福島復興記念展として「興福寺と会津 徳一がつないだ西と東」が7月6日から8月18日まで会津若松市の福島県立博物館で開かれ、国宝の維摩居士坐像などが展示することになっていますが、仏都として会津が見直されることは、大変良いことだと思います。
興福寺は南都六宗のうちの法相宗ですが、そこで学んだ徳一は9世紀初め、天台宗の最澄と一三権実論争を繰り広げたのでした。それ以降の法相宗の教えはあくまでも奈良や京都にとどまり、法華経を重んじる私どもの天台宗が大きな流れとなり、鎌倉仏教の法然、弁長、証空、一遍、親鸞、栄西、日蓮、道元もまた、比叡山で修行をしたのでした。
その論争について考える上で、今私が読んでいる楠淳證・舩田淳一編の『「仏性論文集」の研究』は大いに参考になります。龍谷大学アジア仏教文化研究叢書7として今年2月に発刊されたばかりですが、著者の菩提院蔵俊(1104~1180)は平安末期の著名な唯識学者であり、「序辞」において楠淳證氏は「世親の『仏性論』について多角的視野からの検証を行った優れた書物であり、ことに現行の『仏性論』が漢訳者の真諦三蔵(499~569)によって改変されたものであると主張している点に大きな特色を有する書物であることが明らかになった」と述べるとともに、徳一撰の『教授未学章』『中辺義鏡章』『法相了義灯』が収録されていることから、「従来の一三権実論争研究に対しても一石を投じる貴重な文献であるといってよい」と力説されています。
私ども天台宗は「誰もが成仏できる」との信仰にもとづいています。しかし、その信仰を打ち固めるためには、徳一の存在があったわけですから、私は『「仏性論文集」の研究』をじっくり読むつもりです。感想については、後日ブログにアップしたいと思っております。
合掌
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