なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

顔は菩薩で・・・

2010-04-19 00:10:03 | Weblog
 「外見は菩薩の如く、内面は夜叉の如く」・・・そういう印象の碁を打ってしまいました。
ネットですから当然「外見」の方は私の勝手なフィクションです。
  相手は初めての対戦で、上手の方で当方の先でコミ2目半貰いですから、マア常先相当ですから1段近く上の人ですが約300局くらいの実績があって勝率は5割くらいですから、概ね点数の看板通りの棋力と想像できます。
 着手が終わって盤上に残る死屍累々と言うか、黒の死に石が26子、白の方は34子。
  これが数カ所にわたって激戦地に横たわっていました。
  290手完・黒38目半勝ち。
  激戦に次ぐ激戦で、一つの小戦闘で勝っても、次の戦い如何では勝敗はどうなるか判らないと言う戦局の連続でしたから結果大差ですが投げ場が無かったのかも知れません。
  それと余りに大きな計算なので、計算がやや面倒だったのか?・・・イヤ私は計算してはいました(尤も、20目以上は数えませんでしたが)

 大きな振り替わりと言う事では無く、大きな石を狙われた時に敢えて助けずに、それより大きな石を狙い返したと言うような感じ。
 それと、私の大きな石が危ない時、その石を捨てて外に大きな模様を作ったので、局面の焦点がその大きな模様を白が削りに来て、命がけの戦いと相成った次第。

 話は変わりまして・・・自分で言うのもおこがましいですが・・・私は一見「ノンビリ顔」で、体が大きいせいか動作がスローモーに見えるらしい。
  本当はせっかちで短気なところがあるのですが、外からはノンビリ屋だと思われているので、そのイメージに合わせているところもあります。
 普段は話している時に断定的な話し方はしないし、真っ向から反論をしない方なので優柔不断と言うか人畜無害的な印象らしい。
 ですから現実は貧乏生活に近いのですが、多少は良いとこのボンボン的な印象があったりするらしい。
 ところが、イザ碁石を握ると実は「取れるものは皆取ってしまえ」的なK畑師範直伝の教えに忠実な面もあるわけで、ハンドルを握ると人格が変わると言うか、ジギルとハイドと言うか。
 ともかく顔は穏やかでも、着手は出来るだけエゲツナクと言う感じ。
  
 念のために誤解が無いように言って置きますが、実生活では出来るだけ「良い人」を心がけておりまして、発した言葉と心情の不一致が無いようしておりますから、少なくとも「口に蜂蜜心に刃」と言うことはありません。
 少なくとも思っていないことは言いませんから非常に分かりやすい人間をやっています。
  しかし石を握ると・・・多少変身の兆しがある・・・。
 囲碁で変身できるので、現実生活では良い人でいられるのかも知れませんね。