きのねの本音

染色や木彫り そして気の合う仲間たち
大好きなものに囲まれ シニアライフを楽しんでいます
時には 愚痴や本音もポロリ

しょうけい館って????

2016-07-11 22:49:28 | 田舎日記
しょうけい館????

初めて聞く名前だった。

調べてみると、
厚生労働省が、
平成18年の3月に

戦傷病者が体験した、戦中、戦後の労苦を、
後世に語り継ぐ施設として、
東京の九段下に開館した、国の施設だった。

先月、その、しょうけい館から、
95歳になる父の体験談を聞かせて欲しいと、
電話があり、

今日、インタビューの様子を収録する事になった。

正直、この数日の父の様子を見ていると、

大丈夫かな??との不安はあったが…


父は、21歳で徴兵され、
機関銃中隊に配属になり、満州の国境の警備をしていた。
極寒の中、一晩中、銃を構えて見張りに立っていた為、
左目が凍傷になり失明した…と、

私が子供の頃、母から聞かされた。

終戦後、父母の居る実家に帰ったが、
食べる口が増えたと言われ、
同居していた兄夫婦に気を使いながら、苦労をし
農作業や山林の仕事をしていた。

私が5歳の頃、荷車に、少々の家財道具を乗せて、町に出てきた…と、

これも、母から聞かされた。

私が知っている戦争の話や、その後の苦労話は、母から聞いたもので、
口数の少ない父からは、聞かされることはなかった。

10時に、しょうけい館の担当者さんと、デイレクターさんとカメラマンの、
3人が来られ、
狭い父の部屋に機材が運び込まれた。

ライトに照らされた椅子に、
少々緊張気味に、父が座り、
デイレクターさんの質問に答え始めた。

2時間あまり、

最近、記憶力も理解力も、めっきり衰え、
質問と答えが合わなかったり、
記憶が曖昧だったり…

それでも、父は饒舌だった。

曖昧になっていく多くの記憶の中で、
戦争の記憶や、辛かった丁稚奉公の頃の記憶は
消す事も、消える事も無く、
今も脳裏の奥で、鮮明に潜んでいるのだろう。

日頃、聞く事も話す事もしないが、
それを、今話すことで、
父の生きて来た証を、
私達に、残そうとしている様にも思えた。


今日の収録は、DVDにして頂ける。

そして、しょうけい館の資料として使用されるが、

父の戦争体験が、後世に語り継がれ、
微力でも、戦争抑制の役に立てれば、嬉しい。

昨日、参議院選が行われ、
与党が過半数を獲得し、
憲法改正に、弾みがつくのでは…と、懸念される…。




























コメント
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