子供の頃から母によく言われていた言葉で
嫌いな言葉がある
勝気
私が生まれ育った地方では「負けず嫌い」よりも「勝気」をよく使う
そもそも「勝気」は人をけなすような言葉ではない
でも、母がその言葉を私に使うときは、褒め言葉でなかったことは確かだ
もちろん私には「勝気」な部分はある
だからといって、人を思いやる気持ちがないわけではない
普通に負けず嫌いな部分もあり
普通にやさしい心を持っている
母に言われて嫌だったのは
「この子は勝気だから」
ということと
「この子は思いやりがない嫌なコだから」
が同意語として使われていたからだ
明らかに「勝気」が原因ではないことでも
この子は勝気だから
ということにされた。。。。
今思うと、なんでそうなる?と馬鹿らしく思うこともたくさんある
学校で良い成績をとる
~勝気だから~
いやいや、アナタに怒られるのが怖くて必死に勉強してたんですよ
親の手伝いをする
~勝気だから~
そうそう もう何十年も前のことなのに、はっきりと覚えている
それは、私が高校生の時のことだった
当時大学生だった兄が大病を患い、数ヶ月間入院生活をしていた
母は兄につきっきりでほとんど家には帰って来なかった
私は受験をひかえていたのだけど、兄の重病は我が家の一大事で
受験勉強のかたわら、家事もこなしていた
高校生ともなれば、ひととおりのことは大体できた
元々、掃除は億劫ではないタチで、特に台所が汚いのは我慢できない性分だった
いつも、ガスコンロをピカピカにしていた(油が飛び散ったままはイヤ!)
近所のひとも協力してくれて、おかずを持ってきてくれたり、私が学校に行っている間、制服にアイロンをかけてくれたりもしていた
そんな忙しい毎日の中、母がちょこっと戻ってきた
そのとき、お世話をしてくれている近所のおばさんもいた
おばさんは言った
「アッちゃん 偉いわね~ こんなに台所もピカピカにして!」
ああ~ このコって勝気だから まだまだ私みたいにはできないけどね
その瞬間、煮えたぎるような怒りがこみ上げてきた
たぶん、母に
まったくなんて事を言うんだ!!!
とかなんとか言って、家を飛び出した
その時の近所のおばさんのひきつった笑顔
母の「しまった」といったような表情
高校生だった私の「家のために」「兄のために」「母のため」「父のため」
今よりもずっと純粋だった気持ちを
土足で踏みにじったような言動だった
その数年後の兄の結婚式のときの話
兄はあまり派手な人間ではない
我が家の親戚はお酒もあまり飲めず、静々とした雰囲気だった
披露宴はそれほど盛り上がりもせず、淡々と進んでいた
祝辞、歌の披露など まあよくあるごくごく普通の結婚披露宴
どちらかというと、新婦の親戚のほうが積極的に歌を歌ったり、野次をはさんだりしていた
私は○○ちゃん(兄嫁)の親戚のひとたち、がんばって歌ってるな~
と、ちょっと感心した
披露宴が終わったら、母はさっそくいつもの品定め、いや粗探しを始めた
やれ嫁さんの友人の服装がどうだの
父親が歌った歌の内容が結婚式にそぐわないだの
私:○○ちゃんの親戚のひと大勢で歌ってたね
とちょっと感想を述べた
その後、自分の親戚たちとふたたび本日の披露宴の反省会 ではなく、粗探しを始めたとき
むこうは嫁側なのに出すぎやわ
アッちゃんは勝気やから 「なんであっちばっかり歌って!」って怒ってたわ
(このときから母の虚言癖はあったのかもしれない)
勝気
今はわかる
それはアナタ自身のことですね
それは自分の中でもてあましている感情なのですね
負けたくない、勝ちたいという気持ちにいつも支配され
昂じて、不安、恐怖となり
自分で抱えきれなくなったものを
娘に背負わせていたのですね
思い出すままに書いたものですが
「勝気」ネタはまだまだたくさん。。。。
鮮やかによみがえる
嫌いな言葉がある
勝気
私が生まれ育った地方では「負けず嫌い」よりも「勝気」をよく使う
そもそも「勝気」は人をけなすような言葉ではない
でも、母がその言葉を私に使うときは、褒め言葉でなかったことは確かだ
もちろん私には「勝気」な部分はある
だからといって、人を思いやる気持ちがないわけではない
普通に負けず嫌いな部分もあり
普通にやさしい心を持っている
母に言われて嫌だったのは
「この子は勝気だから」
ということと
「この子は思いやりがない嫌なコだから」
が同意語として使われていたからだ
明らかに「勝気」が原因ではないことでも
この子は勝気だから
ということにされた。。。。
今思うと、なんでそうなる?と馬鹿らしく思うこともたくさんある
学校で良い成績をとる
~勝気だから~
いやいや、アナタに怒られるのが怖くて必死に勉強してたんですよ
親の手伝いをする
~勝気だから~
そうそう もう何十年も前のことなのに、はっきりと覚えている
それは、私が高校生の時のことだった
当時大学生だった兄が大病を患い、数ヶ月間入院生活をしていた
母は兄につきっきりでほとんど家には帰って来なかった
私は受験をひかえていたのだけど、兄の重病は我が家の一大事で
受験勉強のかたわら、家事もこなしていた
高校生ともなれば、ひととおりのことは大体できた
元々、掃除は億劫ではないタチで、特に台所が汚いのは我慢できない性分だった
いつも、ガスコンロをピカピカにしていた(油が飛び散ったままはイヤ!)
近所のひとも協力してくれて、おかずを持ってきてくれたり、私が学校に行っている間、制服にアイロンをかけてくれたりもしていた
そんな忙しい毎日の中、母がちょこっと戻ってきた
そのとき、お世話をしてくれている近所のおばさんもいた
おばさんは言った
「アッちゃん 偉いわね~ こんなに台所もピカピカにして!」
ああ~ このコって勝気だから まだまだ私みたいにはできないけどね
その瞬間、煮えたぎるような怒りがこみ上げてきた
たぶん、母に
まったくなんて事を言うんだ!!!
とかなんとか言って、家を飛び出した
その時の近所のおばさんのひきつった笑顔
母の「しまった」といったような表情
高校生だった私の「家のために」「兄のために」「母のため」「父のため」
今よりもずっと純粋だった気持ちを
土足で踏みにじったような言動だった
その数年後の兄の結婚式のときの話
兄はあまり派手な人間ではない
我が家の親戚はお酒もあまり飲めず、静々とした雰囲気だった
披露宴はそれほど盛り上がりもせず、淡々と進んでいた
祝辞、歌の披露など まあよくあるごくごく普通の結婚披露宴
どちらかというと、新婦の親戚のほうが積極的に歌を歌ったり、野次をはさんだりしていた
私は○○ちゃん(兄嫁)の親戚のひとたち、がんばって歌ってるな~
と、ちょっと感心した
披露宴が終わったら、母はさっそくいつもの品定め、いや粗探しを始めた
やれ嫁さんの友人の服装がどうだの
父親が歌った歌の内容が結婚式にそぐわないだの
私:○○ちゃんの親戚のひと大勢で歌ってたね
とちょっと感想を述べた
その後、自分の親戚たちとふたたび本日の披露宴の反省会 ではなく、粗探しを始めたとき
むこうは嫁側なのに出すぎやわ
アッちゃんは勝気やから 「なんであっちばっかり歌って!」って怒ってたわ
(このときから母の虚言癖はあったのかもしれない)
勝気
今はわかる
それはアナタ自身のことですね
それは自分の中でもてあましている感情なのですね
負けたくない、勝ちたいという気持ちにいつも支配され
昂じて、不安、恐怖となり
自分で抱えきれなくなったものを
娘に背負わせていたのですね
思い出すままに書いたものですが
「勝気」ネタはまだまだたくさん。。。。
鮮やかによみがえる