なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

連勝出来ない・・・

2010-04-09 00:23:02 | Weblog
 今が剣が峰状態かもしれません。
  「剣が峰」という表現は古いですね・・・ともかく連勝も無いけれど連敗も無いと言う緊張状態。
 要するに勝ったり負けたりという事ですから、ここが表示通りの点数=棋力だと言うことになりそうですが・・・自分に欲目というか自分で自分を買いかぶりたいわけで、「自分の棋力はもう少し上」と思いたいし、少なくとも現在位置が満足点では無いので、「これではいけない」と焦れる戦いが続いています。
  「向上心」と言えなくもないが、囲碁の内容の充実と言うより勝敗の結果としての点数・現在位置が第一関心事なので、殆ど「見栄」「虚栄心」に他ならないから、我ながらあさましい気もします。
 とはいえ、どんな動機にせよ他人に迷惑をかけたりすることでなければ自分のファイティングスピリット、ヤル気の動機付けになるなら「マア良いか」ではある・・・自分自身のダイナモがこれでは恥ずかしいけれど、無いよりは良いでしょう。

 さてこの勝ったり負けたり状態からのの脱出作戦は?・・・実は無いような気がします。
  勿論囲碁については勉強すべき事は山のようにあるのですが、この年で急いで詰め込むような勉強は出来ないし、向いているとは思えません。
 出来る事は、今より少し弱い相手と対局する事?・・・つまり自分がランクを下げればそうなる・・・それは「自分が弱くなる」事でしか実現しない・・・するとその地点で勝ったり負けたりの状態になる。
 だから、どこまで行っても堂々巡りで勝ったり負けたり。
  これは見方を変えると「無間地獄」状態とも言えますし。

 ここで、大きな矛盾に気がつきました・・・これが何処までもついて回りそう。
  ① 囲碁は楽しいし、楽しみたい
  ② 対局する場合、勝負事ですから出来たら勝ちたいし、勝てば楽しい。
  ③ 勝敗によってハンデが微調整されるので、勝率5割が安定状態と言うことは制度が勝ったり負けたりを目的としている。
 だから、、、
  問題は②ですね、勝つ=楽しいの強い鎖、良い碁を打つこと→勝率が上がる・・・の結果的な因果関係。
 でも、負け続けたら楽しくない筈で、「何の因果で辛い思いで囲碁をやっている」となる筈ですよね。
 
 勝っても負けても囲碁が楽しくてニコニコしていられるほど悟りの境地とは未だ程遠い。
  現在生臭坊主と言うか、枯淡の境地とは無縁の世界で遊んでいます。