避難所が閉鎖されいよいよ仮設や借り上げ住宅に移り、自立の第一歩が始まったというところでしょうか。でも知っている人がいないから寂しいとか、慣れない土地でどうしたらいいのか不安だという声が聴かれます。特に高齢者や若い子育て世代に多い様子。就学年齢になれば働きに出るのでそれどころじゃないし、学校つながりで自然にママ友も出来たりするのでそんなに苦じゃないし、私のように密着型が苦手な人も中にはいるので、別に孤立しても死なないと思うんですが、そうじゃない人って案外多いらしい。
中でも特定の地域で暮らしそこから外に出たことのない人にとっては青天のへきれきでしょうね。しかも自分で選んだ訳じゃないから余計に怒りのもっていきようもない。よく高齢になった親を引き取ったら認知症になったとかあるでしょう?そういう地域に住んでいる人にとっては新しいものを作っていくのは苦痛でしょうね。今までは外に出れば全部知り合いで何もかもわかってくれていて、安心安全だったわけですから。
とある地域がありまして、その地区の子供たちは全員生まれてから高校を卒業するまで一緒に過ごすのです。1クラスくらいしか人数がいないのでちょうど良い。
あるとき保育園で運動会がある。A君は足が速い。でもたまたまB君が勝った。と翌年本当の実力で行けばA君が勝つはずでB君は遅れて当然。なのにA君はB君が来ないと振り返る。B君は普通に頑張って走りますからA君を追い抜きます。すると「やっぱりかけっこはB君が一番だね」となる。B君もそんな気になる。A君もそれでいいと思う。
それが一生そのままなんです。
たまたま大学に行く人がいて、周りが自分を知らないことに驚いたとか。当たり前の事なんですけどね。電車に乗っていて全員が自分を知らないことが当然なのにそれが不思議だという。その感覚が普通人にとっては不思議なんですけど・・・・。大学で教授にダメ出しをされると全人格を否定された気になって落ち込んでしまう。今までは全部AGEAGEですからね。失敗を知らない。否定されることも知らない。だから落ち込みようがすごいしそのことについて相手を責める。
「あなたの名前は何っていうの?」というセリフ。初対面ではよくある事。でも「なんで知らないの?」と返ってくる。「初めて会ったのに知っていたら怖くない?」「知らない方がおかしいよ」という。う~ん。そうなのか?
そういう人の集団が初めて村の外に出されてたまたま避難所が二つ三つに分かれたとする。そりゃあもう大事です。村のコミュニティーが破壊されたと大騒ぎ。結局仮設住宅も取りあえずということで用意したら二か所に分かれてしまった。どうしてくれるんだ!と騒いでお互いの仮設を行き来できるようなバスを走らせることにした。
なぜ?これを機に新しい人たちとお友達になってみようかなとか考えないのかな?隣の人は知らない人・・・じゃなくて「こんにちわ、引っ越してきました」ってそこからもしかしたら友達になれるかもしれないし、よくよく聞いてみれば遠い遠い親戚筋かもしれない。
毎日同じことの繰り返しよりも、毎日が新しいことの始まりの方が楽しそうだと思うのは私だけ?
だから田舎暮らしは面倒だと若い外から来た嫁や婿は嫌がる。40年経っても「婿様」はそのまま。死んでも「○○は婿様だから」と言われる。そんな地域に根づくのは簡単じゃないでしょう?ましてやそれを引きはがすのも無理。
だから、一か所にまとめておかないと死んじゃう。うさぎじゃないんだから、寂しいと死ぬって、孤独死はそうなのかな?趣味とかないのかね。病院で小上りがあってコタツがあるのが田舎の風景。「今日はAさん見ないねえ」「具合が悪いみたいよ」「あら大変ねえ」ってここは病院じゃなかったっけ?と思う。何しろお弁当持ってくるんですから。朝一嫁が病院においていく。仕事帰りに拾っていく。そんな風景はざらです。
ああ。田舎暮らしのやりずらさ。良い面も悪い面もありますよ。今回は悪い面の話。
井の中の蛙大海を知らず。です。自分で動かなければ何も始まらない。行政がダメなら自分で何とかしなくては。と思う。お金がないなら働く。働けないなら病気を治す努力をする。障害があるならそれを克服して工夫して暮らすように努力する。何事も自分の頑張り度合いが幸福度合いだと思うんですよ。
努力や辛抱は日本人の気質のいいところでしょう?耐えて忍んでいつの日かって頑張ったから欧米並みの生活水準になったわけですから。戦後の復興のように今回もがんばってみませんか?
新しい地域に行くこと、そこで新しい何かを見つけることを怖がってはいけませんよ。