終末期医療で必要になってくる介護用品の中に風呂介護に用いるものがある。一度「お試し品」を使ってみたところ、案外便利だということがわかった。少なくとも母の今の症状の範囲内では役立つ。
購入することにした。今朝はそのための事務手続きがあった。尋ねてみると、購入希望したとして現品が届くまでに約一ヶ月くらいかかるらしい。それまでは「お試し品」を使えるとのこと。
しかしあと一ヶ月、母の体が持つかどうか。誰にもわからない。事務手続きの説明を聞きながら半分はそのことばかり考えていた。ようやく風呂介護用品が到着したとき母はまだ生きているだろうか。生きているとして、介護を受けながらでも、かろうじて風呂の出入りができるだろうか。本人が希望するだろうか。
さらにここ二週間ほどで夜間覚醒がみるみる増えてきている。そのいずれもが突発的な吐き気・嘔吐。横になった体位では吐瀉物を適切に戻すところがないため、夜間に誰かが定期的に母の様子を見に行かないと無駄に危険な状態に陥ってしまうことになるだろう。夜間に誰が定期的に様子を確かめるのか。息子しかいない。息子の妻は統合失調症治療薬で睡眠中。統合失調の場合睡眠時間の確保はとても大事なので途中で無理に起こすことは基本的にできない。
息子の日常のタイムスケジュールをだんだん動かさないといけなくなってきた。上手く置き換えることができればいいのだが、思うようにはなかなかいかない。
しかし今年に入り訪問介護に来てもらうようになってから、風呂介護は母が思っていたよりかなり上手にやってくれるらしい。職業だから当たり前といえばそうかもしれないが、風呂介護だけでなく、母の場合は特にひどい下半身のむくみ(浮腫)のもみほぐしが思いのほか効果的だという。膨れ上がり、数時間動かさないまま放置しただけでもうかちこちに硬直して難儀だった腰から下の腫れがほんのわずかずつ引いておさまっている。これには母も関心していた。
身体の故障部位に関してはもう専門家に任せるほかないしそうするのがいいだろう。しかし夜間の決まった時間と早朝に二度ある起床は息子が務めるしかない。一度目は服薬、二度目は朝食のため。何かと手間がかかる終末期医療であり、すぐ後には団塊世代の終末期医療への大量移動があり、そのあと後期高齢者はぐんぐん増えていく。今の子どもたちが三十歳になる頃、日本は数えきれないほどの「介護難民」で溢れかえる。国は役立たずが多く民間には信用が足りない。さらに国の信用はすでにがた落ちで再起不能の様相を呈している。
もっとも、国は新自由主義イデオロギーにまみれ果てて久しいからだろう、自己責任論ばかり振り回しているうちに国家の中枢部自身が自己責任論に従って「自助する」ことがきわめて困難な状況へ自分で自分を投げ込んでしまった。見えるものをわざわざ見ないようにしているといずれそうなる。実際にそうなった。その都度の政治政権と仲良くすることばかり考えてきた日本のマス-コミもまた、職場の実際ではトップダウンの自己責任論を振り回してきた結果、いつものように今度は結果が原因へと置き換わり、マス-コミ自身がマス-コミ自身を「自助する」ことが日に日に困難化している。
昨日「群像」(二月号)から石井美保論文にある「どうしてそうなったか」を考えようとしない態度について引用した。
Blog21(ささやかな読書)・災害/殉死/政治的操作 - 白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病
年始そうそう大きなふたつの災害(人災含)に見舞われた日本。「能登半島地震」と「日航機炎上事故」。どちらの被災についても、特に報道に接するたびに他の事件報道とは段...
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それがどんな事故を次々引き起こし重要な問題点を次々隠蔽していくか。国は自身の足元に迫っている経済的な不穏な動きを含む大災害発生の予兆のことなどてんで頭にないかのように国家の下半身の至るところに浮上している数々の故障について、今なお「対岸の火事」を見物してでもいるかのようだ。派閥をどうするとか解党的出直しとか、そんな低レベルの「おしゃべり」をいったいどこの誰が本気にするかと呆れ返るほかない。