お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

心配性はいつのまで経っても直らない

2021-08-21 06:07:43 | 日記

心配性はいつのまで経っても直らない

 

私はどちらかと云うと極端ではないが心配性の方だ。若い

頃から自分でも誰に似たのかと思うほど、どうしても心配

事を悪い方に考えてしまう。特に家族のことに関しては不

安に感じると眠ることもできないほど心配になる。決して

信用してない訳ではないが親の心理っていうことなのだろ

うか?

 

そんな訳で、自分のことでも何か問題が起きると冷静さを

失い、落ち着いて解決の手順を考え段階を踏んで行動する

ことが苦手な方である。それでも現役を引退してからは少

しは楽観的に物事を考えられるなったが、単に責任の範囲

が少なくなったに過ぎないかもしれない。

 

今後人生を生きていく上で、この心配性と云う性格は直ら

ないと思うが、心配事や悩み事の対して冷静になって考え

る余裕をもって解決しようと思っている。心配性であるこ

とは決して欠点だとは思ってなく、物事を多面的に考える

性格で、ある意味思考的には必要なことかもしれないと、

都合の良いように解釈している。

 

 

 


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過去は変えられない事実と変えられる印象

2021-08-20 05:50:13 | 日記

過去は変えられない事実と変えられる印象

 

人生は楽しいことや辛いこと何をしてしていようと夜に寝

ていようと、正確に時は刻んでいく。一瞬ごとに過去にな

っていき元に戻すことは不可能である。過去の経験や体験

を基に反省や思考をしても、これからの将来に役立つとは

限らない。

 

だから、過去の選択や決断をあれこれ思ってみても、どう

にもならないことであるが、楽しかった思い出や辛く苦し

かった思い出を考え方を変えることで、過去の思い出の評

価や印象を変えることができるものもあると思う。

 

つまり、過去の事実は変えられないが、思い出としての評

価や印象は今の自分の素直な心で考えてみると変って感じ

られ、過去の思い出はその意味では変えられると思ってい

る。これから先、生きていく上で過去の変えられない事実

と変えることができる印象を心に留めて、自分らしく生き

ていくことが大切だと思っている。


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コロナワクチン2回目が終わったが

2021-08-19 05:46:49 | 日記

コロナワクチン二回目が終わったが

 

昨日、ワクチンの2回目の接種をしてきたが、これだけ情報

が錯綜してると安心感は殆ど無く、2週間後に抗体ができ9割

の確率で感染しなくなるとは全く思っていなく、今後も今ま

でと変わらず予防対策は、しっかり行うつもりである。なに

せ神奈川県の最近の感染者数は、尋常ではなく感染しても入

院は無理で自宅療養で急変したら、おそらく助かる見込みは

少ないと思うほど,ひっ迫している。

 

一昨日の菅総理の記者会見を見たが、総理は今回のデルタ株

による全国的な感染急拡大の対策として、医療体制の拡充・

人流の5割抑制・ワクチンの早期接種完了を3本柱として、来

月12日まで緊急事態宣言・まん延防止等重点措置の追加や延

長で、対策の整備を行うと言っている。

 

総理大臣は国のトップであり、それだけ総理としての発言は

重い。国民は国会議員を選ぶことはできるが、残念ながら総

理大臣を選ぶことはできない。今回の記者会見で総理は何度

も、国民に対して「ご理解とご協力をお願いします」と頭を

下げた。

 

しかしながら、私の心に響いてこなかった。一国の総理が国

民に向けて頭を下げてお願いすることは、かなり重い決断だ

と思うが、国民の心に響かないと云うことは、信頼関係が築

かれていないからである。総理の言葉には心の底から訴え掛

けるような説得力が感じられない。この国難とも言える事態

に国民の多くは、その気にさせるようなリーダーシップを望

んでいると私は思う。

 

 

 

 


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疎遠になると生存の確認もままならない

2021-08-18 06:23:17 | 日記

疎遠になると生存の確認もままならない


昔の知人や友人と疎遠になって何年間も会うことは勿論

メールや電話すらしなくなった方に「誕生日おめでとう

ございます」のメールを送ると、友人から「〇〇さんは

〇年前(〇ヶ月前)に亡くなられました」と云うメール

が着て、愕然とすることが最近多くなってきた。

 

5年前に、生まれ育った北海道から神奈川県に越して来た

せいもあって余計に、北海道時代の友人・知人とは疎遠に

なりがちである。コロナ禍で、家族でさえ自由に会うこと

ができない現在では、まして昔からの友人・知人とは疎遠

になって行くのは仕方がないことかもしれない。

 

もしも、私の死後に誕生日のメッセージなど届かないよう

に、家族にはあらゆる手段を使って死亡の報告をするよう

伝えてあるが、考えてみると毎日書いてるブログや某SNS

に投稿しているのは生存の証の意味もあるのかもしれない。

人間は明日の命の補償さえもなく、今を生きていることを、

何らかの形で生存の証を示しておくことは大切なことかも

しれない。

 

 


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今の自分が必要とされてるかに意識することはない

2021-08-17 05:24:41 | 日記

今の自分が必要とされてるかに意識することはない

 

現役時代は社会や組織など自分を取り巻く様々な関係者が

自分の存在を必要とされていたと思っていた時は、それな

りに役立っていた実感はるものだ。そして家庭を守るため

に、より多くの報酬を得ようとする張り合いもある。

 

しかし、退職するとそれまでの実績は殆どなくなるような

喪失感を味会うこともある。そして現在の自分は必要とさ

れている存在なのか疑問に思ったりもする。

 

しかし、そのよう心理状態は現役時代にも、幾度も経験した

ことだと思うし、確かに現役時代には実感もあり、それに伴

い満足感と向上心も湧いてきた。

しかし、現在自分が必要とされてるかどうかが、自らの存在

意義とは全く違ったもので、あまり意味のないように思って

いる。とにかく今は、これからの人生をあれこれ考えずに、

少しでも楽しく一日一日を過ごすことを考えて生きていけれ

ばと思っている。

 

 

 

 


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