あきらの稽古日誌~合唱、日本舞踊、ETC

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ディレクターのコメント

2016-02-27 17:24:33 | 日記
劇団「チャレンジャー」の「鼬」の稽古で前回に続いて、ディレクターから次のような私へのコメントがありました。

演じるということは、その役を生きるということだ。
日本舞踊のようにある型があってそれをやればなんとかなるという風に(芝居も)考えてはならない。
芝居は、例えば森光子が「放浪記」を二千回以上やったが、あれは一つの型にしなかったのがよかったのだ。
彼女は型を演じているようだが、実は一回一回その役を生きているので新鮮なのだ。
また、歌舞伎の型も、元はリアルな役を生きるところから生まれて、それが一つの型に定型化してきたものだ。
それに歌舞伎役者でもうまい役者は、型をやりながら実はその役を生きているのだ。
何か日舞の型をやるように型だけをやればよいと言うようなことになると心が真実ではなくなってしまう。
そこのところを理解してほしい。
ちょっと慣れてくると、何か決まったことをやればそれでいいという風になりがちだが、それではだめだ。
前回、こちらが要求したことを役者ができるようになったら、それを一度壊すんだと言った。
要するに型に依存するようになったら、その型はその役者にとって弊害でしかないということだ。
型に寄りかからないようにそれを壊して、もう一度新鮮さを取り戻すことが必要だ。
役者は、型を演じるのではなく毎回、役を生きるというチャレンジを心と肉体を駆使してやるからこそ芸術家と言える。
芝居は、ライブなのでその場限りの一期一会の感動がその度に生まれる、そういうところが実演の怖いところでもあり魅力でもあるのだ。
そこら辺をもう一度原点に帰って考えて貰いたい。

私にとっていろいろな意味で心が痛むコメントではありました。