上司は東京都に住んでいて家も都内にある。本社は都内だからいいとして、支店で働く自分たちはてんでんばらばらになっていって、それでもなんとか業務を続けている状態。取りあえず親会社があるいわき市に拠点を置き頑張っている。
で・・・・。「除染すれば帰れるよ」と軽くいうのです。いや・・・無理じゃね?って自分は思うんですけどね。帰りたいけど帰れない。つまり現在原発から10キロ圏内にある市町村は除染しても「長期居住制限地域」になるでしょうから、30年は無理。でも30年経ったところで帰るのかと言えば帰れない。
いわき市にも仙台市ににも行けないんですよ。取りあえず福島市か郡山市にはいけるけど。だったら現在の福島市にいた方がまだいいと思う。
どうにも給与改定の話や今後の事業の在り方の話をしていても、現実感がないなあと思うので考えたら、当事者なのか否かでそうとう違うんだなあって感じました。
もしかしたら、国会議員はそうなのかも。当事者の気持ちなんて想像もつかないんだろうなって思います。
そう気が付くと(決めつけるわけではないけれど)いらいらして話をするのもダメ。話し合いにならないんですよ。
東京電力の賠償は実質物損害と精神的損害がある。給与補てんなどはそうですよね。失業給付が終わったら東京電力の方に補てんしてもらわないといけなくなる。それもどの時点での賃金が最低賃金として認められるのか?第二回目なんか0円でしたからね。来年度もつまりは4月からの賠償はきちんとされるのか心配です。
そういうこともあって会社には安定した雇用と従業員の生活の保障を求めたわけですが、旨く伝わらない。そりゃそうだ。現場にもいかず、津波にも合わず、地震の被害もなく。そういう人が避難者の気持ちなんかわかるけがない。いや中にはわかってくれる人もいるでしょうけど、上司にはわかっていないみたい。そう感じる。
家を建てることにしたので、ある程度先を見越して何とか生活を再建しようと、子供たちの進学や就職も考えていこうとしているところで、上司が軽く「大丈夫だよ」とかいうのはなんだか違う気がして、無口になるのです。
上司はたぶん、心配し過ぎないようにと配慮があるのかもしれませんけど。ちょっと空回りかしら?と思うのです。
とにかく6年は動けない。下の子の高校が終わり、その後の進路が決まるまではこの場所を動く気持ちはないんです。ていうか動けない。上も大学に行くとなれば一人暮らしになるだろうし、そうなると彼には無理っぽい。発達障害だしね。やればできるだろうけど想像はつくし。そうなったら親戚宅に下宿するとかしかないし。相双地区と福島市と二重生活になるかな。いやそれならそれでもいいのだけれど。お金もかからないしね。どっちも自分の家だから。
友人は遠く柏市にいて、福島の新聞が読みたいというので何とか配送する手配を考えています。情報がなくて不安というのが理由。そうだろうねえ。全国紙じゃあちょっとしか載らないだろうしね。ここはひと肌脱ぎましょう。
とにかく、被災者の心の動揺はまだあの日のままです。何故?急に?逃げなきゃならないの?しかも自分でここにいく!って決めた自分たちのようなものはまだいい。知らないまま連れて行かれてそこの仮設に入って暮らせと言われた人たちは大変ですよ。
だから双葉町が埼玉に役場機能を移したけれど、住民はせめて県内にといわき市に戻ってきている。その点を役場側が理解し移動してきてくれないと嘆く。わかりますよ。すてられた気分というか見捨てられている感はありますね。
浪江町は二本松市なのでまだ近いので安心感はあります。息子は毎日通っているので情報や書類など頼めるしね。
机上の空論というのはこういうことかと実感しました。
あの上司をどうやって懐柔するのか、これからの課題です。