春はサクラ!・・・いや、私にはそのイメージは少し違います。
私の生まれ故郷では今住んでいるところに比べると、サクラは少なかったような気がしています。(時代の差もあるのかな?)
船越堤、山原(やんばら)堤などそれなりのサクラの名所はありましたが、校庭とかちょっとした公園などには少なかったと思います。
現在住んでいるところでは近所の団地の植樹、緑化スペース、サクラがたくさん植えられている公園がいくつもあるし、川沿いの道にはサクラ並木が多い・・・サクラが増えているようです。
今のサクラの名所にしたって自然に増えたものでは無くて、殆どは人が植えて増やしたものらしいので、故郷にはそういうところが少なかったのでしょう。
私が嘗て通った小中高、庭にサクラが植えられていた記憶は無い。
ですから、小学校に入学して国語の教科書の表紙にある「満開の桜の下で黒い羽織の母親の手に引かれて投稿する1年生」の絵を見て「嘘が描いてある!」と思ったのを今でもはっきりと記憶している。
そういう事もあり、花より団子の私としては春4月は何と言ってもサクラはサクラでもサクラエビです。(サクラ餅を塩漬けの葉とともに食べるのも大好き)
これは4月に漁が解禁され6月まで、7から9月は産卵期なので休漁、10から12月が後半のシーズンとなっていますが、やはり何と言ってもサクラエビは4月には食べたい。
取れたてのものならすしネタでも良いし、甘辛く煮て五目すしの具でも好し、マア普通はかき揚げですね。(贔屓チームのスタジアムでの一番はかき揚げ丼のようですし、嘗ての街道てくてく旅の岩本さんも由井・蒲原辺りで美味しそうに食べていました)
ところが今年は3月30日に解禁になったものの4月中旬になっても1度も出漁できないのだそうです。
毎日海がずっと荒れているのだそうです・・・安全第一ですからこればっかりは仕方が無いですが、早く初ものを食べたいものです。
このサクラエビと言えば私には1番の思い出はTオジサン・・・(この人が不思議な存在でした)
毎年サクラエビの初物が取れると自転車で30分近くかかる道を届けてくれるのです。
黙ってザル一杯の生サクラエビを母に渡して、、、無口と言うか、Tさんと言う名前は知っていたけれど一種不思議な感じでした。
Tさんの家は横砂と言うところで海水浴場のすぐ近くでしたので夏になると海の家代わりに利用させてもらっていましたが、Tさんと言うのは母の旧姓でも無いし、普段あまり親せき付き合いも無いので不思議な印象を持ちました。
いつもサクラエビや生シラスなど持って来てくれるけれど父の仕事の関係でも無さそうだし、どういう関係のオジさんなのか不思議・・・父も母も何も言わない。
これは、それから50年以上経ってから母の妹(オバ)の話でやっと分かりました。
オジさんは祖母の第一子でしたが、事情があって養子に行った人だった。
行った先が漁師さんの家で、そこの跡継ぎになったので、季節ごとに初ものを届けてくれていたのでした。
今でもシラスとサクラエビを見るとまずTオジサンを思い出します。
今はオジサンもいないし、故郷を離れているしシラスもサクラエビも届けてくれる人いない・・・が姉が送ってくれる。
これが5人兄弟の末っ子の特権と言うか・・・
上の兄姉4人の内3人は今も故郷で暮らしていますので、季節ごとにミカンとかお茶などが届くのですが、2番目の姉が未だに一番可愛がってくれる。
丁度6才違いなので、姉として弟の面倒を見た・・・そういう記憶・気分がいつまでも残っているのでしょうね。
今でも故郷に帰った時は姉の家に泊まるし・・・”可愛い弟”として甘えている。
ですから例年なら4月には生のサクラエビがクール便で届く・・・筈なのに海が!。
隣の市で暮らしている娘夫婦も、生のサクラエビが届くとかき揚げを楽しみに実家に帰って来る。
今年はサクラエビ未着。
私の生まれ故郷では今住んでいるところに比べると、サクラは少なかったような気がしています。(時代の差もあるのかな?)
船越堤、山原(やんばら)堤などそれなりのサクラの名所はありましたが、校庭とかちょっとした公園などには少なかったと思います。
現在住んでいるところでは近所の団地の植樹、緑化スペース、サクラがたくさん植えられている公園がいくつもあるし、川沿いの道にはサクラ並木が多い・・・サクラが増えているようです。
今のサクラの名所にしたって自然に増えたものでは無くて、殆どは人が植えて増やしたものらしいので、故郷にはそういうところが少なかったのでしょう。
私が嘗て通った小中高、庭にサクラが植えられていた記憶は無い。
ですから、小学校に入学して国語の教科書の表紙にある「満開の桜の下で黒い羽織の母親の手に引かれて投稿する1年生」の絵を見て「嘘が描いてある!」と思ったのを今でもはっきりと記憶している。
そういう事もあり、花より団子の私としては春4月は何と言ってもサクラはサクラでもサクラエビです。(サクラ餅を塩漬けの葉とともに食べるのも大好き)
これは4月に漁が解禁され6月まで、7から9月は産卵期なので休漁、10から12月が後半のシーズンとなっていますが、やはり何と言ってもサクラエビは4月には食べたい。
取れたてのものならすしネタでも良いし、甘辛く煮て五目すしの具でも好し、マア普通はかき揚げですね。(贔屓チームのスタジアムでの一番はかき揚げ丼のようですし、嘗ての街道てくてく旅の岩本さんも由井・蒲原辺りで美味しそうに食べていました)
ところが今年は3月30日に解禁になったものの4月中旬になっても1度も出漁できないのだそうです。
毎日海がずっと荒れているのだそうです・・・安全第一ですからこればっかりは仕方が無いですが、早く初ものを食べたいものです。
このサクラエビと言えば私には1番の思い出はTオジサン・・・(この人が不思議な存在でした)
毎年サクラエビの初物が取れると自転車で30分近くかかる道を届けてくれるのです。
黙ってザル一杯の生サクラエビを母に渡して、、、無口と言うか、Tさんと言う名前は知っていたけれど一種不思議な感じでした。
Tさんの家は横砂と言うところで海水浴場のすぐ近くでしたので夏になると海の家代わりに利用させてもらっていましたが、Tさんと言うのは母の旧姓でも無いし、普段あまり親せき付き合いも無いので不思議な印象を持ちました。
いつもサクラエビや生シラスなど持って来てくれるけれど父の仕事の関係でも無さそうだし、どういう関係のオジさんなのか不思議・・・父も母も何も言わない。
これは、それから50年以上経ってから母の妹(オバ)の話でやっと分かりました。
オジさんは祖母の第一子でしたが、事情があって養子に行った人だった。
行った先が漁師さんの家で、そこの跡継ぎになったので、季節ごとに初ものを届けてくれていたのでした。
今でもシラスとサクラエビを見るとまずTオジサンを思い出します。
今はオジサンもいないし、故郷を離れているしシラスもサクラエビも届けてくれる人いない・・・が姉が送ってくれる。
これが5人兄弟の末っ子の特権と言うか・・・
上の兄姉4人の内3人は今も故郷で暮らしていますので、季節ごとにミカンとかお茶などが届くのですが、2番目の姉が未だに一番可愛がってくれる。
丁度6才違いなので、姉として弟の面倒を見た・・・そういう記憶・気分がいつまでも残っているのでしょうね。
今でも故郷に帰った時は姉の家に泊まるし・・・”可愛い弟”として甘えている。
ですから例年なら4月には生のサクラエビがクール便で届く・・・筈なのに海が!。
隣の市で暮らしている娘夫婦も、生のサクラエビが届くとかき揚げを楽しみに実家に帰って来る。
今年はサクラエビ未着。