気まぐれ猫と音楽だらけの暮らし

マイフェバレット満載!好きなことしかしない気まま気まぐれでもちょっとセンチメンタルな、お話ばかりですが、聞いて!

検問所とバリケードと被災者の気持ちについて

2016-03-14 23:32:36 | 東日本大震災

 久しぶりに我が家へ帰ってみました。町民の中には東電に依頼して家財道具を全部搬出して解体を待つという人も出てきているのですが、私はまだもうちょっと持ち出したい荷物があるのでまだそこまでには至っていません。家自体は立派にまだ建っているんです。建材はヒノキだし私の部屋の壁はヒバなので内部は良い香り。多少あちこちにネズミのお仕事の残骸がありますが、まあそこはもうあきらめの境地。

 で・・・です。町に入る前に検問所があるんですが、自宅に行くまでには二か所通ることになる。その両方で通行許可証と身分証明書を提出しなくちゃならない。通行許可証にはナンバープレートと車体識別ができる情報が書いてあり同乗者も決まってる。追加したい場合には別途申請しなくちゃならない。三親等までは云々という決まりがある。まあそこまではこれまでとそんなに変わらないので面倒だと思いつつ防犯の点から考えればそれも致し方ないのかなと思ったんですがね。ここからはそこから先の話。

 いざ、帰宅を終えて帰ろうとしたときにあるバリケードを通ろうとしたら「ここは除染従事者専門なので~」という。「は?!」何言ってんの?普通の道路だろう?バリケードは仕方ないよ。ええ、仕方ないですけど通れないってどういうこと?自宅へ続く道も大きく迂回しないといけないのに国道に出る主要町道が通れないってどういうことよ?しかも国道まで100mもない地点での話。誘導係曰く一番近いのは役場の敷地内を通った先にあるという。あ”?もう喧嘩腰。いくら町民のための除染作業とはいえ、町民あっての除染だろう?その町民が通れないバリケードとはなんぞ?検問所よりひどいわ・・・・。

 まあ、笑い話もあるんですよ。国道を検問所に向かって走っていて、なにわナンバーの車にあおられたので道を譲ったんです。面倒だしね。雪だったし。で、そのなにわナンバーも検問所で止まった。すぐ後ろに自分の車。なのに検問所で通行証を見せて通過許可を得たら「前の車を追い越して良いです」っていうのよ。「どうしたんですか?」と尋ねてみた。「通行証が無いので・・・」と苦笑してる。わはは。ざまみろ。物見遊山で来られちゃ困るってことですな。

 結局帰り道も同じ検問所を通るのですが、再び身分証を提示しなくちゃならない。アー面倒!と言ったら「この先にもう一か所ありますから~」と教えてくれた。ええええ。町を守ってくれているんですもんね。文句は言いませんよ。「ご苦労様です」と声をかけて通り抜けます。

 これでも以前よりかは楽になったんです。前は決められた日にしか入れなかったし、通行証も一回ずつの申請だった。今は一度発行されれば車種が変わる以外にはそのまま使えるので楽にはなった。それでも帰宅困難地区は大変だもん。

 国道沿いの家は入り口に全部バリケードがある。それでも泥棒は入っているらしい。幸い我が家は路地の奥だったし除染作業中という事でバリケードはなかったけど、いちいちあの重いバリケードをどかして帰宅する人は大変だろうなあって・・・・。

 あれから五年です。まだまだ気持ちの整理はつきません。津波被害の大きかった地区の人たちの気持ちもそうだろうけど、そこにある家に帰れない苦悩もある。生かされている苦悩もそれは相当なものだろうと推測はするけれど、やはりどこか違う。今でも行方不明者を探し続けているっていう話。アルバムを見つけて「誰だか調べられるんじゃないか・・・」とつぶやいた報道があったけれど、写真一枚でもいいから見つかれば希望にもつながるのかなと思ったんです。

 帰りたい。帰れない。帰りたくない忘れたい。もうあきらめた・・・でも・・・と堂々巡り。

 矛盾だらけの震災記念日。複雑です。


追加の追加

2015-12-13 23:56:03 | 東日本大震災
 法人の賠償金請求の再提出書類をやっとのことで送ったのに、再び封筒が来た。
「最初の金額と違うので裏付けできる資料を添付せよ」って・・・。だーかーらー!あの時の電話で言ったじゃないの。決算日が1月末ので出したんだから新しいのを送れっていう話で送ったんで・・・。決算書の損益計算書には賠償金を預り金計上していたものを税務申告するために売上に振替えているからって。本当の金額は・・・って添付したよね?で、その合算月数が違うからって再提出したわけですよね?その電話で聞いたよね?「裏付けの資料はいりますか」と。いりませんと言ったのは誰だよ。担当を出せ!って。電話してみたよ。
「担当が現在席に居りません・・・・。」ああああ、そうですか!わかりましたよ。出せばいいんでしょ出せば!

 結局、一般民間人の賠償も三か月増えて・・・・。9月から11月までの請求書様式を送るから、提出せよって。
 もーどうでもいいからさあ。一気に一人につき一億とか払って終わりにしませんかね。もう、街に戻るとか健康被害が・・とかいわないからさ。
 
健康診断を受けてくれないと困るって再三の要請があるけど、断固としてうちの子供たちは動かない。やだっていうんだよ。最初のWBCで数字が出なかったからね。要観察になっただけで。あとは知らんって。現在喉頭がんになっているわけでもなし、どこか痛いわけじゃないからって。まあねえ。そうだろうけど。どうしてもいやなの?と聞いたら、嫌だって言い張るんでもう知りませんよ。

 そういえば、放射線量を累計測定するっていうのはいつ終わったんだっけ。

 避難に次ぐ避難で、住所変更通知が間に合わず、マイナンバーが全員に届いていないんだって。
 
 馬鹿じゃね?日本郵政も何考えてんだか。転送期間が終わったからって警戒区域宛てに出された書類をそのままにするなよ。考えろよなー。制限が終わるまで臨機応変に転送してくれてればいいのに。銀行の預金口座なんかもそうなんだよね。書留で送りますっていうと、本当の住所に届くから転送を頼んでいると書留は受け取れない。もー!結局窓口で住所変更する。変更するには住民票がいる。住民票を手に入れるには最寄りの市役所に行って~もしくは町の出先機関に行って~。とメンドクサイ。

 若いと自負する自分でさえ面倒なんだから、年寄りで出不精で頭の固い人たちは大変だよねぇ。きっと。一番最初の165ページの説明書で辟易した人たちはいまだに一円の賠償金ももらってない!って言ってるくらいだからね。全員に行き渡ってないらしいよ。そんなのしらんけど。

 

東電賠償センターがうざい!

2015-11-24 14:31:25 | 東日本大震災
 先日追加賠償の請求をしたんですよ。法人のやつ。ところがちょっとした私の勘違いから間違いがあってそれを訂正しろっていう電話が着たのは良いんだけど、担当のねーちゃんが酷い。
ねーちゃん「会社が変わったんですね?」
私「え?廃業はしていませんよ?」
ね「でも住所が違いますよ」
私「本社を移転しただけです」
ね「決算も変わりますよね」
私「住所を変更しただけで決算日は変わりません」
ね「でも違う会社になったんですよね」
私「いや…同じです」
ね「決算日が変わりましたか?」
私「だから何も変わりませんよ。住所と電話番号だけです」
ね「役員も変わりましたよね」
私「そうですね」
ね「よって決算日も変わりますし会社も変わりますよね」
私「なんでそうなるの?」
そこで「お前じゃ話にならん!今すぐ上役に代われ」と言ったらねーちゃんは「あのーうーんと、えーっと、でもぉ」とぐずぐず始まった。
「いいから!誰でもいいからあなたじゃない誰かに代わってくれ!」と言ったら「しばらくお待ちください」と保留音になった。そこから10分。
新「担当代わりました。」
私「もう一回確認するけど、法人に置いて本社住所を移転したという事と役員を変更したことと決算日を変えることと会社が変わることはすべてリンクしないよね?」
新「はい、その通りでございます。今回は本店を移転したということですよね?」
私「そうです。それだけで、他の内容は変わりません。さっきの担当は法人の成り立ちについての知識がないのでは?」
新「ご迷惑をおかけしました」
私「で、用件はなに?」

 結局ですね。弊社の会計決算日が1月で、東電が欲しいのは事故のあった三月からよく二月までのデータなので、弊社の決算書じゃ裏付け資料にはならないから、新たに提出しなおしてくれってそれだけなんだよね・・・・・。はいはい。「これから封筒を送りますのでそれに入れて返信していただけないでしょうか」っていうので、わかりましたとなったわけです。

 まあ、電話が来ると本題に入るまでには長いんだよね。
「この度は大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。皆さまにはご不便をおかけしておりますが、なにとぞご協力のほどお願い申し上げます」と馬鹿丁寧に始まる。もー何十回も聞いているので「あーはいはい、わかったから、用件はなによ」と途中で口を挟むと、「ご迷惑を~」とまた始まるのでたぶんマニュアルがあるんだろうね。途中で切られると困るのかしら?臨機応変に「お電話差し上げたのは~」と本題に入ってくれればいいのに・・・・。お詫びの言葉なんていらないよ!うざい。

 相談センターに出向いてもそこでは答えを得られない。持ち帰って相談してまいりますってしか言わないんだよ。解決には至らないことが多い。未だに最初からの賠償金の手続きをしていない人もいるくらいなんだ。最初の160ページにびっくりしてそのままみたい。また一円でも多くもらおうとして弁護士を入れている人いるけど、相談の段階では無料でも訴訟になると報酬が発生するってことを唱ってないから、後日に弁護士と揉めるケースが多発しているんだよね。よって間違いながらも自力で書いて提出した方が早い。金額もそんなに変わらない。手数料や弁護士報酬を考えたらずっとお得なのに。

 そんなわけで、連休前にものすごく怒り心頭でござんしたよ。
 

東電追加賠償と水害被害を考える

2015-09-15 21:01:10 | 東日本大震災
このたびの関東および東北の水害被害に関する件について深く追悼いたします。
私の住む街もずっと避難準備指示が出ていて、思わずおにぎり作りました。乾パンを出したり、装備品を確認したりしました。
問題は犬と猫です。どうやって運ぶのか・・・・。でっかい段ボールは捨てないで取っておくべきだと結論づけました。
本当にこれから再建するには時間がかかるでしょうけれど、あきらめずに頑張ってほしいです。

さて、ですね。以前に決定していた賠償期間は平成27年2月まででした。それで全部終わりかなと思っていたのであれ?なんだろこれって感じ。
しかも平成28年四月から平成30年3月31日ってどういうこと?空白期間がない?勘違いかな。平成27年三月から平成28年三月の分はどこに?
精神的賠償は同じ額、そのほかに避難・帰宅にかかる費用相当額っていう項目がある。まあ算定方法はともかく支払う方向で動くのはありがたい。
高速道路の無料と医療費の無料はまだ続いているので、これも助かってる。実際当時16歳未満の人は一生涯ただでもいいと思うんだよね。

個人事業と法人事業の追加賠償請求もできるそうで、こちらは一番最初の仮払金として申請するようですが、まあ、少しずつ柔軟になってきてはいるのかなと思います。これ以上どうしようもないんだもの。怒っても怒らなくてももらえる額は変わらないだろうし、0よりいいよねっていうそういうのが良くないのはわかっているけど、毎日の暮らしにはそうも言っていられない部分が出てくる。

何もかも0からそろえるあの労力は、本気で疲弊します。物資はありがたくもらいますけれど、そうじゃないものがね。心に隙間を作るわけですよ。そこから疲弊していく。

でも、今回の水害での支援体制を見るとかなりみな上手になってきているように思いますね。ボランティアの数が足りないみたいだけど、シルバーウィークで少しは増えて片付けも進むといいなと思ってテレビ見てます。水が出ないんじゃね。泥水を洗い流せないだろうし。困ったよね。

でも、ずーっと水に覆われていく街を見ていると、津波で水が来た状況に似ていて、ちょっとぞっとしました。車の中で死んでしまった人とか、いまだに行方不明の方がいると聞いて、自然にはやはり勝てないのか・・・と思うこともありますけれど、やはりもっと早くに指示があれば助かったのにと思わざるを得ません。市長の会見を見ているとはがゆい。責任を感じていなさそうで、困ったなあって思いました。

新しい街にもだいぶ慣れました。まだ買い物は知っているところにしか行けないけれど、少しずつ「パンならここがいいよ」とか「お花買うならこっちがいいよ」とか情報をくれるので助かります。地元銘菓もおいしいところを紹介してもらったのでお土産に利用しています。

住めば都とはいいますが、それを実行するのはやはり個人の意思の強さも必要なんですね。与えられているだけじゃダメなんだなって。

ああ!

四年は四年

2015-03-15 13:39:28 | 東日本大震災
もう四年ですかね
やっと四年ですかね
終息していないし復興なんてまだまだだと思うので複雑です
テレビの特別番組とか見てやっと「ああ、あの時は~」と思い返すほど、自分の中でもそろそろ忘れたい
感情があります
常磐自動車が全線開通ということでやっとまあなんとかなりそうかなってところですが
犯罪とか心配ですよ
自宅に泥棒に入られて、中国系のたばこの吸い殻が見つかったという知人。こわい!ですよね
畳みもカーテンも全部なくなったという人もいる
着物やお宝だけないという人も
農機具がないとか
酒類がないとか
車のタイヤとバッテリーがないとか
持っていく人ってどういう心境なんだろう
火事場泥棒って本当にいるんですね
高線量のさなか、すごい意気込みですね
知らない間に全国にそういう物品が流通するのかな

警戒区域になる前に急いで持ちだした振袖を見て、浅はかだと思いつつ、ああ、やっぱり持ってきて良かったとも思ったり



四年前、快く受け入れてくれた伯母は認知症が進んでしまってもう誰が誰だかわからない状態になってしまった
あんなに元気でしゃきしゃきしていたのに・・・。
お嬢もJKになり、息子は留年決定打と言いながらも元気で大学生だし
ツレも離婚宣言されて落ち込んでいるとはいえ何とか給料を持ってくる(かなり少ない)
賠償はどうなるんだろう。打ち切りなのかな。これから先が大変なのに。困ったなあ。

阪神淡路大震災から二〇年。息子が生まれた年だからはっきり覚えてる。病院のベッドの上でずっと報道を見てたんだ。
どんどん増えていく死者数に言葉もなかった。燃えさかる炎に恐怖を感じた

それでもどこか他人事だったんだ
自分が防災用毛布をかぶることになるとは思わなかった

結局自衛隊の炊き出しは食べてないし。
仮設住宅のように毎月米をもらうなんてこともないし
一見普通に生活しているから近所の人は被災者だって知らないみたいだし
先日義援金をお願いしますって言われて・・・・ああ、いいですけど、私も被災者なんですよね~って言ってみた。
じゃいいです!って恐縮されたけど、気持ちだからって寄付した。

津波被害だけの人はお金もなくて大変って友人が愚痴をこぼす
新築された家に遊びに行って、今住んでいるところの土産を渡したけど
新しい街はどう?って聞かれて、そういえば探検してないなって。
自宅周囲すら把握してない
大きな店しか知らない。

前向きに頑張ろうってパイプオルガンの講習を受けてみた。
面白かったけど、発表会の今日になってインフルエンザにかかっちゃった。
現在熱が高くてそれでも眠れないので書き込み中

あーなんだろ。
疲れたな。