前に述べたように、加速する新自由主義はヘーゲル弁証法に従って富裕層を二分裂させ「主人と奴隷との弁証法」を演じることを強制する。さらに述べたが、これまでの低所得者層は全滅しない。没落し「奴隷」の側へ置き換えられる富裕層の低所得者層化は加速するわけだが、その部分はこれまでの低所得者層へ編入される。低賃金労働力としてプールされる。新自由主義は世界的システムであって、低所得者層の大群を世界各地に保存しておくことで、機械だけでは商品になれず剰余価値を実現することもできない「生産/流通/金融」すべての過程で人間労働力予備軍として配置・再編をおこなう。後者の世界化はヘーゲル弁証法とは別にドゥルーズらが言及した世界のリゾーム化によって可能となった。
これまでの引用。
Blog21・新自由主義は容赦しない2 - 白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病
富裕層をも併呑するばかりか富裕層の間にヘーゲル流の弁証法を持ち込み容赦なく押し進めるシステムであることはすでに述べた。しかし低所得者層が全滅するのかといえばそう...
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さて、低所得者層の相対的増加傾向の加速が見込まれるわけだが、人間関係の変化も労働形態の変化とともに押し進められる。これまでの低所得者層の中にこれまで富裕層だった部分が新しい低所得者層として参入してくる。これまでの低所得者層というのは、個人的な怨恨がない限り、特に富裕層一般に対して恨みもつらみを持っているわけではない。
新参の低所得者層はいう。「これからお世話になります」。古参低所得者層はいう。「お互い仲良くやっていきましょう」。
あまりにも低すぎるコストは労賃を生まない。少なすぎる労賃は消費に回らず逆にますます現状維持かより一層の生活状態の切り詰めのためだけに貯蓄される。もちろん不要不急の商品は見向きもされない。買われない商品は商品として剰余価値ひとつ生まない。となるとそれはもう商品ではない。あっさり廃棄される。企業努力は無駄に終わる。そのことがかえって資本主義を激怒させる。世界化された「公理系」を乱すからだ。
「資本の身体は、脱土地化した社会体ではあるものの、同時にまた他の一切の社会体よりも情け容赦のない社会体でさえもある。資本主義の採用した公理系は、種々の流れのエネルギーを、こうした社会体としての資本の身体の上で束縛された状態に維持するものなのである。これとは逆に、分裂症はまさに《絶対的な》極限であり、この極限においては、種々の流れは、脱社会化した器官なき身体の上の自由な状態に移行することになる。だから、こういうことができる。分裂症は資本主義そのものの《外なる》極限、つまり資本主義自身の最も深い傾向のゆきつく終着点であるが、資本主義は、この傾向をみずからに禁じ、この極限を押しのけおきかえて、これを自分自身の相対的な《内在的な》極限に(つまり、拡大する規模において、自分が再生産することをやめない極限に)代えるのだ、と。資本主義は、自分が一方の手で脱コード化するものを、他方の手で公理系化する。相反傾向をもったマルクス主義の法則は、こうした仕方であらためて解釈し直されなければならない。したがって、分裂症は資本主義の全分野の端から端にまで浸透している。しかし、この資本主義の全分野にとって問題であるのは、ひとつの世界的公理系の中でこの分裂症の電荷とエネルギーとを連結しておくことである。この世界的公理系は、新たなる内なる極限を、脱コード化した種々の流れの革命的な力にたえず対立させているものであるからである。こうした体制においては、脱コード化と、公理系化とを(つまり、消滅したコードに代わって到来してくる公理系化とを)区別することは、(たとえ二つの時期に区別することでしかないとしても)不可能なことである。種々の流れが資本主義によって脱コード化され、《そして》公理系化されるのは、同時なのである。だから、分裂症は資本主義との同一性を示すものではなくして、逆にそれとの相異、それとの隔たり、その死を示すものなのである。通貨の種々の流れは、完全に分裂症的な実在であるが、しかし、これらの実在が現実に存在して働くことになるのは、この実在を追いはらい押しのける内在的な公理系の中においてでしかない。銀行家、将軍、産業家、中級上級幹部、大臣といった人々の言語活動は、完全に分裂症的な言語活動であるが、この言語活動が作動するのは、ただ統計的に、つながりが平板単調なる公理系の中においてでしかない。つまり、この言語活動を資本主義の秩序の維持に役立てる、あの公理系の中においてでしかない」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第三章・P.294~295」河出書房新社 一九八六年)
例えば開催予定の「大阪万博」。どこからどう見ても「不要不急」にしか見えない。資本の「公理系」の現在地からみればもはや時代遅れもはなはだしい。「資本主義の維持に役立」ちそうにない。にもかかわらず国からも負担分が捻出される。どうにもこうにも意味不明というほかない。