芸術論なのか芸術家論なのかはっきりしない話が延々続くように思えた矢先、不意に、間違いなく芸術論だとわかる文章が滑り込んでくる。それは修辞学として学ばれていた言語学の終わりを告げているだけでなく、新しい言語学、というより、それまではなかった記号論の始まりをも告げる。「失われた時を求めて」の中でエルスチールとかヴァントゥイユとかが担っている作業。言い換えれば、見出す、とはどういうことだろうかと。
「会話では伝えることのできないこの現実的な残滓のすべて、つまり各人が感じたものを質的に区別してくれるが、ことばで他人と意思を通じあおうとすれば万人共通の些細な上っ面に話を限定するほかない以上、ことばの入口で置き去りにせざるをえないこの言いあらわしがたいもの、それをこそ芸術は、エルスチールの芸術と同じくヴァントゥイユの芸術は、われわれが個人と呼んではいるが芸術なくしてはけっして知ることのないさまざまな世界の内密な組成をスペクトルの色彩として顕在化することによって、目に見えるようにしてくれるのではなかろうか?」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.154」岩波文庫 二〇一七年)
ほとんどいないとはいうものの、物事の変化の<徴候>を捉えることのできる人々は大昔からいた。ニーチェ「ツァラトゥストラ」の最終章の名がそれこそ「徴」(しるし)であるように。ところがそれらの人々は周囲から余りに異様に見えたので、そのすべてではないにせよ、ほとんどすべての人々がいとも安易に虐殺されてしまった。
「私は、戸外へ歩み出て、どんなすばらしい明確さをそなえて一切のものが私たちに作用をおよぼすか、たとえば森がそうであり山もそうである、と考えて、また、一切の感覚に関して、私たちのうちにはまったくなんらの混乱、見誤り、躊躇もないということを考えて、いつも驚くのである。それにもかかわらず、はなはだしい不確実性と何か混沌としたものが現存していたにちがいなく、途方もなく長い時間をかけて初めてそういった一切のものはそのように《確固とした》相続物になったのである。空間的間隔、光、色等々に関して本質的に別様の感じ方をした人間たちは、排除されてしまい、うまく繁殖することができなかったのだ。こういう《別様の》感じ方は、何千年もの長い間『《狂気》』と感じられて忌避されたに《ちがいない》のだ。人々はもはや互いに理解し合わず、『例外』を排除し、破滅させたのだ。一切の有機的なものの始まり以来或る途方もない残酷さが現存してきた、つまり『《別様の感じ方をした》』一切のものが排除されてきたのだ。ーーー私たちは私たちの先祖たちの感覚の遺物のうちで、いわば感情の化石のうちで生きているのだ。先祖たちは虚構し空想した、ーーーしかし、こういう虚構され空想されたものが生きつづけて差しつかえないかどうかの決定は、そういうものによって《生きる》ことができるか、それともそういうものによって破滅するかに関する経験によって、与えられたのだ。誤謬でも真理でもよかったのだ、ーーー《もし》これらによって《生》が可能でありさえ《すれば》!」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・八九・P.63~64」ちくま学芸文庫 一九九四年)
それまで何だかわからなかった作業について、徐々に<芸術>として認められるようになってきた。そこでようやく、この種の虐殺はまったくの失敗だったということに、世界中で多数を占める程度には、気づき出した。にもかかわらず何度か先祖返り的な虐殺は繰り返された。しかしなぜ同じことが繰り返されるのか。プルーストに言わせると次のようになるだろう。
「もしもわれわれが翼を備え、べつの呼吸器官を身につけ、広大無辺の宇宙を飛行できるようになったとしても、そんなことはわれわれにはなんの役にも立つまい。というのも、たとえ火星や金星へ行ったとしても、われわれが同じ感覚を持ちつづけるかぎり、その感覚はわれわれが目にするあらゆるものに地球上のものと同じ外観をまとわせるにちがいないからである」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.154」岩波文庫 二〇一七年)
ニーチェではこう。
「私たちは、私たちが《よく知っている》ものしか見てとらない。私たちの目は無数の形式の取り扱い方を絶えず練習している、ーーー形象の構成要素の大部分は感官印象ではなくて、《空想の所産》なのだ。感官から得られるのは小さな誘因や動機にすぎず、これが次いで空想によって仕上げられる。『《無意識のもの》』に代えるに《空想》をもってすべきである。空想が与えるものは無意識の推論というよりは、むしろ《たまたま思い浮べられた可能性》である(たとえば沈み浮き彫りが観察者にとって浮き彫りに変わる場合)」(ニーチェ「生成の無垢・下・八四・P.60~61」ちくま学芸文庫 一九九四年)
同時代に等しいのみならず、ほんの僅かとはいえ、少数の鋭敏な人々の目には見えていた。というより、こういうことはそもそも感性の次元である。ともかくプルーストはこう続ける。
「ただひとつ正真正銘の旅、若返りのための唯一の水浴は、新たな風景を求めて旅立つことではなく、ほかの多くの目をもつこと、ひとりの他者の目で、いや数多くの他者の目で世界を見ること、それぞれの他者が見ている数多くの世界、その他者が構成している数多くの世界を見ることであろう。エルスチールを供にすれば、ヴァントゥイユを供にすれば、それと同等の芸術家たちを供にすれば、われわれにはそれが可能になり、文字どおり星から星へと飛行できるのである」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.154~155」岩波文庫 二〇一七年)
平然たるもの。この種の事情に気づくこと。気づきの大切さは個々別々にどこかで学ぶのだろうし、すべてを一緒くたにして語ることはできないにしても、である。プルーストは<他者>の複数性に着目している。「ほかの多くの目をもつこと、ひとりの他者の目で、いや数多くの他者の目で世界を見ること、それぞれの他者が見ている数多くの世界、その他者が構成している数多くの世界を見ること」。そうすれば、という運びになっている。
ニーチェでは、こう。
「《主観を一つだけ》想定する必要はおそらくあるまい。おそらく多数の主観を想定しても同じくさしつかえあるまい。それら諸主観の協調や闘争が私たちの思考や総じて私たちの意識の根底にあるのかもしれない。支配権をにぎっている『諸細胞』の一種の《貴族政治》?もちろん、互いに統治することに馴れていて、命令することをこころえている同類のものの間での貴族政治?
肉体を信ずることは『霊魂』を信ずることよりもいっそう基本的である。すなわち後者は、肉体の断末魔を非科学的に考察することから発生したものである。
《肉体》と生理学とに出発点をとること。なぜか?ーーー私たちは、私たちの主観という統一がいかなる種類のものであるか、つまり、それは一つの共同体の頂点をしめる統治者である(『霊魂』や『生命力』ではなく)ということを、同じく、この統治者が、被統治者に、また、個々のものと同時に全体を可能ならしめる階序や分業の諸条件に依存しているということを、正しく表象することができるからである。生ける統一は不断に生滅するということ、『主観』は永遠的なものではないということに関しても同様である。また、闘争は命令と服従のうちにもあらわれており、権力の限界規定が流動的であることは生に属しているということに関しても同様である。共同体の個々の作業や混乱すらに関して統治者がおちいっている或る《無知》は、統治がおこなわれる諸条件のうちの一つである。要するに、私たちは、《知識の欠如》、大まかな見方、単純化し偽るはたらき、遠近法的なものに対しても、一つの評価を獲得する。しかし最も重要なのは、私たちが、支配者とその被支配者とは《同種のもの》であり、すべて感情し、意欲し、思考すると解するということーーーまた、私たちが肉体のうちに運動をみとめたり推測したりするいたるところで、その運動に属する主体的な、不可視的な生命を推論しくわえることを学んでいるということである。運動は肉眼にみえる一つの象徴的記号であり、それは、何ものかが感情され、意欲され、思考されているということを暗示する。
主観が主観に《関して》直接問いたずねること、また精神のあらゆる自己反省は、危険なことであるが、その危険は、おのれを、《偽って》解釈することがその活動にとって有用であり重要であるかもしれないという点にある。それゆえ私たちは肉体に問いたずねるのであり、鋭くされた感官の証言を拒絶する。言ってみれば、隷属者たち自身が私たちと交わりをむすぶにいたりうるかどうかを、こころみてみるのである」(ニーチェ「権力への意志・下・四九〇~四九二・P.34~36」ちくま学芸文庫 一九九三年)
またしてもこの問いの復活、何度も繰り返される復活、を見ないわけにはいかない。
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