。ほらこれでわかったろう。/ソジ あイタ、イタ!本気でやりやがったな!/メルキュール まさか。ほんの冗談さ。おまえが生意気な口をたたくから思い知らせてやったのさ。/ソジ 何てことを!別に何も言ってないのに、平手打ちをくわせるなんて!/メルキュール そんなのはほんの小手調べだ。ちょっとなでたようなものさ。/ソジ 俺もおまえみたいにすぎにカッとなるタイプなら、すごい喧嘩になるところだがな。/メルキュール あんなの何でもないだろう?さあ続けようか。もっと本格的にやってやってもいいんだぜ。さっきの話を続けよう。/ソジ 俺はごめんだね。/メルキュール どこへ行く?/ソジ おまえには関係ないだろう?/メルキュール 俺はおまえがどこに行くか知りたいんだよ。/ソジ このドアを開けさせるのさ。どうして俺の邪魔をする?/メルキュール このドアに近付いたりしたら、めちゃめちゃに殴ってやるぞ。/ソジ おい!そんな脅しで、俺の家に入るのを邪魔するのか?/メルキュール 何だと?おまえの家だって?/ソジ そう、俺の家だ。/メルキュール おい、何てことを言う!このお屋敷がおまえの家だって言うのか?/ソジ その通り。このお屋敷の主人はアンフィトリヨンじゃないのか?/メルキュール そうだ。それがどうした?/ソジ 俺はその召使なのさ。/メルキュール おまえが?/ソジ この俺が。/メルキュール その召使?/ソジ そうさ。/メルキュール アンフィトリヨンの召使だって?/ソジ アンフィトリヨンの、あの方の。/メルキュール おまえの名前はーーー?/ソジ ソジ。/メルキュール えっ?何だって?/ソジ ソジ。/メルキュール おい、この手で殴り殺されたいのか?/ソジ どうして?何をそんなに怒ってるんだ?/メルキュール ずうずうしい奴だ、ソジの名前を勝手に名乗るとはな。/ソジ 俺はソジの名前を名乗ってるんじゃない。昔からこの名前なんだ。/メルキュール ああ、とんでもない嘘をつきやがって!恥ずかしくないのか?おまえの名前はソジだとこの俺の前で言い張るのか?/ソジ その通り。神さまの最高の力でそうなってるんだから仕方ないだろう。俺が勝手に『違う』とも言えないし、自分以外の誰かにはなれないんだから。/メルキュール そんなふてぶてしいことを言う奴はめった打ちにしてやる。/ソジ 正義よ!市民の皆さん!助けて!お願いします。/メルキュール 何だ、おい、叫び声をあげたりして。/ソジ 人をさんざん殴っておいて、これが叫ばずにいられるか?/メルキュール だからこの腕でおまえにーーー。/ソジ そんなの通用しないぞ。俺が臆病なのにおまえが付け込んでいるだけなんだからな。卑怯じゃないか。相手の気の弱さを利用して、腕っぷしの強さを見せるなんて、意気地なしのやることだ。絶対に勝てるとわかっている相手を打ちのめすなんてのは、立派な心がけの人間のやることじゃない。勇気のない相手に勇気を振りかざすなんてとんでもない話じゃないか。/メルキュール おい!自分がソジだってまだ言い張るのか?どうなんだ?/ソジ おまえに殴られたって、俺は俺なんだよ。変わったのは、『殴られたソジ』になったってことぐらいかな。/メルキュール まだそんなことを?そのへらず口をたたきのめしてやる。/ソジ お願いだ、殴るのはやめてくれ。/メルキュール じゃその生意気な口もふさぐんだな。/ソジ 何もかもお望み通りにしますよ。もう何も言いません。あなたと言い争っても私に勝ち目はないですから。/メルキュール おまえはソジか?ほら、答えろ、この野郎!/ソジ ああ!私はあなたのお気に召すものになります。私のことはあなたの思うようにしてください。あなたのその腕に私は従えられたんですから。/メルキュール おまえの名前はソジだったってことだな?/ソジ そうです。今までそう思い込んでいました。でも、あなたに殴られて、このことで思い違いをしていたとわかりました。/メルキュール ソジは俺だ。テーベ中の人間が認めてくれる。アンフィトリヨンの召使はこの俺さまだけだ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.162~169』臨川書店)
強引な論理と暴力とを用いてまでメルキュールがようやく手に入れたものは何か。それはソジという名である。どれほどそっくり瓜二つに変身したとしても名を奪い取らねば変身したというだけに終わる。姿形がどんなに似ていても唯一無二の名を手に入れなければメルキュールの変身はほとんど何らの意味もなさない。むしろただ単なる道化あるいは笑い話に過ぎなくなってしまう。また、ソジという名はソジ自身の実在と切り離し可能な社会が、すでに出現していることの証拠として機能している点に注目したい。フーコーはいう。
「ニーチェにとって問題は、善と悪がそれじたい何であるかではなく、自身を指示するため《アガトス》、他者を指示するため《デイロス》と言うとき、だれが指示されているか、というよりはむしろ、《だれが語っているのか》、知ることであった。なぜなら、言語(ランガージュ)全体が集合するのは、まさしくそこ、言説(ディスクール)を《する》者、より深い意味において、言葉(パロール)を《保持する》者のなかにおいてだからだ。だれが語るのか?というこのニーチェの問いにたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーーー語の意味ではなく、その謎めいた心もとない存在だ、と述べることによって答え、みずからの答えを繰り返すことを止めようとはしない。ーーーマラルメは、言説(ディスクール)がそれ自体で綴られていくような<書物>の純粋な儀式のなかに、執行者としてしかもはや姿を見せようとは望まぬほど、おのれ固有の言語(ランガージュ)から自分自身をたえず抹殺しつづけたのである」(フーコー「言葉と物・P.324~325」新潮社)
戦闘から帰還したアンフィトリヨン。元々のソジは質問に答える。しかしアンフィトリヨンには何がなんだかさっぱり通じない。
「ソジ 門の前でちょっとリハーサルをしておこうと思ったんです。どんな調子でどんな具合に、戦いの華々しい話をしようかとね。/アンフィトリヨン それで?/ソジ それを邪魔する奴がいて、困ったことになったんです。/アンフィトリオン でそれは誰だ?/ソジ ソジ、もうひとりの私です。港からアルクメーヌさまのもとに遣わされたそいつは、アンフィトリヨンさまの命令を果たそうと一生懸命なんです。それにそいつは、私たちの秘密について何もかも知っていたんです。今アンフィトリヨンさまにお話ししている私と同じようにね。/アンフィトリヨン 作り話はよせ!/ソジ 違います、ファンフィトリヨンさま、本当に本当なんです。そのもうひとりの私のほうが、この私よりも早くお屋敷に到着していたんです。誓ってもいいです。私が着いた時にはもう私はそこに来ていたんですよ。/アンフィトリヨン 何をわけのわからんことを言ってるんだ?」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.184~185』臨川書店)
ソジの言葉はアンフィトリヨンの質問に答えれば答えるほど逆に窮地に陥っていくほかない。そのような言葉に変換されてしまっている。これはメルキュールによるただ単なる変身だけでは不可能だった事態だ。
「アンフィトリヨン 結局、家の中には入らなかったのか?/ソジ 入るも入らないも!いやはや、どうやって入れっていうんです?私は全然こっちの言うことを聞いてくれないし、ドアのまえで通せんぼしてたんですよ。/アンフィトリヨン 何だと?/ソジ 棒で殴られたんですよ。おかげで背中がまだひどく痛むんです。/アンフィトリヨン 棒で殴られただと?/ソジ そうなんです。/アンフィトリヨン 誰に?/ソジ 私です。/アンフィトリヨン おまえがおまえを殴ったのか?/ソジ ええ、私です。ここにいる私じゃなくて、お屋敷にいるほうの私が、すごい力で私を殴ったんです。ーーー冗談で言ってるんじゃありません。さっき会った私は、今お話ししている私よりも一枚うわ手なんです。腕っぷしは強いし、勇気はあるし、そのあかしが私の身体に刻まれているんです。その私は悪熊みたいに私をたたきのめしたんです。まったく手がつけられませんよ。/アンフィトリヨン 話の続きを聞こう。それでアルクメーヌには会ったのか?/ソジ いいえ。/アンフィトリヨン どうしてだ?/ソジ どうしようもなかったんです。/アンフィトリヨン 何て奴だ!どうして役目を果たさなかった?言ってみろ。/ソジ 何度同じことを言わせれば気が済むんですか?だから、私、この私よりも強い私、その私が力づくでドアの前で通せんぼしたんです。私はその私の言いなり。その私は自分だけが私だってことにしたがって、その私は私に嫉妬して、その私には勇気があって、臆病な私に怒りを爆発させたんです。つまりですね、お屋敷にいるその私は、その私こそ私の主人だってところを見せて、その私が私をたたきのめしたんですよ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.186~188』臨川書店)
このような錯乱した世界を出現させたのはメルキュールの変身だけでなく、ソジという名の暴力的奪取による。その間、アンフィトリヨンもまたジュピターによる変身によって妻アルクメーネをまんまと寝取られてしまっている。ソジに化けたメルキュールは本物のアンフィトリヨンを相手にからかってみせる。
「アンフィトリヨン 俺だ。/メルキュール 誰だ、『俺』って?/アンフィトリヨン ああ!開けろ。/メルキュール おい、『開けろ』だと?そんなに大きな音をたてて、そんな口をきくとは、何者だ、おまえ?/アンフィトリヨン おい、俺が誰だかわからないのか?/メルキュール ああ。知りたいとも思わないね。/アンフィトリヨン 今日はみんなおかしくなってしまったのか?悪い病気が流行っているのか?ソジ、おい、ソジ!/メルキュール だから何だ?ソジ、そう、それが俺の名前だ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.186~188』臨川書店)
アンフィトリヨンは本物のソジにからかわれ馬鹿にされたと勘違いする。ソジを呼び出し怒りはするものの、事態が把握できないため、「苦しみは強まるばかり。こうまで追い詰められては、もはや何を信じればいいのか、何と言えばいいかもわからない」精神状態に叩き込まれる。ソジはもはやお手上げという心情に達している。
「ソジ もう私は斬(き)られちゃいましたか?/アンフィトリヨン そうはいかない、さっきあんなけしからんことを言ったつぐないはしてもらう。/ソジ どうして私にそんなことができたでしょう?だって私はアンフィトリヨンさまのご命令でよそに行っていたんですよ。この人たちが証人です。お屋敷でのお食事に招待したところなんです。/ノークラテス その通りです。ソジはそのことを伝えてからずっと私たちと一緒でしたよ。/アンフィトリヨン 誰がそんな命令を出した?/ソジ アンフィトリヨンさまです。/アンフィトリヨン いつ?/ソジ 奥さまと仲直りされた後です。アルクメーヌさまのお怒りをしずめることができた喜びをわかちあいたいっておっしゃったじゃありませんか。/アンフィトリヨン おお、何てことだ!次々と、足を進めるたびに、この激しい苦しみは強まるばかり。こうまで追い詰められては、もはや何を信じればいいのか、何と言えばいいかもわからない」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.224~225』臨川書店)
アンフィトリヨンの精神状態はもはや「ドン・キホーテ」(第一部)から「ドン・キホーテ」(第二部)の主人公へと移っている。そこでようやくジュピターが登場する。だからといってすべてが解決するわけではない。前代未聞の問いが提出されたに過ぎない。
「ジュピター 何の騒ぎだ?誰だ、主人づらしてドアをたたくのは?/アンフィトリヨン これは!ああ、神さま!/ノークラテス おお!何という不思議!何と、アンフィトリヨンがふたりいるぞ。/アンフィトリヨン 心が凍り付く。ああ!何てことだ!こんなこととは!そうだったのか、これで何もかもはっきりした。/ノークラテス 見れば見るほど、ふたりともそっくりだな」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.226』臨川書店)
ユピテル(=ジュピター=ゼウス)が演じているのは間違いなく貨幣の機能である。他のどんなものにでも変身可能な特権的位置である。「牡牛、獣神(サテュロス)、羊飼い、蛇、黄金、白鳥」など無限の商品系列のどの商品にでも変身可能な貨幣である。さらにノークラテスのいう「区別がつきません」という言葉は、その時、その場で、どのような事態が発生しているのか、ということが覆い隠されてしまっているということである。
「ノークラテス この光景には、私たちも決断のしようがありません。アンフィトリヨンさまがふたりいるので、どちらの味方をしたらいいかわからないのです。この場であなたのために戦って、もし人違いだったら、本物のあなたを取り違えていたら、と心配なのです。あなたはたしかに、テーベの人々の輝かしい救世主、あのアンフィトリヨンさまに見えるのです。どちらが本物か区別がつきません。私たちはもちろんアンフィトリオンさまの味方です。ペテン師は私たちの手でやっつけます。でもおふたりは瓜二つなので、どちらがインチキ野郎かわかりません」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.228』臨川書店)
似ているけれどもどこか違う。けれども見た目には融合しているため区別がつかないという事情。それは十九世紀半ばになるやまた別の形式で大々的に表面化する。
「1労働日は6時間の必要労働と6時間の剰余労働とから成っていると仮定しよう。そうすれば、一人の自由な労働者は毎週6×6すなわち36時間の剰余労働を資本家に提供するわけである。それは、彼が1週のうち3日は自分のために労働し、3日は無償で資本家のために労働するのと同じである。だが、これは目には見えない。剰余労働と必要労働とは融合している」(マルクス「資本論・第一部・第三篇・第八章・P.18」国民文庫)
本物のアンフィトリヨンは苦悩する。貨幣がもう一つのアンフィトリヨンという商品と交換されたとする。アルクメーネが一夜を過ごしたのはジュピター(=貨幣)がその特権的立場において行使し変身した「もう一つのアンフィトリヨン」という一商品に過ぎない。しかしそれは諸商品の無限の系列の中では紛れもなく本物の「もう一つのアンフィトリヨン」である。「もう一つのアンフィトリヨン」という意味では《本物》にほかならない。
「アンフィトリヨン ああ!何もかも、死ぬほどの苦しみだ。恋の炎と夫としての名誉のためにつらい思いをさせられているのだ。/ポジクレス でもそんなにふたりがそっくりなら、アルクメーヌさまには落ち度がないのではーーー。/アンフィトリヨン ああ!ことがことだけに、単なる過ちが重大な罪になるのだ。知らなかったからといって、アルクメーヌに罪がないことにはならない。どんな理屈をつけても、こういう間違いは、傷つきやすい場所にダメージを与える。頭では赦せても、夫としての名誉と愛はその過ちを赦せないのだ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.235』臨川書店)
アンフィトリヨンが呻きつつ言う「死ぬほどの苦しみ」、「傷つきやすい場所にダメージを与える」ような「こういう間違い」、「夫としての名誉と愛はその過ちを赦せない」という、取り返しのつかない感情はどうすればよいのか。というより、どのような種の苦しみなのか。それは売れ残った商品の苦しみとでもいうべきものだ。廃棄処分されるほかないような。
「WーG、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで言ったように〔マルクス「経済学批判・P.110」岩波文庫〕、商品の命がけの飛躍である。この飛躍に失敗すれば、商品にとっては痛くはないが、商品所持者にとってはたしかに痛い」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.191」国民文庫)
そうマルクスはいっているが、この場合「商品」として扱われたアンフィトリヨンにとっても「痛い」のである。アルクメーヌにとって唯一絶対的な商品=貨幣として君臨することができなかった、「命がけの飛躍」に失敗したのだから。
「ジュピター(雲に乗って) 見よアンフィトリヨン、これがおまえを騙した男だ。ジュピターがおまえの姿を借りて現れたのだこの姿を見れば、私がジュピターだとすぐにわかるだろう。これで充分であろう。これでおまえの心も元の落ち着きを取り戻し、家庭には平和と喜びが戻ってくるだろう。全世界が崇めてやまぬこの私の名前は、噂が立たないうちに人の口を封じるであろう。ジュピターと同じ女を分け合うことは、少しも恥にはならない。神々の王のライバルとなるのは輝かしい名誉だ。ーーーというわけだから、おまえの苦しみの元となった黒い嫉妬はもう忘れて、おまえの胸を焼く熱い想いもすっかり平静を取り戻せばよい。おまえの家にはヘラクレスという名前の息子が生まれて、数々の偉業で広い世界を埋め尽くすであろう」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.239~240』臨川書店)
そう言われても「あ、そうですか」と納得する人間がいるだろうか。ギリシア神話ではなるほどそういうことになってはいる。さらに。
「ゼウスの子ラダマンテュスはアムピトリュオーンの死後アルクメーネーを娶り、亡命者としてボイオーテイアーのオアーカレアイに住んだ」(アポロドーロス「ギリシア神話・第二巻・P.89」岩波文庫)
とある。その意味では最も快楽を得たのはアルクメーネーかもしれない。アルクメーネーの身体においては三重の性的利得が発生している。ジュピターからの、アンフィトリヨンからの、そしてラダマンテュスからの。だからといってソジの二重性は何ら解消するわけではない。この問いはおそらく永遠に続く。
「『おまえとわたしとのこの語らいは、いついつまでもつづくだろう』」(オウィディウス「変身物語・上・巻一・P.45」岩波文庫)
さてネルヴァルは、ユピテル=ジュピター=ゼウスのように、特に貨幣のような特権性を狙っているわけではないように思える。むしろ次々と言語的変身を遂げていくことになる。
「若しこの奇怪な象徴が別な事だとしたら、若し古代の他の神話にあるように、之が馬鹿げた仮面の下の宿命的な真実としたら、どうするか?よろしい、と私は心に思った、宿命の精霊と闘おう。相伝と知識との武器を以て、神自身とも闘おう」(ネルヴァル「オーレリア・P.42~43」岩波文庫)
ところでモリエール「アンフィトリヨン」で神々はどこからやって来たか。
「港からアルクメーヌさまのもとに遣わされたそいつ」
海岸から到来した。折口信夫はいっている。
「新嘗の夜は、農作を守った神を家々に迎える為、家人はすっかり出払うて、唯一人その家々の処女か、主婦かが留って神のお世話をした様である。此神は、古くは田畠の神ではなく、春のはじめに村を訪れて、一年間の豫祝をして行った神だったらしい。此《まれびと》なる神たちは、私どもの祖先の、海岸を逐うて移った時代から持ち越して、後には天上から来臨すると考え、更に地上のある地域からも来る事と思う様に変って来た」(折口信夫「古代生活の研究」『折口信夫全集2・P34』中公文庫)
とのことだ。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
BGM1
BGM2
BGM3
BGM4
BGM5
BGM6
BGM7
BGM8
BGM9
BGM10
「人間は二重なのだ、と私は心に思った。ーーー『余は我が裡に二人の人間を感ず』と或る教父が書いている。ーーー二個の霊魂が寄り合って一個の身体の裡にこの混合胚種をおろし、身体はそれ自身、その構造のあらゆる器官の中に再現されている二つの相似的部分を呈するのである。あらゆる人間の裡には一人の観客と一人の俳優、話す者と応える者がいる」(ネルヴァル「オーレリア・P.41~42」岩波文庫)
二重なのは確かだ。けれどもただ単に二重なだけだろうか。
「《愛と二元性》ーーーいったい愛とは、もうひとりの人がわれわれとは違った仕方で、また反対の仕方で生き、働き、感じていることを理解し、また、それを喜ぶこと以外の何であろうか?愛がこうした対立のあいだを喜びの感情によって架橋せんがためには、愛はこの対立を除去しても、また否定してもならない。ーーー自愛すらも、一個の人格のなかには、混じがたい二元性(あるいは多元性)を前提として含む」(ニーチェ「人間的、あまりに人間的2・第一部・七五・P.67」ちくま学芸文庫)
オーレリアの死はネルヴァルに多彩なダメージを与えた。もう一人の自分の出現だけでない。無限に延長される諸商品の系列のように留まるところを知らずに増殖する気配を漂わせる。
「オーレリアはもう私のものではないのであった!ーーーどこか他所で行われている儀式と、私の結婚ではあるが、《今一人》が私の友人オーレリア自身の思い違いに乗じようとしている或る神秘の結婚の用意とに就いて、色々話し合っているのが聞えるような気がした」(ネルヴァル「オーレリア・P.42」岩波文庫)
それは詩人にとって宿命的な感受性ゆえ、ほとんど口にする人々はいないけれども、実際に詩を書くことによってそれがどれほど現実的か、こっそり告げてはいるだろう。
「遊ぶ子供はこの世界を真剣に受け取ってはいないなどと思ったら、それは誤りである。どうしてどうして子供は自分の遊びを非常に真剣に考えている。遊びというものにたいへんな情動量をそそいでいるのである。そして遊びの反対は真剣ではない。ーーー現実である」(フロイト「詩人と空想すること」『フロイト著作集3・P.82』人文書院)
さらに言えば、もっと多く大量に変身するのではないか。たとえば古代神話を見てもユピテル(=ジュピター=ゼウス)の変身は有名である。
「アラクネは、織り進む。ユピテル(=ジュピター=ゼウス)が、こんどは獣神(サテュロス)に身をやつして、美しいアンティオペに双生児を身ごもらせたこと、アンピトリオンになりすまして、その妻アルクメネを欺いたこと、黄金の雨となってダナエを、火炎となってアイギナを、羊飼いとなってムネモシュネを、まだらの蛇となってプロセルピナをだましたこと」(オウィディウス「変身物語・上・巻六・P.226」岩波文庫)
「ゼウスは、へーラーの祭官の職にあった彼女(イーオー)を犯した。ヘーラーに発見されてゼウスは少女に触れて白色の牝牛に変じ、彼女と交わったことはないと誓った」(アポロドーロス「ギリシア神話・第二巻・P.72」岩波文庫)
「また一部の人によれば、ゼウスが黄金に身を変じて、屋根を通してダナエーの膝に流れ入り、彼女と交わったのである」(アポロドーロス「ギリシア神話・第二巻・P.79~80」岩波文庫)
「一説によればエウローペーはアゲーノールのではなくして、ポイニクスの娘であるという。彼女をゼウスが恋して、馴れたおとなしい牡牛に身を変じ、彼女を背に海を渡ってクレータに連れて行った」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.119」岩波文庫)
「ゼウスは白鳥の姿となってレーダーと、また同じ夜にテュンダレオースが、交わって、ゼウスからはポリュデウケースとヘレネーが、テュンダレオースからはカストール<とクリュタイムネーストラー>が生れた」(アポロドーロス「ギリシア神話・第三巻・P.148」岩波文庫)
ユピテル(=ジュピター=ゼウス)だけでもかなりのものだが、人間はもっと多様ではないだろうか。神話を創造したのはほかならぬ人間だからだ。
「どうして、私たちが私たちのより弱い傾向性を犠牲にして私たちのより強い傾向性を満足させるということが起こるのか?それ自体では、もし私たちが一つの統一であるとすれば、こうした分裂はありえないことだろう。事実上は私たちは一つの多元性なのであって、《この多元性が一つの統一を妄想したのだ》。『実体』、『同等性』、『持続』というおのれの強制形式をもってする欺瞞手段としての知性ーーーこの知性がまず多元性を忘れようとしたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一一六・P.86」ちくま学芸文庫)
ところでネルヴァルはふと「アンフィトリオンとソジ」の神話について思い出している。モリエールの戯曲で有名になった。一六六八年パレ=ロワイヤル劇場で初演。好評を博した。シナシオは宮廷恋愛にギリシア神話を闖入させた形式に置き換えられている。だが問題になっているのはただ単なる変身奇譚とその効果というばかりではないようには思える。ジュピターはたった今引用しメルキュールが述べているように「いろんな姿になるのを楽しんでる」わけである。
「メルキュール ジュピターさまは、アルクメーネの眼差しにやられちゃって、夫のアンフィトリヨンがボイオティア平野のただなかでテーベ軍の指揮を取っているすきに、夫になりすまし、とろけるような喜びを味わって恋の痛みをいやされているのさ。あのふたりが新婚なのはジュピターさまの恋には好都合、数日前に結婚したばかりでアツアツだから、ジュピターさまもおの素晴らしい手を思いついたのさ。何もかも計画通りで順調だ。けど、愛する女を手に入れたいなら夫に変身するのは考えもんだね。夫の顔が奥さんに歓迎されるとはかぎらないからな。/夜の女神 ジュピターさまもあきれたものね。どうして次から次へと変身なさるのかしら。/メルキュール ああやっていろんな姿になるのを楽しんでるのさ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.154~155』臨川書店)
だが十七世紀も半ばになれば客層は王侯貴族に属する人々だけではない。当時だんだん台頭してきた新興ブルジョワ階級も当然入ってくる。モリエールがそれをどのように捉えていたかはわからない。だがメルキュールの言葉は、少なくとも新しい観客の耳には、ただ単なる宮廷恋愛の範疇に収まるわけはない。
「メルキュール おまえの馬の歩みをゆるめて、ジュピターさまが恋を満喫できるように、この美味しい夜を一番長い夜にしてほしいのさ。あの方が存分に思いをとげられるように、夜が明けるのを遅らせてもらいたい」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.156』臨川書店)
延長可能になった夜の時間、という感覚がある。闇の世界は神々の手を借りずとも人間の手で自由に延長させることができる。それは十六世紀に近代資本主義が出現して以降、当たり前に普及してきた感覚でもある。ソジに変身したメルキュールとアンフィトリヨンの召使ソジによる次の会話はたいへん感心を引く。メルキュールはジュピターの命令を受けてすでにソジに変身している。だが、そっくり瓜二つに変身したというだけでは何かが上手く行かないのだ。メルキュールはそれが何かを知っている。だから二人の会話は長いものにならざるを得ない。
「メルキュール(ソジの姿をしている) あいつにそっくりなこの顔で、あのお喋りをここから追い出してやろう。あいつに邪魔されたんじゃ、恋人たちが仲良く味わっているお楽しみが台無しだからな。/ソジ なんだ気のせいか、何でもなかったみたいだな。だけど、何か悪いことが起きたら大変だから、話の続きはお屋敷に帰ってからにしよう。/メルキュール おまえがこのメルキュールさまよりも強くなきゃ、そんなことは無理なのさ。/ソジ(メルキュールには気付かないで) 今夜はとんでもなく長い夜だなあ。俺が出発してから、アンフィトリヨンさまが朝と夜を取り違えてるのかな?それとも、金髪のアポロンさまが酒の飲みすぎで寝坊してるのかな。/メルキュール こいつめ、神さまを馬鹿にするような口をききやがって、ふてぶてしいその態度に今すぐこの腕で思い知らせてやるからな。それに、顔だけじゃなく名前も取り上げて、こいつをからかうのも愉快だろうな。/ソジ ああ!思った通りだ。もうダメだ、俺は何てかわいそうなんだろう!お屋敷の前に誰かいるぞ。どうもよくない予感がする。俺は平気だってことを見せるためにも、ちょっとここで歌ってみるか。/メルキュール 歌で俺をイライラさせるふてぶてしい奴はどこのどいつだ?この手でたたきのめされたいのか?/ソジ この人は音楽が好きじゃないみたいだな。/メルキュール もう一週間以上も、誰の骨も折っていないな。使わなきゃ、せっかくの腕がなまっちまう。手ごろな背中が見つかれば、調子が戻るんだがな。/ソジ こいついったい誰だろう?恐ろしくて死にそうだ。だけど、どうしてそんなに震えてるんだ?こいつだって俺と同じくらいびくびくしてるかもしれないじゃないか。こいつがあんな大きな口をたたくのも、威勢のいいフリをして本当は怖いのを隠そうとしてるのかもしれないぞ。そうだそうだ、なめられないようにしなくっちゃ。本当は気が弱いってことを見せちゃダメだ。頭を働かせて、勇気のあるフリをするんだ。あいつだって俺と同じ、ひとりじゃないか。俺は強いんだ。立派な旦那さまがついてるんだ。それに、ここは俺たちの家じゃないか。/メルキュール 誰だ!/ソジ 俺だ。/メルキュール 『俺』って誰だ?/ソジ 俺だ。勇気を出せ、ソジ。/メルキュール どういう筋の者だ?/ソジ 人間で、口がきける者だ。/メルキュール おまえは主人か、召使か?/ソジ そんなの俺の勝手だろ。/メルキュール どこへ行く?/ソジ 俺の行きたいところさ。/メルキュール ああ!気に入らないな。/ソジ 俺は嬉しいね。/メルキュール ぜひとも、力づくでも何としても、おまえの口を割らせるぞ。こいつめ、こんな暗いうちから何をしている?どこから来た?どこへ行く?何者だ?/ソジ 俺はいいことと悪いことをかわるがわるやるのさ。俺はあっちから来てこっちに行く。俺は俺の旦那さまにお仕えしてる。/メルキュール 頭のいいところを見せて、俺と張り合おうってのか?お近付きのしるしに、この手でいっぱつお見舞いしてやりたくなってきた。/ソジ 俺にか?/メルキュール おまえにだよ。ほらこれでわかったろう。/ソジ あイタ、イタ!本気でやりやがったな!/メルキュール まさか。ほんの冗談さ。おまえが生意気な口をたたくから思い知らせてやったのさ。/ソジ 何てことを!別に何も言ってないのに、平手打ちをくわせるなんて!/メルキュール そんなのはほんの小手調べだ。ちょっとなでたようなものさ。/ソジ 俺もおまえみたいにすぎにカッとなるタイプなら、すごい喧嘩になるところだがな。/メルキュール あんなの何でもないだろう?さあ続けようか。もっと本格的にやってやってもいいんだぜ。さっきの話を続けよう。/ソジ 俺はごめんだね。/メルキュール どこへ行く?/ソジ おまえには関係ないだろう?/メルキュール 俺はおまえがどこに行くか知りたいんだよ。/ソジ このドアを開けさせるのさ。どうして俺の邪魔をする?/メルキュール このドアに近付いたりしたら、めちゃめちゃに殴ってやるぞ。/ソジ おい!そんな脅しで、俺の家に入るのを邪魔するのか?/メルキュール 何だと?おまえの家だって?/ソジ そう、俺の家だ。/メルキュール おい、何てことを言う!このお屋敷がおまえの家だって言うのか?/ソジ その通り。このお屋敷の主人はアンフィトリヨンじゃないのか?/メルキュール そうだ。それがどうした?/ソジ 俺はその召使なのさ。/メルキュール おまえが?/ソジ この俺が。/メルキュール その召使?/ソジ そうさ。/メルキュール アンフィトリヨンの召使だって?/ソジ アンフィトリヨンの、あの方の。/メルキュール おまえの名前はーーー?/ソジ ソジ。/メルキュール えっ?何だって?/ソジ ソジ。/メルキュール おい、この手で殴り殺されたいのか?/ソジ どうして?何をそんなに怒ってるんだ?/メルキュール ずうずうしい奴だ、ソジの名前を勝手に名乗るとはな。/ソジ 俺はソジの名前を名乗ってるんじゃない。昔からこの名前なんだ。/メルキュール ああ、とんでもない嘘をつきやがって!恥ずかしくないのか?おまえの名前はソジだとこの俺の前で言い張るのか?/ソジ その通り。神さまの最高の力でそうなってるんだから仕方ないだろう。俺が勝手に『違う』とも言えないし、自分以外の誰かにはなれないんだから。/メルキュール そんなふてぶてしいことを言う奴はめった打ちにしてやる。/ソジ 正義よ!市民の皆さん!助けて!お願いします。/メルキュール 何だ、おい、叫び声をあげたりして。/ソジ 人をさんざん殴っておいて、これが叫ばずにいられるか?/メルキュール だからこの腕でおまえにーーー。/ソジ そんなの通用しないぞ。俺が臆病なのにおまえが付け込んでいるだけなんだからな。卑怯じゃないか。相手の気の弱さを利用して、腕っぷしの強さを見せるなんて、意気地なしのやることだ。絶対に勝てるとわかっている相手を打ちのめすなんてのは、立派な心がけの人間のやることじゃない。勇気のない相手に勇気を振りかざすなんてとんでもない話じゃないか。/メルキュール おい!自分がソジだってまだ言い張るのか?どうなんだ?/ソジ おまえに殴られたって、俺は俺なんだよ。変わったのは、『殴られたソジ』になったってことぐらいかな。/メルキュール まだそんなことを?そのへらず口をたたきのめしてやる。/ソジ お願いだ、殴るのはやめてくれ。/メルキュール じゃその生意気な口もふさぐんだな。/ソジ 何もかもお望み通りにしますよ。もう何も言いません。あなたと言い争っても私に勝ち目はないですから。/メルキュール おまえはソジか?ほら、答えろ、この野郎!/ソジ ああ!私はあなたのお気に召すものになります。私のことはあなたの思うようにしてください。あなたのその腕に私は従えられたんですから。/メルキュール おまえの名前はソジだったってことだな?/ソジ そうです。今までそう思い込んでいました。でも、あなたに殴られて、このことで思い違いをしていたとわかりました。/メルキュール ソジは俺だ。テーベ中の人間が認めてくれる。アンフィトリヨンの召使はこの俺さまだけだ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.162~169』臨川書店)
強引な論理と暴力とを用いてまでメルキュールがようやく手に入れたものは何か。それはソジという名である。どれほどそっくり瓜二つに変身したとしても名を奪い取らねば変身したというだけに終わる。姿形がどんなに似ていても唯一無二の名を手に入れなければメルキュールの変身はほとんど何らの意味もなさない。むしろただ単なる道化あるいは笑い話に過ぎなくなってしまう。また、ソジという名はソジ自身の実在と切り離し可能な社会が、すでに出現していることの証拠として機能している点に注目したい。フーコーはいう。
「ニーチェにとって問題は、善と悪がそれじたい何であるかではなく、自身を指示するため《アガトス》、他者を指示するため《デイロス》と言うとき、だれが指示されているか、というよりはむしろ、《だれが語っているのか》、知ることであった。なぜなら、言語(ランガージュ)全体が集合するのは、まさしくそこ、言説(ディスクール)を《する》者、より深い意味において、言葉(パロール)を《保持する》者のなかにおいてだからだ。だれが語るのか?というこのニーチェの問いにたいして、マラルメは、語るのは、その孤独、その束の間のおののき、その無のなかにおける語そのものーーー語の意味ではなく、その謎めいた心もとない存在だ、と述べることによって答え、みずからの答えを繰り返すことを止めようとはしない。ーーーマラルメは、言説(ディスクール)がそれ自体で綴られていくような<書物>の純粋な儀式のなかに、執行者としてしかもはや姿を見せようとは望まぬほど、おのれ固有の言語(ランガージュ)から自分自身をたえず抹殺しつづけたのである」(フーコー「言葉と物・P.324~325」新潮社)
戦闘から帰還したアンフィトリヨン。元々のソジは質問に答える。しかしアンフィトリヨンには何がなんだかさっぱり通じない。
「ソジ 門の前でちょっとリハーサルをしておこうと思ったんです。どんな調子でどんな具合に、戦いの華々しい話をしようかとね。/アンフィトリヨン それで?/ソジ それを邪魔する奴がいて、困ったことになったんです。/アンフィトリオン でそれは誰だ?/ソジ ソジ、もうひとりの私です。港からアルクメーヌさまのもとに遣わされたそいつは、アンフィトリヨンさまの命令を果たそうと一生懸命なんです。それにそいつは、私たちの秘密について何もかも知っていたんです。今アンフィトリヨンさまにお話ししている私と同じようにね。/アンフィトリヨン 作り話はよせ!/ソジ 違います、ファンフィトリヨンさま、本当に本当なんです。そのもうひとりの私のほうが、この私よりも早くお屋敷に到着していたんです。誓ってもいいです。私が着いた時にはもう私はそこに来ていたんですよ。/アンフィトリヨン 何をわけのわからんことを言ってるんだ?」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.184~185』臨川書店)
ソジの言葉はアンフィトリヨンの質問に答えれば答えるほど逆に窮地に陥っていくほかない。そのような言葉に変換されてしまっている。これはメルキュールによるただ単なる変身だけでは不可能だった事態だ。
「アンフィトリヨン 結局、家の中には入らなかったのか?/ソジ 入るも入らないも!いやはや、どうやって入れっていうんです?私は全然こっちの言うことを聞いてくれないし、ドアのまえで通せんぼしてたんですよ。/アンフィトリヨン 何だと?/ソジ 棒で殴られたんですよ。おかげで背中がまだひどく痛むんです。/アンフィトリヨン 棒で殴られただと?/ソジ そうなんです。/アンフィトリヨン 誰に?/ソジ 私です。/アンフィトリヨン おまえがおまえを殴ったのか?/ソジ ええ、私です。ここにいる私じゃなくて、お屋敷にいるほうの私が、すごい力で私を殴ったんです。ーーー冗談で言ってるんじゃありません。さっき会った私は、今お話ししている私よりも一枚うわ手なんです。腕っぷしは強いし、勇気はあるし、そのあかしが私の身体に刻まれているんです。その私は悪熊みたいに私をたたきのめしたんです。まったく手がつけられませんよ。/アンフィトリヨン 話の続きを聞こう。それでアルクメーヌには会ったのか?/ソジ いいえ。/アンフィトリヨン どうしてだ?/ソジ どうしようもなかったんです。/アンフィトリヨン 何て奴だ!どうして役目を果たさなかった?言ってみろ。/ソジ 何度同じことを言わせれば気が済むんですか?だから、私、この私よりも強い私、その私が力づくでドアの前で通せんぼしたんです。私はその私の言いなり。その私は自分だけが私だってことにしたがって、その私は私に嫉妬して、その私には勇気があって、臆病な私に怒りを爆発させたんです。つまりですね、お屋敷にいるその私は、その私こそ私の主人だってところを見せて、その私が私をたたきのめしたんですよ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.186~188』臨川書店)
このような錯乱した世界を出現させたのはメルキュールの変身だけでなく、ソジという名の暴力的奪取による。その間、アンフィトリヨンもまたジュピターによる変身によって妻アルクメーネをまんまと寝取られてしまっている。ソジに化けたメルキュールは本物のアンフィトリヨンを相手にからかってみせる。
「アンフィトリヨン 俺だ。/メルキュール 誰だ、『俺』って?/アンフィトリヨン ああ!開けろ。/メルキュール おい、『開けろ』だと?そんなに大きな音をたてて、そんな口をきくとは、何者だ、おまえ?/アンフィトリヨン おい、俺が誰だかわからないのか?/メルキュール ああ。知りたいとも思わないね。/アンフィトリヨン 今日はみんなおかしくなってしまったのか?悪い病気が流行っているのか?ソジ、おい、ソジ!/メルキュール だから何だ?ソジ、そう、それが俺の名前だ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.186~188』臨川書店)
アンフィトリヨンは本物のソジにからかわれ馬鹿にされたと勘違いする。ソジを呼び出し怒りはするものの、事態が把握できないため、「苦しみは強まるばかり。こうまで追い詰められては、もはや何を信じればいいのか、何と言えばいいかもわからない」精神状態に叩き込まれる。ソジはもはやお手上げという心情に達している。
「ソジ もう私は斬(き)られちゃいましたか?/アンフィトリヨン そうはいかない、さっきあんなけしからんことを言ったつぐないはしてもらう。/ソジ どうして私にそんなことができたでしょう?だって私はアンフィトリヨンさまのご命令でよそに行っていたんですよ。この人たちが証人です。お屋敷でのお食事に招待したところなんです。/ノークラテス その通りです。ソジはそのことを伝えてからずっと私たちと一緒でしたよ。/アンフィトリヨン 誰がそんな命令を出した?/ソジ アンフィトリヨンさまです。/アンフィトリヨン いつ?/ソジ 奥さまと仲直りされた後です。アルクメーヌさまのお怒りをしずめることができた喜びをわかちあいたいっておっしゃったじゃありませんか。/アンフィトリヨン おお、何てことだ!次々と、足を進めるたびに、この激しい苦しみは強まるばかり。こうまで追い詰められては、もはや何を信じればいいのか、何と言えばいいかもわからない」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.224~225』臨川書店)
アンフィトリヨンの精神状態はもはや「ドン・キホーテ」(第一部)から「ドン・キホーテ」(第二部)の主人公へと移っている。そこでようやくジュピターが登場する。だからといってすべてが解決するわけではない。前代未聞の問いが提出されたに過ぎない。
「ジュピター 何の騒ぎだ?誰だ、主人づらしてドアをたたくのは?/アンフィトリヨン これは!ああ、神さま!/ノークラテス おお!何という不思議!何と、アンフィトリヨンがふたりいるぞ。/アンフィトリヨン 心が凍り付く。ああ!何てことだ!こんなこととは!そうだったのか、これで何もかもはっきりした。/ノークラテス 見れば見るほど、ふたりともそっくりだな」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.226』臨川書店)
ユピテル(=ジュピター=ゼウス)が演じているのは間違いなく貨幣の機能である。他のどんなものにでも変身可能な特権的位置である。「牡牛、獣神(サテュロス)、羊飼い、蛇、黄金、白鳥」など無限の商品系列のどの商品にでも変身可能な貨幣である。さらにノークラテスのいう「区別がつきません」という言葉は、その時、その場で、どのような事態が発生しているのか、ということが覆い隠されてしまっているということである。
「ノークラテス この光景には、私たちも決断のしようがありません。アンフィトリヨンさまがふたりいるので、どちらの味方をしたらいいかわからないのです。この場であなたのために戦って、もし人違いだったら、本物のあなたを取り違えていたら、と心配なのです。あなたはたしかに、テーベの人々の輝かしい救世主、あのアンフィトリヨンさまに見えるのです。どちらが本物か区別がつきません。私たちはもちろんアンフィトリオンさまの味方です。ペテン師は私たちの手でやっつけます。でもおふたりは瓜二つなので、どちらがインチキ野郎かわかりません」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.228』臨川書店)
似ているけれどもどこか違う。けれども見た目には融合しているため区別がつかないという事情。それは十九世紀半ばになるやまた別の形式で大々的に表面化する。
「1労働日は6時間の必要労働と6時間の剰余労働とから成っていると仮定しよう。そうすれば、一人の自由な労働者は毎週6×6すなわち36時間の剰余労働を資本家に提供するわけである。それは、彼が1週のうち3日は自分のために労働し、3日は無償で資本家のために労働するのと同じである。だが、これは目には見えない。剰余労働と必要労働とは融合している」(マルクス「資本論・第一部・第三篇・第八章・P.18」国民文庫)
本物のアンフィトリヨンは苦悩する。貨幣がもう一つのアンフィトリヨンという商品と交換されたとする。アルクメーネが一夜を過ごしたのはジュピター(=貨幣)がその特権的立場において行使し変身した「もう一つのアンフィトリヨン」という一商品に過ぎない。しかしそれは諸商品の無限の系列の中では紛れもなく本物の「もう一つのアンフィトリヨン」である。「もう一つのアンフィトリヨン」という意味では《本物》にほかならない。
「アンフィトリヨン ああ!何もかも、死ぬほどの苦しみだ。恋の炎と夫としての名誉のためにつらい思いをさせられているのだ。/ポジクレス でもそんなにふたりがそっくりなら、アルクメーヌさまには落ち度がないのではーーー。/アンフィトリヨン ああ!ことがことだけに、単なる過ちが重大な罪になるのだ。知らなかったからといって、アルクメーヌに罪がないことにはならない。どんな理屈をつけても、こういう間違いは、傷つきやすい場所にダメージを与える。頭では赦せても、夫としての名誉と愛はその過ちを赦せないのだ」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.235』臨川書店)
アンフィトリヨンが呻きつつ言う「死ぬほどの苦しみ」、「傷つきやすい場所にダメージを与える」ような「こういう間違い」、「夫としての名誉と愛はその過ちを赦せない」という、取り返しのつかない感情はどうすればよいのか。というより、どのような種の苦しみなのか。それは売れ残った商品の苦しみとでもいうべきものだ。廃棄処分されるほかないような。
「WーG、商品の第一変態または売り。商品体から金体への商品価値の飛び移りは、私が別のところで言ったように〔マルクス「経済学批判・P.110」岩波文庫〕、商品の命がけの飛躍である。この飛躍に失敗すれば、商品にとっては痛くはないが、商品所持者にとってはたしかに痛い」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第三章・P.191」国民文庫)
そうマルクスはいっているが、この場合「商品」として扱われたアンフィトリヨンにとっても「痛い」のである。アルクメーヌにとって唯一絶対的な商品=貨幣として君臨することができなかった、「命がけの飛躍」に失敗したのだから。
「ジュピター(雲に乗って) 見よアンフィトリヨン、これがおまえを騙した男だ。ジュピターがおまえの姿を借りて現れたのだこの姿を見れば、私がジュピターだとすぐにわかるだろう。これで充分であろう。これでおまえの心も元の落ち着きを取り戻し、家庭には平和と喜びが戻ってくるだろう。全世界が崇めてやまぬこの私の名前は、噂が立たないうちに人の口を封じるであろう。ジュピターと同じ女を分け合うことは、少しも恥にはならない。神々の王のライバルとなるのは輝かしい名誉だ。ーーーというわけだから、おまえの苦しみの元となった黒い嫉妬はもう忘れて、おまえの胸を焼く熱い想いもすっかり平静を取り戻せばよい。おまえの家にはヘラクレスという名前の息子が生まれて、数々の偉業で広い世界を埋め尽くすであろう」(モリエール「アンフィトリヨン」『モリエール全集6・P.239~240』臨川書店)
そう言われても「あ、そうですか」と納得する人間がいるだろうか。ギリシア神話ではなるほどそういうことになってはいる。さらに。
「ゼウスの子ラダマンテュスはアムピトリュオーンの死後アルクメーネーを娶り、亡命者としてボイオーテイアーのオアーカレアイに住んだ」(アポロドーロス「ギリシア神話・第二巻・P.89」岩波文庫)
とある。その意味では最も快楽を得たのはアルクメーネーかもしれない。アルクメーネーの身体においては三重の性的利得が発生している。ジュピターからの、アンフィトリヨンからの、そしてラダマンテュスからの。だからといってソジの二重性は何ら解消するわけではない。この問いはおそらく永遠に続く。
「『おまえとわたしとのこの語らいは、いついつまでもつづくだろう』」(オウィディウス「変身物語・上・巻一・P.45」岩波文庫)
さてネルヴァルは、ユピテル=ジュピター=ゼウスのように、特に貨幣のような特権性を狙っているわけではないように思える。むしろ次々と言語的変身を遂げていくことになる。
「若しこの奇怪な象徴が別な事だとしたら、若し古代の他の神話にあるように、之が馬鹿げた仮面の下の宿命的な真実としたら、どうするか?よろしい、と私は心に思った、宿命の精霊と闘おう。相伝と知識との武器を以て、神自身とも闘おう」(ネルヴァル「オーレリア・P.42~43」岩波文庫)
ところでモリエール「アンフィトリヨン」で神々はどこからやって来たか。
「港からアルクメーヌさまのもとに遣わされたそいつ」
海岸から到来した。折口信夫はいっている。
「新嘗の夜は、農作を守った神を家々に迎える為、家人はすっかり出払うて、唯一人その家々の処女か、主婦かが留って神のお世話をした様である。此神は、古くは田畠の神ではなく、春のはじめに村を訪れて、一年間の豫祝をして行った神だったらしい。此《まれびと》なる神たちは、私どもの祖先の、海岸を逐うて移った時代から持ち越して、後には天上から来臨すると考え、更に地上のある地域からも来る事と思う様に変って来た」(折口信夫「古代生活の研究」『折口信夫全集2・P34』中公文庫)
とのことだ。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
BGM1
BGM2
BGM3
BGM4
BGM5
BGM6
BGM7
BGM8
BGM9
BGM10
