ドラゴミラが異端信仰へ身を投じてから口にする言葉は「苦行者」の心中を語るものが大半を占める。幼なじみの男性ツェジムに語ったように、年下の女性ヘンリカに向けてもこう述べる。
「あなたは人生というものを知らず、世界はまだ春の光や香りのようなものだと思っている。それにたいして私は、この世の生の深淵をのぞいたこともあれば、恐るべき秘密も目の当たりにしているのよ。ああ!いいこと、生まれるということは死ぬことよりもひどい不幸なのです。この世での人間の運命は何と恐ろしいものなのか、あなたは知らないし、想像もできないけれど、でも私はーーーその惨めさを知り過ぎています」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・2・P.293」中公文庫)
ツェジムにはすでに血の味を述べていたが、異端信仰にありがちなありふれた流血への意志というわけではない。極端なダブルバインド状況に置かれた人間に特有の精神的症状として時おり出現する自傷行為に関する快楽が描かれている。
「ドラゴミラは薔薇の小枝を折り取ると、鋭い刺で白い腕を引っ掻いた。それで腕に赤い筋がつき、暖かい血がぽたりと地面に落ちた。『何をするんだ』、とツェジムは言った。『こうすると気持ちがいいのです』」(マゾッホ「魂を漁る女・第一部・2・P.25」中公文庫)
ドラゴミラを愛するもう一人の男性ソルテュク伯爵にもいう。
「私のこと、怒らないでね。ーーーこれはどうしてもしなければならないことなのよ。劫罰の苦しみをこの世で味わわせてあげるの。この世ではその苦しみはほんのわずかなあいだしかつづかないわ。それによって永遠につづく地獄の責め苦から逃れられるのよ。愛しているから、私はあなたを苦しい目に遇わせるの。愛しているからいっそう大きな苦痛をあたえてあげるのです。真のキリスト教徒の卑下があなたの心に生まれるまでよ」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・22・P.505」中公文庫)
この直後、ソルテュク伯爵は真っ赤に熱した鉄棒で肌を二度焼かれ遂にドラゴミラらの見ている前で異端信仰におけるキリストにひれ伏す。ところで「苦行者」といってもスラヴ社会で一度に大量発生したこの種の苦行は古くから一般的に知られている苦行とはかなり違ったもので異彩を放っている。ちなみに歴史の黎明期に出現した苦行者の行為は世界中どこでも似たり寄ったりだった。エリアーデはインドの「リグ・ヴェーダ」を例に取って述べている。
「『リグ・ヴェーダ』の一讃歌(X・136)は、長髪(ケーシン)で『褐色にして垢を』まとい、『風を帯とする』(つまり裸の)、そして『神々が彼らのなかに入る』苦行者(ムニ)について述べている」(エリアーデ「世界宗教史2・第九章・P.90」ちくま学芸文庫)
そこでは「火、長髪、隠遁、忘我、獣性」を通して不死性へ至るという過程が重視されている。
「1 長髪者(ケーシン)は火を、長髪者は毒を、長髪者は天地両界を担う。長髪者は万有を〔担う〕、〔そが〕太陽を見んがために。長髪者はこの光明と称せらる。
2 風を帯びとする(無帯すなわち裸体の)苦行者(ムニ)たちは、褐色にして垢を〔衣服として〕纏(まと)う。彼らは風の疾風に従いて行く、神々が彼らの中に入りたるとき。
3 (苦行者の言葉)苦行者たることにより忘我の境に達し、われらは風に乗りたり(風を乗物とする)。汝ら人間はわれらの形骸のみを眺む。
4 彼(苦行者)は空界を通りて飛ぶ、一切の形態を見おろしつつ。苦行者はおのおのの神の愛すべき友なり、善き行為〔の遂行〕のために。
5 風の乗馬にして(風と共に走る)、ヴァーユ(風神)の友、しかして苦行者は神々により派遣せらる。彼は両洋に住む、東なる〔海〕と西なる〔海〕とに(神通力)。
6 アプサラスたち(水の精女)、ガンダルヴァたち(その配偶)、野獣の足跡を歩みつつ、長髪者は〔彼らの〕意図を知り、甘美にして最も魅力ある友なり。
7 ヴァーユは彼(苦行者)のため〔薬〕を攪拌(こうはん)せり。クナンナマーは〔そを〕粉末にせり。長髪者がルドラと共に毒の皿より飲みたるとき」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-136・P.336」岩波文庫)
「2 苦行により冒すべからざる人々、苦行により天界に達したる人々、苦行を〔その〕荘厳(しょうごん)となしたる人々、これらの者にこそ彼は加わるべかれ。
4 天即を扶養し・天則を持し・天則を増大したる古人(いにしえびと)、苦行に富む祖霊、ヤマ(死者の支配者)よ、これらの者にこそ彼は加わるべかれ」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-154・P.252~253」岩波文庫)
さらに特別な薬物の使用とその神格化が上げられる。ヴェーダの時代からウパニシャッド(インド哲学)の時代に至る過程で登場するのはソーマの使用である。
「1 最も甘美にして・最も陶酔を催す奔流(ソーマの流)によりて清まれ、ソーマよ、インドラの飲まんがために搾られて。
2 羅刹(らせつ=悪魔)を殺し・万民に知らるる彼(ソーマ)は、金属(かね=斧)もて調えられたる母胎(槽)に向かい、木にて〔作られたる〕座(槽)につけり。
3 広き空間(行動の自由)の最もよき授与者たれ、最も寛仁なる者、最も勝れたるヴリトラ(悪魔、敵)の殺戮者〔たれ〕。寛裕なる者たち(庇護者)の恩恵を誘発せよ。
4 偉大なる神々のための勧請(かんじょう)に向かいて、〔なが〕液もて流れ来たれ、勝利の賞ならびに名声に向かいて。
5 なれに向かいてわれらは進む、これぞ〔われらが〕目的、日ごと日ごとに。インドゥ(ソーマの呼称)よ、なが上にわれらの希望は存す。
6 太陽の娘(詩歌の女神、詩的霊感?)は、羊毛の〔水濾〕(みずこし)を通りて・間断なく・旋回して流るる・ながソーマ〔液〕を清む。
7 かかる彼を、繊細なる十人(とたり)の若き女子(おなご・十指)は、競争の場(祭場)において捉う、〔十人の〕姉妹(はらから)は、決定の日(最も重要な時に)おいて。
8 かかる彼を、処女たち(祭官の手指)を送りいだす。彼女らはバクラの革袋(風笛?)を吹く。〔彼女らは〕三重の保護を〔授くる〕蜜(ソーマ)を〔搾る〕。
9 この幼子(おさなご)ソーマを、乳をいだす牝牛たちもまた〔乳もて〕調合す、インドラの飲まんがために。
10 この〔ソーマ〕の陶酔において、インドラは一切の敵を殺す、勇者(インドラ)はまた賜物をさわに授く」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-1・P.103~104」岩波文庫)
「1 ソーマは陶酔を催さしめ、われらが寛裕なる庇護者の名声のために、進みいでたり、祭祀の場において搾られて。
2 そのとき、トリタ(神名)の若き女子(おなご=祭官の手指)は、栗毛なす彼(黄金色のソーマ)を石もて送りだす、ソーマの液を、インドラが〔そを〕飲まんがために。
3 そのとき、彼(ソーマ)はなべての人の詩想を呼びおこしたり、ハンサ(鵞鳥=がちょう)が〔その〕群を〔鳴き合わさしむるが〕ごとく。彼は競走馬のごとく、牛乳もて塗らる(ソーマと牛乳との混合)。
4 両〔界〕(天地)を見おろしつつ、ソーマよ、疾走する野獣のごとく、汝は流る、天則の胎(おそらく天上の大水)に坐しつつ。
5 牝牛たち(牛乳)はソーマに対して叫べり、若き女子(おなご)がいとしき愛人に対するがごとく。彼(ソーマ)は競走場に向かいて行けり、懸けられたる〔賞〕に〔向かうが〕ごとくに。
6 われらに輝かしき名誉を授けよ、寛裕なる庇護者らとわれとに、知恵の獲得ならびに名声を」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-32・P.105」岩波文庫)
「1 清まりつつ彼(ソーマ)は、活発に動きて、あらゆる誹謗(ひぼう)〔者〕に向かいて進めり。人々(祭官・詩人)は霊感ある〔神〕を、詩想をもって飾る。
2 赤らめる彼(ソーマ)は、〔その〕母胎(天上の居所)に登らんことを、牡牛なす彼は搾られて、インドラのもとに赴(おもむ)かんことを、彼は不動の座(同上)に坐す。
3 今われらに大いなる富を、インドゥ(ソーマ)よ、われらのためにあらゆる方面より、ソーマよ、みずから清まりつつ送れ、千重(ちえ)の〔富〕を。
4 あらゆる高貴あるものを、ソーマ・パヴァマーナよ、もたらせ、インドゥよ。汝が〔かれらのため〕千重の栄養をかち得んことを。
5 かかる汝は清まりつつ、われらに富をもたらせ、勝れたる男子の群を、賛歌者に。歌人の歌を増大せしめよ。
6 清まりつつ、インドゥよ、二重に強化せられたる富をもたらせ、ソーマよ、讃歌に値いする〔富〕をわれらに、牡牛なすインドゥよ」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-40・P.106」岩波文庫)
「1 アドヴァリウ祭官よ、石もて搾られたるソーマを、パヴィトラ(羊毛の水濾)の上に流せ。〔そを〕清めよ、インドラが〔そを〕飲まんがために。
2 天の最上の乳酪(クリーム)、最も蜜に富むソーマを、ヴァジュラ(電撃)持つインドラのために搾れ。
3 かの名高き神々は、インドゥよ、なれ〔ソーマ・〕バヴァマーナの甘き液を飲む、〔かの〕マルト神群は。
4 なれは実(げ)に、ソーマよ、激しき酔いのために搾られて、讃歌者を強壮ならしむ、牡牛〔なす神〕よ、〔彼を〕擁護せんがために。
5 搾られて、遠く見はらかす神よ、奔流をなし、パヴィトラ(羊毛の水濾)に向かいて流れよ、勝利の賞ならびに名声に向かいて」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-51・P.107」岩波文庫)
「1 王者ソーマは声を挙げつつほとばしりいでつ。水を衣としてまとい、彼は牝牛(牛乳)に達せんと欲す(牛乳との混合)。羊(羊毛の水濾)は〔彼の〕不浄、彼の身につく〔刺〕(とげ)をとり除く。清められて彼は、神々との交合に赴く。
2 インドラのために、ソーマよ、汝は男子らにより注ぎ旋(めぐ)らさる。詩人たる汝は、人界を見はらかし、浪だちて木〔槽〕の中に、〔牛乳もて〕塗らる。実(げ)に汝の行くべき道は多し。千頭の栗毛の馬は、木槽に坐する〔汝に属す〕。
3 海の〔精女〕アブサラスら(ソーアに混合する水)は、〔海〕(槽)の中に坐して、霊感に富むソーマに向かい流れ来たれり。彼らは堅固なる住居の支配者たる彼を送りいだし、不滅の好意を〔ソーマ・〕パヴァマーナに乞う。
4 ソーマはみずから清まる、われらがために、牝牛・車・黄金・日光・水・千の〔財宝〕をかち得つつ。この最も甘美にして・赤らみ・爽快なる滴(しずく)を、神々は〔その〕飲用の酒と定めたり。
5 ソーマよ、みずから清まりつつ汝は、われらに好意をよせて流れ来たる、これらの財貨を現実ならしめつつ。近くにある敵を殺せ、また遠くにある〔敵を〕。広き牧場と安全とをわれらのためにつくれ」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-78・P.107~108」岩波文庫)
「1 ヴリトラの殺戮者インドラをして、シャルナーヴァットに生(お)ゆるソーマ〔の液〕を飲ましめよ、彼がまさに勇武の偉業をなさんとして、力を身につくるとき。ーーーインドゥ(ソーマ)よ、インドラのために渦(うず)まき流れよ。
2 みずから清まれ、方処の主(ソーマ)よ、アールジーカよりもたらされし・恵み深きソーマよ。天則の言葉(讃歌)・真実・信仰・熱力(タパス)もて搾られて、ーーーインドゥよ、ーーー。
3 パルジャニア(雨神)により育てられたるこの水牛(ソーマ)を、太陽の娘(詩歌の女神)は〔地上に〕もたらせり。ガンダルヴァら(半神族)はそを受け取りて、ソーマにこの風味を賦与(ふよ)したり。ーーーインドゥよ、ーーー。
4 天則を語りつつ、天則により輝くものよ、真実を語りつつ、真実を行なうものよ、信仰を語りつつ、王者ソーマよ、行祭者により、ソーマよ、調理せられて、ーーーインドゥよ、ーーー。
5 真に強力にして高大なる〔ソーマの〕流れは、集まり流る。風味ある〔ソーマの〕風味ある液は、合わさり進む、黄ばめるものよ、祈禱により清められつつ。ーーーインドゥよ、ーーー。
6 祈禱者(ブラフマン=祭官兼詩人)が詩句を唱えつつ、〔ソーマ・〕パヴァマーナよ、圧搾の石を〔手に〕もちて、ソーマに意気揚(あ)がり、ソーマによりて歓喜を生むとき、インドゥよ、ーーー。
7 つきせぬ光明のあるところ、太陽の置かれし世界、そこにわれを置け、〔ソーマ・〕パヴァマーナよ、不死(恒久)にして滅ぶことなき世界に。ーーーインドゥよ、ーーー。
8 ヴィヴァスヴァット(太陽神)の子(ヤマ、死者の支配者)が王たるところ、天界の密所(楽園)のあるところ、かの若々しき水(新鮮な水)のあるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインスゥよ、ーーー。
9 欲するがままに動きうるところ、第三の天空において、第三天(最高天)んいおいて、光明に満つる世界のあるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインドゥよ、ーーー。
10 欲望と欲求との〔満たさるるところ〕、太陽の極点のあるところ、祖霊への供物と満足とのあるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインドゥよ、ーーー。
11 歓喜と由来、享楽と悦楽との存するところ、至高の欲望の成就せらるるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインドゥよ、ーーー」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-113・P.109~110」岩波文庫)
第九巻はすべてがソーマを讃える讃歌ばかりで埋め尽くされている。多くの民族創生神話でその地域環境特有の薬草なり薬物なりが不死との繋がりを保障するものとして出てくるという意味ではヴェーダは他の古代神話の典型例として上げることができるだろう。「陶酔、殺戮、詩想、野獣、活発、霊感、強壮、神々との交合、黄金、熱、高揚感、歓喜、悦楽、至高性」などが礼讃される。そういった点でエリアーデは苦行者とシャーマニズムとの関連を重視する。
「これは忘我の典型的な例であり、ムニの魂はその身体を抜け出し、半神的な存在や野生の獣の意図を見抜き、『二つの大洋』に住まう。また風の馬と彼のなかに住む神々への言及は、シャーマン的な技法を示唆している」(エリアーデ「世界宗教史2・第九章・P.90~91」ちくま学芸文庫)
ところで気になる箇所もあり、どんなところかというと「真実」という言葉が連発されている部分である。
「5 われは詩想(讃歌)を心に撓(た)めて吟味す。ーーー真実、われはーーー。
6 実(げ)に五種族(ここでは全人類)は、一顧の値いすらなくわれに見えたり。ーーー真実、われはーーー。
7 実(げ)に天地両界は、わが一翼にも匹敵せず。ーーー真実、われはーーー。
8 われは偉大により天界を凌駕(りょうが)す、この大いなる地界をも。ーーー真実、われはーーー。
12 われは巨大なり、雲まで高く登りて。ーーー真実、われはーーー」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-119・P.106~117」岩波文庫)
アメリカに渡ることが増えた晩年の頃のフーコーがLSDを体験したことはよく知られている。そのときに書かれた言葉を思い起こさせないだろうか。
「はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるために不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ」(フーコー「快楽の活用・P.15」新潮社)
いずれにしろドラゴミラの言葉からは特別な薬物の名は出てこない。むしろ重視されているのは身体である。
「私が思うには、どんな人間にも神のようなところと悪魔のようなところとがあるのです。そのために私たちは、殺すことと滅ぼすことにも、何かを生み出すのとまったくおなじように、快感をおぼえるのよ」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・14・P.413」中公文庫)
自傷行為がメインに据えられたこのような死と再生はどこかいつもアニミズム的な儀式性を思わせる。しかしそこから得られる悦楽を通して生まれ変わる方法は古来からまったくなかったわけではない。残忍ということについてニーチェはいっている。
「残忍とは《他人の》苦悩を眺める際に生じるものだとのみ教えなければならなかった以前の愚鈍な心理学を追い払わなければならない。自分自身の苦悩、自分自らを苦しめるということにも夥(おびただ)しい、有り余るほどの享楽があるのだ。ーーー人間は密(ひそ)かに自己の残忍さによって誘われているのであり、《自己自身に対して》向けられた残忍のあの危険な戦慄によって突き進められている」(ニーチェ「善悪の彼岸・二二九・P.212~213」岩波文庫)
日増しに圧倒的な速度でのしかかってくる近代化と滅びゆく土着の宗教的村落共同体との間で生じた苦悶において、この種の儀式は何度も繰り返し反復され、だんだん過激化していく。そのたびに死に、そして再生する。一度々々の自傷行為とその過剰性が次の変身へ繋がっていくかのようだ。ところで変身という面で触れておくと古代ギリシア=ローマのディオニュソス=バッコスの到来による人々の変容だけでなくバッコス自身が幼児になったり髭のある男性になって出現したりする物語も忘れないでおこう。始めは幼児の姿で登場するバッコス。
「何をしているの?何の騒ぎなの?ねえ、船乗りのおじさんたち、どうしてこんなところへ来ているの?どこへ連れて行こうっていうの?ーーーナクソスへ!進路をナクソスへ向けてよ!そこに、家があるの。その島では、みんなも手厚いもてなしにあずかれようよ」(オウィディウス「変身物語・上・巻三・P.128」岩波文庫)
突然、トレードマークの葡萄の房で覆われた堂々たる体躯を見せつけるバッコス。信じない者らを海豚(いるか)に変えてしまう。
「ふと見ると、からみついた常春藤(きづた)が櫂を妨げ、つるを巻いてあたりを這い、ずっしりしたその房が、点々と帆を彩(いろど)っています。神ご自身は、房になった葡萄を頭に巻き、常春藤(きづた)の葉におおわれた杖をふりかざしていらっしゃいます。その周りに、虎と山猫、それに、まだら模様の荒々しい豹(ひょう)のまぼろしが、寝そべっています。船乗りたちは、飛びあがりました。狂気か、あるいは、恐怖のなせるわざだったでしょう。そのうち、まずメドンのからだが黒ずんで来たかと思うと、背骨がはっきりと曲がりはじめました。リュカバスが、彼にむかって口を聞きます。『おい、何という異形(いぎょう)のものに変わろうとしているのだ?』そう言っているうちに、彼自身は口が大きく裂け、鼻は鉤(かぎ)なりに曲がり、固くなった皮膚に鱗(うろこ)が生じているのです。もうひとりは、よりあわせた帆綱に腕をのばそうとしましたが、その腕がなくなっています。ずんべらぼうの胴でそりかえって、海へ飛びこみました。尾の先が鎌のようで、半月の曲がった角(つの)にそっくりです。海豚(いるか)になった彼らは、そこここではねあがり、しきりにしぶきをあげています。またもや浮かびあがったかとおもうと、ふたたび水面下へもどります。さながら踊り子たちのようにたわむれ、ひょうきんなからだをはねあげて、開いた鼻孔で海水を吸っては、それを吹き出すのです。先ほどまでいた二十人のなかでーーー船にはそれだけが乗り組んでいましたーーーわたしひとりが残っていたのです。恐ろしくて、身がすくみ、わなわなと震えるばかりで、気も確かではないわたしを、神さまが励ましてくださって、こうおっしゃいます。『怖(こわ)がることはないよ。ナクソスへ向かうのだ』ナクソスの島へおりたわたしは、そこでの祭儀に参加しましたが、以来、バッコスに帰依する身になったのです」(オウィディウス「変身物語・上・巻三・P.130~131」岩波文庫)
とうとう街中へ上陸する。
「召使い女たちも、女主人も仕事をやめて、鹿皮の衣に身をつつみ、髪のリボンを解いて、頭に花冠をいただき、手には葉のついた常春藤(きづた)の杖をとるようにーーーそういう命令だった。もし、神をないがしろにしたばあい、神の怒りははげしいであろうとも予言した。女たちは、老若(ろうにゃく)をとわず、これに従った。機(はた)を離れ、羊毛籠を捨て、割り当てられた仕事を中止するのだ。香を献(ささ)げて、神のみ名を唱(とな)える。バッコスとも、『鳴る神』(プロミオス)とも呼べば、『解放者』(ヘリユアイオス)とも呼ぶ。『雷電のおん子』『二度出生のきみ』『ふたりの母のおん子』ともいうし、さらには、『ニュサのおん神』『セレメの髪長きみ子』『葡萄しぼりのおん神』(レナイオス)『快き葡萄植えの神』『夜祭の神』(ニュクテリオス)などとも唱えている。『父なる神エレレウ』『イアッコス』『エウハーン』など、この神に親しい掛け声でも呼ばれるし、そのほか、ギリシアの民たちが酒神に与えている数々の呼び名があるのだ。バッコスよ、あなたは、とこしえの青春にめぐまれた永遠の少年であり、天上の神々のなかでも、ひときわ目立って美しい。牛の姿を捨てられるときは、乙女にもまごう顔立ちでいらっしゃる。『東方』も、あなたへの信仰になびき、あなたの神威は、肌黒いインドの人たちのもと、はるかなガンジスの流れのあたりにまで及んでいる。いとも畏(かしこ)い神よ、あなたは、あのペンテウスと、両刃(もろは)の斧(おの)もつリュクルゴスというふたりの瀆神(とく)者をいけにえとし、リュディアの船乗りたちを海へ投げこまれた。あなたは、二頭の山猫を軛(くびき)につけ、色うつくしい手綱をとって、車を走らせる。信女たちや、獣神(サテュロス)たちが、そのあとにしたがう。いささかきこしめした老シレノスは、ふらつく足を杖で支え、へこんだ驢馬(ろば)の背にやっとこさしがみついている。どこへいらっしゃっても、若々しい声と、女たちの声がどよめく。打ち鳴らされる太鼓、シンバル、細長い黄楊(つげ)笛がひびく。『寛大なみ心と、お情をもって、どうかわたしどものもとへお出でのほどを!』テーバイの女たちはこう願って、命じられた祭をとり行なう」(オウィディウス「変身物語・上・巻四・P.137~138」岩波文庫)
けれども信じない人々も当然いる。ミニュアスの娘たちは機織(はたおり)に専念しながら順々に自分に親しい神話を語っていく。幾つかの神話が語り終えられ、なおかつ彼女らが屋外で行われているバッコス祭を無視していたそのとき。
「姿なき太鼓が、突如、鈍いひびきをたて、角笛と、鋭いシンバルが鳴りひびく。没薬(もつやく)とサフランの香(かおり)がたちこめる。そして、信じがたいことだが、機が緑色のなり、吊られた織衣(おりぎぬ)が、常春藤(きづた)そっくりに、葉を出し始めた。なかには、葡萄(ぶどう)の木に変じたものもあり、たった今まで糸であったものが、若枝と変わって、縦糸からは、巻ひげが生じる。真紅の糸毬(まり)が、色あざやかな葡萄となって輝くのだ。日はすでに暮れかかっていて、『暗い』とも『明るい』ともいえない時刻が忍び寄っていた。おぼろな夜陰に包まれてはいるが、光もまだ残っているという黄昏(たそがれ)どきだった。不意に家が揺れ、ふんだんに油を吸った灯(ともしび)がぱっと燃えあがるように見えた。家は赤々とした火で照り輝き、あらあらしい獣の似姿が吼(ほ)え声をあげているーーーそんな気がした。すでに、姉妹たちは、煙の立ちこめる家じゅうに逃げ場を求めていて、てんでに火炎と光とを避けている。こうして、暗がりばかりを求めているうちに、手足が小さくなって、そこに皮膜が広がり、腕は、薄い翼で包まれた。どういうふうにして元の姿が失われたのかは、自分たちにもわからなかった。暗闇のなかの出来事だったからだ。からだを浮きあがらせてくれているのは、ふっくらした羽根ではなかったが、それでも、透けるような一種の翼で、宙に身を支えてくれていた。ものをいおうとすると、いまのからだに相応の、ごく小さな声しか出ない。かぼそいキーキー声で、嘆きをつたえるだけだ。人家を恋しがって、森を避ける。光を嫌って、夜陰に飛び交う。『蝙蝠』(こうもり)という彼らの名も、『夕暮』からとられているのだ。ここにいたって、バッコスの神は、全テーバイの話題となった」(オウィディウス「変身物語・上・巻四・P.156~157」岩波文庫)
一方、異端の極地へすべり込んでいくドラゴミラの自傷行為は不気味さを増す。しかしドラゴミラはそれを明らかに快楽している。自分の身体を傷つけ他人を次々と生贄に捧げることにこれ以上ない悦びを味わい陶酔している。ドラゴミラの自虐的変身は残忍この上ない光景を呈しつつ教会内部を血に染め上げる。もはや狂気かどうかはまるで問題でなくなる。自分で自分自身の身体を傷つけて流れる血を見てうっとりするドラゴミラ。急速な近代資本主義と土着の森の精霊を中心とした精神的風土で育ったドラゴミラは両者のダブルバインドの中で身体を少しずつ殺していくことで苦悩から一時的解放を得る。しかしその残忍性は他人にもどんどん及んでいく。結果的に何人もがドラゴミラの犠牲になる。そしてまたドラゴミラも犠牲者の一人に過ぎない。しかし問題は、なぜ犠牲者=スケープゴートは一人で済まされなかったのか。それが問われねばならない。
BGM
「あなたは人生というものを知らず、世界はまだ春の光や香りのようなものだと思っている。それにたいして私は、この世の生の深淵をのぞいたこともあれば、恐るべき秘密も目の当たりにしているのよ。ああ!いいこと、生まれるということは死ぬことよりもひどい不幸なのです。この世での人間の運命は何と恐ろしいものなのか、あなたは知らないし、想像もできないけれど、でも私はーーーその惨めさを知り過ぎています」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・2・P.293」中公文庫)
ツェジムにはすでに血の味を述べていたが、異端信仰にありがちなありふれた流血への意志というわけではない。極端なダブルバインド状況に置かれた人間に特有の精神的症状として時おり出現する自傷行為に関する快楽が描かれている。
「ドラゴミラは薔薇の小枝を折り取ると、鋭い刺で白い腕を引っ掻いた。それで腕に赤い筋がつき、暖かい血がぽたりと地面に落ちた。『何をするんだ』、とツェジムは言った。『こうすると気持ちがいいのです』」(マゾッホ「魂を漁る女・第一部・2・P.25」中公文庫)
ドラゴミラを愛するもう一人の男性ソルテュク伯爵にもいう。
「私のこと、怒らないでね。ーーーこれはどうしてもしなければならないことなのよ。劫罰の苦しみをこの世で味わわせてあげるの。この世ではその苦しみはほんのわずかなあいだしかつづかないわ。それによって永遠につづく地獄の責め苦から逃れられるのよ。愛しているから、私はあなたを苦しい目に遇わせるの。愛しているからいっそう大きな苦痛をあたえてあげるのです。真のキリスト教徒の卑下があなたの心に生まれるまでよ」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・22・P.505」中公文庫)
この直後、ソルテュク伯爵は真っ赤に熱した鉄棒で肌を二度焼かれ遂にドラゴミラらの見ている前で異端信仰におけるキリストにひれ伏す。ところで「苦行者」といってもスラヴ社会で一度に大量発生したこの種の苦行は古くから一般的に知られている苦行とはかなり違ったもので異彩を放っている。ちなみに歴史の黎明期に出現した苦行者の行為は世界中どこでも似たり寄ったりだった。エリアーデはインドの「リグ・ヴェーダ」を例に取って述べている。
「『リグ・ヴェーダ』の一讃歌(X・136)は、長髪(ケーシン)で『褐色にして垢を』まとい、『風を帯とする』(つまり裸の)、そして『神々が彼らのなかに入る』苦行者(ムニ)について述べている」(エリアーデ「世界宗教史2・第九章・P.90」ちくま学芸文庫)
そこでは「火、長髪、隠遁、忘我、獣性」を通して不死性へ至るという過程が重視されている。
「1 長髪者(ケーシン)は火を、長髪者は毒を、長髪者は天地両界を担う。長髪者は万有を〔担う〕、〔そが〕太陽を見んがために。長髪者はこの光明と称せらる。
2 風を帯びとする(無帯すなわち裸体の)苦行者(ムニ)たちは、褐色にして垢を〔衣服として〕纏(まと)う。彼らは風の疾風に従いて行く、神々が彼らの中に入りたるとき。
3 (苦行者の言葉)苦行者たることにより忘我の境に達し、われらは風に乗りたり(風を乗物とする)。汝ら人間はわれらの形骸のみを眺む。
4 彼(苦行者)は空界を通りて飛ぶ、一切の形態を見おろしつつ。苦行者はおのおのの神の愛すべき友なり、善き行為〔の遂行〕のために。
5 風の乗馬にして(風と共に走る)、ヴァーユ(風神)の友、しかして苦行者は神々により派遣せらる。彼は両洋に住む、東なる〔海〕と西なる〔海〕とに(神通力)。
6 アプサラスたち(水の精女)、ガンダルヴァたち(その配偶)、野獣の足跡を歩みつつ、長髪者は〔彼らの〕意図を知り、甘美にして最も魅力ある友なり。
7 ヴァーユは彼(苦行者)のため〔薬〕を攪拌(こうはん)せり。クナンナマーは〔そを〕粉末にせり。長髪者がルドラと共に毒の皿より飲みたるとき」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-136・P.336」岩波文庫)
「2 苦行により冒すべからざる人々、苦行により天界に達したる人々、苦行を〔その〕荘厳(しょうごん)となしたる人々、これらの者にこそ彼は加わるべかれ。
4 天即を扶養し・天則を持し・天則を増大したる古人(いにしえびと)、苦行に富む祖霊、ヤマ(死者の支配者)よ、これらの者にこそ彼は加わるべかれ」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-154・P.252~253」岩波文庫)
さらに特別な薬物の使用とその神格化が上げられる。ヴェーダの時代からウパニシャッド(インド哲学)の時代に至る過程で登場するのはソーマの使用である。
「1 最も甘美にして・最も陶酔を催す奔流(ソーマの流)によりて清まれ、ソーマよ、インドラの飲まんがために搾られて。
2 羅刹(らせつ=悪魔)を殺し・万民に知らるる彼(ソーマ)は、金属(かね=斧)もて調えられたる母胎(槽)に向かい、木にて〔作られたる〕座(槽)につけり。
3 広き空間(行動の自由)の最もよき授与者たれ、最も寛仁なる者、最も勝れたるヴリトラ(悪魔、敵)の殺戮者〔たれ〕。寛裕なる者たち(庇護者)の恩恵を誘発せよ。
4 偉大なる神々のための勧請(かんじょう)に向かいて、〔なが〕液もて流れ来たれ、勝利の賞ならびに名声に向かいて。
5 なれに向かいてわれらは進む、これぞ〔われらが〕目的、日ごと日ごとに。インドゥ(ソーマの呼称)よ、なが上にわれらの希望は存す。
6 太陽の娘(詩歌の女神、詩的霊感?)は、羊毛の〔水濾〕(みずこし)を通りて・間断なく・旋回して流るる・ながソーマ〔液〕を清む。
7 かかる彼を、繊細なる十人(とたり)の若き女子(おなご・十指)は、競争の場(祭場)において捉う、〔十人の〕姉妹(はらから)は、決定の日(最も重要な時に)おいて。
8 かかる彼を、処女たち(祭官の手指)を送りいだす。彼女らはバクラの革袋(風笛?)を吹く。〔彼女らは〕三重の保護を〔授くる〕蜜(ソーマ)を〔搾る〕。
9 この幼子(おさなご)ソーマを、乳をいだす牝牛たちもまた〔乳もて〕調合す、インドラの飲まんがために。
10 この〔ソーマ〕の陶酔において、インドラは一切の敵を殺す、勇者(インドラ)はまた賜物をさわに授く」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-1・P.103~104」岩波文庫)
「1 ソーマは陶酔を催さしめ、われらが寛裕なる庇護者の名声のために、進みいでたり、祭祀の場において搾られて。
2 そのとき、トリタ(神名)の若き女子(おなご=祭官の手指)は、栗毛なす彼(黄金色のソーマ)を石もて送りだす、ソーマの液を、インドラが〔そを〕飲まんがために。
3 そのとき、彼(ソーマ)はなべての人の詩想を呼びおこしたり、ハンサ(鵞鳥=がちょう)が〔その〕群を〔鳴き合わさしむるが〕ごとく。彼は競走馬のごとく、牛乳もて塗らる(ソーマと牛乳との混合)。
4 両〔界〕(天地)を見おろしつつ、ソーマよ、疾走する野獣のごとく、汝は流る、天則の胎(おそらく天上の大水)に坐しつつ。
5 牝牛たち(牛乳)はソーマに対して叫べり、若き女子(おなご)がいとしき愛人に対するがごとく。彼(ソーマ)は競走場に向かいて行けり、懸けられたる〔賞〕に〔向かうが〕ごとくに。
6 われらに輝かしき名誉を授けよ、寛裕なる庇護者らとわれとに、知恵の獲得ならびに名声を」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-32・P.105」岩波文庫)
「1 清まりつつ彼(ソーマ)は、活発に動きて、あらゆる誹謗(ひぼう)〔者〕に向かいて進めり。人々(祭官・詩人)は霊感ある〔神〕を、詩想をもって飾る。
2 赤らめる彼(ソーマ)は、〔その〕母胎(天上の居所)に登らんことを、牡牛なす彼は搾られて、インドラのもとに赴(おもむ)かんことを、彼は不動の座(同上)に坐す。
3 今われらに大いなる富を、インドゥ(ソーマ)よ、われらのためにあらゆる方面より、ソーマよ、みずから清まりつつ送れ、千重(ちえ)の〔富〕を。
4 あらゆる高貴あるものを、ソーマ・パヴァマーナよ、もたらせ、インドゥよ。汝が〔かれらのため〕千重の栄養をかち得んことを。
5 かかる汝は清まりつつ、われらに富をもたらせ、勝れたる男子の群を、賛歌者に。歌人の歌を増大せしめよ。
6 清まりつつ、インドゥよ、二重に強化せられたる富をもたらせ、ソーマよ、讃歌に値いする〔富〕をわれらに、牡牛なすインドゥよ」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-40・P.106」岩波文庫)
「1 アドヴァリウ祭官よ、石もて搾られたるソーマを、パヴィトラ(羊毛の水濾)の上に流せ。〔そを〕清めよ、インドラが〔そを〕飲まんがために。
2 天の最上の乳酪(クリーム)、最も蜜に富むソーマを、ヴァジュラ(電撃)持つインドラのために搾れ。
3 かの名高き神々は、インドゥよ、なれ〔ソーマ・〕バヴァマーナの甘き液を飲む、〔かの〕マルト神群は。
4 なれは実(げ)に、ソーマよ、激しき酔いのために搾られて、讃歌者を強壮ならしむ、牡牛〔なす神〕よ、〔彼を〕擁護せんがために。
5 搾られて、遠く見はらかす神よ、奔流をなし、パヴィトラ(羊毛の水濾)に向かいて流れよ、勝利の賞ならびに名声に向かいて」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-51・P.107」岩波文庫)
「1 王者ソーマは声を挙げつつほとばしりいでつ。水を衣としてまとい、彼は牝牛(牛乳)に達せんと欲す(牛乳との混合)。羊(羊毛の水濾)は〔彼の〕不浄、彼の身につく〔刺〕(とげ)をとり除く。清められて彼は、神々との交合に赴く。
2 インドラのために、ソーマよ、汝は男子らにより注ぎ旋(めぐ)らさる。詩人たる汝は、人界を見はらかし、浪だちて木〔槽〕の中に、〔牛乳もて〕塗らる。実(げ)に汝の行くべき道は多し。千頭の栗毛の馬は、木槽に坐する〔汝に属す〕。
3 海の〔精女〕アブサラスら(ソーアに混合する水)は、〔海〕(槽)の中に坐して、霊感に富むソーマに向かい流れ来たれり。彼らは堅固なる住居の支配者たる彼を送りいだし、不滅の好意を〔ソーマ・〕パヴァマーナに乞う。
4 ソーマはみずから清まる、われらがために、牝牛・車・黄金・日光・水・千の〔財宝〕をかち得つつ。この最も甘美にして・赤らみ・爽快なる滴(しずく)を、神々は〔その〕飲用の酒と定めたり。
5 ソーマよ、みずから清まりつつ汝は、われらに好意をよせて流れ来たる、これらの財貨を現実ならしめつつ。近くにある敵を殺せ、また遠くにある〔敵を〕。広き牧場と安全とをわれらのためにつくれ」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-78・P.107~108」岩波文庫)
「1 ヴリトラの殺戮者インドラをして、シャルナーヴァットに生(お)ゆるソーマ〔の液〕を飲ましめよ、彼がまさに勇武の偉業をなさんとして、力を身につくるとき。ーーーインドゥ(ソーマ)よ、インドラのために渦(うず)まき流れよ。
2 みずから清まれ、方処の主(ソーマ)よ、アールジーカよりもたらされし・恵み深きソーマよ。天則の言葉(讃歌)・真実・信仰・熱力(タパス)もて搾られて、ーーーインドゥよ、ーーー。
3 パルジャニア(雨神)により育てられたるこの水牛(ソーマ)を、太陽の娘(詩歌の女神)は〔地上に〕もたらせり。ガンダルヴァら(半神族)はそを受け取りて、ソーマにこの風味を賦与(ふよ)したり。ーーーインドゥよ、ーーー。
4 天則を語りつつ、天則により輝くものよ、真実を語りつつ、真実を行なうものよ、信仰を語りつつ、王者ソーマよ、行祭者により、ソーマよ、調理せられて、ーーーインドゥよ、ーーー。
5 真に強力にして高大なる〔ソーマの〕流れは、集まり流る。風味ある〔ソーマの〕風味ある液は、合わさり進む、黄ばめるものよ、祈禱により清められつつ。ーーーインドゥよ、ーーー。
6 祈禱者(ブラフマン=祭官兼詩人)が詩句を唱えつつ、〔ソーマ・〕パヴァマーナよ、圧搾の石を〔手に〕もちて、ソーマに意気揚(あ)がり、ソーマによりて歓喜を生むとき、インドゥよ、ーーー。
7 つきせぬ光明のあるところ、太陽の置かれし世界、そこにわれを置け、〔ソーマ・〕パヴァマーナよ、不死(恒久)にして滅ぶことなき世界に。ーーーインドゥよ、ーーー。
8 ヴィヴァスヴァット(太陽神)の子(ヤマ、死者の支配者)が王たるところ、天界の密所(楽園)のあるところ、かの若々しき水(新鮮な水)のあるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインスゥよ、ーーー。
9 欲するがままに動きうるところ、第三の天空において、第三天(最高天)んいおいて、光明に満つる世界のあるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインドゥよ、ーーー。
10 欲望と欲求との〔満たさるるところ〕、太陽の極点のあるところ、祖霊への供物と満足とのあるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインドゥよ、ーーー。
11 歓喜と由来、享楽と悦楽との存するところ、至高の欲望の成就せらるるところ、そこにわれを不死ならしめよ。ーーーインドゥよ、ーーー」(「リグ・ヴェーダ讃歌・9-113・P.109~110」岩波文庫)
第九巻はすべてがソーマを讃える讃歌ばかりで埋め尽くされている。多くの民族創生神話でその地域環境特有の薬草なり薬物なりが不死との繋がりを保障するものとして出てくるという意味ではヴェーダは他の古代神話の典型例として上げることができるだろう。「陶酔、殺戮、詩想、野獣、活発、霊感、強壮、神々との交合、黄金、熱、高揚感、歓喜、悦楽、至高性」などが礼讃される。そういった点でエリアーデは苦行者とシャーマニズムとの関連を重視する。
「これは忘我の典型的な例であり、ムニの魂はその身体を抜け出し、半神的な存在や野生の獣の意図を見抜き、『二つの大洋』に住まう。また風の馬と彼のなかに住む神々への言及は、シャーマン的な技法を示唆している」(エリアーデ「世界宗教史2・第九章・P.90~91」ちくま学芸文庫)
ところで気になる箇所もあり、どんなところかというと「真実」という言葉が連発されている部分である。
「5 われは詩想(讃歌)を心に撓(た)めて吟味す。ーーー真実、われはーーー。
6 実(げ)に五種族(ここでは全人類)は、一顧の値いすらなくわれに見えたり。ーーー真実、われはーーー。
7 実(げ)に天地両界は、わが一翼にも匹敵せず。ーーー真実、われはーーー。
8 われは偉大により天界を凌駕(りょうが)す、この大いなる地界をも。ーーー真実、われはーーー。
12 われは巨大なり、雲まで高く登りて。ーーー真実、われはーーー」(「リグ・ヴェーダ讃歌・10-119・P.106~117」岩波文庫)
アメリカに渡ることが増えた晩年の頃のフーコーがLSDを体験したことはよく知られている。そのときに書かれた言葉を思い起こさせないだろうか。
「はたして自分は、いつもの思索とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか、そのことを知る問題が、熟視や思索をつづけるために不可欠である、そのような機会が人生には生じるのだ」(フーコー「快楽の活用・P.15」新潮社)
いずれにしろドラゴミラの言葉からは特別な薬物の名は出てこない。むしろ重視されているのは身体である。
「私が思うには、どんな人間にも神のようなところと悪魔のようなところとがあるのです。そのために私たちは、殺すことと滅ぼすことにも、何かを生み出すのとまったくおなじように、快感をおぼえるのよ」(マゾッホ「魂を漁る女・第二部・14・P.413」中公文庫)
自傷行為がメインに据えられたこのような死と再生はどこかいつもアニミズム的な儀式性を思わせる。しかしそこから得られる悦楽を通して生まれ変わる方法は古来からまったくなかったわけではない。残忍ということについてニーチェはいっている。
「残忍とは《他人の》苦悩を眺める際に生じるものだとのみ教えなければならなかった以前の愚鈍な心理学を追い払わなければならない。自分自身の苦悩、自分自らを苦しめるということにも夥(おびただ)しい、有り余るほどの享楽があるのだ。ーーー人間は密(ひそ)かに自己の残忍さによって誘われているのであり、《自己自身に対して》向けられた残忍のあの危険な戦慄によって突き進められている」(ニーチェ「善悪の彼岸・二二九・P.212~213」岩波文庫)
日増しに圧倒的な速度でのしかかってくる近代化と滅びゆく土着の宗教的村落共同体との間で生じた苦悶において、この種の儀式は何度も繰り返し反復され、だんだん過激化していく。そのたびに死に、そして再生する。一度々々の自傷行為とその過剰性が次の変身へ繋がっていくかのようだ。ところで変身という面で触れておくと古代ギリシア=ローマのディオニュソス=バッコスの到来による人々の変容だけでなくバッコス自身が幼児になったり髭のある男性になって出現したりする物語も忘れないでおこう。始めは幼児の姿で登場するバッコス。
「何をしているの?何の騒ぎなの?ねえ、船乗りのおじさんたち、どうしてこんなところへ来ているの?どこへ連れて行こうっていうの?ーーーナクソスへ!進路をナクソスへ向けてよ!そこに、家があるの。その島では、みんなも手厚いもてなしにあずかれようよ」(オウィディウス「変身物語・上・巻三・P.128」岩波文庫)
突然、トレードマークの葡萄の房で覆われた堂々たる体躯を見せつけるバッコス。信じない者らを海豚(いるか)に変えてしまう。
「ふと見ると、からみついた常春藤(きづた)が櫂を妨げ、つるを巻いてあたりを這い、ずっしりしたその房が、点々と帆を彩(いろど)っています。神ご自身は、房になった葡萄を頭に巻き、常春藤(きづた)の葉におおわれた杖をふりかざしていらっしゃいます。その周りに、虎と山猫、それに、まだら模様の荒々しい豹(ひょう)のまぼろしが、寝そべっています。船乗りたちは、飛びあがりました。狂気か、あるいは、恐怖のなせるわざだったでしょう。そのうち、まずメドンのからだが黒ずんで来たかと思うと、背骨がはっきりと曲がりはじめました。リュカバスが、彼にむかって口を聞きます。『おい、何という異形(いぎょう)のものに変わろうとしているのだ?』そう言っているうちに、彼自身は口が大きく裂け、鼻は鉤(かぎ)なりに曲がり、固くなった皮膚に鱗(うろこ)が生じているのです。もうひとりは、よりあわせた帆綱に腕をのばそうとしましたが、その腕がなくなっています。ずんべらぼうの胴でそりかえって、海へ飛びこみました。尾の先が鎌のようで、半月の曲がった角(つの)にそっくりです。海豚(いるか)になった彼らは、そこここではねあがり、しきりにしぶきをあげています。またもや浮かびあがったかとおもうと、ふたたび水面下へもどります。さながら踊り子たちのようにたわむれ、ひょうきんなからだをはねあげて、開いた鼻孔で海水を吸っては、それを吹き出すのです。先ほどまでいた二十人のなかでーーー船にはそれだけが乗り組んでいましたーーーわたしひとりが残っていたのです。恐ろしくて、身がすくみ、わなわなと震えるばかりで、気も確かではないわたしを、神さまが励ましてくださって、こうおっしゃいます。『怖(こわ)がることはないよ。ナクソスへ向かうのだ』ナクソスの島へおりたわたしは、そこでの祭儀に参加しましたが、以来、バッコスに帰依する身になったのです」(オウィディウス「変身物語・上・巻三・P.130~131」岩波文庫)
とうとう街中へ上陸する。
「召使い女たちも、女主人も仕事をやめて、鹿皮の衣に身をつつみ、髪のリボンを解いて、頭に花冠をいただき、手には葉のついた常春藤(きづた)の杖をとるようにーーーそういう命令だった。もし、神をないがしろにしたばあい、神の怒りははげしいであろうとも予言した。女たちは、老若(ろうにゃく)をとわず、これに従った。機(はた)を離れ、羊毛籠を捨て、割り当てられた仕事を中止するのだ。香を献(ささ)げて、神のみ名を唱(とな)える。バッコスとも、『鳴る神』(プロミオス)とも呼べば、『解放者』(ヘリユアイオス)とも呼ぶ。『雷電のおん子』『二度出生のきみ』『ふたりの母のおん子』ともいうし、さらには、『ニュサのおん神』『セレメの髪長きみ子』『葡萄しぼりのおん神』(レナイオス)『快き葡萄植えの神』『夜祭の神』(ニュクテリオス)などとも唱えている。『父なる神エレレウ』『イアッコス』『エウハーン』など、この神に親しい掛け声でも呼ばれるし、そのほか、ギリシアの民たちが酒神に与えている数々の呼び名があるのだ。バッコスよ、あなたは、とこしえの青春にめぐまれた永遠の少年であり、天上の神々のなかでも、ひときわ目立って美しい。牛の姿を捨てられるときは、乙女にもまごう顔立ちでいらっしゃる。『東方』も、あなたへの信仰になびき、あなたの神威は、肌黒いインドの人たちのもと、はるかなガンジスの流れのあたりにまで及んでいる。いとも畏(かしこ)い神よ、あなたは、あのペンテウスと、両刃(もろは)の斧(おの)もつリュクルゴスというふたりの瀆神(とく)者をいけにえとし、リュディアの船乗りたちを海へ投げこまれた。あなたは、二頭の山猫を軛(くびき)につけ、色うつくしい手綱をとって、車を走らせる。信女たちや、獣神(サテュロス)たちが、そのあとにしたがう。いささかきこしめした老シレノスは、ふらつく足を杖で支え、へこんだ驢馬(ろば)の背にやっとこさしがみついている。どこへいらっしゃっても、若々しい声と、女たちの声がどよめく。打ち鳴らされる太鼓、シンバル、細長い黄楊(つげ)笛がひびく。『寛大なみ心と、お情をもって、どうかわたしどものもとへお出でのほどを!』テーバイの女たちはこう願って、命じられた祭をとり行なう」(オウィディウス「変身物語・上・巻四・P.137~138」岩波文庫)
けれども信じない人々も当然いる。ミニュアスの娘たちは機織(はたおり)に専念しながら順々に自分に親しい神話を語っていく。幾つかの神話が語り終えられ、なおかつ彼女らが屋外で行われているバッコス祭を無視していたそのとき。
「姿なき太鼓が、突如、鈍いひびきをたて、角笛と、鋭いシンバルが鳴りひびく。没薬(もつやく)とサフランの香(かおり)がたちこめる。そして、信じがたいことだが、機が緑色のなり、吊られた織衣(おりぎぬ)が、常春藤(きづた)そっくりに、葉を出し始めた。なかには、葡萄(ぶどう)の木に変じたものもあり、たった今まで糸であったものが、若枝と変わって、縦糸からは、巻ひげが生じる。真紅の糸毬(まり)が、色あざやかな葡萄となって輝くのだ。日はすでに暮れかかっていて、『暗い』とも『明るい』ともいえない時刻が忍び寄っていた。おぼろな夜陰に包まれてはいるが、光もまだ残っているという黄昏(たそがれ)どきだった。不意に家が揺れ、ふんだんに油を吸った灯(ともしび)がぱっと燃えあがるように見えた。家は赤々とした火で照り輝き、あらあらしい獣の似姿が吼(ほ)え声をあげているーーーそんな気がした。すでに、姉妹たちは、煙の立ちこめる家じゅうに逃げ場を求めていて、てんでに火炎と光とを避けている。こうして、暗がりばかりを求めているうちに、手足が小さくなって、そこに皮膜が広がり、腕は、薄い翼で包まれた。どういうふうにして元の姿が失われたのかは、自分たちにもわからなかった。暗闇のなかの出来事だったからだ。からだを浮きあがらせてくれているのは、ふっくらした羽根ではなかったが、それでも、透けるような一種の翼で、宙に身を支えてくれていた。ものをいおうとすると、いまのからだに相応の、ごく小さな声しか出ない。かぼそいキーキー声で、嘆きをつたえるだけだ。人家を恋しがって、森を避ける。光を嫌って、夜陰に飛び交う。『蝙蝠』(こうもり)という彼らの名も、『夕暮』からとられているのだ。ここにいたって、バッコスの神は、全テーバイの話題となった」(オウィディウス「変身物語・上・巻四・P.156~157」岩波文庫)
一方、異端の極地へすべり込んでいくドラゴミラの自傷行為は不気味さを増す。しかしドラゴミラはそれを明らかに快楽している。自分の身体を傷つけ他人を次々と生贄に捧げることにこれ以上ない悦びを味わい陶酔している。ドラゴミラの自虐的変身は残忍この上ない光景を呈しつつ教会内部を血に染め上げる。もはや狂気かどうかはまるで問題でなくなる。自分で自分自身の身体を傷つけて流れる血を見てうっとりするドラゴミラ。急速な近代資本主義と土着の森の精霊を中心とした精神的風土で育ったドラゴミラは両者のダブルバインドの中で身体を少しずつ殺していくことで苦悩から一時的解放を得る。しかしその残忍性は他人にもどんどん及んでいく。結果的に何人もがドラゴミラの犠牲になる。そしてまたドラゴミラも犠牲者の一人に過ぎない。しかし問題は、なぜ犠牲者=スケープゴートは一人で済まされなかったのか。それが問われねばならない。
BGM
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