セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

親友の介護の終わり

2010-12-05 | セカンドライフ
一昨昨日(サキオトトイ)高3-2の友達からお姑さんんが入院中の電話が入った。
「今、入院中なんだけど、大分落ち着いているから大丈夫」と。
本当は彼女は広島方面に三日間の旅行をする予定にしていたのに、「留守中に何か有っては・・・」と
キャンセルをしていた。

大正解と言っては失礼だけど、私に電話をよこした直ぐ後に、お姑さんがご逝去された。
何度となくご親族も病院に見舞われていた。
ぎりぎりまで、自宅でお世話をして最期は病院でと願っていた。
最期は眠る様に逝かれたそうだ。

本当に彼女の希望する様な形になった。お姑さんは90歳、合掌。
恰幅の良い優しいお義母さんだったけど、9月にお会いした時はガリガリに痩せられて
40Kg有るかしら?と言う程に細くなっていらした。

奇麗好きな友達は、広いお家を隅から隅までみがき上げる毎日だった。
介護の相談の方が見えた時「こんなにお婆ちゃんの環境をきれいにしているお家は有りませんよ」
と褒められたそうだ。

「お婆ちゃんは先が短いのだから、兎に角、美味しい物を食べさせて、身ぎれいにして、陽の当たる
明るい部屋に住んで欲しい」と言っていたっけ。

お婆ちゃんの部屋の奥を空けると、ウォシュレット付きの広いお手洗いに繋がっている。
後年は、出来るだけ快適な生活をと改築したりしていた。

私達と遊ぶ時は家を空ける日数分の食事を冷蔵庫に入れて、ご主人に託したりして
皆の分まで、お弁当を作り車でドライバーまで担ってくれた。

お姑さんがいつ亡くなっても後悔の無い様に、と言うのが日頃の口癖の様で有った。
簡単な様だけど、誰でもが出来る事では無い。

「介護のお陰で私の人生が狂ったなんて言う人もいるが、そんな人生は嫌だ。
自分の人生は別物で、充実して楽しんで過ごしたいし、よしんば介護に時間を取られても
自分の人生の一端だから・・・いやいやな気持ちで介護なんてしたくない」
と言うのがY子の思い。お見事としか言い様がない。

本当にドライバーY子お疲れ様でした。
いつも前向きで立派にご長男の嫁を成し遂げましたネ。

永い事、一家を取り仕切り、ご主人の親戚筋とのお付合いも、そつ無くこなして来た。
ご長男に嫁ぎ40年、「今だから言えるの」と言う事を山程経験して来た。
頭が下がる様な嫁としての年月の永さだった。私にはとても出来ない。頭が下がる。


お姑さんが亡くなった夜、電話が有り
「お婆ちゃんは今、家に帰って来たよ。きれいなお顔で眠っているの」そして
そんな時まで私に「M子は遠いから来なくていいんだよ」と気遣ってくれた。

私の父が夏に亡くなった時に、あらゆる手を使い、葬儀場を探し悔み(クヤミ)に来てくれた。
東京から鴨川なんて、バスが便利になってわけ無く行く事が出来る時代になった。
遠いなんて言って居られない。

彼女のお見事な介護の終わりを見届けて来ようと思う。