なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

持ち時間

2010-04-18 04:52:14 | Weblog
 他の方のブログを拝見していたら、外国棋士の日本棋士についてのコメントが出ていました。
  誰がいつどんな時に言ったのかは忘れましたが・・・
 「日本の棋士と打つ時は途中まで多少不利でも、後半に逆転出来る・・・」そういう趣旨の話だったと思います。
 つまり持ち時間の使い方を指しているようで、日本棋士は序盤で持ち時間を使い果たして、更に時間が欲しい時に時計に追われると言うことらしい。
 確かに素人の私が見ても、そういうことはあるに違い無いとは感じています。
  素人としては「どう打っても一局の碁」と言う場面では、迷うことはあっても、どこかで思考を打ちきって”運は天に任せる”と言うことになります。
 それに序盤の時点で、答えの出にくいミクロの世界で時間を使わない・・・アマとしては時間をつぎ込んでも正しい答えに到達する見込みは少ないですし。
 それに元々持ち時間が45分程度ですから少ない。
  マア、プロ並みに数時間の持ち時間を与えられても、持て余しますが。

 ところが、私の想像ではプロの場合はアマみたいな無責任なエイヤッ見たいな手は打てないでしょう。
 とことん、ぎりぎり考えて結論に達してから着手すると言う”原則”だろうし、プロとしての”叙事”でもあるでしょうから・・・。

 昔の秀哉名人引退後は、持ち時間40時間だとか・・・当然例外。
  私の子供時代の新聞碁で確か持ち時間9時間くらいだったように思いますが、定かではない。
 この持ち時間でも「長考派」と言われる棋士は序盤に持ち時間をつぎ込み、最後は秒読みに追われたのですから、何とも凄い集中力と言うか・・・。
 この当時でもアマから見れば、プロはそこまで時間が必要なのか疑問には思っていたのですが、そういう持ち時間で行われていたと言うことは「とことん考えて良い碁を打つにはこのくらいの時間は必要」だと言うことが定説だったに違いないと想像する。
 そうでなくては朝打ち始めて夜中に終るとか、二日かかりなどと言うことが普通なんて。
  その当時でも時間に追われて碁を打つのは碁では無いみたいな気分の棋士はいたと思います。
 
 さて現在は「棋聖」「名人」「本因坊」のタイトル戦のみ持ち時間8時間で2日制ですが、その予選は5時間で1日打ちきり。
 その他の棋戦は早碁以外は3,4時間だそうです。
 これは、国際棋戦はだいたい3時間制ということで、そこに合わせているのでしょうか。
  国際基準みたいな感じと、世の中のニーズ?・・・
 初めに戻って、日本棋士が後半逆転されやすいと言うことが、概ねアルこととした場合その原因は持ち時間制と関係あるのだろうか?
 勿論実力が国際的トップレベルに及んでいないと言われればそれまで。
 あるいは、持ち時間と言う条件で打つことにシフトしきれていないのかも?と思いたい気持ちもあります。
 当然そうであっても、そういう条件に対する努力不足ではあるでしょう。
  
 普段から研究を重ねて、実戦で考える事を少なくして置く・・・。
  あるいは普段から持ち時間の少ない対局で鍛えて置く・・・
 さて、そういう事でレベルが上がる?
  アマレベルでは無く、国際的なプロの世界のことですから想像も出来ないのですが。
 マア、分からないなりに勝手な事を言うと。
  勝負に拘るか?内容に拘るか?・・・勝負の世界のプロとしては当然両方でしょうね。

ここで重大なことに気がつきました。
 アマのレベルでのことなので、プロの世界に当てはまるかどうかが問題ですが・・・
  私程度のレベルでは良くあるのですが、いわゆる下手だと思っていた人との対局で”思わぬ善戦”に遭遇しかなりてこずることがあります。
 こういう時上手たるものが、慌てて変な手を打って深みにはまってはいけないわけで、例えて言えばマラソンで徐々に追い上げるように着実に差を詰めて行って、チャンスと見たら一気に逆転すると言う方針に切り替える筈です。
 冒頭の発言はこういう事を言っているようにも感じます。
  もしそうだとすると、勝負事に関する態度としては頷けますが、根っこのところが気になります。
 つまり基本的に”下手”として認識しているのかもしれない・・・こういう感じ方は私の僻み根性からの発想だろうか?。
 これだけネットが発達しているのですから、単純に「情報不足」と言うのも、「練習不足」と言うのも変ですよね。