次の箇所。<言語・貨幣・性>への問いとしてばかり読まれてきた過去を持つ。
「ヴァントゥイユが死んだとき、残されたのは例のソナタだけで、ほかには存在しないも同然の、判読できぬメモしかないと言われていたからである。その判読できぬメモは、しかし根気と叡知と敬意を尽くしてついに解読されたのであり、それをなしとげたのは、ヴァントゥイユのそばで長らく暮らしたおかげで、その仕事のやりかたに通暁し、そのオーケストラ用の指示も判読できるただひとりの人、つまりヴァントゥイユ嬢の女友だちであった。この女友だちは、すでに大音楽家の生前から、娘が父親に寄せていた崇拝の念をその娘から学んでいたのである。この崇拝の念があったからこそふたりの娘は、本来の性向とは正反対の方向へと突きすすむ瞬間において、すでに語ったような冒瀆の行為に錯乱した快楽を覚えることができたのだ。父親を崇めて熱愛することは、娘が冒瀆に走るための条件そのものだったのである。もとよりふたりの娘はそうした冒瀆行為による官能の快楽など斥けて然るべきであったかもしれないが、しかしその快楽がふたりのすべてを示しているわけではなかった。おまけにそのような冒瀆行為は、ふたりの病的な肉体関係が、つまり混濁してくすぶる熱情が、気高く純粋な友情の炎に取って替わられるにつれてしだいにまれとなり、ついには完全に消えてしまった。ヴァントゥイユ嬢の女友だちの脳裏には、もしかすると自分がヴァントゥイユの死期を早めたのではないかという拭いきれぬ想いがよぎるときがあった。それでも女友だちは、ヴァントゥイユが遺した判読できない書きこみを何年もかけて解読し、だれひとり知らぬその判じ物の正しい読みかたを確定することによって、自分は音楽家の晩年を暗いものにしたが、その償いとして音楽家に不滅の栄光を保証したのだという慰めを得たのである。法律によって認知されない関係からも、結婚から生まれる親族の関係と同じほどに多様で複雑な、ただしはるかに揺るぎなき近親の関係が生じるものだ。それほど特異な性格の関係にこだわらなくても、たとえば不倫が正真正銘の愛に基づくものであれば、家族の情愛や肉親の義務をなんら揺るがすことはなく、むしろそれを再活性化することは、われわれが日々目にしているではないか?このとき不倫は、結婚によってたいてい空文化してしまったものに精神を吹きこんでいるのだ」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.162~163」岩波文庫 二〇一七年)
にもかかわらず<言語・貨幣・性>の何がどのようにして、<問いへと化したのか>、<問われざるを得なくなったのか>、ほんの十年もあったかなかったかというほどの期間ですっかり消化吸収できたと言わんばかりの速度で通り過ぎてしまった。一九八〇年代。とりわけ日本ではその後半。ところがしかしこれほど重要な問いについて、ほとんど振り返ってみる時間さえ与えられず置き去りにされた。ほとんど素通りに近かった。素通りしてしまったと気づいた時、気づいた人々は立ち止まった。しっかり着地したし、し直した。出された宿題と向き合ったのだ。出された宿題を置き去りにして立ち去ってしまって、果たしてよかったのだろうかという悔恨の念とともに。
そこでいったん多くの人々が机に向き直して方向を改め直し、やり直し出直すことにした。多くの、極めて多くの人々が、信用というものが何なのか、その怖さとともに取り組み直し、取り戻すべきものについてじっくり考え、とくと考え、向き合い、宿題をやり遂げた。しばらく時間がかかった。みっちり十五年はかかっただろう。ようやくのことだ。ほっとひと息つけたのは。ところがーーー。
その時すでに二〇一五年前後にはなっていて、気づいたのはよかったけれども、一九九〇年代後半に二十歳前後だった大切な若い世代を貧困率急上昇社会の真っ只中へ素っ裸で叩き込んでしまっていた。無惨というほかない。一体どこの誰が、無責任な、余りにも無責任な、「自己責任論」などという不気味な切り捨て理論を日本中に一挙に持ち込み埋め込んだのか。ところが不可解にも、この「自己責任論」が支持を得たという事態は、問いの次元を越えてしまいそうなくらいの速度で流通した。欧米だけでなく中国も含めてだけでなく言わずもがなロシアもウクライナも含めてだ。
<言語・貨幣・性>への問い。単純化は危険を伴う。単純に一言で語りきれる問いではそもそもない。誰も言わないのなら、いずれ、あえて言っておく必要性がどこからか湧き出てくるし、その出現を抑えることは誰にもできない。もっと速くやり終えておくべき宿題だった。ただ、ヒントならいつでもどこにでもごろごろ転がっている。そしてこのヒントはいつも前へ前へと転がっていくという面白い能力を兼ね備えてもいる。
<言語・貨幣・性>。それらはどんな困難をも平然と乗り越え、いついかなる条件であろうとなかろうと、鉄のカーテンを突き破り、必要のなくなったゴミをゴミ箱へぽいと放り込むよりまだもっと安易に、<置き換え可能>、な「もの」に<された>ということに過ぎない。
「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.64」岩波文庫 一九四〇年)
その程度の、せめてその程度の問いが、ごく身近な道具立てだけで処理できるにもかかわらず処理されず逆に放置され、さらにあちこちにばらまかれ放置され続けているのはなぜか。そんな横着を可能にした<日本>というものを、いっそのこと、きっぱりと、<問題にしなければならないのではないだろうか>。中井久夫や養老孟司はそれをやって見せた人々のうちの一人一人ではあると言える。だがしかし、その内容一つまともに理解できていないしそもそも知りもしない横着極まりない<大人子供>が、どうして国会議事堂の中に堂々と入ってふんぞり返っていられるのか。それもまた同時に、この際きっぱりと、<問題にしなければならないのではないだろうか>。自分で自分のことを、これまでやってきたこと、今もう手をつけていること、これからやろうとしていることを、この際きっぱりと、<問題にしなければならないのではないだろうか>。自分で自分自身のことを<大人である>と言いたいのなら、という動かしがたい条件付きだが。
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