「やりたくない」と「興味がない」とは全く違う
『はじめに、昨日は阪神淡路大震災から27年目でした。
震災でお亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈り致します』
「やりたくない」と「興味がない」どちらも日常でよく聞かれる言葉である。
響きが似ているため、混在して使っている人もいるが、二つの考え方は意味が全く違う。
「やりたくない」とは「嫌い」という認識がはっきりしていることである。
以前に経験があり、苦い思い出があったり、不愉快になることがわかっていたりするときに使う。
たとえ経験がなくても、あらかじめ自分が不愉快になるだろうと予想できるときにも使う言葉である。
やりたくないことは、嫌で、ただ不愉快になるだけなので、やる必要はない。
無理をしてやっても、余計に嫌いになるだけである。
しかし「興味がない」ことは全く違う。
「興味がない」とは「面白いと思わない、心が引かれない」という意味である。
必ずしも「嫌い」という感情が伴っている訳ではない。
興味がないのは、まだやったことがないせいか、経験があるが面白さや魅力に気づいてないのかもしれない。
興味がないことをやってみると、意外な面白さに気づいて、新しい世界が開ける可能性はある。
「やりたくない」ことはやらない方がいいが「興味がない」ことはやってみる価値はある。
「興味がない」ことでも、やってみることで新たな可能性を発見できると楽しみが増えるかもしれない。