なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

「雪見遠足」知っていますか

2010-04-15 00:17:17 | Weblog
 水曜日のサッカーの試合、我が贔屓チームのアウェイの試合会場の天気予報は雪40%!・・・だそうです。
 『うーん』私は話だけでも唸ってしまいます。
 勿論そこで暮らしている人の苦労を考えれば、遊びに行くとかサッカーに試合の苦労は別次元の事でしょう。
 私の場合は生まれはネズミなのに性格は猫的で、冬はコタツで丸くなるのが基本的な生活スタイルです。
 そう言えば子供の頃家で飼っていた猫は炬燵の中が大好きな猫。
  当時は豆炭の掘りコタツでその猫はそこにもぐりこむのです・・・熱源が豆炭なのでほぼ1日中温かいので猫の定席なんですが、1点不都合があったのです。
 熱源の豆炭だけに、恐らく微量の1酸化炭素が出ていると推測できる。
  そのため猫は中毒限界状態で外に出てくるのですが、その時はガスで酔っ払い状態でヨタヨタでした。
 冬は必ず繰り返す・・・学習能力が問題ですね。
 人は炬燵に潜らないのでまず大丈夫、、、家も隙間風が通っていて換気していた筈ですし。

 ともかくサッカーで雪は心配です。
  負けては困るけれど、怪我が心配。
  昔、鳥取で天皇杯の試合があって、TV中継で見るとピッチの横に雪かきした後の山があったり・・・試合球がカラーだったり、当時選手だった現監督が勢い余ってその山に突っ込んだり・・・。
 私が選手だったらテンションが下がる筈ですが、、、選手の出身県はいろいろですから難しいのですが、平均的地元出身者は雪を見るとテンションが上がるのだそうです!。
 (私が例外か鬼っ子と言うことらしい)
 めったに雪が降らず、積雪は年平均0.2日・・・つまり5年に1度しか積もらない土地ですから、雪を見ると過剰反応と言うか、テンションが上がってしまうのだそうです。
 (5年に一度と言うけれど、私が暮らした18年間では2センチ積もったのが1度しか経験がないのです)
 ですから、暖かな地方のチームとしては雪・寒さに弱いか。あるいは異常に反応して力を発揮するのかどちらでしょうね?
 これを投稿する頃には結果で出ているとは思います。

 ところで雪関連の話で言うと、「雪見遠足」という行事を聞いたことがありますか?
  雪国のかたが聞いたら不謹慎な感じがするかもしれませんが、普段無いものを経験すると言う意味なのです。
 海から離れた地方の方が海を見に行くのと似たような事だと思って理解して下さい。
  私の故郷では冬は雪をかぶった富士山が良く見えるのですが、実際には自分の住んでいるところには降らないのです。
 TVでは雪遊びを見ることはあっても体験出来ないのです。
  と言う事で1960年ころから富士山の裾野の施設に行く事で雪遊びをする行事として始まったのだそうです。
 1960年と言えば私は小6か中1でしたが・・・私は経験がありません。
  広まったのはもう少し後でしょうネ。
 私の時代には、高校の山岳部で富士山2合目での雪山体験くらいですが、考えて見れば雪見遠足とレベルは大して変わらないのかも知れません。
 
 今では小学校では時間の余裕が無くなってこの行事は減っているそうですが、幼稚園・保育園などでは盛んなようです。
 ネットで「雪見遠足」で検索するとたくさんの記事に出会いますから、他の県の人が見たらびっくりするかも知れないです。

 「○○県頷き度チェック」と言うところから、、、この県らしいと言うチェック項目が出ています。
 その中の設問
 ○ 「雪見遠足」に行ったことがありますか?
 ○  駄菓子屋にオデンは定番?
 ○  関東で「金ちゃんヌードル」が見つけられないのがショックだった?
  最後のところは私も意味不明・・・そのヌードルは当地が東の限界での販売らしいので、関東圏では販売していないのだとか。
 そう言えば私が高校時代にはカップヌードルに出会っていない筈ですから「金ちゃん」も「ニッシン」も無いし、現在住んでいるのは「トーヨー」が地元ヌードル?。
 ともあれ故郷を離れてから40年以上経つので、地元度のチェックからブレて来ていまして、息子の世代はここが故郷ですが、私の場合は故郷がなくなっていて、さりとて新しい故郷もないのかも知れません。

シチョウを逃げた!!

2010-04-14 00:42:23 | Weblog
 言葉では「シチョウ知らずに碁を打つな」って言うけれど、、、実戦でシチョウ・アタリとかけた時に、相手の石が逃げたとします、この瞬間に「しめた」と思う心半分「!!エッツ」という不安・驚き半分です。

 場面は戦いの真っ最中、私白番で黒の大石を包囲したところ。
  格言では大石死せずですが、何事も格言には末尾に「時による」がつく筈です。
  つまり大石には目になるスペースができやすいのと、相手の石がダメージを受けやすい・・・
 ともあれ二十数子の大石を相手に、こちらも4つに分かれてる・・・これは見方を変えれば黒の大石1つが白を4つに裂いているとも見えなくもないから、進行次第では恐ろしいことが起きる可能性もある。
 事の発端は白から先手で利かして外を厚くするつもりで打った手に、黒が手を抜いたところから始まっています。
 黒からするとやはり「大石死せず」、あるいはなんとなく目形がありそうにも見えないので、先手で利かされるのを拒否したと言うことだろう。
 白からはここで大きな問題ですね。
  先手で打った筈なのに手抜きをされたのですから白怒らなくてはいけない場面・・・直ぐにお仕置きと行くか、横眼で見ながら行くか?
  本当に黒の目を先手で1眼に制限して、尚且つ封鎖を完成でき無ければ、先手の利かしと言うのが嘘になってしまうので、ここは自分に対しての信用問題でもある。
 但し、勝負事でここでの失敗は許されない。
  仮に封鎖は出来ても生きられた場合、外の厚みが働くのか?、あるいはタダの壁になるだけか?
  一番怖いのは封鎖の壁を破壊された場合、白がボロボロになります。
 さて、封鎖に行けば、当然黒からの反撃がある・・・これを抑え込み、無効にできるのか?
  マアこういう事を考えるのも醍醐味ではあります。
 堅実路線で細かいながらも優勢を確保して行くと言うのも結構勇気が要りますが、それは複雑な要素を考慮して行きます・・・こちらの方はそれ比べるとやや単純ではある。
 マア、私の能力・性格からすると単純な方が向いている。

 さて熟慮、私としては十分熟慮の末決行。
  先手で一眼に制限し、手順の打ち欠きも決めて置き、イザと言う時の手数も詰めて置きまして・・・
 問題は断点が2箇所残る事なので、白はどちらをどのように守るのかが問題。
  A点をカケ継ぎ、B点を残す。
 この場合はるかかなた、白黒の石が競り合っているところで白石がシチョウアタリになっています
  そして、その石へのシチョウアタリとしての手段は怖くない。
 単純だけれどそれは読んだ・・・何度も繰り返し読んで実行した筈。
  なのに黒は敢然と逃げたのです!

 こういう時は一瞬恐ろしいものです。
 ①もしかして私の読みが間違っている?・・・1路違いでシチョウ崩れ。
 ②1つ逃げて置いて強烈なシチョウアタリ作戦がある?
 ③それとも、この石が取られて白が凌いだら終わりなので取り敢えず逃げた?
  当然③であって欲しいけれど。
 逃げた石をに再度アタリ・・・黒はまた逃げる。
  白から3度目のあたり・・・シチョウですから当然ですね。
 ここまで来ると、大石の生死もさることながら、生還出来ないシチョウを逃げた責任が重くなりますから、再度シチョウの行方を確認して勝利を確信しました。
  つまり黒さんはバンザイ攻撃だったようです・・・ホッ。
 それにしても、自分の考えていない反応があるのは恐ろしいですね。

花に嵐の例えもあるさ・・・

2010-04-13 00:46:02 | Weblog
 4月と言うのに今日は冷たい雨です。
  「花に嵐の例えもあるさ(”ぞ””が正しいかどうか?)・・・」のフレーズが浮かびますが、これは余り良い思い出では無い。
 世の中バブルの時代には、会社は余裕の資金を社員の研修に向けるところが多かったし、行政も地元企業のそういう研修に補助金などが出たりしました。
 今から見れば何とも贅沢な時代でしたが、それでも質の向上をうたう裏には「猛烈社員」の流れもちらちら見えていたりもしたのです。
 その時代・・・その世界?では有名な富士の裾野の地獄の特訓なるものがありまして、私も管理者研修と言うものに正月の2日から約2週間缶詰特訓に派遣されました。
 ともかく隔離された施設で、二十数項目の研修があって、全ての項目に試験がありクリアー出来ないと卒業出来ない=家に帰れないシステム。
 最短で13日、卒業できなければ永久に止まる事は無いにしても、3週間近くにはなるらしい。
 真冬の深夜40キロの行進、駅前での挨拶+歌唱、行商体験、スピーチ訓練・・・などなど多岐にわたる項目。
 マア、猛烈社員を作るつもりだったのでしょうか?、私も幹部社員候補だったのかも知れない・・・。
  しかし私はこういう期待に添えない性格で、「そんなものになるものか」という反作用が出てしまいます。
 但し研修拒否反応ではなくて、研修特訓をゲームの一種みたいに思ってクリアーする・・・ですからそれなりに評価されますが、実際は本質が変わるわけではない・・・この時の同期80人の中では主席卒業しましたが、実態は本人の割り切り方の結果で本質の怠け者体質は変わっていない感じです。
 
 その研修で書き取りと言うか・鉛筆習字の項目がありまして、数字・漢字・平仮名などを何度も書く。
  そして文章の言葉が先に話した「花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ」これも10回以上は書いた思い出がある。
 ですから桜の季節に風が吹くとこの言葉を思い出し、研修を思い出します。

 そう言えばこの研修の私のクラスの主任講師の先生・・・この方が研修終了後も私が勤めていた会社に出張講師で来る事がありました。
 この先生が囲碁好きな人でしたので、もしかしたら特訓中も同好の士として見てくれていたのかも知れません。
 ともかく研修中は対局する機会はありませんが。
  なんで研修の講師と生徒が碁を打つようになったのかと言いますと。
 私が研修中の日記に「碁を打ちたい」とか「夜天井を見ると碁盤に見える」、「眼を瞑って自分の打った碁を並べる」などなど碁の事ばかり書いたのを先生が読んでいて、こいつは余程の碁キチだと言うことは分かっていたのです。
 他の受講生は家族の事とか会社の事、研修の事に集中していたり、卒業に必死でそういうことは余り考えなかったらしい。
   それと”検閲”されているのですから趣味の事は書かなかったかもしれません。
  私はと言うと、全くお構い無し・・・実は地獄の特訓は余り苦になっていなかったのです。
 食事は美味しいしバランスが良い食事で、掃除とか洗濯の家事は無いし、合宿状態と朝4時半起床を除けばどちらかと言えば地獄より天国に近いと思っていました。
  実際体調が良くなりました。
 但し玉に傷は囲碁が打てなかった事。

 「花に嵐の例えもあるさ・・・」
  外は冷たい雨・・・雨脚が強そうです・・・寒いのは困ります。

1週間が早い!

2010-04-12 00:51:01 | Weblog
 物語で「途中省略」で「月日の経つのは早いもので・・・」と書けば、いきなり後日の話に持って行けます。
  TV放送が始まったばかりと言うか、マア今でもそんなに変わらないと思いますが、ドラマで夜から翌日の朝のシーンに変わるのに、一旦画面暗転の後に次のシーンに移ると、見ている方としては「これは翌朝の話」だなという暗黙の約束みたいな感じで受け取るのだと思います。
 私が小学校3年生の時に家にTVが来ましたが、その頃は母方の祖母は健在・・・同じネズミ年ですから5回り違いで69才。
 祖母はTVのドラマを見ていて半分冗談だと思うのですが、先ほどみたいに話が翌日に移って行く場面で・・・「あれッ!?、早いな、いつの間にか明日になっている」と驚いて見せたものです。
 話の進展に本当に驚いていたのか、あるいは時代遅れの婆ぶりで回りを笑わせていたのか微妙ではありますが・・・今でも話が翌日に変わる場面では祖母の言葉を思い出すものです。

 さて、週末の土曜日曜はサッカー三昧で試合の中継を連続して見てしまいました。
 土曜日はJ1だけで5試合を途中掛け持ち観戦し、土曜日はJ12試合にJ21試合・・・女房殿と息子は早朝の5時からリーガエスパニョーラを観戦!。
  コアサポーターのようにゲームフラッグなどを持って出かけるわけではないけれど、我が家もTVでの熱狂ファンですね。
 贔屓チームの得点シーンではTVの前で家族揃って拍手している・・・ですから、贔屓チームの試合観戦時はベランダの窓は閉めておかなくてはいけません。
 突然歓声と拍手が響くのですから、表を通る他人には何事かと思われる事でしょう。

 ところで基本的に試合は1週間に1試合ですが、場合によってはミッドウィークと言う事で水曜日を入れて2試合。
 これは野球とは全く試合の消化ペースが違います。
  従って結果について喜びも、あるいは悔しさも引きずりますし、どこかで切り替える必要があります。
 マア、勝っても負けても次の試合が勝ちどおしい。
  
 象の時間アリの時間では無いけれど、生き物によって感じる時間の長さが違うのだそうです。
  ブルドックの犬種改良の話では、2年で成犬となるのだそうで100年で50世代の可能性はあるのだそうで・・・たしかにそういうスピードならあっという間に月日が流れる。
 人間だって子供の頃はやたらと時間の流れが遅かったように感じていたのが、最近は体感?スピードがテンポアップしている感じがする。
 子供には初めての体験が多いので、時間の流れも遅く感じるというような事を聞いた事はありますが・・・なんとなく納得できそうですし、加えて最近の出来ごとの流れが速いのも一因かもしれないと思っています。

 いずれにせよ私にとってのサッカーの次の試合を待つ気持ちは、若い他人の感じる長さと違うのでしょうね・・・多分。
 気がつくとあっという間にワールドカップ前の試合日程を消化し、南アフリカ大会が終わって、秋のJリーグ終盤だったりして・・・。
 嘗ての祖母みたいに「アレッ!!いつの間に」と驚いていたり。
  しかし、そんな事ではあっという間に余命を使い果たしてしまいそうですから、余り次の試合を早く見たいと思わないで、結果にどっぷりと浸らなくてはいけないのかも知れません。

サムゲタン!

2010-04-11 05:53:45 | Weblog
 早朝にふと目が醒めまして・・・(ジイサマは目ざといので、朝とんでもない時間にふと目が醒めるものなんです)・・・ネット碁に接続しました。
 この時間は当地では、朝刊が各家庭に配達されるのが3時半ごろで、各新聞の配達員さんたちが去って行くと静寂が戻り、それは未だ目が醒めるには少し早い時間、、、例えれば街の中の、活動前の隙間的僅かな静寂時間と言ったところでしょう。
 人も鳥も起きる寸前・・・道を通る車もごくごくまばらで静寂なひと時で、私のお気に入り時間でもある。
 狭い世界ですが、起きているのは自分一人みたいな気分で、孤独感もないではないけれど、逆に世界を一人占めしているような満足感もあるようです。
 平日の朝には流石に出来ないですが、今日明日は休みだし、義務的な予定は何もないのです。

 ネット碁に入ると、流石にこの時間でも起きて碁を打っている人はいるし、対局待ちのボードに名前も出ています・・・しかし。
 今朝そこに名前が出ているCさんとは、2,3日前に打ちましたが、今日のハンデはキツイ。
  先日は向う先で白からコミ4目半出し
  今日もし対局するとしたら向う2子で黒からコミ6目半出し・・・
 これは相対的な距離と言うか点数差、11点差から14点差くらいの変化でこうなるのですが、こういう数字的なと言うか機械的なハンデには納得しかねる心理があります。
 Cさんとは向う先でも、私が先でも良い勝負をするような気がしています。
  ですから先日は私が中押し勝ちだったとしても、それはそういう巡り合わせだったに過ぎないと思っているのですが、数字上は2子に変化しているとすると・・・これはとても打てない。
  打つ気持ちが起きない。
 若くは無いのですから「苦労を買ってでもする必要は・・・」無いし。
 勿論勝てそうもないと言う消極的な気分ではあるが、山中鹿之助「我に艱難辛苦を与えたまえ」にはならない。
 「苦労して、メッタメタにやっつけられる敵役」にはなりたくないと言うところ、ここは物陰から見ているしかない気分です。

 さて、点数制という事では起こり得ることですが、調子の変化とは言え同じ人と「向う先」「向う2子」はコミで調整したとしても同じだろうか?
  確かに一番手直りでは同じ人と先から、3子くらいハンデが動くことはあるけれど、それは非公式の遊び的な気分で打つ碁ですからこの日はスルー。
 
 話は変わりますが、金曜日は変な親子で外食
  女房殿がストで・・・いや歓送迎会とかで、夕食にありつけないので・・・
 自分で作っても好いけれど、此の頃は二人でズルしています。
  昼の内に近所の店でどんなものを食べられるのかネットでチェックしましたが、どれも予算オーバーでNG。
 どこもお一人様3000円以上の予算となっている。
  マア出せない額では無いにしても、親子で飲み会でも無いし、普段の食事としては論外の価格なので、やはり行きつけの韓国食堂と言うことにしました。
 
 息子にとっては辛いのがハードルかも知れませんが・・・本人は辛いのが好きですが、やや辛さオーバーと言うところでしょう。
 私は苦にならないし、日常家では味わえない辛さなので良いのですが。
  マア、何より塩けと油が少ない感じで好き。
 ともあれ「今日は韓ドラによく出てくるジャージャー麺でも食べようか」と行ったのですが・・・メニューにない。
  ごく普通の食べ物の筈なんですがメニューに載っていません。
  食堂のオバサンが「どうしました?」
 「ジャージャー麺は無いんですか?」
 「食べたいですか」
 「はい、出来ますか?」
 「出来ますよ」
 私たち親子は準常連みたいな感じなので、大サービスで特別に作ってくれたのか、あるいは「無い」と断りたくない気持ちだったのか。
 メニューにないものを作って貰ったのですが、恐らくオバチャンの賄い的家庭料理を食べさせて戴いたのでしょう。
 これと海鮮チヂミを1つ頼んで息子とつつきまして、夕食は韓国調でした。

 ところで家に帰ってジャージャー麺をネットで検索すると、もとは中国料理だったのですね。
 漢字で炸醤麺・・・これなら出自が分かります。
  味は中国では豆板醤系の辛みらしいが、韓国の方はテンメンジャン系らしい・・・確かに今夜はのは辛くなくてテンメンジャンの味がしたし、焼きそば(麺は韓国風細麺)ミートソースと言うかハヤシかけ風でした。
 韓ドラで見た場面みたいに、両手で金属箸で持ちあげるように混ぜてみましたが、流石にドラマみたいに手際よくは行きませんでした。
 (食堂の片隅に食材・御菓子などの通販・直販コーナーがあります)
 帰り際にトッポッキとサムゲタンのパックを息子が買って・・・レジは私に。
  「サムゲタンはネギをたくさん入れて鍋風にして食べて下さい」と言われたけれど・・・私は顔でニッコリ(心は泣き)お金は払ったけれど、鶏肉は食べられないのです。

姿勢が悪い!

2010-04-10 03:42:51 | Weblog
 ●○●●○○●●、4月になってからの成績。
 勝ったり負けたりで、2勝と2敗は許容範囲で、、、現在2連続負けですから次の1局が分かれ目の戦いになりますが、相手にとって全く関係ないタダの1局に違いない。
 ここのところの負け対局は、、、打つ前からなんとなく勝てそうもないナ」と言う予感?が漂っていました。
 終ってから言う、結果論ではなくて実際にそういう予感がしていました。
  問題は予感に合理的な理由があるのか無いのかが問題ですね。
 過去に1回も勝ったことが無いと言うほど苦手でではない・・・が
  しかし、こちらの打ちたい手を打たして貰えない事が多い感じはする。
 そういうのを苦手って言うのかな?
  でも『負けても良いか』と言う感じで対局。
 「当たって砕けろ」と言うとヤル気を感じるけれど、実際は「負けたら次、勝てば良いか・・・」と言う、太っ腹と言うより、負ける事を前提にその次を考えていると言うか、、、あるいは言い訳を考えながら打つと言うか。
 ともかく静かに勝負すると言うと言うより、負けを前提にしている。

 こういう時は、予想通りになるものですからダメですね。
  勝負事ですから結果はともかく「勝つぞ」とまで眼を三角にしないまでも「思い切りよく打とう」くらいは腹をくくらなくてはいけないです。
  せめて気持ちで負けてはいけない。

 それと・・・言い訳はいくつも出て来ますが、最大の言い訳は「姿勢が悪い」
  囲碁に対する取り組み姿勢・気持ち・意思・努力は我ながら足りない面が多く、姿勢に問題はあるでしょうが、それ以外に単純に言葉通り「姿勢が悪い」。
 対局相手を一覧表で探す時・・・これはどんな姿勢でも良いでしょう。
  しかし、対局が決まって「お願いします」の挨拶を交わした後は姿勢も大事な要素だと思うのです。
 正坐まではしないまでも、少なくとも背中を伸ばしてパソコンの画面を見なくては・・・
  背筋・首筋・頭の位置・眼鏡着用・・・
 体が楽を従って・・・イヤたるんだ精神が楽に流れて、ベッドの背もたれに寄りかかってゆったりした姿勢で打ちたがる。
 確かに「ゆったりした姿勢」は体が楽ではあるが、気持ちがゆったりと囲碁の緩みとが結びつきやすいような気がしている。
 マア背筋を伸ばせば著しく勝率が上がるとも思えないけれど、やらないよりは良いでしょう?
  鰯の頭と同じで、良いと思えるものは何でもやらなくては・・・

連勝出来ない・・・

2010-04-09 00:23:02 | Weblog
 今が剣が峰状態かもしれません。
  「剣が峰」という表現は古いですね・・・ともかく連勝も無いけれど連敗も無いと言う緊張状態。
 要するに勝ったり負けたりという事ですから、ここが表示通りの点数=棋力だと言うことになりそうですが・・・自分に欲目というか自分で自分を買いかぶりたいわけで、「自分の棋力はもう少し上」と思いたいし、少なくとも現在位置が満足点では無いので、「これではいけない」と焦れる戦いが続いています。
  「向上心」と言えなくもないが、囲碁の内容の充実と言うより勝敗の結果としての点数・現在位置が第一関心事なので、殆ど「見栄」「虚栄心」に他ならないから、我ながらあさましい気もします。
 とはいえ、どんな動機にせよ他人に迷惑をかけたりすることでなければ自分のファイティングスピリット、ヤル気の動機付けになるなら「マア良いか」ではある・・・自分自身のダイナモがこれでは恥ずかしいけれど、無いよりは良いでしょう。

 さてこの勝ったり負けたり状態からのの脱出作戦は?・・・実は無いような気がします。
  勿論囲碁については勉強すべき事は山のようにあるのですが、この年で急いで詰め込むような勉強は出来ないし、向いているとは思えません。
 出来る事は、今より少し弱い相手と対局する事?・・・つまり自分がランクを下げればそうなる・・・それは「自分が弱くなる」事でしか実現しない・・・するとその地点で勝ったり負けたりの状態になる。
 だから、どこまで行っても堂々巡りで勝ったり負けたり。
  これは見方を変えると「無間地獄」状態とも言えますし。

 ここで、大きな矛盾に気がつきました・・・これが何処までもついて回りそう。
  ① 囲碁は楽しいし、楽しみたい
  ② 対局する場合、勝負事ですから出来たら勝ちたいし、勝てば楽しい。
  ③ 勝敗によってハンデが微調整されるので、勝率5割が安定状態と言うことは制度が勝ったり負けたりを目的としている。
 だから、、、
  問題は②ですね、勝つ=楽しいの強い鎖、良い碁を打つこと→勝率が上がる・・・の結果的な因果関係。
 でも、負け続けたら楽しくない筈で、「何の因果で辛い思いで囲碁をやっている」となる筈ですよね。
 
 勝っても負けても囲碁が楽しくてニコニコしていられるほど悟りの境地とは未だ程遠い。
  現在生臭坊主と言うか、枯淡の境地とは無縁の世界で遊んでいます。

下手な運転

2010-04-08 04:13:21 | Weblog
 最近息子は運転をしたくて仕方が無いので、天気が悪ければ「オヤジ送って行くよ」と言う口実で私の出勤について来る。
  送ったからには迎えに来るわけで・・・全く一応学生ではあるけれど「就職浪人者」の癖にと小言を言いたくなるのをこらえているのは、本来精神上芳しくないのかもしれない。
 それはともかく、結果として初心者ドライバーの練習にはなるだろうと、我慢する。
  でも運転は下手。
 下手だけれど、本人は「若葉マークめ」と見下されたくは無いらしい・・・しかし下手なのは現実。
 下手である事=危険な状況を生み出す可能性を孕んでいる事があるのでこれは、早く上手になってもらうしかない→運転の機会を増やして経験を積む→オヤジが付き合わされる!
 ここが問題ではある。

 付き合わされている時に感じた時、いくつかの問題を感じました。
  息子は「若葉マーク」なのですが、このマークをつけた車に対しての反応・あるいは反応無しの問題がありますね・・・。
 割り込む、追い越して前に入って来る・・・ベテランのお兄さんたちの多い事。
  こちらは若葉の運転する車の助手席に座っているけれど40年近い運転歴・・・マア長いのだけしか威張れませんが・・・ひどい人も結構いる。

 考えて見れば3月の末の月曜日に免許を取得したばかりですから、卵から孵化してから10日も経っていない・・・
 しかし、この助手席のシートから見るといろんな人が見えますね。
  一番大きい原因みたいなものは・・・勝手に感じたのですが。
 世の中忙しい人が多いらしい・・・皆さん時間が無いのですね。
  車で出かけるのですから、ピッタリの時間しか持ち合わせていない様子です。
   つまり、余計な事で譲ったりする余裕などないらしい・・・。
 ですからオヤジの息子への教訓1
 「車で出かけるときこそ、時間の余裕を考える事」「気持ちの焦り=無理・強引な運転=事故に結びつく」でした。
 ともあれ今は「上手より確実」

 うーん、これはこじつければ囲碁にも共通かな?
  特に急いでいるわけでもないのに、打った瞬間「しまった!」は無くさなくてはいけませんね。
 これは上手い下手、上手・下手、上級・高段関係ない。

誰か作って下さい

2010-04-07 00:04:08 | Weblog
 詰め碁とか次の一手形式の問題集と言うのは、クイズ形式にもなるし、ドリルみたいな出題も出来ますから市販の本とかネットでの販売は多い
 ヨセ問題としては「この部分は何目のヨセでしょう?」という部分的な出題形式が殆どです。
  (昔9路盤で”正しくヨセると、どっちがどれだけ勝ち?”というものはありましたが、これは巻末付録的出題でした)
  ですからヨセの総合的な問題と言うのが見当たらないような気がします。
 自分では多少思いつきみたいなものはあるのですが、自分で作れないのが悔しいですね・・・何か市販の棋譜ソフトを使えば出来るような気もしないでもありませんが、実際には見当がつきません。
 取り敢えず思いついたものは二つ
① ヨセ・シュミレーションゲーム。
 終盤のある局面からスタートし、ヨセのテクニックを駆使して最善のヨセを打つとどうなるかと言う問題集。
 3つの段階を設けて、
  基礎トレーニング編では9路盤
  中級編では13路盤
  19路番では比較的基礎的な形の物と、やや複雑、そして少し気がつきにくいテクニックが必要な難しい問題・・・
 私はこういう問題集があれば良いなと思うのですが、1冊の本にするのに手間がかかる割にはニーズが少ないのだろうか?

② 単純に棋譜並べゲーム・・・これはパソコン向きですね
 大きく分けてタイムトライアルと、時間と関係なくならべるのを楽しむものの二つ。
  それと総譜を見ながら(プリントアウトしておいたもの)並べるか見ないで並べるかの二つ。
 黒番あるいは白番で並べてパソコンが相手をしてくれるもの、あるいは一人で黒白両方並べるかの二つ。
 私は出来るなら、例えば秀策、道策あるいは趙治勲の碁を代わりに並べてみたい・・・パソコンが対局者の代わりに相手をしてくれる形。
 間違ったところをクリックするとブザーで警告・・・酷い間違い、何度も間違うと「しっかりせい」と言うお叱りボイス。
 こういう棋譜並べゲームがあるとイイナ。
 1セット20局くらいで・・・棋譜を憶えると言う脳の活性化と、知らず知らずにプロのテクニックに触れると言うことが出来そうですが・・・甘いか?。

 なんでこういうものが無いんでしょうね?
  本当は私みたいな他力本願で、人の助け待ちでは無くて、強くなる人はさっさと自分でやっているのでしょうね・・・

 ここまで入力してからお風呂に入ったのですが、ここでもう一つ思いつき。
  題して「分かれ道」
 人生でも囲碁でも「あの時もしアアしていれば今頃は・・・」というタラレバは無いのですが、ゲームだったら幾らでもタラレバが出来なくてはおかしいではありませんか。
  そういう意味ではパソコンではシュミレーション的に疑似体験は可能だしそういう機能に向いています。
 勿論「こういけば”相手はこう来る”に違いない」の部分が読みの力で正しいシュミレーションになるかどうかは難しいですが、それでも棋力範囲での想定内の世界は体験出来る・・・はず。
 マア囲碁本来の在り方として疑似体験は邪道的な匂いもしないではありませんが・・・でも昔読んだ本にありました。
 これはある時(状況は省きますが)、趙治勲九段が中山典之先生に話したと言う事で・・・中山先生が「よく大一番でああいう思い切った手を打てますね?」と言ったのに答え、趙先生が「普段から早碁でいろんな形を打っている」と答えたそうです。(本当はもう少し別なニュアンスも含んでいますが)
 つまり趙先生としてはシュミレーションは済んでいるわけです。
  それではパソコンで「分かれ道」問題も許されそうです。
 「ある局面で、AするかBが良いか迷う場面」良くどう打っても一局と言いますが、では実戦ではABのどちらかしか打てないのですから、、、問題ではA,B両方体験出来るソフト。
 「問題の局面からA、Bのどちらかを打って、パソコンが相手をする・・・」
 昔にくらべたらパソコンの棋力がアップしたらしいけれど、未だ無理かな?
  でも、上級クラスならなんとかなる?、段は無理かな?

遊びもタダではいけないのかも

2010-04-06 00:40:23 | Weblog
 昼休みにネットで詰め碁の問題を検索して「お気に入り」に入れてありますが、これは殆ど基本問題が中心です。
 勿論基本問題は大事だし役に立つのですが、たまには実戦詰め碁とか難問とか、古典的な問題とかもやりたいと思います。
 そんなにやりたければ家から本を持ってくればよいのですが、マア条件として昼休みにお弁当を食べた後に1問挑戦という設定ですので、ネットで問題を検索出来れば丁度良い。
 それに、基本問題集は2回はやってしまったので3回目は間を開けたいし・・・。
  「難問詰め碁」で検索するといくつもヒットしますが、(探し方が悪いのか)実際に問題の図に巡り合ったのは一つでした。
 5分くらいで解けたので難問の部類に入るかどうかは微妙ですが、それでも「チョット難しい」とか「実戦では見落としやすい」という分類に入りそうなので良かった・・・但し1問だけでした。
 
 他のサイトを含めて、やはり難問と言えるようなものをタダで楽しもうと言うのはフトイのかも知れませんね。
 「世の中にタダの物は無いのだ!」と嗤われそうです。
  自分の趣味で、都合のいものがタダで手に入ると思っている方が甘いのでしょう。
 こういう問題を考えたり集めたりして問題として提供してくれるのを、全てボランティアで出来る事の方が不思議ですから、有料は納得できます。
 
 
 但し、私としては遊びの範疇で楽しみたいと言う割合が高いので、有料より無料の方が嬉しい。
  それに勤め先のパソコンですから会員登録をして有料会員になれません。

 「詰め碁」で「遊び」と言いましたが、勿論結果的には勉強でもあります。
  でもこの年になると「少しでも棋力アップ」の勉強と言うような構えでは無く、遊びの一つ的な気分で無いと肩が凝りそうですし、それに囲碁的な感覚がボケ無いような錆止めみたいな感じです。

 これが若い頃に定石の本、打ち碁集、詰め碁問題などを棋力アップを意識して読んでいた頃ならむしろ有料の方が良いかもしれません。
 勿論タダの方が財布にかかる負担は無いのですが、何故か取り組む気構えも甘くなるような気がします・・・私がセコイのかもしれませんが。
 
 そう言えば昔こういう例がありました。
  初心者のご婦人に囲碁を週1回(本当は2回以上の方が良いと思いましたが)教える機会がありまし。
 真面目で熱心な方でしたが、、、どこか遠慮勝ちなところがあるし、一緒に同じくらいの人が居なかったので、囲碁教室としては上手く言っているとは言えないと感じていました。
 私が初心者に教える力が足りなかったのが主たる原因でしょうが、もう一つの要因も感じていました。
 それは「無料」の問題。
  私の棋力ではボランティアレベルですから有料と言っても私の労働に対する料金と言う意味ではありません。
 かかった教材の費用は教わる側が負担するとしても、有料と言うのは教わる側の人も気構えが違ってくると思うのです・・・それにボランティアに教わると言う遠慮も無くなる。
 更に教える方も変わって来る。
  勉強にしても遊びにしても身銭を切ると言うことで真剣味が違うように思う。
 これは掛った費用分だけ取り返そうなどと言う事で無くて、そもそも遊びにせよ勉強にせよ身銭を切ろうと言う出発点の心が違う感じ。
 勿論身銭を切れば良いと言う事では無いし、タダのものでは為にならないと言う事では無い・・・少なくとも今の私には当てはまりそうです。
 昼休みの時間の穴埋めに、会員になってまでは難問詰め碁会員にはなる気は無い程度のヤル気・・・仮にこの何倍か真剣なら、勤め目先パソコンが問題なら、きっと携帯会員とか他の方法を探しているに違いない。
 うーん、この辺りにも停滞原因があるのかも知れない。

サッカーについての思い出

2010-04-05 05:15:01 | Weblog
 私の囲碁との繋がりは小1の頃から新聞の囲碁欄で棋譜の中の数字を追いかけることから始まりましたが、初対局は中1の時でした。
 サッカーについて記憶に残る事はその中1の時からです。
  小学校当時は私は野球少年でしたから、晴れていれば野球をやらない日は無いくらいで、放課後に学校を一旦下校したらバットとグローブを持って自転車に乗って校庭に戻ったものです。
 当時は「校庭開放」だとかそういう言葉すら聞いたことが無い時代で、グランドは早いもの順みたいなもので、野球に関してはグランドでは2箇所で同時に出来た。
 仮に運悪く他のグループに先に占領されてしまった場合は、練習試合を申し込むか、近所の企業グランドに移動するか・・・いずれにせよ日が暮れるまでは走りまわっていました。
 この小学校の当時の同じ学年は1クラス56人で5クラスありましたが、市内のもう一つの小学校と一緒になってマンモス中学になりました。
 1学年13クラス・・・全校生徒約2000人!。
  この中学校時代に「サッカー」というものの記憶の始まりがある。
 クラスメイトの会話からサッカーという単語を聞いた憶えがあります・・・それは彼らの小学校当時の恩師の話らしい。
 当時の先生で、確か女性教師ですが子供たちにサッカーの楽しさを教えたくて自らがサッカーを勉強して子供たちの間に広めて行った先生がいたそうです。
 確かH田先生という名前だったような・・・
  今でこそサッカーの町と言われていますが、県下では中西部のF枝市の次だったと思うし、始まりにはこういう人がいたんだと言うことですね。
 
 中学校にはサッカー部がありましたが、私の従兄弟が同じ学年で入部していましたて、その関係からか彼の弟がサッカー部に入っていました。
  兄は勉強というより喧嘩っ早い性格でしたが、弟の方はおとなしくて控えめな子供で小さな頃の思い出は殆どない・・・のですが、彼が大学を出て教師として赴任した高校でサッカー部の監督になり、有名になるとは想像もつかない事でした。
 
 高校時代は私は4つの部活動を掛け持ちしていまして・・・マア都合のよい時にその日やりたい部活動に参加していただけみたいなところがありますが、そのうちの一つが応援団。
 1年生の5月頃には1年生は私一人でしたので、マアしごかれると言うよりは大事にして貰っていました。
 普通応援団と言うと夏の甲子園大会の県予選などの応援が中心ですが、何故かこの頃は「本来の応援を」みたいに、全ての運動部の試合を応援しようとシフトチェンジしていました。
 こういうことは顧問の先生は殆ど関与せず、部員の話し合いで決まります。
  5月GW辺りには殆どの種目で県大会が開かれますが、これらの試合に部員が手分けして応援に行こうと言うことになりまして、私と1年上の先輩で受け持ちの会場を回りました。
 木の箱に入ったあの大きな団旗を私がかついで、先輩は小ぶりの校旗のレプリカみたいなものを持って行きました。
 まず市内の高校グランドでハンドボールの応援、次に隣の市との境にある企業体育館でバスケットボールの試合に旗を出し、ついでお城跡の公園の体育館で柔道の応援、と隣のコートでテニスの応援。
 翌日は電車に乗って当時のサッカーどころの高校グランドで準決勝の応援に行きました。
  この時のことははっきりと憶えている。
 この市は二つの強豪校が合って私の出身校と併せて3強だったと思います。
  トーナメントではくじ引きの筈ですが何故か向うの市の高校は別の山になることが多くて、こちらは優勝するためには準決勝、決勝と続けて強豪校に勝たなくてはいけなかった。
 そう言う準決勝で、会場はあちらの高校のグランド。
  会場について驚きましたね・・・流石にサッカーどころ。
 高校の県内のサッカー大会の準決勝に過ぎないのに、生徒だけでなく市民の方たちの応援が大勢いるのです・・・数えたわけではないけれど、記憶では数百人はいた筈です。
 土のグランドですが、そこを挟んで向うは数百人でこちらは私が大きな団旗を持っているものの・・・二人。
 応援で勝敗が左右されるとは思いませんが、気分としては二人で向うの大応援と戦っている気分だった筈です(向う側から見れば、二人が何かしている程度だったでしょう)・・・この試合は大激戦で3-2の逆転勝ちだったと記憶しています。

 話は変わって、Jリーグが発足した当時、スタジアムのチケットは「プラチナペーパー」と呼ばれる時代がありましたね。
 同様に各地にJリーググッズを販売する店がオープンしました。
  (その殆どが今はありませんが)
 そのJリーグが始まるずっと前に、故郷ではサッカー用品専門店がオープンしていました。
  オーナーは小・中・高の同窓生のY間君で、彼は繁華街で洋品店を営む家の息子だったがサッカーは自分ではやっていなかった筈・・・しかし目の付けどころが違う。
 相当に流行っていた筈で、何店舗か増えて行ったと思います(尤も現在の状況は知りませんが)。
 全てのスポーツの用品を扱うのではなく、サッカーに限定していて商売になると言うのが、その当時としては珍しいですね・・・つまりこの時代にはサッカーどころになって行ったということでしょう。

 この時代兄の子供・私の甥っ子が小学校3年でサッカー部に入ったとか。
  今では塾に行かないと友達と会えないみたいな事を言われますが、その当時は男の子でサッカーをやらないと放課後一人遊びになるような時代だったらしい・・・この土地では。
 校舎の壁には投光機がつけられて、暗くなっても練習が出来るようなところですから。

 さて従兄弟ですが、私の一族では彼だけが全国的な有名人。
  彼が私の父の葬儀に参列してくれまして、火葬場にも来てくれました。
 ここで小1時間待ち時間があるので、お茶とかお菓子などが出るのですが、甥に数枚色紙を用意させて従兄弟に書かせました・・・その場での思いつきなので彼も困ったかもしれませんがマア書いてくれました。
 これを後日息子がクラスメイトに自慢したようですが「嘘だ」とあっさり片付けられたようで悔しがっていました。
 「信じても信じられなくてもいいじゃない」と言った事を憶えています。

 そうそう父が亡くなったという知らせで、お通夜に合わせて家族で帰郷したのですが、田舎の駅に着くと駅前の店で「H池選手サイン会」をやっていました。
 当するにビデオを買うとサインが貰えて、彼の話が聞けて握手が出来る・・・マアそういう催しです。
 我が家族は即全員一致で通夜に行く前にサイン会に参加し、普段はシブイ女房殿がビデオを買うのですからおかしな家族です。
 この事を通夜の席で話しても「不謹慎」という受け取り方は無くて「そう、それは良かったね」となりますからそういう土地。

 葬儀の時に僧侶の長いお経が終わって(本来仏教徒でも檀家でもないので、お経にありがたみを感じる気持ちが薄いかも)食事が出る時に、甥が私の娘と息子を小ドライブに誘ってくれました・・・行き先は市内の贔屓チームの練習場でそこにはクラブハウスがあります。
 たまたま選手の一人と出会うことが出来たそうで、急遽甥がレプリカユニを買ってくれてサインを貰うことが出来ました。
 その選手はのちに大学の監督になり、今ではユースの指導者。
  そのユニは一度も袖を通さず、今でも息子のタンスの中にある筈です。
 
 さてさてサッカー関連の記憶のかけらも一杯ある。
  ここれで止めておかないときりが無くなりそうです。

ブログパーツ

2010-04-04 00:14:32 | Weblog
 このブログを読んでくれている方から「Jリーグ関係のブログパーツがあるよ」と教えて戴きました。
 成程試合のスケジュールとか結果などが貼りつけられる、便利なものがあるんですね。
  さて、これをこのブログに張り付けるかどうか?
 私の出身県も書いている事だし、贔屓チームも特に隠しているわけでもないし、貼り付けてみたい気はしますが、一応囲碁中心のブログですのでなんとなくイマイチ踏み切れませんでした。
 これはやらないと言う事では無くて今のところ見送りということです。
  来年あたり、仕事をリタイアしたら他に何もやることが無いので、趣味なども手を広げていろいろやりたいと思っていますので、こういうものも自分流にアレンジして挑戦してみたいと計画しています。

  いろいろ計画していますが
 まずはデジカメを買って(息子の物や娘の物を借りれば良いのですが・・・)身近なところを写してみたいと思っています。
  口で言うほど簡単では無いとは思いますが「普段何気なく見過ごしてしまう」対象を撮れたら良いなと考えている。
 特にどこかに発表するとか、ブログにするとかでは無くてせいぜい自分用のSDカードで記録する程度で、いつの日か「オヤジの見て記録した」ものとして残せれば良いなと思っています。

 サッカー関連では、自分で言うのもおかしいですがかなり熱心なファンではあると思う・・・しかし所謂コアサポーターでは無いし、、、出身地繋がりの他では、強いて言えば「他に好きになれるチームが無いから、一番好き」という感じでしょうね。
 贔屓チームが勝てばうれしいし、負ければ哀しいですが、「勝てれば何をやっても、あるいは内容が酷くても良い」とは考えない”気難しい”ところがありまして・・・多分こういうところはこの土地出身者のファンの特徴かもしれないと想像しています。
 
 そうそう、サッカー関連の思い出。
  Jリーグがスタートして1年目か2年目の頃、家族と故郷の家に帰りまして、近所のコンビニに息子や娘と買い物に行った時のことです。
 新聞紙大の印刷物をA4サイズに畳んだチーム関係のミニコミ誌を発見しまして大喜びして買いました。
 地方限定の出版物なので次の号からは入手出来ませんでしたが、家族と大喜びで暗い道を歩いて帰った事があります。
 その道すがら・・・Jリーガーが育った家がありまして・・・。
  選手はその頃はそこには住んでいなかったのですが、親たちの世代では「○○」さんところの息子みたいな感じでした。
 子供たちに「ここがその家だよ」と教えると予想以上の喜び方。
  建物は普通の家なんだけれど何だか面白いですね。
 Jリーガーは特別な人かも知れないけれど、同じ街に住んでいて近所で擦れ違うかも知れない・・・そういう存在という意識でしょうね。
 マアそういうことがあったからなのか、家族の内、私、女房殿、息子の3人は現在の贔屓チーム一筋です。

 趣味の世界ですから贔屓チームになるにはいろんな要素があるとは思いますが、私の場合は故郷に設立されたと言う事の他に、面識は無いとは言え当時の主力選手の出身高校の先輩に当たる・・・今は監督・コーチです・・・。
 今は他に住んでいるのですから準地元ということですね。
  現在住んでいるところのチームは2番目に応援するチームですので、一番好きなチームと二番目に好きなチームが対戦する時は必ずスタジアムです。
 今年は残念ながら実現しないので、来年は行けると良いなと思っています。

 自分史的には囲碁の方がファンの時代が長いのですが、サッカーの方もJ発足以来としても10年以上になるわけですし、土地柄それ以前からもサッカーに関する思い出もありますので、続きを書きたいと考えています。
 

苦手ウィーク

2010-04-03 00:30:55 | Weblog
 ウィーク・ポイントというのでしょうが、今週は苦手な事が続く1週間となります。
  まずは、昨日話したように転勤者・新採用といった初めて見る顔と出会う・・・というかいきなり3分の1が見知らぬ人と入れ替わる。
 マア私も幼児では無いから人見知りしたり、初対面恐怖症みたいに逃げ隠れするわけではありませんが、やはり若干のストレスになる筈です。
 私の課は4人グループで仕事をしていますが、そのうち一人が停年退職で一人が転勤。
  つまり半分入れ替わりました。
 お向かいの課では5人中一人が所内転勤ですが、新しく着任した人は私のまん前の席なので、これまで2年間顔を合わせて来た人とは別の顔と向かい合う。
 特に気が合わないとか、いやな印象ということではなくなく、新しいと言うことが若干の違和感ということでしょう。
 むろん仕事をするための集団だし、悪い人はいませんがそういう問題ではなく、変化することは新しい風が入るかもしれませんが、慣れるまでは気を使う。
 瑣末な問題かもしれませんが、避けられない事とは言え当初は疲れる気がします。

 自分の属する課とお隣の課でそれですし、事務所全体で見ると十数人新しい人と擦れ違う・・・顔はなんとなく慣れても、名前と一致しない・・・これが苦手。
 私の知能とか仕事能力とか言う前に、もっとも苦手なポイントです。
  こういうウィークポイントって不思議ですね。
 結構複雑な定石を覚えたり理解したりできるのに・・・今日の昼休みにネット碁で「難解詰め碁」なるものに取り組んで、5分ほどで正解に辿りついたのに・・・こういう脳の働きと人の顔を名前と一緒に憶えると言う能力はどうも別なものらしい。
 別な例えで言うと・・・「囲碁が強いと一流大学も合格するくらい学習能力も備えている」かもしれないし「囲碁」というところだけが特化しているのかも知れない。
 確か江戸川柳で「あの馬鹿に二つ置き」というのがあった筈・・・普段ボーっとしている奴に囲碁ではかなわない・・・。
 話が脱線しましたがともかく「顔と名前」が苦手。

 そして金曜日はもう一つ苦手の会。
   「歓送迎会」「納涼会」「忘年会」「新年会」・・・好きとか嫌いとかとは別次元の苦手感がある。
 誰かと話をしなくては2時間近くは持たない・・・。
  しかし共通の話題を見つけるのは難しい・・・「私が興味がある話題は、他の人にはどうも関心が薄い気がする」つまり、私が話せば相手は聞いてくれるにしても、それはかなり強制していると言うことですね。
 反対の立場で感じることがある・・・「私が興味が無い事でも、話し相手が熱心に話す場合はきちんと聞くわけです」から・・・それを考えると反対側の立場を考えてしまいます。
  それとカラオケみたいな事が始まったら最悪。
   私にとってですが。
 どうも続けて聞くだけの耐力が無い。
  いや、歌のうまい下手では無く、聞くと言うことが出来ない。
  勿論自分では歌えませんから、カラオケが始まったらこの辺りが中座のきっかけでしょうね。
 そこで今日は近くの席にOさんがいた事を幸いに作戦を立てました。
  このOさんの趣味は園芸だと有名ですので、話をそちらの方向に・・・
 デンドロ、シンビの話で間が持ちました、、、Oさんありがとう。
  それにしても宴席でも仕事の話が多いですね・・・確かに皆さん私を除いて皆真面目で仕事熱心なのは分かるけれど、仕事の話は程々にしてネ。
 だから宴席が詰まらないのですよキット。
  ここで囲碁の話とか趣味の話なら面白いのに・・・。 
 会話でなくても、順番に口演会みたいに話をしてくれる形式でも良いと思うのだけれど・・・

 園芸の話が尽きたし、一応料理もお終いのようだし、、、何と言っても今年も転入者で碁を打つ人が居ないようだし、ここいらが精神力の潮時のようです。
   歓送迎会出席というアリバイを残してエスケープ。
  金曜日の夜だし、家に帰ってネット碁でも観戦している方がいいですね。

年度初め

2010-04-02 00:21:25 | Weblog
 今日は4月1日ですから仕事上初めの日です。
  職場では本日付けで着任した人が約3分の1います・・・基本的に3年毎の転勤ですから概ねそういう計算になるわけです。
 ですから朝礼では着任人を3分の2の人が迎える形になります・・・これで私などは当分名前と顔が一致しない同僚とすれ違うことになります。
 座席表にはどこの机に誰が座っているのか、電話の内線番号と併せて印刷物が配られています・・・しかし、私にはこの作業が最大の苦手なのです・・・新年度の悩みはここにあると言っても良いくらいです。
 4月に転勤してきた人の顔はマア「良く見かける顔」=「同じ事務所の勤務者らしい」まではマアマア早くに認知できますが、そこから先が怪しいのです。
 「いつもあっち方面に歩いて行くから、多分○○課だろう」のレベルからすすまない。
 名前と顔と座席・所属が一致するのには早くて半年、長い人は2年近くかかってしまうので・・・私にはどうも認識能力が欠けているようで、人には言えない恥ずかしい部分です。
 
  さて1年の始まりは1月1日ですが、これは暦の上の話で昔と違ってこの日を境に年を取るわけでもありません。
 学校などもそうですが、職場でも4月1日が年度の始まりなのです。
  この辺の使い分けがゴク自然に出来てしまうのがむしろ不思議ですね。
 中国では1月か2月の途中で春節というのですか新年を祝う習慣のようです、韓国も同じかもしれません。
 そうすると西洋歴の1月1日、春節という年の始まり、学校関係の年度初め、法人の決算に絡む年度初め・・・全く使い分けをしなくてはいけません。
 それぞれに意味がある切り方何でしょうね。

 ところで我が新年度
  業務で使う紙ファイル、キングファイル、台帳などを切り替え・・・中身の要氏も全て。
 各資料の保存年限を確認して書庫の整理・・・当分この仕事が続きそうです。
  マア仕事も今年が最後のになりそうなので間違った足跡を残さないように要注意です。
 この4月1日は新年度の始まりであり、私には最後の年の始まりでもあります。
 
 

修業は続く

2010-04-01 00:05:35 | Weblog
 昨日書いたように息子は免許を取ったばかりなので運転をしたくてしょうがない時期のようです。
 今日も「ちょっと練習に行って来る」とか言って出かけて行きました。
  マア行き先は近所の大きな駐車場でターン・車庫入れの練習程度だと思っていたのですが、なかなか帰って来ませんで、こういう時親としては「もしかしたら・・・」みたいな悪い想像をしてしまうようです。
 私の場合は免許を午前中に取って午後には仕事で車を運転していたのですから、それほど心配する事も無いとは思うのですが、「練習」と言いながら乗る甘さみたいなところが心配な気がします。
 糸の切れた凧状態の息子を携帯で呼び出して、昼からは私が歯科大の虫歯治療・昼食にちょっと離れた場所の食堂・大型店舗での買い物に車を使用・・・。
 免許取りたての若葉マークが「自分が運転する」と主張するのです。
  確かに助手席は楽に違いないが、それは信頼できるベテランドライバーの場合に限るわけで、横で乗っていると何か言いたくなるのを我慢するというストレスを味わうのです。
 基本的な事でどうしても言っておこうと思った場合は、「ヘタクソめ!」というh誤解が生じないような気遣いが必要・・・自分の息子にものを言うのに気を使うものです。
  これは囲碁を身内に教える時とか、勉強を見る時も同じだと思うのですが、親しい間柄程難しいものです。
 という事で昨日に続いて無言の行、および気を使ったアドバイスという修業みたいなものでした。

 ところで水曜日はナビスコカップの予選リーグの試合。
  最近スカパーを契約し直したので、この1カ月は契約外の番組が視聴できるので初めてナビスコカップをTV観戦出来ました。
 夜始まった試合・・・内容はともかく結果が良かったので、試合終了から30分後に始まった再放送を見てしまいました。
 内容は分かっているのに
  結果が変わるわけではないのに・・・
 昔プロ野球ファンが贔屓チームが勝つとスポーツニュースや深夜のスポーツ番組を見て、尚且つ翌日のスポーツ新聞を買いにくとか聞いたことがありますが、似たようなものでしょう。
 囲碁の場合の棋譜を繰り返し見直すのとは意味が違いますね・・・あれは自分がプレイヤーですから繰り返し見直す事で少しは役に立つ発見も期待できます。
 スポーツ観戦の場合は単に余韻に浸りたいと言う動機が強いか、あるいは昔TVのない時代に映画館で同じ映画を何度も繰り返し見たような感じの方が似ていそうです。

 マアそれでも贔屓チームの長所と欠点を見たり、現在の調子とかチームの状況を感じ取ることが出来そうですから、広-い意味では修業?・・・野次馬・サポーターレベルですが。