存在を表現するフィールドを持つことの意味
昨日も晴天で朝の内は寒いが日中は空気が澄んで気持ちのいい一日でした。
年末から毎日のように、午前中はフィットネスルームでトレーニングをするようにしている。
しかし今週になってオミクロン株の感染が急激に拡大し、神奈川県でも昨日の感染者が1,500人を上回った。
再度、まん防や緊急事態が出されると、フィットネスルームも使用禁止となり、狭い室内での自主トレを行う
しかなくなる。
月に2回の訪問看護はいつも開いているティールーム行うことができるので助かっている。
声帯が麻痺してる私にとっては、他人との会話は大切なリハビリで貴重な30分である。
自分の現況を言葉で分かりやすく話し、相手の意見をしっかり吸収することは私にとっては頭と発声のトレー
ニングである。
人間は会話や五感を使って様々な情報をインプットし、それらを選択し吸収し独自の情報として会得する。
そして情報から得た知識を発信することにより自らの存在を個性として表現する。
私はそのフィールドをブログという手段で発信し続けることで自己表現しているに過ぎない。
そしてブログというツールを使って私個人の存在を表現し続けることで、考え方や心の変化に気付く時もあ
り自分でも「なるほど!」と思ったりすることもある。
私が師とする桃知利男氏曰く「全く情報を発信しないモノは存在自体がないと同じなのだ」と言い切る。
現代社会は、種々雑多な情報が飛び交う中で自分なりに見定めて、知識として蓄積する。
そして自分の存在を表現するフィールドで発信する。
結果として、自らの存在を多くの人に認識してもらう機会が生まれると私は思っている。