楽しみ方というと語弊があるかもしれませんが、被災地の仮設住宅などを紹介する番組などでは知人を探したり見つけたり、同じ支援物資を使っているのを見るのが「一体感」があって楽しいんです。おなじホットカーペットとか冷蔵庫とか。先日も大型のショッピングモールで写真が貼ってあったので眺めていたら、やはり「どこかであったような・・・」感じのする人々が集まる。古い歌謡曲にあった「ああ上野駅」のような感じですかね。(古いな私も)何気ない言葉端に地元の訛りがあるとなつかしいのです。以前は訛りが恥ずかしいと思う時期もあったのですが今は大切にしたいなあと思うようになりました。
福島は大きくには三地方に分かれています。会津・中通り・浜通り。浜でも南と北は全然違う。隣町でも違う。
先日も放映された同じ町の被災者の語りがテロップなしには解釈出来なくて苦笑しました。早口になると余計に分からない。でもその放送を見ていたらしい新聞店の店員さん「浪江って結構・・・・」「そうよ~なまりがあるでしょう?」と言ったら「安心したわ~、私、言葉悪いから~」と。全然そんなことないんですよ。
「ん」という鼻に抜く発音は関西人には出来ないらしい。「んだんだ」とか。「んだべした~」などwwwww
だから映画「フラガール」には違和感がありました。あれは「常磐磐城」でも北茨木に近い訛り。平田村とかがそれに近いかなあ。けっして「福島弁」ではない。
統計的にみて福島は「保守派」なんだとか。伝統を重んじて「変化」を好まない人種。だから地元にこだわるのかなあとは思いますね。避難生活を「仕方ない」といいつつも福島にこだわるのはそういった面もあるのかなあと思います。
震災当初は一日当たり20時間位の放送時間があったそうですが、最近は20分位なんだそうで、仕事で出会った弁護士も「被災地の生の声って聞いてみないと分からないですよね」というのです。で、「地獄の淵を見た男」という東京電力吉田所長のインタビュー本をプレゼントしてみました。つまり、被災地にいる従業員とのうのうと(これは弊社の上司だけかもしれませんが)計算だけをしている人とは悲壮感が違う。賠償金が入るから使ってしまえ!っていうなら何故に従業員に渡さないのかが不満。だって、あの建屋に行くんですよ?思いっきり被曝してるし・・・・。その中で「休業補償」は払わないとか、精神的賠償を貰える人はその分給与を減らすとか言いだすし。挙句には一円も還元されない接待交際費と桁が違う役員報酬。もう!頭にきて反旗を立てました。
去年の正月をどうすごしたのか、何を食べて何を話したのかも覚えていない。たぶん、いや・・・アパートで過ごしたことは間違いがないのですが・・・・。見たテレビも何も覚えていない。ボウリングに行ったんだっけ?おせちを食べた記憶もない。
今年はお飾りをしなかったものの、重箱のおせち料理を頼み、お餅も届きとゆったりとしたお正月です。
そんな中でも仮設住宅に帰省してくれる人も増えて、だんだん福島も復興しつつあるのかなと思ったりもしますが、自宅にはもう帰らないだろうなあという気持ちも強くなったりして。
お正月だけ居住制限地区のみは宿泊が許されたとか。
そういう地区はまだいいけれど。
いっそのこと、津波で何もない方が良かったかなと思ったりして。諦めが付くじゃないですか。どうしようもないもの・・・・。でもねえ?目に見えない放射能物資があるからって言われても、どうすりゃいいんでしょうねえ?
そんななかでも、テレビで故郷が映るとやはり食い入るように見てしまう。
故郷は心の中に・・・しかないのかもしれませんね。