白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

森の精霊ドラゴミラ2

2020年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム
ドラゴミラが異端信仰へ身を投じてから口にする言葉は「苦行者」の心中を語るものが大半を占める。幼なじみの男性ツェジムに語ったように、年下の女性ヘンリカに向けてもこう述べる。

「あなたは人生というものを知らず、世界はまだ春の光や香りのようなものだと思っている。それにたいして私は、この世の生の深淵をのぞいたこともあれば、恐るべき秘密も目の当たりにしているのよ。ああ!いいこと、生まれるということは死ぬことよりもひどい不幸なのです。この世での人間の運命は何と恐ろしいものなのか、あなたは知らないし、想像もできないけれど、でも私はーーーその惨めさを知り過ぎています」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・2・P.293」中公文庫)

ツェジムにはすでに血の味を述べていたが、異端信仰にありがちなありふれた流血への意志というわけではない。極端なダブルバインド状況に置かれた人間に特有の精神的症状として時おり出現する自傷行為に関する快楽が描かれている。

「ドラゴミラは薔薇の小枝を折り取ると、鋭い刺で白い腕を引っ掻いた。それで腕に赤い筋がつき、暖かい血がぽたりと地面に落ちた。『何をするんだ』、とツェジムは言った。『こうすると気持ちがいいのです』」(マゾッホ「魂を漁る女・第一部・2・P.25」中公文庫)

ドラゴミラを愛するもう一人の男性ソルテュク伯爵にもいう。

「私のこと、怒らないでね。ーーーこれはどうしてもしなければならないことなのよ。劫罰の苦しみをこの世で味わわせてあげるの。この世ではその苦しみはほんのわずかなあいだしかつづかないわ。それによって永遠につづく地獄の責め苦から逃れられるのよ。愛しているから、私はあなたを苦しい目に遇わせるの。愛しているからいっそう大きな苦痛をあたえてあげるのです。真のキリスト教徒の卑下があなたの心に生まれるまでよ」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・22・P.505」中公文庫)

この直後、ソルテュク伯爵は真っ赤に熱した鉄棒で肌を二度焼かれ遂にドラゴミラらの見ている前で異端信仰におけるキリストにひれ伏す。ところで「苦行者」といってもスラヴ社会で一度に大量発生したこの種の苦行は古くから一般的に知られている苦行とはかなり違ったもので異彩を放っている。ちなみに歴史の黎明期に出現した苦行者の行為は世界中どこでも似たり寄ったりだった。エリアーデはインドの「リグ・ヴェーダ」を例に取って述べている。

「『リグ・ヴェーダ』の一讃歌(X・136)は、長髪(ケーシン)で『褐色にして垢を』まとい、『風を帯とする』(つまり裸の)、そして『神々が彼らのなかに入る』苦行者(ムニ)について述べている」(エリアーデ「世界宗教史2・第九章・P.90」ちくま学芸文庫)

そこでは「火、長髪、隠遁、忘我、獣性」を通して不死性へ至るという過程が重視されている。

「1 長髪者(ケーシン)は火を、長髪者は毒を、長髪者は天地両界を担う。長髪者は万有を〔担う〕、〔そが〕太陽を見んがために。長髪者はこの光明と称せらる。
2 風を帯びとする(無帯すなわち裸体の)苦行者(ムニ)たちは、褐色にして垢を〔衣服として〕纏(まと)う。彼らは風の疾風に従いて行く、神々が彼らの中に入りたるとき。
3 (苦行者の言葉)苦行者たることにより忘我の境に達し、われらは風に乗りたり(風を乗物とする)。汝ら人間はわれらの形骸のみを眺む。
4 彼(苦行者)は空界を通りて飛ぶ、一切の形態を見おろしつつ。苦行者はおのおのの神の愛すべき友なり、善き行為〔の遂行〕のために。
5 風の乗馬にして(風と共に走る)、ヴァーユ(風神)の友、しかして苦行者は神々により派遣せらる。彼は両洋に住む、東なる〔海〕と西なる〔海〕とに(神通力)。
6 アプサラスたち(水の精女)、ガンダルヴァたち(その配偶)、野獣の足跡を歩みつつ、長髪者は〔彼らの〕意図を知り、甘美にして最も魅力ある友なり。
7 ヴァーユは彼(苦行者)のため〔薬〕を攪拌(こうはん)せり。クナンナマーは〔そを〕粉末にせり。長髪者がルドラと共に毒の皿より飲みたるとき」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-136・P.336」岩波文庫)

「2 苦行により冒すべからざる人々、苦行により天界に達したる人々、苦行を〔その〕荘厳(しょうごん)となしたる人々、これらの者にこそ彼は加わるべかれ。
4 天即を扶養し・天則を持し・天則を増大したる古人(いにしえびと)、苦行に富む祖霊、ヤマ(死者の支配者)よ、これらの者にこそ彼は加わるべかれ」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-154・P.252~253」岩波文庫)

さらに特別な薬物の使用とその神格化が上げられる。ヴェーダの時代からウパニシャッド(インド哲学)の時代に至る過程で登場するのはソーマの使用である。

「1 最も甘美にして・最も陶酔を催す奔流(ソーマの流)によりて清まれ、ソーマよ、インドラの飲まんがために搾られて。
2 羅刹(らせつ=悪魔)を殺し・万民に知らるる彼(ソーマ)は、金属(かね=斧)もて調えられたる母胎(槽)に向かい、木にて〔作られたる〕座(槽)につけり。
3 広き空間(行動の自由)の最もよき授与者たれ、最も寛仁なる者、最も勝れたるヴリトラ(悪魔、敵)の殺戮者〔たれ〕。寛裕なる者たち(庇護者)の恩恵を誘発せよ。
4 偉大なる神々のための勧請(かんじょう)に向かいて、〔なが〕液もて流れ来たれ、勝利の賞ならびに名声に向かいて。
5 なれに向かいてわれらは進む、これぞ〔われらが〕目的、日ごと日ごとに。インドゥ(ソーマの呼称)よ、なが上にわれらの希望は存す。
6 太陽の娘(詩歌の女神、詩的霊感?)は、羊毛の〔水濾〕(みずこし)を通りて・間断なく・旋回して流るる・ながソーマ〔液〕を清む。
7 かかる彼を、繊細なる十人(とたり)の若き女子(おなご・十指)は、競争の場(祭場)において捉う、〔十人の〕姉妹(はらから)は、決定の日(最も重要な時に)おいて。
8 かかる彼を、処女たち(祭官の手指)を送りいだす。彼女らはバクラの革袋(風笛?)を吹く。〔彼女らは〕三重の保護を〔授くる〕蜜(ソーマ)を〔搾る〕。
9 この幼子(おさなご)ソーマを、乳をいだす牝牛たちもまた〔乳もて〕調合す、インドラの飲まんがために。
10 この〔ソーマ〕の陶酔において、インドラは一切の敵を殺す、勇者(インドラ)はまた賜物をさわに授く」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-1・P.103~104」岩波文庫)

「1 ソーマは陶酔を催さしめ、われらが寛裕なる庇護者の名声のために、進みいでたり、祭祀の場において搾られて。
2 そのとき、トリタ(神名)の若き女子(おなご=祭官の手指)は、栗毛なす彼(黄金色のソーマ)を石もて送りだす、ソーマの液を、インドラが〔そを〕飲まんがために。
3 そのとき、彼(ソーマ)はなべての人の詩想を呼びおこしたり、ハンサ(鵞鳥=がちょう)が〔その〕群を〔鳴き合わさしむるが〕ごとく。彼は競走馬のごとく、牛乳もて塗らる(ソーマと牛乳との混合)。
4 両〔界〕(天地)を見おろしつつ、ソーマよ、疾走する野獣のごとく、汝は流る、天則の胎(おそらく天上の大水)に坐しつつ。
5 牝牛たち(牛乳)はソーマに対して叫べり、若き女子(おなご)がいとしき愛人に対するがごとく。彼(ソーマ)は競走場に向かいて行けり、懸けられたる〔賞〕に〔向かうが〕ごとくに。
6 われらに輝かしき名誉を授けよ、寛裕なる庇護者らとわれとに、知恵の獲得ならびに名声を」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-32・P.105」岩波文庫)

「1 清まりつつ彼(ソーマ)は、活発に動きて、あらゆる誹謗(ひぼう)〔者〕に向かいて進めり。人々(祭官・詩人)は霊感ある〔神〕を、詩想をもって飾る。
2 赤らめる彼(ソーマ)は、〔その〕母胎(天上の居所)に登らんことを、牡牛なす彼は搾られて、インドラのもとに赴(おもむ)かんことを、彼は不動の座(同上)に坐す。
3 今われらに大いなる富を、インドゥ(ソーマ)よ、われらのためにあらゆる方面より、ソーマよ、みずから清まりつつ送れ、千重(ちえ)の〔富〕を。
4 あらゆる高貴あるものを、ソーマ・パヴァマーナよ、もたらせ、インドゥよ。汝が〔かれらのため〕千重の栄養をかち得んことを。
5 かかる汝は清まりつつ、われらに富をもたらせ、勝れたる男子の群を、賛歌者に。歌人の歌を増大せしめよ。
6 清まりつつ、インドゥよ、二重に強化せられたる富をもたらせ、ソーマよ、讃歌に値いする〔富〕をわれらに、牡牛なすインドゥよ」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-40・P.106」岩波文庫)

「1 アドヴァリウ祭官よ、石もて搾られたるソーマを、パヴィトラ(羊毛の水濾)の上に流せ。〔そを〕清めよ、インドラが〔そを〕飲まんがために。
2 天の最上の乳酪(クリーム)、最も蜜に富むソーマを、ヴァジュラ(電撃)持つインドラのために搾れ。
3 かの名高き神々は、インドゥよ、なれ〔ソーマ・〕バヴァマーナの甘き液を飲む、〔かの〕マルト神群は。
4 なれは実(げ)に、ソーマよ、激しき酔いのために搾られて、讃歌者を強壮ならしむ、牡牛〔なす神〕よ、〔彼を〕擁護せんがために。
5 搾られて、遠く見はらかす神よ、奔流をなし、パヴィトラ(羊毛の水濾)に向かいて流れよ、勝利の賞ならびに名声に向かいて」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-51・P.107」岩波文庫)

「1 王者ソーマは声を挙げつつほとばしりいでつ。水を衣としてまとい、彼は牝牛(牛乳)に達せんと欲す(牛乳との混合)。羊(羊毛の水濾)は〔彼の〕不浄、彼の身につく〔刺〕(とげ)をとり除く。清められて彼は、神々との交合に赴く。
2 インドラのために、ソーマよ、汝は男子らにより注ぎ旋(めぐ)らさる。詩人たる汝は、人界を見はらかし、浪だちて木〔槽〕の中に、〔牛乳もて〕塗らる。実(げ)に汝の行くべき道は多し。千頭の栗毛の馬は、木槽に坐する〔汝に属す〕。
3 海の〔精女〕アブサラスら(ソーアに混合する水)は、〔海〕(槽)の中に坐して、霊感に富むソーマに向かい流れ来たれり。彼らは堅固なる住居の支配者たる彼を送りいだし、不滅の好意を〔ソーマ・〕パヴァマーナに乞う。
4 ソーマはみずから清まる、われらがために、牝牛・車・黄金・日光・水・千の〔財宝〕をかち得つつ。この最も甘美にして・赤らみ・爽快なる滴(しずく)を、神々は〔その〕飲用の酒と定めたり。
5 ソーマよ、みずから清まりつつ汝は、われらに好意をよせて流れ来たる、これらの財貨を現実ならしめつつ。近くにある敵を殺せ、また遠くにある〔敵を〕。広き牧場と安全とをわれらのためにつくれ」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-78・P.107~108」岩波文庫)

「1 ヴリトラの殺戮者インドラをして、シャルナーヴァットに生(お)ゆるソーマ〔の液〕を飲ましめよ、彼がまさに勇武の偉業をなさんとして、力を身につくるとき。ーーーインドゥ(ソーマ)よ、インドラのために渦(うず)まき流れよ。
2 みずから清まれ、方処の主(ソーマ)よ、アールジーカよりもたらされし・恵み深きソーマよ。天則の言葉(讃歌)・真実・信仰・熱力(タパス)もて搾られて、ーーーインドゥよ、ーーー。
3 パルジャニア(雨神)により育てられたるこの水牛(ソーマ)を、太陽の娘(詩歌の女神)は〔地上に〕もたらせり。ガンダルヴァら(半神族)はそを受け取りて、ソーマにこの風味を賦与(ふよ)したり。ーーーインドゥよ、ーーー。
4 天則を語りつつ、天則により輝くものよ、真実を語りつつ、真実を行なうものよ、信仰を語りつつ、王者ソーマよ、行祭者により、ソーマよ、調理せられて、ーーーインドゥよ、ーーー。
5 真に強力にして高大なる〔ソーマの〕流れは、集まり流る。風味ある〔ソーマの〕風味ある液は、合わさり進む、黄ばめるものよ、祈禱により清められつつ。ーーーインドゥよ、ーーー。
6 祈禱者(ブラフマン=祭官兼詩人)が詩句を唱えつつ、〔ソーマ・〕パヴァマーナよ、圧搾の石を〔手に〕もちて、ソーマに意気揚(あ)がり、ソーマによりて歓喜を生むとき、インドゥよ、ーーー。
7 つきせぬ光明のあるところ、太陽の置かれし世界、そこにわれを置け、〔ソーマ・〕パヴァマーナよ、不死(恒久)にして滅ぶことなき世界に。ーーーインドゥよ、ーーー。
8 ヴィヴァスヴァット(太陽神)の子(ヤマ、死者の支配者)が王たるところ、天界の密所(楽園)のあるところ、かの若々しき水(新鮮な水)のあるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインスゥよ、ーーー。
9 欲するがままに動きうるところ、第三の天空において、第三天(最高天)んいおいて、光明に満つる世界のあるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインドゥよ、ーーー。
10 欲望と欲求との〔満たさるるところ〕、太陽の極点のあるところ、祖霊への供物と満足とのあるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインドゥよ、ーーー。
11 歓喜と由来、享楽と悦楽との存するところ、至高の欲望の成就せらるるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインドゥよ、ーーー」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-113・P.109~110」岩波文庫)

第九巻はすべてがソーマを讃える讃歌ばかりで埋め尽くされている。多くの民族創生神話でその地域環境特有の薬草なり薬物なりが不死との繋がりを保障するものとして出てくるという意味ではヴェーダは他の古代神話の典型例として上げることができるだろう。「陶酔、殺戮、詩想、野獣、活発、霊感、強壮、神々との交合、黄金、熱、高揚感、歓喜、悦楽、至高性」などが礼讃される。そういった点でエリアーデは苦行者とシャーマニズムとの関連を重視する。

「これは忘我の典型的な例であり、ムニの魂はその身体を抜け出し、半神的な存在や野生の獣の意図を見抜き、『二つの大洋』に住まう。また風の馬と彼のなかに住む神々への言及は、シャーマン的な技法を示唆している」(エリアーデ「世界宗教史2・第九章・P.90~91」ちくま学芸文庫)

ところで気になる箇所もあり、どんなところかというと「真実」という言葉が連発されている部分である。

「5 われは詩想(讃歌)を心に撓(た)めて吟味す。ーーー真実、われはーーー。
6 実(げ)に五種族(ここでは全人類)は、一顧の値いすらなくわれに見えたり。ーーー真実、われはーーー。
7 実(げ)に天地両界は、わが一翼にも匹敵せず。ーーー真実、われはーーー。
8 われは偉大により天界を凌駕(りょうが)す、この大いなる地界をも。ーーー真実、われはーーー。
12 われは巨大なり、雲まで高く登りて。ーーー真実、われはーーー」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-119・P.106~117」岩波文庫)

アメリカに渡ることが増えた晩年の頃のフーコーがLSDを体験したことはよく知られている。そのときに書かれた言葉を思い起こさせないだろうか。

「はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるために不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ」(フーコー「快楽の活用・P.15」新潮社)

いずれにしろドラゴミラの言葉からは特別な薬物の名は出てこない。むしろ重視されているのは身体である。

「私が思うには、どんな人間にも神のようなところと悪魔のようなところとがあるのです。そのために私たちは、殺すことと滅ぼすことにも、何かを生み出すのとまったくおなじように、快感をおぼえるのよ」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・14・P.413」中公文庫)

自傷行為がメインに据えられたこのような死と再生はどこかいつもアニミズム的な儀式性を思わせる。しかしそこから得られる悦楽を通して生まれ変わる方法は古来からまったくなかったわけではない。残忍ということについてニーチェはいっている。

「残忍とは《他人の》苦悩を眺める際に生じるものだとのみ教えなければならなかった以前の愚鈍な心理学を追い払わなければならない。自分自身の苦悩、自分自らを苦しめるということにも夥(おびただ)しい、有り余るほどの享楽があるのだ。ーーー人間は密(ひそ)かに自己の残忍さによって誘われているのであり、《自己自身に対して》向けられた残忍のあの危険な戦慄によって突き進められている」(ニーチェ「善悪の彼岸・二二九・P.212~213」岩波文庫)

日増しに圧倒的な速度でのしかかってくる近代化と滅びゆく土着の宗教的村落共同体との間で生じた苦悶において、この種の儀式は何度も繰り返し反復され、だんだん過激化していく。そのたびに死に、そして再生する。一度々々の自傷行為とその過剰性が次の変身へ繋がっていくかのようだ。ところで変身という面で触れておくと古代ギリシア=ローマのディオニュソス=バッコスの到来による人々の変容だけでなくバッコス自身が幼児になったり髭のある男性になって出現したりする物語も忘れないでおこう。始めは幼児の姿で登場するバッコス。

「何をしているの?何の騒ぎなの?ねえ、船乗りのおじさんたち、どうしてこんなところへ来ているの?どこへ連れて行こうっていうの?ーーーナクソスへ!進路をナクソスへ向けてよ!そこに、家があるの。その島では、みんなも手厚いもてなしにあずかれようよ」(オウィディウス「変身物語・上・巻三・P.128」岩波文庫)

突然、トレードマークの葡萄の房で覆われた堂々たる体躯を見せつけるバッコス。信じない者らを海豚(いるか)に変えてしまう。

「ふと見ると、からみついた常春藤(きづた)が櫂を妨げ、つるを巻いてあたりを這い、ずっしりしたその房が、点々と帆を彩(いろど)っています。神ご自身は、房になった葡萄を頭に巻き、常春藤(きづた)の葉におおわれた杖をふりかざしていらっしゃいます。その周りに、虎と山猫、それに、まだら模様の荒々しい豹(ひょう)のまぼろしが、寝そべっています。船乗りたちは、飛びあがりました。狂気か、あるいは、恐怖のなせるわざだったでしょう。そのうち、まずメドンのからだが黒ずんで来たかと思うと、背骨がはっきりと曲がりはじめました。リュカバスが、彼にむかって口を聞きます。『おい、何という異形(いぎょう)のものに変わろうとしているのだ?』そう言っているうちに、彼自身は口が大きく裂け、鼻は鉤(かぎ)なりに曲がり、固くなった皮膚に鱗(うろこ)が生じているのです。もうひとりは、よりあわせた帆綱に腕をのばそうとしましたが、その腕がなくなっています。ずんべらぼうの胴でそりかえって、海へ飛びこみました。尾の先が鎌のようで、半月の曲がった角(つの)にそっくりです。海豚(いるか)になった彼らは、そこここではねあがり、しきりにしぶきをあげています。またもや浮かびあがったかとおもうと、ふたたび水面下へもどります。さながら踊り子たちのようにたわむれ、ひょうきんなからだをはねあげて、開いた鼻孔で海水を吸っては、それを吹き出すのです。先ほどまでいた二十人のなかでーーー船にはそれだけが乗り組んでいましたーーーわたしひとりが残っていたのです。恐ろしくて、身がすくみ、わなわなと震えるばかりで、気も確かではないわたしを、神さまが励ましてくださって、こうおっしゃいます。『怖(こわ)がることはないよ。ナクソスへ向かうのだ』ナクソスの島へおりたわたしは、そこでの祭儀に参加しましたが、以来、バッコスに帰依する身になったのです」(オウィディウス「変身物語・上・巻三・P.130~131」岩波文庫)

とうとう街中へ上陸する。

「召使い女たちも、女主人も仕事をやめて、鹿皮の衣に身をつつみ、髪のリボンを解いて、頭に花冠をいただき、手には葉のついた常春藤(きづた)の杖をとるようにーーーそういう命令だった。もし、神をないがしろにしたばあい、神の怒りははげしいであろうとも予言した。女たちは、老若(ろうにゃく)をとわず、これに従った。機(はた)を離れ、羊毛籠を捨て、割り当てられた仕事を中止するのだ。香を献(ささ)げて、神のみ名を唱(とな)える。バッコスとも、『鳴る神』(プロミオス)とも呼べば、『解放者』(ヘリユアイオス)とも呼ぶ。『雷電のおん子』『二度出生のきみ』『ふたりの母のおん子』ともいうし、さらには、『ニュサのおん神』『セレメの髪長きみ子』『葡萄しぼりのおん神』(レナイオス)『快き葡萄植えの神』『夜祭の神』(ニュクテリオス)などとも唱えている。『父なる神エレレウ』『イアッコス』『エウハーン』など、この神に親しい掛け声でも呼ばれるし、そのほか、ギリシアの民たちが酒神に与えている数々の呼び名があるのだ。バッコスよ、あなたは、とこしえの青春にめぐまれた永遠の少年であり、天上の神々のなかでも、ひときわ目立って美しい。牛の姿を捨てられるときは、乙女にもまごう顔立ちでいらっしゃる。『東方』も、あなたへの信仰になびき、あなたの神威は、肌黒いインドの人たちのもと、はるかなガンジスの流れのあたりにまで及んでいる。いとも畏(かしこ)い神よ、あなたは、あのペンテウスと、両刃(もろは)の斧(おの)もつリュクルゴスというふたりの瀆神(とく)者をいけにえとし、リュディアの船乗りたちを海へ投げこまれた。あなたは、二頭の山猫を軛(くびき)につけ、色うつくしい手綱をとって、車を走らせる。信女たちや、獣神(サテュロス)たちが、そのあとにしたがう。いささかきこしめした老シレノスは、ふらつく足を杖で支え、へこんだ驢馬(ろば)の背にやっとこさしがみついている。どこへいらっしゃっても、若々しい声と、女たちの声がどよめく。打ち鳴らされる太鼓、シンバル、細長い黄楊(つげ)笛がひびく。『寛大なみ心と、お情をもって、どうかわたしどものもとへお出でのほどを!』テーバイの女たちはこう願って、命じられた祭をとり行なう」(オウィディウス「変身物語・上・巻四・P.137~138」岩波文庫)

けれども信じない人々も当然いる。ミニュアスの娘たちは機織(はたおり)に専念しながら順々に自分に親しい神話を語っていく。幾つかの神話が語り終えられ、なおかつ彼女らが屋外で行われているバッコス祭を無視していたそのとき。

「姿なき太鼓が、突如、鈍いひびきをたて、角笛と、鋭いシンバルが鳴りひびく。没薬(もつやく)とサフランの香(かおり)がたちこめる。そして、信じがたいことだが、機が緑色のなり、吊られた織衣(おりぎぬ)が、常春藤(きづた)そっくりに、葉を出し始めた。なかには、葡萄(ぶどう)の木に変じたものもあり、たった今まで糸であったものが、若枝と変わって、縦糸からは、巻ひげが生じる。真紅の糸毬(まり)が、色あざやかな葡萄となって輝くのだ。日はすでに暮れかかっていて、『暗い』とも『明るい』ともいえない時刻が忍び寄っていた。おぼろな夜陰に包まれてはいるが、光もまだ残っているという黄昏(たそがれ)どきだった。不意に家が揺れ、ふんだんに油を吸った灯(ともしび)がぱっと燃えあがるように見えた。家は赤々とした火で照り輝き、あらあらしい獣の似姿が吼(ほ)え声をあげているーーーそんな気がした。すでに、姉妹たちは、煙の立ちこめる家じゅうに逃げ場を求めていて、てんでに火炎と光とを避けている。こうして、暗がりばかりを求めているうちに、手足が小さくなって、そこに皮膜が広がり、腕は、薄い翼で包まれた。どういうふうにして元の姿が失われたのかは、自分たちにもわからなかった。暗闇のなかの出来事だったからだ。からだを浮きあがらせてくれているのは、ふっくらした羽根ではなかったが、それでも、透けるような一種の翼で、宙に身を支えてくれていた。ものをいおうとすると、いまのからだに相応の、ごく小さな声しか出ない。かぼそいキーキー声で、嘆きをつたえるだけだ。人家を恋しがって、森を避ける。光を嫌って、夜陰に飛び交う。『蝙蝠』(こうもり)という彼らの名も、『夕暮』からとられているのだ。ここにいたって、バッコスの神は、全テーバイの話題となった」(オウィディウス「変身物語・上・巻四・P.156~157」岩波文庫)

一方、異端の極地へすべり込んでいくドラゴミラの自傷行為は不気味さを増す。しかしドラゴミラはそれを明らかに快楽している。自分の身体を傷つけ他人を次々と生贄に捧げることにこれ以上ない悦びを味わい陶酔している。ドラゴミラの自虐的変身は残忍この上ない光景を呈しつつ教会内部を血に染め上げる。もはや狂気かどうかはまるで問題でなくなる。自分で自分自身の身体を傷つけて流れる血を見てうっとりするドラゴミラ。急速な近代資本主義と土着の森の精霊を中心とした精神的風土で育ったドラゴミラは両者のダブルバインドの中で身体を少しずつ殺していくことで苦悩から一時的解放を得る。しかしその残忍性は他人にもどんどん及んでいく。結果的に何人もがドラゴミラの犠牲になる。そしてまたドラゴミラも犠牲者の一人に過ぎない。しかし問題は、なぜ犠牲者=スケープゴートは一人で済まされなかったのか。それが問われねばならない。

BGM


森の精霊ドラゴミラ1

2020年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム
十九世紀前半のヨーロッパで多くの知識人が多少なりとも精神的不調を訴え、あるいは錯乱のうちに自殺するといったことがなぜ起きたか。ネルヴァル作品をその代表的なものとして取り上げ述べてきた。さてそこで、いったんヨーロッパの混乱から少し離れてスラヴ地域に目を移してみたいと思う。というのは、スラヴ地域の場合、ヨーロッパの真ん中で起こったことが地理的な広がりの制約のために約三十年ほど後に起こっていることと、混乱の様相がヨーロッパとはまた違った形式を取って起こっている点でたいへん関心をそそるものがあるからである。西欧で起こったことがロシアあるいは東欧で起きるとどのように違ったものに変容するかとともにどれほど違ったものに映って見えるか。その点で差し当たり近代化以前のスラヴ地域の社会的特色に触れておかねばならない。とはいえ、キリスト教はすでに導入されていて、広大なロシア各地にキリスト教会が設けられていた。しかしスラヴの様々な土着の信仰を同時に吸収した教会なのか、逆にもともとあった土着の信仰がキリスト教を部分的に取り入れる形で混交がなされキリスト教会とはいっても少なくとも土着的な信仰と無理やり接合され二重化された状態の教会なのか、この二種類に大別可能であったことは重要な違いとして見ておく必要性があるだろう。エリアーデから。

「スラヴ全域に見られ、かつインド・ヨーロッパ諸民族には知られていない風習として、再葬制がある。埋葬後三年、五年、または七年後に遺骨を掘り出し、洗浄して白布(ウブルス)にくるむ。そしてその布を家に持ち帰って、イコンの掛けてある『聖なる隅』に一時安置しておくという風習である。この白布は、死者の遺骨や頭蓋骨に接触したことによって呪術-宗教的価値をもつものとなっている。元来は、掘り出された遺骨そのものの一部を『聖なる隅』に安置していた。このきわめてアルカイックな風習は(これはアジアやアフリカにも見られる)、フィン人のあいだでも行われていた」(エリアーデ「世界宗教史5・第三十一章・P.69~70」ちくま学芸文庫)

キリスト教会があちこちに設立されている時期になおスラヴ地域では歴史以前的アニミズムの世界観が根付いており近代以後もずっと一般市民の生活の中に息づいていたことがわかる。次の報告は近代以前の古風な風習に従っているように見えるけれども実は少し違っている。どこの世界でも近代以前あるいは近代以後もなお土地の風習によりけりで残されていた風習である。日本では南方熊楠が紹介している世界各地の「処女権」に関するものだが、そのようなただ単なる男性原理に基づく暴力的権力の濫用があった一方、そうでない面が一般性を得ていたことはスラヴ地域では人間の性に関する考え方が根本的に異なっていたことを物語っている。

「インド・ヨーロッパ諸民族には知られていないスラヴ人のいまひとつの習慣に、スノハチェストヴォ、すなわち父親が息子の婚約者と寝る権利がある。父親は息子の結婚後も、夫婦が長いあいだ離れているときなどには、嫁と寝る権利をもつとされる。オットー・シュラーダーはこのスノハチェストヴォを、インド・ヨーロッパ諸民族のアディゥトル・マトリモニイ〔結婚介添え人〕の習慣と比較している。しかしインド・ヨーロッパ諸民族においては、娘または花嫁の一時的譲渡はその父親または花婿の手で行われるのであり、これは彼らの父としての、あるいは夫としての権威の行使にほかならない、譲渡が夫の知らないうちに、あるいは意に反してなされるようなことはない」(エリアーデ「世界宗教史5・第三十一章・P.70」ちくま学芸文庫)

一見すればスラヴ地域の側が他の地域においてよりも女性に対して酷い扱いが行使されているかのように見える。だが単純にそうとは言えない理由がある。まず「インド・ヨーロッパ諸民族のアディゥトル・マトリモニイ〔結婚介添え人〕の習慣」を読み返してみよう。以下のような場合はそのヴァリエーションと言える。仲介者あるいは婿の父(婚姻を認めるか認めないかの決定権を持つ人物)が婿の嫁を婿より先に性的に自分の所有物にしてしまう場合である。南方熊楠はその博物学的知識を動員して「処女権あるいは股権」が世界中にあったことを暴露している。

「大将これを愍(あわれ)み、そこに新城を築き諸人を集め住ませ廣野城と名づけた。城民規則を設け、婚礼の度(たび)ごとにこの大将を馳走し、次に自分らを飲歓するとした。時に極めて貧しい者あって、妻を娶るに大将を招待すべき資力なし。種々思案の末、酒肴の代りにわがいまだ触れざる新妻を大将の御慰みに供え、その後始めて自宅へ引き取った。爾後、恒例となって諸人妻を迎うるごとに大将に手折(たお)らせたとあるが、これは事の起源を説かんためかかる噺をこじ付けたので、拙文『千人切りの話』に論じた通り、一八八一年フライブルヒ・イム・ブラウスガウ板、カール・シュミット著『初婚夜権』等を参するに、インド、クルジスタン、アンダマン島、カンボジヤ、チャンパ、マラッカ、マリヤナ島、アフリカおよび南北米のある部に、もとよりかかる風習があったので、インドで西暦紀元頃ヴァチ梵士作『愛天教』七篇二章は全く王者が臣民の妻娘を懐柔する方法を説く。その末段にいわく、アンドラの王は臣民の新婦を最初に賞翫(しょうがん)する権力あり。ヴァツアグルマ民の俗、大臣の妻、夜間、王に奉仕す。ヴァイダルブハ民は王に忠誠を表せんとて一月間その子婦を王の閨房に納(い)る。スラシュトラ民の妻は王の御意に随い、独りまた伴うてその内宮に詣(いた)るを常とすと」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.186~187」岩波文庫)

「諸国の王侯に処女権あり。人が新婦を迎うれば初めの一夜、また数夜、その領主に侍(はべ)らしめねば夫の手に入らぬのだ。例せばスコットランドでは十一世紀に、マルクコルム三世、この風を発せしが、仏国などでは股権とて十七世紀までは幾分存した」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.187~188」岩波文庫)

「『後漢書』南蛮伝に交趾の西に人を噉(くら)う国あり云々、妻を娶って美なる時はその兄に譲る」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.188」岩波文庫)

「『当世傾城気質』四に、藤屋伊左衛門諸国で見た奇俗を述べる内に『振舞膳(ふるまいぜん)の後(のち)我女房を客人と云々』これらは新婦と限らぬようだが、余ら幼き頃まで紀州の一向宗の有難屋(ありがたや)連、厚く財を献じてお抱寝(だきね)と称し、門跡の寝室近く妙齢の生娘(きむすめ)を臥せさせもらい、以て光彩門戸(もんこ)に生ずと大悦びした」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.188~189」岩波文庫)

「勝浦港では年頃に及んだ処女を老爺に托して破素してもらい、米、酒、および桃紅色の褌(ふんどし)を礼に遣わした」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.189」岩波文庫)

「『中陵漫録』十一にいわく、羽州米沢の荻村では媒人が女の方に行きてその女を受け取り、わが家に置く事三夜にして、餅を円く作って百八個、媒が負うて女を連れ往き婚礼を整(ととの)うと」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.189」岩波文庫)

「スコットランドでは中古牛を以て処女権を償うに、女の門地の高下に従うて相場異なり、民の娘は二牛、士の娘は三牛、太夫の娘は十二牛などだ。イングランドはこれに異なり民の娘のみこの恥を受けた(ブラットンの『ノート・ブック』巻二六)」(南方熊楠「十二支考・下・鶏に関する伝説・P.189」岩波文庫)

また折口信夫は、古代日本研究の中で、神の名において地元の有力者である神社の神主や富裕な家の家長らが処女権を行使していたと報告している。

「こうした神女が、一群として宮廷に入ったのが、丹波道主貴の家の女であった。此七処女はは、何の為に召されたか。言うまでもなく《みづのをひも》を解き奉る為である。だが、紐と言えば、すぐに連想せられるのは、性的生活である。先輩諸家の解説にも、此先入が主となって、古代生活の大切な一面を見落されて了うた。事は、一続きの事実であった。『ひも』の神秘をとり扱う神女は、条件的に神の嫁の資格を持たねばならなかったのである。《みづのをひも》を解く事が直に、紐主にまかれる事ではない。一番親しく、神の身に近づく聖職に備るのは、最高の神女である。而も尊体の深い秘密に触れる役目である。《みづのをひも》を解き、又結ぶ神事があったのである。七処女の真名井の天女・八処女の系統の東遊(アヅマアソビ)天人も、飛行の力は、天の羽衣に繋がっていた。だが私は、神女の身に、羽衣を被るとするのは、伝承の推移だと思う。神女の手で、天の羽衣を著せ、脱がせられる神があった。其神の力を蒙って、神女自身も神と見なされる。そうして神・神女を同格に観じて、神を稍忘れる様になる。そうなると、神女の、神に奉仕した為事も、神女自身の行為になる。天の羽衣の如きは、神の身についたものである。神自身と見なし奉った宮廷の主の、常も用いられるはずの湯具を、古例に則る大嘗祭の時に限って、天の羽衣と申し上げる。後世は『衣』と言う名に拘って、上体をも掩うものとなったらしいが、古くはもっと《小さきもの》ではなかったか。ともかく禊ぎ・湯沐みの時、湯や水で解きさける物忌みの布と思われる。誰一人解き方知らぬ神秘の結び方で、其布を結び固め、神となる御体の霊結びを奉仕する巫女があった」(折口信夫「水の女」『折口信夫全集2・P.97~98』中公文庫)

「神としての生活に入ると、常人以上に欲望を満たした。《みづのをひも》を解いた女は、神秘に触れたのだから『神の嫁』となる」(折口信夫「水の女」『折口信夫全集2・P.102』中公文庫)

「宮廷の采女は、郡領の娘を徴して、ある期間宮廷に立ち廻らせられたものである。采女は単に召使のように考えて居るのは誤りで、実は国造に於ける采女同様、宮廷神に仕え、兼ねて其象徴なる顕神(アキツカミ)の天子に仕えるのである。采女として天子の倖寵を蒙ったものもある。此は神としての資格に於てあった事である。采女は、神以外には触れる事を禁ぜられて居たものである。同じ組織の国造の采女の存在、其貞操問題が、平安朝の初めになると、宮廷から否定せられて居る。此は、元来なかった制度を、模倣したと言わぬばかりの論達であるが、実は宮廷の権威に拘ると見た見た為であろう。此事は、日本古代に初夜権の実在した証拠になるのである。村々の君主の家として祀る神の外にも、村人が一家の間で祀らねばならぬ神があった。庶物にくっついて常在する神、時を定めて来臨する神などは、家々の女性が祀ることになって居た。此等の女性が、処女である事を原則とするのは勿論であるが、其は早く破れて、現に夫のない女は、処女と同格と見た。而も其は二人以上の夫には會はなかったものと言う条件があった様である。其が頽れて、現に妻として夫を持って居る者にも、巫女の資格は認められて居たと見える。『神の嫁』として、神に出来るだけ接近して行くのが、此人々の為事であるのだから、処女は神も好むものと見るのは、当然である」(折口信夫「最古日本の女性生活の根底」『折口信夫全集2・P.148~149』中公文庫)

このような微妙な部分でスラヴ社会は異なってくる。日本では明治近代に入ると表向きだけでも廃絶された処女権と入れ換わるかのように、あたかも奪われた権利に対する親の敵討ちででもあるかのような様相を呈して過激極まりない男尊女卑的傾向が労働現場で大々的に顕在化した。近代化を急ぐ都会の大工場で多数の女性労働者が結核をはじめとする感染症に冒され死んでいった事実は日本近代史の序章を華々しく飾っている。さらに戦後になっても地方へ行くと、村落共同体丸ごとではなくなったものの、一時的かつ隠密理に初夜権を復活させる家の主人は後を絶っていない。もはや犯罪だというのに。また、昭和初頭には「不義、密通」行為の結果、堕胎や間引きを行う風習は農山村だけでなく日本全国どこにでもあった。生活の知恵といえば言える。しかし日本の場合、大陸進出と並行して戦争が激化するとともに特に貧困率の高い農山村では必然的に男性が激減する。となると女性らが幾ら不倫したくても生き生きした男性の数はほんの数えるほどに限られてくる。それが爆発するべくして爆発した事件の一つとして捉えることで始めて、あの「津山三十人殺し」は考えられなくてはならないし、そうでなくてはけっして腑に落ちる事件として分析することはできないだろう。それはそれとして。日本の歴史では近代以前も以後もけっして出現しない土壌がスラヴ地域にはそもそもの昔からあった。

「これに劣らず特徴的なのは、古代スラヴ社会の法的平等性である。共同体全員に完全な権利が認められており、したがって決定はすべて満場一致でなければならなかった。もともとミールという語は、共同体の《集会》とそこでの決定の《全員一致》とを同時にさす言葉であり、これが、ミールが現在では《平和》と《世界》という二つの意味をもつにいたった理由である。ガスパリーニによれば、ミールという言葉は、共同体のひとりひとりがーーー《男性だけでなく女性も》ーーー同一の権利を有していた時代を反映している」(エリアーデ「世界宗教史5・第三十一章・P.70~71」ちくま学芸文庫)

こうした指向性は古代ギリシアのディオゲネスが思い描いていた思想に近い。

「彼は、高貴な生まれとか、名声とか、すべてそのようなものは、悪徳を目立たせる飾りであると言って、冷笑していた。また、唯一の正しい国家は世界的な規模のものであると。さらにまた、婦人は共有であるべきだと言い、そして結婚という言葉も使わないで、口説き落した男が口説かれた女と一緒になればいいのだと語っていた。そしてそれゆえに、子供もまた共有であるべきだと」(「ディオゲネス」『ギリシア哲学者列伝・中・第六巻第二章・P.170』岩波文庫)

また、今なおウクライナを始めとしてロシア各地には「森の聖霊」という信仰が根強く残っている。

「ヨーロッパの他の民族同様、スラヴ諸民族の宗教民俗、信仰、風習は、多かれ少なかれキリスト教化された形で、異教時代の遺産の大きな部分を今に保っている。なかでもとくに興味深いのは、スラヴ全域に見られる森の霊(ロシア語でレシィ、白ロシア語でレシェクなど)の観念である。この森の霊は、狩人たちが必要なだけの獲物の量を保証してくれる。つまりこれは、あのアルカイックな型の神格のひとつ、動物主なのである。同様に古い、次のような信仰もある。人々が家を建てていると、ある種の森の精霊たち(ドモヴォイ)が家の中に入りこんでしまう」(エリアーデ「世界宗教史5・第三十一章・P.71」ちくま学芸文庫)

博学の小説家として有名なザッヘル=マゾッホ。マゾッホはまさに十九世紀後半のロシアで苦悩する代表的知識人の一人だった。クラフト=エビングが「マゾヒズム」と名付けたことで肝心の作者の思想が不明瞭になったという経緯はあるものの、それは個人的嗜好の次元の問題であって無視してよい。それより、実際にマゾヒストであったことは確かだが、マゾヒストとしては同類だった日本の谷崎潤一郎とは違い、ザッヘル=マゾッホは、当時のスラヴ地域の土着の民衆の生活についてかなり深い造詣を持っていた。「森の聖霊」という面を見てみよう。小説作品の主人公ドラゴミラは特権的美貌の持ち主として描かれているが、容姿だけでいうとすればロシアのスラヴ地域では別段探さなくてもごく普通に道端で時おりすれ違うような女性の一人である。今で言う東欧の「バルカン美人」のカテゴリーに入る。

「ドラゴミラは、両腕を胸で十字に交差させて窓辺に立ち、じっと中庭に目をやっていた。霧は煮えたぎる魔女の釜のようだった経帷子(きょうかたびら)を引きずる夜の化け物たちやら、巨大なコウモリの翼を生やした悪霊(デーモン)やら、あるいは長い白髭の侏儒(こびと)などが、つぎつぎと姿をあらわした。垂れ込めたその靄のなかから、不意に小ロシアの百姓が出てきた。人並はずれた巨体とサムソンのようなブロンドの頭髪の持ち主で、ドラゴミラの前に来ると深々とお辞儀をした」(マゾッホ「魂を漁る女・第一部・4・P.36~37」中公文庫)

このときすでにドラゴミラの信仰は変容している。キエフ近郊の村が舞台として設定されていて、キエフで人気の若い男性でありなおかつ幼なじみでもあるツェジムに向かってこういう。

「私もかつては生きていることを喜び、魔法の黄金の国をのぞき見るように未来をのぞき見ていたわ。でもある日、私は悟ったの、自分が盲目だったということを。そして、私の目から覆いが取り去られ、あるがままの物事が見えるようになったとき、私は自分自身にたいして深い憐れみと静かなおののきをおぼえたのよ。そのときの気持ちは、まるで太陽が輝きを失ってしまい、大地が氷となって、私の心も凍てついてしまったみたいだったわ。あなたは幸せね、まだ喜びを感じることができるんですもの。私にとっては、喜びも希望も今はもう過去のものです。私はもはや人生の価値について自分を欺くことはできません。今の私は知っているのよ、この世に生きていることは一種の贖罪だということ、浄化する煉獄(れんごく)の炎に焼かれることであり、幸福なんかではなく、むしろ永遠の苦しみだということを」(マゾッホ「魂を漁る女・第一部・3・P.29」中公文庫)

またお喋りのツェジムがドラゴミラを褒めて言い寄るつもりで「ロシアの女には気品がある」と言うのだがドラゴミラはこう切り返す。

「ロシアの女性は、最初一目見たときには奴隷だけれど、本質は今なおスキタイの女戦士(アマゾーン)で、恐れを知らず、必要とあらば憐れみも知らないのよ」(マゾッホ「魂を漁る女・第一部・23・P.243」中公文庫)

自分で自分自身のことを古代ギリシアの「スキタイ人」に喩える。少なくともそうであろうと《欲する》。ドラゴミラが思い描いている「スキタイ人」とはどのような意志に燃える人々だったか。

「スキュタイ人は最初に倒した敵の血を飲む。また戦闘で殺した敵兵は、ことごとくその首級を王の許へ持参する。首級を持参すれば鹵獲物の分配に与ることができるが、さもなくば分配に与れぬからである。スキュタイ人は首級の皮を次のようにして剥ぎとる。耳のあたりで丸く刃物を入れ、首級をつかんでゆすぶり、頭皮と頭蓋骨を離す。それから牛の肋骨を用いて皮から肉をそぎ落し、手で揉んで柔軟にすると一種の手巾ができる。それを自分の乗馬の馬勒にかけて誇るのである。この手巾を一番多く所有する者が、最大の勇士と判定されるからである。またスキュタイの人の中には、剥いだ皮を羊飼の着る皮衣のように縫い合せ、自分の身につける上衣まで作るものも少なくない。さらにまた、敵の死体の右腕の皮を爪ごと剥いで、矢筒の被いを作るものも多い。人間の皮というものは実際厚くもあり艶もよく、ほとんど他のどの皮よりも白く光沢がある」(ヘロドトス「歴史・中・巻四・六四・P.45~46」岩波文庫)

ドラゴミラがそのような異端信仰へ身を捧げるようになったのはなぜか。ドラゴミラに言い寄る男性の一人ソルテュク伯爵にこういう。

「考えてみてください。一方にあるのは、何も考えず、もはや何の意味もない形式にしがみついている教会の死んだ信仰で、聞く人もいない祈りの文句をつぶやき、誰も神父に魂をゆだねようとはせず、神父の方は肉体の快楽にのみ腐心しているのです。もう片方にあるのは、もはや神聖なものを認めない無信仰です。こちらは天体やら動物や人間の頭蓋骨やらを中心に据えてすべてを考えており、秤(はかり)にかけ、計算し、元素に分解しています。また植物の成長を観察し、石や惑星を観察していますが、神については何も知りません、望遠鏡をのぞいても発見できないからなのです」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・7・P.344」中公文庫)

何が起こっているのか。十九世紀前半にネルヴァルを精神錯乱に陥れたダブルバインド状況がここではスラヴ地域一帯で発生したということだ。

「すべてを否定した大革命と、キリスト教信仰をまるごと取り戻そうとする反動の世の中と、二つの時代の相反する教育のあいだで迷う、不信心というよりは懐疑的な世紀の子である私」(ネルヴァル「イシス」『火の娘たち・P.380』岩波文庫)

一方に腐敗堕落を極める教会権力があり、他方に怒涛の如く押し寄せる近代資本主義がある。近代とは言い換えれば「合理主義」ということだ。ではロシア各地の村落共同体にまだ多く残されていた古来からの伝統はキリスト教に期待できず、かといって一夜にしてすんなりと近代資本主義社会を出現させることもできない。まだまだ農民ばかりの小さな教会、ほとんど手作りといっていいような小さな集会所めいたものがあるばかりだ。行き場を失くした彼らにとって残された場所は究極的異端というべき世界を見出しのめり込んでいく。マゾッホがモデルとしたのはガリーシャ(今のウクライナ地域からハンガリーの東端部分)で発生した神秘主義教団である。この種の教団は一つでなくこの時期に次々に出来上がり次々と自滅していった。しかし最初から異端派を目指したわけではない。急速な近代化に伴い、つい最近までは農村ばかりだった村落共同体全体へ、個人的な力ではとてもたちうちできない大規模な新世界秩序が一度に押し付けられることになった。そういう環境へ放り込まれると多くの人間はとつぜんアニミズム的な世界観へ退行する。それが異端であろうとなかろうとアニミズムへ回帰しようとする本能が内部から湧き起こってくる。人間はそういうふうにできている。すでに落ち着きを取り戻しつつ帝国主義戦争への準備に取り掛かっていた西欧と比較すればドラゴミラに代表される態度の取り方はなるほど遅れているように見える。しかし何千年ものあいだ信仰されてきた「森の精霊」の国にとってむき出しの資本主義化は余りにも過酷過ぎた。ちなみに中沢新一は「南方熊楠コレクション」の解題で、日本の近代化のケースを例に上げて次のように述べている。

「この世に自分の力のおよばない聖域が残されていることを嫌うことにかけては、近代の資本主義は、国家にまさるともおとらない嫉妬深さを示す。それは、貨幣に計量化できないもの、自由な交換に投げ入れることのできないもの、資本として増殖していく価値に自分を譲り渡していかないものなどが、この世に存在していることが許せないのだ。その資本主義は、長いこと森に立ち入ることができなかった。そこが日本人の精神にとって、きわめて重要な『聖域』として、慎重に守られてきたからだ。森の神聖の根源は、そこが秘密儀にみちたマンダラであったためである。ところがいまや、国家が神道の名において、その森の内部空間のマンダラの解体を、推し進めようとしているのである。かつては、森そのものが神社だった。だが、これからは神社のまわりに森が残るだけなのだ。明治の資本主義は、舌なめずりをした。神々の守護を失ったはずの森の樹木は、ただの商品と化していくだろう、と彼らは見越した。日本の森には、野放図な伐採の危機が、迫っていた。森は精神的であると同時に、生態学的な危機にも、直面しようとしていたのである」(中沢新一「森の思想」『南方熊楠コレクション5・P.102~103』河出文庫)

作品が後半に入りドラゴミラの行為はほとんど狂気の領域に達する。マゾッホはドラゴミラに何をやらせるのか。というより、何をやらせることで当時の迷える子羊たちが何を言わんとしていたか、それをあぶり出そうとする。その意味で、センセーショナルなスペクタクルものという形式を取りつつ、行き場を失くしてダブルバインド状況に叩き込まれたスラヴの村落共同体がどのような運命を選択したか。見直す余地はあるだろう。マゾッホの同時代人はマルクス、ニーチェ、ドストエフスキーらである。その後しばらくして日本は明確に帝国主義戦争を選択した。ヒロシマの原爆投下を見るまで長い思考停止状態に入ってしまう。ところがロシアはひょんなことからロシア革命を成立させている。この屈折、その分かれ目、その岐路で、一体何があったのか。マゾッホがドラゴミラに言わせている言葉に注目したい。

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微視的細部57

2020年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム
大時計の響きは百年戦争の開始の音に変容する。ネルヴァルは五百年前の戦士の一人になる。

「幾時だったか、サン・トュウスタアシュの大時計が鳴るのを聞いて、私はブウルギニョン党とアルマニャック党の争闘を思い始めて、自分の周囲に当時の戦士達の幻が立上がるのを見るような気がした。私は胸に銀の板を着けた一人の郵便配達夫を掴まえ、ジャン・ド・ブウルゴオニュ公だろうと言って喧嘩を売った。彼が居酒屋にはいるのを阻止しようと思ったのだ。どうしたことか今は判らぬが、不思議なことに、殺すと言って私に威かされていると知るや、彼の顔は涙にまみれた。私は憐れを覚えて、放してやった」(ネルヴァル「オーレリア・P.72~73」岩波文庫)

朝食を済ませ教会でマリアに祈りを捧げた後、植物園に行く。水浴びする河馬の光景から骨格学の陳列所へ移動するあいだにノアの洪水のエピソードが頭の中に浮かんでくる。そこで外に出ると急な雨降りに出会う。そこでまた連想は飛躍する。

「私は暫くの間、池の中で水浴びをする河馬を見ていた。ーーー続いて骨格学の陳列所を見物に行った。そこに列んでいる色々な怪物を眺めるとノアの大洪水のことが頭に浮んで来たが、外に出てみると、物凄い驟雨が庭に降っていた。私は心に思った、これはひどい!女も子供も皆濡れてしまうぞ!ーーー」(ネルヴァル「オーレリア・P.73」岩波文庫)

次の一節は夢の中ではありがちなパターンかも知れない。

「続いて思った、だがそれどころじゃない!本当の大洪水が始まったのだ。附近の街々に水が溢れてきた。私はサン・ヴィクトル街を駆け下りて、そして、自分が世界を襲う洪水と信ずるものを食い止める積りで、サン・トュウスタアシュで買った指輪を一番深い箇所に投げ込んだ。恰かもその頃合に、暴風雨は鎮まり、そして一條の光線が輝き始めた」(ネルヴァル「オーレリア・P.73」岩波文庫)

洪水の真ん中に指輪を投げ込むとただちに暴風雨は鎮まり「光線が輝き始める」。光線の出現は夢というよりフロイトが分析して以来有名になった「シュレーバー症例」を思わせる。シュレーバーの場合は光の束が出現する。それはいつも神と関係があるとシュレーバーは主張する。フロイトの分析ではシュレーバーによる男性から女性への生成変化意志と結び付けて考えられている。それもまた一つの解釈ではある。そして解釈はいつも夢や幻覚の深層をあぶり出すのではなくて、夢や幻覚といった形式で出現している表層の解釈なのである。また夢の光景は常に助詞を脱落させているのでどの表象も他の表象と置き換え可能である。だから解釈する人々によっていかなる物語へも加工=変造され得る。夢も幻覚もいずれにしてもそれはいかなる時も表層の解釈しか不可能なのであり、深層で何が起こっているかということは本人はもちろんのこと、他の誰にも本当のところはわからない。また、統合失調者の場合、或る意味を持つ光線を見たという人々はたいへん多い。患者本人にはその意味は明白なのだがなぜ光線なのか。世界中に満ち渡るほどの光線出現体験はどの文化圏でも聞かれるエピソードである。そして光線は患者にとって神の出現そのものだったりあるいは神の予言として感じ取られる。ところが光線出現体験は同じでも、それに対応して出現する神は患者の属する文化圏や患者個人の知識の範囲によって異なる。キリストだったり天皇だったりダンテ「神曲」のようにベアトリーチェだったりアルトーがペヨトルを用いて体験したタラウマラ族の神的世界だったり、様々だ。

植物園を出て洪水の光景が鎮まるのを見たあと、ネルヴァルは友人ジョルジュの家へ向かおうと歩き出す。途中、骨董店の店先で「象形文字のような図形」が描かれた天鵞絨(ビロード)の團扇(うちわ)を買う。それは天の赦しの儀式に用いられるもののように思える。しかし問題はその模様が「象形文字のような図形」であることにある。

「あとになって、人間は象形文字の意味を解いて彼ら自身の社会的な産物の秘密を探りだそうとする。なぜならば、使用対象の価値としての規定は、言語と同じように、人間の社会的な産物だからである」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.138」国民文庫)

ジュルジュの家へ着いたネルヴァルは雨に打たれたあと歩いたこともあって、さらにそこから壮大な幻覚に襲われていることから、たいへん疲れており、ジョルジュの部屋を借りて眠ってしまう。すると睡眠中に今度は女神が現われる。女神は「私はマリア」だという。だが女神の姿をしているものの、聞こえるのは声ばかりがそうだというに過ぎない。ところがその光景はだんだん光線に満たされていく。目が覚めてジョルジュに言う。どうも今夜の自分の中にはナポレオンの魂がいるようで、何か偉大な事業の達成を命じているらしいと。続く場面でネルヴァルはもはやナポレオン自身である。

「パレ・ロワイヤルの勸工場に達した。其処では、皆が私を見ているように思えた。付き纏って離れぬ一つの考えがわたしの心中に宿っていたが、それは、もはや死者はいないということであった」(ネルヴァル「オーレリア・P.74」岩波文庫)

何らの過ちも犯されてはいないと確信する。すべてがナポレオンに関するネルヴァルの知識と符号する光景ばかりが広がって見える。ナポレオン化したネルヴァル。或るカフェに入った。そこではマスコミで有名なベルダンという人物を見かけたように思う。庭園を抜け、少女達のロンドを目にし、サン・トレノ街へ向かう。

「葉巻を買いにとある店にはいったが、店を出ると、大勢な人混みで、私は危く窒息しそうになった」(ネルヴァル「オーレリア・P.75」岩波文庫)

本当に昏倒しそうになったらしく、一緒にいた三人の友人がネルヴァルをカフェに担ぎ込み、辻馬車を呼んで再び病院へ入院することになった。それ以後、イシスとオシリスの物語が展開し、自分が全能者になったりする。世界救済に乗り出そうとしたりもする。しばらく倒れて休養を取ると、また新しく夢と幻想の世界へ入っていき、疲れ果てて倒れる。その繰り返し。ネルヴァル自身もそれをイニシエーションに喩えている。

「さて熱心な読者よ、あなた方は、その部屋で二人が交わした会話や、そこで起こったことについて知りたいと強く望まれることでしょう。話すことが許されていれば喜んで話しましょう。お耳に入れてよいなら喜んでお聞かせするでしょう。しかしそれについての不謹慎なお喋(しゃべ)りによって私の舌は、あるいは大それた好奇心によってあなた方の耳は、共にひとしく罰をこうむること必定です。しかし、そうなると、今度はあなた方が、熱い敬虔な関心を抱いたまま宙ぶらりんの気持ちであれこれと憶測し、煩悶(はんもん)することになるでしょう。私もそれは望みません。そこで一つ話を聞いて下さい。でも、この話はみんな真実だと思って下さい。ーーー私は死の境界にやってきて、冥界の女王プロセルピナの神殿の敷居をまたぎ、あらゆる要素を通ってこの世に還ってきました。真夜中に太陽が晃々(こうこう)と輝いているのを見ました。冥界の神々にも天上の神々にも目(ま)のあたりに接し、膝下に額(ぬか)ずいてきました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の11・P.461~462」岩波文庫)

ちなみに「黄金の驢馬」はかねてからネルヴァルの愛読書の一つだった。さらにまた、作品「オーレリア」では引き続き様々な人物や光景が次々に出現する。夢と幻想の高まりがあり、そして窒息しそうになるほど疲れ果てて昏倒する。しばらく休養。再び夢と幻想が高まりまた窒息しそうに思えてきて昏倒する。それをたった一つの文脈を絶対的なものと考えて読んでしまうとネルヴァルは統合を失調しているのではと思えてくる。だが逆に自由奔放な連想を描いたものと考えて読むと何一つおかしなところはない。実際のところ、人間が夢見ているとき、その夢のエピソードはどれも助詞を脱落させており、結局のところ何が言いたいのか本当のところは本人にもはっきりとはわからない。しかし読者の側にしてみれば、ネルヴァルの語りが言わんとしているのは、夢と錯乱とを比較してみて、一体どちらがどれほど違っているのかと問いかけているように思える。そこにネルヴァルが錯乱状態を繰り返しつつもその合間を縫って仕掛けた創作手法を見ることができる。

「幻想が産まれてゆく状況を、ひとは、まざまざと考察することができる。類似性が、大胆極まる継続的形成へと導いてゆく。しかしまた、全く異なった諸々の関係や、コントラストに加えるコントラストなどが、止まることなく続くのである。ここに、知性の異常なる生産性が《見られる》のである。それは、形象の生活である」(ニーチェ「哲学者の書・P.263」ちくま学芸文庫)

なおこれまで、ヴァージニア・ウルフ、ジュネ、アルトー、ネルヴァルと、古典の中でもマイナーなものばかり選んで述べてきた。鬱病治療のためのリハビリではあるが、平日も休日もなく思いもよらずほぼ毎日続けることができた。或る程度の現状維持には繋がったかもしれない。しばらく休みを取りながら再び新しい企画を考えようと思っている。

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微視的細部56

2020年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム
外出中、ヨハネ黙示録に示されているような世界崩壊の様相に襲われたネルヴァルは疲れ果てて帰宅しベッドに身を投じる。しばらくして目が覚めると辺りは日の光で満ちている。夜が明けたのだろうか。横たわったままでいると何か合唱のような声が聴こえてきた。

「子供らしい声が合唱の裡に繰り返した、『キリスト!キリスト!キリスト!ーーー』。之はキリストに救いを祈願して近所の教会(ノオトル・ダム・デ・ヴィクトワルの)に大勢子供を集めたのだなと考えた。ーーーだがキリストはもう居られぬ!と私は心に思った、彼等はまだそれを知らないのだ。祈願は約一時間続いた」(ネルヴァル「オーレリア・P.71」岩波文庫)

再びパリの街路を歩きながら次のように思う。ただ単に彷徨っているわけではない。行先は忘れておらず、翻訳の仕事を回してくれた友人に前借りした貨幣を返そうとその家へ向かう。

「私はとうとう起き上って、パレ・ロワイヤルの勸工場の下に行った。多分太陽は未だ地球を三日間照らすくらいの光は保存していようが、自分自身の本体を使っているのだと心に思うと、事実、それは冷たく色褪せて見えた。私は例のドイツの詩人の家まで行く力を身体に与えようとして、小さな菓子一箇を食べて飢えを凌いだ」(ネルヴァル「オーレリア・P.71」岩波文庫)

しかし世界崩壊感覚はそのままネルヴァルを縛り付けたままだ。友人宅へ到着する。

「家にはいると、私は彼に、一切は終った、われわれは死ぬ覚悟をしなければならぬと言った。彼は妻を呼んだ。彼女は言った、『どうかなさいましたか』ーーー『さあどうか知らんが、私はもう駄目です』、と私は言った」(ネルヴァル「オーレリア・P.71」岩波文庫)

心配した友人とその妻は辻馬車を呼んでデュポワ病院へ送ってやった。そんなわけで、通常の債権債務関係を解消するための返済がその意味を転倒させてしまうことになった。これまでの人生をふりかえって債務感情を抱いているものに関し、一つずつ返済しようと決めたネルヴァル。だがまず最初に赴いた友人宅の玄関で「もう駄目です」と言って昏倒している。返済を与えにやってきた場所でさらなる債務を負うことになった。友人はさらなる債権を与えられた。その意味で債務の返済ではなく逆に、友人はネルヴァルから増殖した債権を与えられたことになる。その後ネルヴァルは三ヶ月間入院している。幻想と入院との繰り返し。一方に奇怪な夢と幻想に彩られた世界があり、他方で昏倒によって再び始まる入院生活がある。両者は反復する。この反復について、繰り返し行われる「冥府下り」の反復であると考えることはできないだろうか。エリアーデはアプレイウス「変身物語」(=「黄金の驢馬」)から次の箇所を引いて「死と復帰」のイニシエーションについて述べている。

「さて熱心な読者よ、あなた方は、その部屋で二人が交わした会話や、そこで起こったことについて知りたいと強く望まれることでしょう。話すことが許されていれば喜んで話しましょう。お耳に入れてよいなら喜んでお聞かせするでしょう。しかしそれについての不謹慎なお喋(しゃべ)りによって私の舌は、あるいは大それた好奇心によってあなた方の耳は、共にひとしく罰をこうむること必定です。しかし、そうなると、今度はあなた方が、熱い敬虔な関心を抱いたまま宙ぶらりんの気持ちであれこれと憶測し、煩悶(はんもん)することになるでしょう。私もそれは望みません。そこで一つ話を聞いて下さい。でも、この話はみんな真実だと思って下さい。ーーー私は死の境界にやってきて、冥界の女王プロセルピナの神殿の敷居をまたぎ、あらゆる要素を通ってこの世に還ってきました。真夜中に太陽が晃々(こうこう)と輝いているのを見ました。冥界の神々にも天上の神々にも目(ま)のあたりに接し、膝下に額(ぬか)ずいてきました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の11・P.461~462」岩波文庫)

冥府から復帰し再生するわけだが、途中で冥界の女王プロセルピナの神殿を通過しなければならない。そのための準備は何やらものものしく厳格なのだが、その形式化したものは今なお世界中の祭の中に見られる。第一に「浄め」の儀式。

「大司祭はあらかじめ申されていた時が来たので、私を信者仲間と一緒にすぐ近くの洗礼場に案内しました。あの方はまず私にいつもの水浴をさせた後、御自分で神々の加護を求めて祈りを捧げ、私のからだに水をそそぎ、浄められました。こうして再び神殿に連れ戻された頃には、もう一日の三分の二も過ぎていました。私は女神の御像の前に立たされ、大司祭から極秘の教示を給わりました、それは人間のことばで伝えるにはあまりにも神々しいものでした。それから今度は、並みいる群集を前に公然と、今後十日間私は食事から楽しみを得ることは許されず、肉食や飲酒を禁止するよう命じられました。私はこの敬虔な禁欲生活を厳格に守り通し、いよいよ女神の御前に出る運命の日がやってきました。その日、太陽が腰を屈(かが)めて黄昏(たそがれ)を誘い始めた頃、どうでしょう。突然さまざまなところからぞくぞくと大勢の人が集まってきたのです。そして誰もかれもその秘儀の古い習慣に従い、いろいろな物を私に贈り、私に名誉を与えてくれました。やがて俗衆たちがぜんぶ遠くへ立ち去ると、大司祭は今まで誰も着ていなかった真新しい亜麻の着物で私を包み、私の右手をとって内陣の最も奥まった部屋へ連れて行きました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の11・P.460~461」岩波文庫)

第二に特定の衣装を身にまとうことによる神格化。

「私は神に捧げられたしるしである十二枚の法衣を身にまとい、内陣から出てきました。この法衣はそれ自体十分に秘儀的性格を持っていましたけど、お話ししても別に差し支えありません。というのは、あのときそこに居合わせた多くの人たちもそれを見たのですから。ともかく私はその姿で神殿の真ん中に導かれ、女神の御像の前で木製の台の上に立たされました。私は亜麻の美しい花模様のある着物をきて、人目を奪うばかりでした。そして高価な肩掛けがゆったりと肩から背中を廻って踵まで落ちていました。その肩掛けの人目のつくところはどこにも、いろいろな動物の姿がさまざまな色彩を使って美しく描かれ、ここにはインドの竜、あそこには極北の世界に住んでいるヒュペルボレイオス人の翼を持った怪物グリュプスといった工合でした。ーーー私は右手に燃える松明を高く捧げ持ち、頭には美しい棕櫚の葉冠を戴き、その葉は太陽の光線の如く四方に輝きを放っていました。ーーー私は太陽の姿をまねて着飾り、女神の御姿そっくりになったかと思うと、とつぜん四方の幕が取り払われたのです。私を見ようと思って群集が流れ込んだためでした。それから私は素晴らしい御馳走(ごちそう)と賑やかな会食者によって、神への奉仕者の誕生は規定の規則どおり秘儀の儀式を完了しました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の11・P.462~463」岩波文庫)

毎夜訪れるエクスタシー体験。

「毎夜至上の神の秘儀にあずかって、啓示を受けました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の11・P.470」岩波文庫)

エリアーデはいう。

「密儀へのイニシエーションによって、この地上で早くも神との合一をはたすのである。言いかえれば、《生きている》個人が『神聖化された』のであって、死後の霊魂が神聖化されたのではない」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.126」ちくま学芸文庫)

そっくりのエピソードが「黄金の驢馬・巻の6」で描かれているプシューケーとクピードーとの結婚の儀式である。プシューケーは冥府へ下り冥界の女王プロセルピナの神殿へ入り込んで用向きを済ませ冥府から舞い戻ってくる。そのときプロセルピナから手渡された箱をこっそり開けてみると「地獄の眠り」が立ちのぼってプシューケーを襲い昏迷の靄の中で意識を失う。駆けつけたクピードーが睡眠(ねむり)を拭き取って箱の中へ閉じ込め直してやりプシューケーは再び目覚める。クピードーはユピテル(=ジュピター=ゼウス)に事の次第を告げる。ユピテルはクピードーの女癖を嗜めつつプシューケーで「かたをつけてもらわねばならん」と勧告する。そして直ちに神々による大宴会が催されクピードーとプシューケーとは結婚し娘が生まれる。娘は「喜悦」(よろこび)と名づけられる。なお、プシューケーが「地獄の眠り」に襲われているときその状態は「屍体と何の相違も」なかったとある。明らかに夜闇を伴う結婚の儀式(=イニシエーション)であり、神々の大騒ぎは二人の夜毎のエクスタシー体験の隠喩にほかならない。さらにフレイザーは述べている。古代のアニミズム的な儀式はどれも何らかの苦痛や悦楽を伴うが、事情は次第に転倒し、逆に儀式の最中に苦痛や悦楽が出現した時点をもって通過儀礼(=イニシエーション)は成功したと取り違えられるようになったと。死と再生にまつわるイニシエーションとエクスタシー(恍惚)とのただならぬ関係とはそういうことなのだろう。そこでさらに付け加えておきたいのは、覚醒と睡眠(あるいは失神)との「両極性」から生じるエクスタシーの絶え間ない流動的生産性という点である。ヘラクレイトス哲学についてニーチェはこう述べている。

「あるものはただ永遠なる生成のみであるということ、一切の現実的なものは、ヘラクレイトスの教えるごとく、ただ絶えまなく作用し生成するのみであって、存在することもなくあくまで無常のものであるということ、このことは、思うだに恐ろしい気も遠くなることであって、その影響の点で、誰かが地震の際に、ゆるぎなく根ざした大地にたいする信頼を失うときに覚えるあの感情に、もっとも近いものである。この影響をその反対のものへ、すなわち崇高なもの、恍惚たる驚嘆へ転ずるには、驚くべき力が必要であった。ヘラクレイトスは、あらゆる生成と消滅の過程を本来あるがままの姿で観察することによって、これを達成した。すなわち彼はこの過程を、両極性という形で、つまり一つの力が質的に異なり対立する二つの働きに分離するとともに、またこれらの質は絶えまなく自己との軋轢(あつれき)を生み、相互に対立するものへ分裂してゆく。これらの対立物は、再び相寄るべく絶えまなく努力する。大衆は、何か固定したもの、完成したもの、持続するものが認められるように考えるのであるが、実際は、いついかなる瞬間においても明暗、甘苦が、あたかも二人の格闘者が互いに上になったり下になったりして闘っているように、組んずほぐれずしているのである」(ニーチェ「ギリシア人の悲劇時代における哲学」『悲劇の誕生・P.381』ちくま学芸文庫)

覚醒状態と冥府下り(地獄のような睡り=死=エクスタシー体験)の関係について「いついかなる瞬間においても明暗、甘苦が、あたかも二人の格闘者が互いに上になったり下になったりして闘っているように、組んずほぐれずしている」として捉えることはもはや説明を要しないだろう。こうも言える。

「肉体はひとつの大きい理性である。《一つ》の意味をもった多様体、戦争であり、平和であり、畜群であり、牧人である」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第一部・肉体の軽侮者・P.50」中公文庫)

ヘラクレイトス哲学に導かれてニーチェは次のようにいう。

「すなわち彼はいま一度絶叫する、『一者は多者である』と。多数の知覚し得る質は、永遠の本質でもなければ、われわれの感覚の幻影でもない。ーーー世界はゼウス大帝の、あるいはさらに自然学的に表現すれば、火のみずからとの《戯れ》である、一者はただこの意味においてのみ同時に多者なのである」(ニーチェ「ギリシア人の悲劇時代における哲学」『悲劇の誕生・P.384~385』ちくま学芸文庫)

だから変身は続くほかない。子どものように。

「遊ぶ子供はこの世界を真剣に受け取ってはいないなどと思ったら、それは誤りである。どうしてどうして子供は自分の遊びを非常に真剣に考えている。遊びというものにたいへんな情動量をそそいでいるのである。そして遊びの反対は真剣ではない。ーーー現実である」(フロイト「詩人と空想すること」『フロイト著作集3・P.82』人文書院)

そして人間はその生涯を通して幾らかはいつも子どもである。
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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微視的細部55

2020年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム
絶望すればするほど赦免への祈念は加速的に高まる。債権債務関係の意識はもはや泥沼化していくばかりだ。しかし思想信仰という次元で債権債務関係は成立するだろうか。過ぎたことは過ぎてしまったことだ。ネルヴァルは意識的に啓蒙思想を選択して生きてきたのであり、その結果出現した社会がルソーやモンテーニュらが思い描いていた社会主義的なものでなく逆に生々しいむき出しの資本主義だからといって今さら思想信仰において債務に思える面を返済するということが可能だろうか。可能だと考えた知識人らはキリスト教会へ舞い戻るという反動的態度へ転向した。そしてキリスト教会権力はそれを利用して新しく誕生した近代資本主義を支援する方向へ少しばかり舵を切った。もともと教会権力は本来的に時の政治権力と直接的利害関係を争っていたがゆえに争いといっても単なる主導権闘争ということが主眼だったのであり政治的社会的革命を目指していたわけではない。同類同士でどちらが主導権を握るかということだけが焦点化されており、世の中が資本主義になればなったで教会権力にも一定の主導権が認められれば教会権力主導層にとっては社会主義的資本主義であろうが帝国主義的資本主義であろうが何でも構わないのである。ところが個々の知識人らは路頭に迷う。問題は腐敗堕落し切っていた教会権力ではなくキリスト教の教えそのものなのであり、新しく出現した世界的資本主義とキリスト教の教義とは普遍妥当的に一致するものなのか、というより普遍妥当的に一致しないがゆえに出現してきた懐疑ではないのかという問いこそが問題だからである。精神障害を患ったネルヴァルはキリスト教の教会へ赴いて懺悔を希望し実行する。

「絶望して、私は涙を流しながらノオトル・ダム・ド・ロレットの寺院の方に向い、そこで自分の過ちに対する赦免を願って、マリアの祭壇の御許に身を投げた。私の裡の何ものかが私に言った、マリアは死んだ、お前の祈りも無駄だ」(ネルヴァル「オーレリア・P.69」岩波文庫)

想定通りの回答である。統合失調者の多くは鬱状態にあるとき、ほぼ必ずこのような幻覚に襲われる。通例通りの経過である。なぜかはわからないがネルヴァルは指から指輪を外してみると、指輪にアラビア語が刻まれている。“Allah!Mohamed!Ali!”(天帝、モハメッド、至高者)の文字。すると。

「直ちに、内陣の中に多くの蝋燭が点(とも)されて、祭式が始まった。私は心の中で之に冥合しようと試みた。『聖母祈念』(アヴェ・マリア)の箇所になると、司祭は祈祷の最中に文句を切り何と言ったか記憶にないが、続く言葉を七度繰り返した。次ぎに祈祷を終了し、そして司祭は説教したが、それは私独りのことを指して言っているように思えた」(ネルヴァル「オーレリア・P.69~70」岩波文庫)

はなはだしい混乱に思える。だがフロイトのいうように夢はいつも助詞を脱落させており、物事の関係はばらばらに解体されている。だからネルヴァルがどれほど異様な「兆候」をまざまざと予感したとしても夢であれば何ら問題にならない。しかし眠っているときではなくネルヴァルの場合、起きているときにこのような場面に遭遇している。そのことがネルヴァルを加速的に衰弱させる。そして自殺へ向かう。ところが投身の直前、引き返している。

「コンコルド広場に着いた時、私の考えは自滅することであった。幾たびか繰り返し、私はセエヌ河に向った。しかし何ものかが私の決心を遂行することを妨げた」(ネルヴァル「オーレリア・P.70」岩波文庫)

理由はまったく不明である。しかし作品「オクタヴィ」ではそっくりの場面が描かれている。

「私のいた場所で、山は断崖のように削られ、下では青く澄んだ海が唸っていました。ほんの一瞬の苦しみでかたがつくのです。ああ!そんな考えにはめまい起こさせるほど恐ろしい力がありました。二度まで、私は身を投げようとしましたが、得体の知れない力によって荒々しく地面に押し戻され、地面をかき抱いた」(ネルヴァル「オクタヴィ」『火の娘たち・P.362~363』岩波文庫)

夜空を見上げるネルヴァル。

「星が天に輝いていた。突然、それ等の星が、先程教会で見た蝋燭の如く、一度に消えてしまったように思われた」(ネルヴァル「オーレリア・P.70」岩波文庫)

その光景はなぜかヨハネ黙示録の中で予言されている様相を呈して見える。

「私は心に思った、『永遠の夜が始まる、それは將に怖ろしいものとなろうとしている。やがて人間共がもう太陽のないことを知る時、今や何事が起るであろう?』。私はサン・トレノ街を通って帰り、百姓達に出会って晩くまで気の毒なことだと思った」(ネルヴァル「オーレリア・P.70」岩波文庫)

キリスト教圏ではヨハネ黙示録に則った「世界崩壊感覚」が圧倒的に多い。文化が異なると世界崩壊の光景もまた異なる。また、出現した社会が当初考えられていたようなユートピア的社会主義でなく資本主義だったことは別の意味でヨハネ黙示録で予言された世界の終焉を実現していたといえる。事実として「百姓達」はなるほど「気の毒」な立場に陥った。

「社会的生産関係とそれに対応する生産様式との基礎をなす自然発生的で未発達な状態にあっては、伝統が優勢な役割を演ぜざるをえないということは、明らかである。さらに、現存の事物を法律として神聖化し、またこの事物に慣習と伝統とによって与えられた制限を法的制限として固定することは、ここでもやはり社会の支配者的部分の利益になることだということも、明らかである。ほかのことはすべて別として、とにかく、こういうことは、現存状態の基礎つまりこの状態の根底にある関係の不断の再生産が時のたつにつれて規律化され秩序化された形態をとるようになりさえすれば、おのずから起きるのである。そして、この規律や秩序は、それ自身、どの生産様式にとっても、それが社会的な強固さをもち単なる偶然や恣意からの独立性をもつべきものならば、不可欠な契機なのである。これこそは、それぞれの生産様式の社会的確立の形態であり、したがってまた単なる恣意や偶然からのその相対的な解放の形態である。どの生産様式も、生産過程やそれに対応する社会的関係が停滞状態にある場合には、それ自身の単なる反復的再生産によってこの形態に到達する。この形態がしばらく持続すれば、それは慣習や伝統として確立され、ついには明文化された法律として神聖化される」(マルクス「資本論・第三部・第六篇・第四十七章・P.296」国民文庫)

ルーブルの広場辺りにやって来たネルヴァル。夜空が奇妙な光景を呈している。

「速かに風に追われる雲越しに、非常な速さで通り過ぎて行く数多の月を見たのだ。之は地球が自分の軌道を離れ、そして檣(マスト)を失った船のように天の中をさまよい、代る代る大きくなったり小さくなったりする色々の星に近づいたり遠ざかったりしているのだなと考えた」(ネルヴァル「オーレリア・P.70~71」岩波文庫)

リルケの詩に描かれた崩壊感覚とそっくり瓜二つに思える。ただ、リルケの場合は二十世紀初頭。第一次世界大戦前夜に当たる。

「もとよりただならぬことである 地上の宿(やど)りをはや捨てて、学び覚えたばかりの世の慣習(ならわし)をもはや行なうこともなく、バラの花、さてはその他の希望(のぞみ)多いさまざまの物に、人の世の未来の意義をあたえぬことは。かぎりなくこまやかな配慮の手にいたわられることも もはやなく、おのが名さえも こわれ玩具(おもちゃ)のように捨て去ることは。この世の望みを望みつづけることも絶え、たがいにかかわりあい結びあっていた一切が、木の葉のように飛び散って行くのを見ることは」(リルケ「ドゥイノの悲歌・第一・P.12~13」岩波文庫)

この種の感覚はラヴクラフトも経験しておりSF的手法を駆使して丹念に描かれている。

「カーターは人間であり間であり、脊椎(せきつい)動物であり無脊椎動物であり、意識をもつこともありもたないこともあり、動物であり植物であった。さらに、地球上の生命と共通するものをもたず、他の惑星、他の太陽系、他の銀河、他の時空連続体の只中を法外にも動きまわるカーターたちがいた。世界から世界へ、宇宙から宇宙へと漂う、永遠の生命の胞子がいたが、そのすべてが等しくカーター自身だった。瞥見(べっけん)したもののいくつかは、はじめて夢を見るようになったとき以来、長い歳月を経ても記憶にとどめられている夢ーーーおぼろな夢、なまなましい夢、一度かぎりの夢、連続して見た夢ーーーを思いださせた。その一部には、地球上の論理では説明のつけられない、心にとり憑(つ)き、魅惑的でありながら、恐ろしいまでの馴染(なじみ)深さがあった。これが紛れもない真実であると悟ったとき、ランドルフ・カーターは至高の恐怖にとらわれ、くらめく思いがしたーーー色を失う月のもと、ふたりしてあえて忌み嫌われる古びた埋葬地に入りこみ、ただひとりだけが脱け出した、あの怖気(おぞけ)立つ夜の慄然(りつぜん)たる絶頂でさえほのめかされることもなかったような、このうえもない恐怖だった。いかなる死であれ、運命であれ、苦悩であれ、自己一体感の喪失からわきおこる不二無類の絶望をひきおこせはしない。無に没して消えうせることは安らかな忘却であるにせよ、存在感を意識しながら、その存在というものが他の存在と区別できる明確なものではないことーーーもはや自己をもってはいない存在であることーーーを知るのは、いいようもない苦悶(くもん)と恐怖の極(きわみ)にほかならない」(ラヴクラフト「銀の鍵の門を越えて」『ラヴクラフト全集6・P.132~133』創元推理文庫)

ちなみにラヴクラフトのランドルフ・カーターものは一九一九年ヴェルサイユ体制樹立から第二次世界大戦前夜にかけて書かれている。
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

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