去年か一昨年だったかはっきりしませんが、私の田舎で特産の魚を釣ろうと言う企画のTV番組がありました。
確か2日くらい粘ったけれど釣果無しだったと思いますが、その魚は「興津鯛」と言う名前の魚でアマダイの異名だと言うころです。
この魚は私の故郷の特産で珍しい魚・・・特に生物的に珍しいかどうかは知りませんが、ともかく余り釣れない魚なのです。
などと知っている風に話していますが、実は私も数年前まで名前すら知りませんでした。 そのくらい地元でもとても一般的とは言えません、、、私など存在さえ知らなかったのですから。
ところが諸説あるうちの一つに徳川家康が登場するのですから存在そのものは昔から知る人ぞ知る存在だったらしい。
いくつかある説の一つ
「家康がこの鯛を見て、『興津の局、これは鯛で有るの?』と言ったとかで、この魚が興津鯛と呼ばれるようになった」
食べ方は一夜干しが普通で、中骨を取り除いて干してあるのを、さっと炙ってたべるのだとか・・・写真と説明文でしかお目にかかっていない。
勿論食べた事もない。
いくつかの地元水産会社のット通販リストに載ってはいるのですが、、、水揚げは少ない・めったにないらしく、それでいて味の評判が伝説的ですので”超高価”。
素人考えでは、興津鯛はこの海の深いところに棲息するので、普段から美味しいサクラエビをたらふく食べているので自身も美味しくなった?・・・想像だけの話ですが。
おそらく1枚8000円から10000円くらいですから、記念体験的な食べ方なら食べられなくもないかも知れませんが、庶民としては見た事もないと言うのが普通ですね。
ともかく干物としては値段からして素晴らしいらしいと想像。
興津の局と言う方は実家が興津だったのでそう呼ばれていたとか言いますが、そういう関係で実家から家康に献上したのでしょう。
今でも珍しい魚ですが、当時も一般的では無かったと言う事ですね。
家康の駿府時代はかなりグルメチックだったようですが、それでも知らなかったのですから・・・
さて30センチくらいの鯛の干物、目の前に有って9000円也の値札がついていたとして、、、さて「お客さん!これを買うか買わないか?」。
難しい!です。
女房殿が横にいたならば決断を任せるでしょうね。
買えない訳ではないけれど、、、
しかし1度は食べてみたいという気持ちは捨てきれません。
ところで家康はグルメだったらしいから興津鯛は食べたが、駿河湾の恵みとも言うべきサクラエビは食べていない筈です。
彼は鯛のゴマ油の天ぷらは食べたらしいので、もし当時サクラエビを入手したら、サクラエビをかき揚げにして食べたことでしょう。
ところが当時は水揚げされていないのです。
これは近年(マア明治くらいでしょうか)、アジを網で取ろうとして、間違って網が深いところに入ってしまい偶然に水揚げされたものなのです。
サクラエビはそれ以来食卓に上がるようになったもので、それ以前には無い。
新物・生サクラエビを使った料理は結構グルメ・・・私のような庶民向けグルメと言うことです。
話が変わりますが故郷に関連する歌で
「武士の、かくこ(覚悟)もかかる、時にこそ、心のしらぬ、名のみをしけれ。」
これは鎌倉時代に頼朝死去の後に失脚した梶原一族が鎌倉から領国の西国に落ちて行く途中、この辺りで討たれた・・・この時の辞世の歌なんだそうです。
梶原氏と言えば歴史的敵役。
ここで討たれて、供養する寺があったとは知りませんでした。
知っていたとしてもどうという事もなさそうですが・・・でも、今度車で帰省したらそのお寺に行ってみるつもりです。
確か2日くらい粘ったけれど釣果無しだったと思いますが、その魚は「興津鯛」と言う名前の魚でアマダイの異名だと言うころです。
この魚は私の故郷の特産で珍しい魚・・・特に生物的に珍しいかどうかは知りませんが、ともかく余り釣れない魚なのです。
などと知っている風に話していますが、実は私も数年前まで名前すら知りませんでした。 そのくらい地元でもとても一般的とは言えません、、、私など存在さえ知らなかったのですから。
ところが諸説あるうちの一つに徳川家康が登場するのですから存在そのものは昔から知る人ぞ知る存在だったらしい。
いくつかある説の一つ
「家康がこの鯛を見て、『興津の局、これは鯛で有るの?』と言ったとかで、この魚が興津鯛と呼ばれるようになった」
食べ方は一夜干しが普通で、中骨を取り除いて干してあるのを、さっと炙ってたべるのだとか・・・写真と説明文でしかお目にかかっていない。
勿論食べた事もない。
いくつかの地元水産会社のット通販リストに載ってはいるのですが、、、水揚げは少ない・めったにないらしく、それでいて味の評判が伝説的ですので”超高価”。
素人考えでは、興津鯛はこの海の深いところに棲息するので、普段から美味しいサクラエビをたらふく食べているので自身も美味しくなった?・・・想像だけの話ですが。
おそらく1枚8000円から10000円くらいですから、記念体験的な食べ方なら食べられなくもないかも知れませんが、庶民としては見た事もないと言うのが普通ですね。
ともかく干物としては値段からして素晴らしいらしいと想像。
興津の局と言う方は実家が興津だったのでそう呼ばれていたとか言いますが、そういう関係で実家から家康に献上したのでしょう。
今でも珍しい魚ですが、当時も一般的では無かったと言う事ですね。
家康の駿府時代はかなりグルメチックだったようですが、それでも知らなかったのですから・・・
さて30センチくらいの鯛の干物、目の前に有って9000円也の値札がついていたとして、、、さて「お客さん!これを買うか買わないか?」。
難しい!です。
女房殿が横にいたならば決断を任せるでしょうね。
買えない訳ではないけれど、、、
しかし1度は食べてみたいという気持ちは捨てきれません。
ところで家康はグルメだったらしいから興津鯛は食べたが、駿河湾の恵みとも言うべきサクラエビは食べていない筈です。
彼は鯛のゴマ油の天ぷらは食べたらしいので、もし当時サクラエビを入手したら、サクラエビをかき揚げにして食べたことでしょう。
ところが当時は水揚げされていないのです。
これは近年(マア明治くらいでしょうか)、アジを網で取ろうとして、間違って網が深いところに入ってしまい偶然に水揚げされたものなのです。
サクラエビはそれ以来食卓に上がるようになったもので、それ以前には無い。
新物・生サクラエビを使った料理は結構グルメ・・・私のような庶民向けグルメと言うことです。
話が変わりますが故郷に関連する歌で
「武士の、かくこ(覚悟)もかかる、時にこそ、心のしらぬ、名のみをしけれ。」
これは鎌倉時代に頼朝死去の後に失脚した梶原一族が鎌倉から領国の西国に落ちて行く途中、この辺りで討たれた・・・この時の辞世の歌なんだそうです。
梶原氏と言えば歴史的敵役。
ここで討たれて、供養する寺があったとは知りませんでした。
知っていたとしてもどうという事もなさそうですが・・・でも、今度車で帰省したらそのお寺に行ってみるつもりです。