お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

自由に人と会うことを躊躇う時代

2021-08-11 05:47:11 | 日記

自由に人と会うことを躊躇う時代

 

これだけ長期化している新型コロナ感染症で新たな生活

環境や行動変容がすっかり定着してしまった日常生活は

一つの時代と言えるだろう。最も人間にとって辛いのは

自由に会いたい人と会うことを我慢しなければならない

ことであると思う。

 

一度コロナを感染発病した際には、完治するまで家族で

さえも会うことができない。最近は変異したデルタ株に

よる感染拡大で全国の感染者数が過去最多となって、益

々国民の恐怖感は増し、政府もお手上げ状態でワクチン

に託すしか対策はないようだ。

 

人間は、自由に会いたい人と会いたい時に会えることが

自然の欲望であり、当然に今迄は自分の人生の中で大切

な位置づけとして生きてきている。これが、あらゆる防

止対策を講じても、人と会うことを躊躇しなければなら

ない時代は、新型コロナ感染症は人間の持つ本性をも感

染してしまったようだ。こんな時代を一日でも早く終わ

らせることが人類の願いである。

 


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ブログの画像の持つ説得力は大きい

2021-08-10 05:25:31 | 日記

ブログの画像の持つ説得力は大きい

 

私が見ている多くのブログには、圧倒的に画像を中心に構成

されてるものが多く、改めて画像の持つ説得力の強さを思い

知らされる。画像は一瞬にして見たことが読者の感情を刺激

するので、文章と共に一読すると投稿者の意志がよく解る。

 

私は、某SNSに毎日のブログのタイトルとURLを、ブログと

は無関係の風景中心に一枚の写真と一緒に投稿しているが、

その写真によって、その日のリアクションの数が大きく違う。

正に画像の持つ力は読者に影響することは事実のようだ。

 

私のブログには、一枚の画像もなく、なんとなく殺風景で固

く感じるイメージあるが一つの拘りで大して意味はない。で

きるだけ、わかり易く読み易い文章を書くように心掛けてい

るが、これが簡単のようで難しい。

 

何よりも、自分の日課の一つとして自分に正直に、そして楽

しむことを第一に考えて、これからも書き続けていこうと思

っている。

 

 


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ブログは自分を変える力があると信じて

2021-08-09 04:42:45 | 日記

ブログは自分を変える力があると信じて

 

最近、私は同じgooblogに毎日投稿している、おそらく若い

女性のブログを読んでいる。以前から自分を素直に表現する

ことが苦手で、そんな自分をどんどん追い込んで苦しく辛い

毎日を送っているようだ。今の唯一の救いは彼氏がいること

で、なんとか持ち堪えているようである。

 

若い頃は、性格にもよるが経験も浅く自分に自信を持てなく

積極的に自分の存在を主張できない人はいる。なんとか今の

自分を素直に晒して、少しずつでも自信を付けるためにブロ

グを始めたらしい。



若い頃に自分の存在意義を見出すのは、自己主張を素直に表現

することが大切で性格や環境によって個人差はあるが、多くは

悩み苦しむ時期があると思う。彼女は、なんとか這い上がるキ

ッカケとしてブログを書くことで自分自身を奮い立たせようと

しているのがわかる。

 

そんな彼女のブログを読んで、毎日書き続けることで必ず何か

を掴み取って欲しいと応援している。「継続は力なり」である。

 

 

 


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人生の岐路の判断は解釈次第で変えられる

2021-08-08 07:17:19 | 日記

人生の岐路の判断は解釈次第で変えられる

 

人間は生きていく中で幾度か人生を左右する選択をする

機会がある。それを「人生の岐路」と呼んでいるが、我

々の毎日は決断の連続で、何を買おうか、何を食べよう

か、どんな服を着ようか等、何気なく過ごす毎日の中に

も決断して知らず知らずのうちに実行している。

 

私もこの年まで、幾度かの「人生の岐路」を経験してき

たが、その決断が間違っていたかどうかは、今でもわか

らない。たとえ間違いだったとして後悔しても意味がな

い。「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言われ

るが、結果として現在、こうして生活できていること思

うと結果は良かったと思うしかない。

 

しかし人間は何故か過去の判断に対して後悔や未練が残

るものがある。当然に過去に起きた出来事は変えられな

いが、その判断に対して自分が感じていた解釈を変える

と過去は変わって見える。過去に最悪だった出来事があ

って良かったと思ことがあるように、過去は自分次第の

捉え方で変えられると私は思っている。

 

 

 

 

 


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自分に対して妥協できる年になった

2021-08-07 05:50:31 | 日記

自分に対して妥協できる年になった

 

人間だれでも時には、自分自身に妥協して生きていること

がある。例えば、明日の予定は大切でないので、なんとな

く気分が乗らず、体調もあまり良くないのでキャンセルし

てしまうことは誰にでも経験はあること思う。無理して行

って、何かあったらと思うと止めて於いた方がいいと自分

に言い訳して妥協する。

 

年を重ねると、特に現役を引退すると、自分に妥協するこ

とが多くなるようだ。社会的立場や責任感が殆どなくなり

自分の判断一つで自由に行動できるので、自分に対する甘

えや妥協がでるのだろう。勿論、個人差はあり自分で立て

た予定はきちんと熟す方もいるのは確かだ。

 

私自身はここ数年、別に大した理由もなく気分的に乗らな

い時は変更することがよくある。つまり自分自身に甘くな

り妥協していまうことに罪悪感や怠け意識はあまり感じな

い。自分の予定を多少変更したところで、今の日常生活

に影響はなく、自由に時間を使える年(立場)になったから、

許される妥協だと思っているからである。

 

 

 

 


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