目に見えない意識が書くことで見えてくる
僕は、毎日ブログと云う手段を使って、思い付いたテーマについて自分の考えを書いている。
時々、書いている内に自分の本心が見えてくることがある。
決してそういう気持ちで書き始めた訳ではないが、結果として自分を発見する行為になってるのに気づく。
日頃から考えていることや思っていることでも、それらの意識は目に見えるものではない。
しかし、毎日の習慣として書いていると、もやっとした意識が、はっきり目に見える形で表れる時がある。
自分が読んでも「なぜこんなことを知っているんだ」と思うようなことや、書いている途中で、自分で「なるほど」と頷くようなことがある。
人間には目に見えないもやっとした意識が「書く」という行為によって目に見える形で外に吐き出される。
その吐き出されたものが、本来自分の中に溜め込まれた、感情、考え、意識などにあたる。
それらが自分でも気づかなかった「もう1人の自分」の一端が見えたのだと実感する。
日常の生活の中で、瞬間的に感じたり思ったりしていることは、頭のどこかで蓄積されている。
それらを吐き出すという行為、つまり、書いてみることで見えてくることがある。
自分を吐き出すフィールドを持つことは、頭の中で眠っている本当の自分が見えてくるものだと思うのだが。