ボウリングゲームはゴルフと同じで競技の中でボールと向き合う時間は、待機の時間と比べると非常に少ないスポーツです。その他の球技と比べれば実際に体を使う時間はごくごく短いのです。その他は何をやっているのかといえば、次にどう攻めるのかを考えている時間なのです。練習の時には次々と投げることが出来るのでまさに「ボールを投げる」ことに集中できるのですが、試合ともなると「待って」いる時間が長くなります。シフト制で途中に空き時間があるとそれだけで疲れてしまったりもします。待ち時間の間に指が痩せたりむくんだり、体が冷えて故障の原因にもなったりします。満腹だと投げられないという人や逆にエネルギーが足りなくなり「ちゃんと昼食をとれば良かった」と嘆く人もいます。和気あいあいの大会だと途中でバナナやチョコレートが配られたりして非常に助かることもあります。
待ち時間の間にいろいろ考えます。スコアが悪いときは悪い原因を探し、良いときには自分のモチベーションを下げないような思考をしようと努力します。他人の投球を一切見ない人もいます。スコアメイクを真剣にやり他人のスコアを計算し「後○ピン足りない!」とがんばる人もいます。
先日本棚が一杯になり少し整理しようとしたら、持っている本の大半がメンタル面に関する物がほとんどでした。転職し管理職になったことや、現在の上司とのコミュニケーションが旨くいかずに悩んだ時期もあったからだと思います。もちろん社会性が乏しいというのも理由の一つです。何しろ芸術関係にいたことや教育関係に携わっていたので「会社」という組織をしらなすぎて苦労したのです。それも自ら望んで就いた職業ならば努力のし甲斐もあったのですが、棚から落ちてきた仕事なので半ば投げやりであったことも精神面で非常に大きく影響していたのでしょう。
ボウリングに関する書籍も雑誌を含め沢山あるのですが、その中にはメンタル面の鍛え方などは書いてありません。一冊だけこのブログの最初の紹介本としてだした「ボウリング場が学校だった」という本のみです。
何故か小説は増えていません。昔のままです。母娘二代にわたって引き継がれている古い本です。
ではスポーツ選手はいつメンタル面を鍛えているのでしょう。頼れるのは自分。解決するのも自分。もちろん問題を提起するのも自分です。
本棚を整理してそのほとんどを図書館に寄贈しました。なかなか手に入りにくい本のみ残して似たような内容の本は全部奇麗に本棚から撤去しました。その数は数百本!それだけ自分に答えてくれる本が少ないということでしょう。買って読んでも満たされていない証拠です。次々と似たような本を買ってはそのたびに共感し共鳴しその通りに実行しようとするのですが、うまくいきません。それはボウリングにも会社対しても同じことでした。幸いにもおなじタイトルの本がないところをみるとちゃんと読んでいる証拠にはなりました。まだ記憶力は大丈夫なようです。
大学で教育を専攻したことから心理学の本や哲学の本が沢山あり、それは今後も役にたちそうなので残しました。また息子の発達障害に関する本も残しました。これは医学書でもあるのでなかなか手に入りにくいからです。値段も高いしね。
すっきりした後で本屋にいきました。懲りずにまた何かを探しているのです。やっぱり「これだ!」というタイトルには出会えません。
ただ一つ。先日購入した「ネイティブアメリカンの教え」という本だけが残っています。その中に「自分をあるがままに受け入れよ」とあるのです。
うまく行っても自分。うまくいかなくても自分。失敗しても成功しても自分。自分自身の心の揺れをそのまま受け入れれば、自然にその解決方法も自分で見つけられるということらしいです。医者の薬のように、また魔法のように解決する方法はないに等しいということです。山に登る前に山でのトラブルを心配しても仕方がないということ。最初から高い頂上を見て「登れそうもない」と心配し躊躇するのはナンセンスであって、とりあえず100メートル。そしてもう一度100メートルと進めばいつしか頂上へ着くと。
心を落ち着かせて一投入魂!
がんばるしかないのです。
ボールを構えてたった四歩でレーンにボールを投げなければなりません。その中でも最後の一歩の本当に数秒もない間にいろいろやることが多い競技です。それに集中するための待機時間だとすれば、それも本当は短いのかもしれません。水を口に含んでみたり、汗を拭いて、ついでに涙も拭いて。
増えた本はソーイング関係とかアジアンコード関係でした^^;