たずさんのブログ

福岡近郊の風景を中心に撮っています。最近は山登りの写真が多くなっています♪ since2004~

博多祇園山笠、川端中央街の飾り山(D600,24-85mm)

2014-07-10 | 博多山笠
おはようございます。
今、九州に台風が上陸したようです。
やっぱり、上陸付近の風はひどいようですが、福岡は青空が雲の間から見えており
雨も降っておりません。
なんとか、このまま通り過ぎることを祈っております。



今回は、川端商店街にある川端中央街の飾り山です。


博多祇園山笠公式ホームページはこちら


-川端中央街- HPより抜粋

 高松城水攻め

  天正十年(1582年)織田信長の家臣・羽柴秀吉は中国攻めの先鋒を任され、清水完治を城主とする備中高松城(現 岡山県北区高松)
 攻めにかかった。
  高松城の周囲は沼地に囲まれ難攻不落を誇っていたため攻城戦は持久戦となった。軍師黒田官兵衛の献策により城を堰堤で囲むという、
 攻城というよりむしろ土木工事といえる驚くべき作戦が開始された。
  これにより低湿地にあった高松城を水没させようというものである。世に言う「高松城水攻め」である。十一日後には堤防が完成。
  折しも梅雨時で堰堤内には水が溢れ、城は見事に水没した。水攻めの中に信長が明智光秀に討たれる本能寺の変が起き、その報を聞いた秀吉は、
 安国寺恵瓊を仲介に立て完治との和議を成立させた。
  城兵の命と引き替えに、完治は切腹。
  秀吉は主君の仇光秀と対決すべく「中国の大返し」を行い、山城国に引き返した。
 まさに軍師官兵衛による秀吉の天下統一がここから始まることになった。


 どらえもん
















































今後の博多祇園山笠のスケジュール


 7/10(木) 
  
 流れ舁き

  いよいよ舁き山笠が登場。それぞれの流区域内を舁き回ることからこの名がある。
  舁き出し時刻は流ごとに異なる。

  コースも年によって異なり公式発表も行なわないので、事前に流関係者に聞くしかない。
  細い路地まで舁き入れるので、この祭りが地域に深く根ざしたものである事がわかる。


 7/11(金) 
 
 朝山笠

  これも流舁きであるが、早朝に町総代や旧役員を呼んで接待するところから祝儀山とも呼ばれる。
  招かれた総代らは帷子(かたびら)に角帯を締めて出席、台上がりは白麻の半纏(はんてん)を着用するのが慣わし。
  また、当番町の子供たちもこの日だけは山笠の「杉壁」内に乗せてもらえる。

 他流舁き

  1日2回舁くのはこの日だけ。
  流の外に出るところからこの名がある。
  櫛田神社の清道を回る「櫛田入り」の練習をする流もある。


 7/12(土) 
 
 追い山ならし

  文字通り追い山笠のリハーサル。
  一番山笠から順次「櫛田入り」して奈良屋町角の廻り止め(ゴール)までの約4kmのコースを全力で舁く。
  一番山笠は追い山笠同様、「櫛田入り」の際、山笠を止めて「博多祝い唄」を歌う事が認められている。
  「櫛田入り」「コース」とも所要時間を計測する。


 7/13(日)

 集団山見せ

  福岡市の要請で昭和37年から始まった。
  当初は昭和通りで行なわれていたが、昭和58年からは明治通りの呉服町交差点~天神(福岡市役所)間約1.3kmが「舞台」だ。
  この日に限り、知名士が台上がりを務め、棒さばき役の各流総務ともども舁き手を叱咤激励する。


 7/14(月)

 流れ舁き 
 
  未熟な舁き手にとっては、その年、山笠が舁ける最後のチャンスでもある。
  追い山笠では、慣れた若手やベテランの舁き手が交代で山笠に付くからだ。
 「櫛田入り」の練習をする流もある。


 7/15(火)

 追い山
 
  大太鼓の合図とともに一番山笠から順に「櫛田入り」。
  その後、境内を出て旧博多部に設けられた約5kmの「追い山笠コース」を須崎町の廻り止め(ゴール)を目指して懸命に舁く。
 「櫛田入り」「コース」ともに所要時間を計測する。
  櫛田神社の能舞台では午前6時から荒ぶる神様に捧げる鎮めの能が演じられる。



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