世襲格差社会 は機会の不平等を生む
生まれる家庭によって境遇は違うけれど、勉強や頑張りによって人生を豊かにできる。
自由と平等、資本主義の社会に生きる私たちは、チャンスは皆に平等であるべき。
我々は、どこかでそんな価値観を持っているが、果たして誰もがチャンスを掴める世界は、現代社会に於いて
存在するのだろうか。
機会の平等が結果の平等になるとは限らないのは理解できる。
しかし、結果の不平等が大きい社会は、現実的には機会の平等が機能していないと言える。
その原因の一つが「世襲」だと思う。
そもそも、自分の子どもが可愛くないという親は少ない。
自分の仕事や地位に満足している人が、それを子どもに受け継ぎたいと考えることは当然といえる。
自らが歩いてきた道が魅力的であればあるほど、子どもにも同じ道を歩かせたいと思うのが人情である。
企業の社長や政治家、タレント、医者などに世襲が多いのも納得できる。
しかし、それは同時に他者のチャンスを奪うことでもある。
職業には必然的に枠がある、親の資産を活用する、所謂「優待券」を利用して参加すれば、明らかに有利に進
めることができる。
そうなると「優待券」を持たない人たちがつきたい職業から排除されてしまうのは必然である。
これが「機会の不平等」ということである。
現在の日本社会は、この世襲化がどんどん進み固定化されているような気がする,正に「世襲格差」である。
資本は資本を生み出し、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる。
格差社会を生み出す背景となっている一つが、この「世襲」だと感じる。
政治は、日本社会の方向性を決める場であり、議員は国民に規範を示す立場である。
その政治家が「世襲」に対してどのように挑むかが、日本の未来を決める大きな一歩となる。
このまま「世襲格差社会」を放置することは日本社会の崩壊に繋がると言っても過言でない。