きのねの本音

染色や木彫り そして気の合う仲間たち
大好きなものに囲まれ シニアライフを楽しんでいます
時には 愚痴や本音もポロリ

自分のエンディングを考える

2019-02-15 17:13:55 | 日記
今日、近くの公民館で、

エンディングノート
〜今だからエンディングを考える〜
の講座があるのを知り、
14時から、参加して勉強してきた。



人生の最終章…エンディング。

最近は、お一人様も多く、

会場は満席に、
用意した資料も、足りなくなる程の
盛況振りに、
関心の高さが伺えられた。

父を介護していた時、
父に、エンディングノートを渡した。

同居していなかったので、
父の事は何もわからない。

父の交友関係も、財産や保険の事も、
家や土地の事も、
詳しくは、何も知らなかった。

エンディングノートには、
終末期の医療の受け方や、
葬儀、相続、お墓…など
自分の希望を書く欄がある。

父がどうして欲しいのか?…口で聞くのは、
娘でも、気を使う。

ノートに書いて欲しいと渡したのだが、

そのノートは、
一文字も書かれないまま遺された。

90歳を過ぎた父に、
死を考えさせるのは、酷だったと、
ノートを見る度に、心が痛んだ。

父の死後、
何もわからない私達は、

悲しみを受け入れる時間も許されないほど、
次々と、様々な手続きに追われ、
戸惑い、うろたえたのだった。

そんな経験をしたからこそ、
エンディングノートを書いて残しておく事は、
遺された家族への、優しさなのだと思っている。



今日は、
任意後見人制度に付いて、教えて頂いた。

身寄りの無い高齢者が、
まだ元気なうちに、前もって、
見えない将来に備え、
信頼できる人と後見人契約を結んでおく制度で、

後に、判断能力が低下した時に
(痴呆や脳梗塞など)
見守りや、財産管理や、医療や葬儀の事務手続きや、
また、死後の家の売却などを、
契約した後見人に委任してやってもらう。

最近、高齢者を狙った詐欺が多い。

信頼し、信用できる後見人が
周りにいるのだろうか?

どこまで信用出来るのだろうか?

現実には、難しい話だと思うが、
身寄りの無い高齢者には、

深刻な話だと思う。

人生のエンディング、
誰にも迷惑をかけず、痴呆にもならず、
元気でコロッと、死ねたら…いいのだが…

イヤイヤ、死ぬ事よりも、
死の直前まで、
元気で生きられることを考えよう。

命ある時間を大切に、

充実した生きたを…する。

それがエンディングを考える…という事だと思う。





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