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Tcupサ終のため2022年春に移籍しました。岩手盛岡のことやサッカーなどスポーツのことを書きたいと思います。

オラの1995年

2011-06-03 20:26:00 | 蹴歌蹴闘
1995年、オラは県立高校の2年生だった。

この年のオラはまず5月に新潟でJリーグを初体験した。このときのカードは柏レイソル対サンフレッチェ広島である。まだアルビレックス新潟は北信越リーグのレベルでしかなく、アルビレオ新潟FCというチームだった頃だ。
この年の広島は「アジアの大砲」高木琢也も現役だったが、前年に足を怪我した影響からこの時期の試合には出ていない。だが試合は広島が2-1で柏に勝利した。

オラはそこからサッカーへの興味をそそられるようになった。世間はサッカーブームがすっかり鳴りを潜めたが、Jリーグへの思い、情熱を止められないクラブはたくさんあった。
東北地方にもそんなクラブが登場した。それがブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)だった。ここの選手の名前を見てオラは「おや?」という気持ちになった。というのも、盛岡商業高校OBの選手が多かったのだ。平聡、根子達也、岸根邦博といったメンバーが試合に出ていたが、地元仙台でなかなか勝てずにいた。オラがTV(IBC岩手放送)で見た京都パープルサンガとの試合では1-5と惨敗だった。その1点を決めたのは新潟や大宮アルディージャの監督を務めた鈴木淳だったのだが。

そんなブランメル仙台が盛岡に来るということで、オラは9月と10月に開催される2試合を見に行こうと思ったのだ。ところがオラは8月に突然腹痛を患い入院、虫垂炎と診断された上に腹膜炎も発症し9月に行われた西濃運輸との試合は病床でTV(TVIテレビ岩手)を見ることになった。この試合は延長Vゴールで西濃に負けてしまうのだが、この悔しさを絶対に10月にぶつけてやると心の中で思った。

そして10月1日、岩手県営運動公園陸上競技場でブランメル仙台対富士通(現・川崎フロンターレ)の試合が行われた。
この試合、仙台はもちろん富士通にも遠野高校卒の岩淵弘幹がいて、岩手のサッカーファンにはこの上ないサービスだった。
また、このときすでに仙台に吉田暢がいた。シーズン途中にジェフから移籍したのだ。これがその後の仙台に影響するとは予想しなかったが。
試合のほうは4-0で仙台が完勝。前回のVゴール負けの鬱憤を晴らすゴールラッシュだった。元ヴェルディの阿部良則とブラジル人のエジマールという2トップそろい踏み、これにはさすがに驚かされた。

オラはその感動が忘れられず、わざわざ仙台まで行った。とはいえ当時はまだ泉中央のユアスタ(ユアテックスタジアム仙台)がなく、利府町にある宮城県サッカー場で試合していたが。
最終節の相手はJリーグ行きを目標にする鳥栖フューチャーズ。元日本代表GKの松永成立らうまい選手を擁していた。常識的には仙台は負けるだろう。しかしこの試合は違った。
先制したのは仙台のほうだった。前半に2-0とリードする。しかし鳥栖も青嶋文明のゴールで追いすがり、さらに同点に追いつく。こうして2-2の同点で延長戦に突入した。
そして延長後半、阿部のVゴールで仙台が勝利した。その瞬間スタンドは総立ちとなったが、オラはその一方でフィールドにうずくまる根子の姿を見ていた。そして同じ岩手の人間として、この1年がんばった根子や平に心からエールを送った。

この頃からサッカー馬鹿の血が騒いだのだろうか、翌週には運動公園での高校サッカー選手権岩手県大会を見ている。ここで当時大船渡高校1年生の小笠原満男を見た。しかし大船渡は盛岡商業に準決勝で負けた。
決勝戦は盛岡商業と遠野の伝統の一戦。当時の盛岡商業には現監督の太田浩史やのちブランメル・グルージャの中村学、遠野はのちにフットサルで知られる浅利兄弟などがいた。
この試合、雨の中での戦いとなった。前半は互いにチャンスを活かせず0-0だったが、後半に入り盛岡商業はFK(フリーキック)から太田のシュートで先制。そしてこれが全国大会を決める得点になった。

この年の最後を飾ったのは、秋田で開催された天皇杯。仙台がジェフを相手にどう戦うか、オラは興味津々だった。
この年のジェフと言えば鹿児島実業高校から入った城彰二が注目だったが、この試合には出場せず。
この試合も開始前に雹が降るというあいにくの空模様。そして案の定前半戦は0-0で折り返した。そしてエンリケからエジマールのシュートで仙台が先制。しかしジェフもニュージーランド代表だったルーファーが同点ゴールを決めて意地を見せた。が、最後はCK(コーナーキック)から仙台がエジマールのゴールで勝ち越した。そしてそのまま試合終了。
このときオラは思った。
「もしかして、オラはブランメル仙台の守り神じゃないか?」
そして、この考えが「サッカー馬鹿」15年のオラのルーツなのだ。


サポーター前史

2011-06-03 16:24:00 | 蹴歌蹴闘
1993年、この年の世相を語る上でやはり忘れてはいけないのがJリーグ開幕だ。

この少し前、サッカー評論のパイオニア(つまり草分け的存在)である大住良之氏が書いた「Jリーグ大百科」を親が買ってきた。
そこにはヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)在籍で遠野出身の菊池新吉、ジェフユナイテッド市原(現・ジェフ千葉)在籍で盛岡(厳密には紫波町)出身の吉田暢の名前もあり、興味深かった。また、世界のサッカーリーグの情報も感慨深かった。今考えると貴重な資料である。

それに合わせて中学校の行間時間に日本地図を描いては、Jリーグのことを書いてみた。しかしそのときオラは気がついた。
「東は茨城から西は広島…東北は?」
もっとも、当時はジェフが仙台、北上、八戸に支部を持っていた。ただ、やはり東北にもひとつ欲しいな、とも思った。
さらに準会員チームのことを知ると、オラは人より物知りになった気分でいた。それもこの年の空気だったのだろう。

そんな中、1993年10月29日を迎えた。そう、日本代表がイラク戦で最後の一瞬の失点によりアメリカワールドカップ出場を逸した「ドーハの悲劇」の明けた朝だった。
その日は実は日の戸にある施設で炊き出しを手伝う予定だった。その日機嫌の悪かったオラは炊き出しの料理にあろうことか七味唐辛子や胡椒をぶっかけ、参加者に迷惑を掛けてしまった。それくらいあの日は気分が最悪だったのだ。
しかし今考えてみると「なんて無節操なことをしたのだろうか」と思う。それなのにこんなことで暴れるなんて、オラはこの頃から馬鹿ですぐ短気になる人間だったのだなと反省したくなる。多分今日本代表がワールドカップ出られなくなって愕然としても、暴れることはないよな。

はしがき

2011-06-03 15:53:00 | 蹴歌蹴闘
オラは岩手・東北のフーリガンだ。

フーリガンとはなにか?
物の本によれば「サッカーの試合を口実に騒ぎを起こす、あるいは扇動する輩」らしい。1980年代にはヨーロッパ各地でサッカーの試合中・試合後に観客が暴徒化し、殊にイングランドでは1985年に起きた暴動事件を機に自国サッカーの冬の時代が訪れることになった。
Jリーグでも一部のクラブではそのような不心得者がいるらしい。外国籍選手、監督への侮蔑によることが多いようだが。

そんな人間が岩手県にいるのか?というが、現実にここにいるのだ。それがオラ、斉藤晃である。
1996年、ブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)サポーターとして出発。現在は盛岡ゼブラのサポーターとして孤高の地域サポーターの地位を確立している。
そもそも1995年の段階で岩手県のサッカーというものはさほど盛り上がらなかった気がする。唯一話題に上がっていたのが、当時大船渡高校1年生の小笠原満男だった。

しかしオラがサッカーに目覚めたのは中学3年の頃だった。折りしも1993年、Jリーグブームのときだった。
その中学校のオラの先生というのが大越先生と言って定年間近だった。その大越先生がオラの書いた日本地図を見て、「ベルマーレ平塚」「京都パープルサンガ」なんて言葉が出てきて驚いた。
さらに大越先生はかつて盛岡市の厨川中学校にいたようで、当時の教え子に元ベルマーレ監督の古前田充や盛岡商業・大船渡の監督を務めた齋藤重信がいたと語っていた。もしかして、オラの「サッカーバガ」はこのときに始まったのだろうか。

それを15年、時間をさかのぼって振り返ろうと思う。

思うことあって、新カテゴリーを。

2011-06-03 15:44:00 | SOCCER
昔(?)のことですが、なにか書こうと思いました。

で、そのときのコメントをもう一度読み返しました。

岩手サッカーの躍進を共に歩いてきたIRV氏の自叙伝を是非読みたいです。
確かに小笠原以降の岩手のサッカー界、色々なことがありましたね。
本当にやきもきしながらですが、楽しませてもらってますし、これからも楽しみです。
一番印象に残ってる話などぜひ聞きたいです。

…その小笠原時代の最初の頃の盛岡商業と盛岡市立のチームリーダーが今やアレですもんね。太田さんと仁さんですよ。

そこでMyBooks.jpを利用した自叙伝とかどうだろう、で、記事カテゴリーに「蹴歌蹴闘」を加えたいと思いますが。
J開幕の中3から今に至るまで書く予定。当然ソニー仙台に勝ったあの試合、盛商が雨の中で勝った国立、T1陥落から変わったIRVなど。

タイトル「オラはいわてのフーリガン」 これは決まっています。

盛商、ゴールラッシュ発進

2011-06-03 13:29:00 | SOCCER
岩手県高校総合体育大会サッカー競技、盛岡商業の初戦。

スタメン
GK 乳井
DF 大坊、久保、齋藤、武田
MF 谷村、藤村、村田、佐々木
FW 豊岡、花坂

前半から盛商はゴールラッシュ。藤村慶太は連発、佐々木海人も足技を駆使して決めるなど、もう独壇場。しかし花坂の決定力が上がれば前半で10点は取れた筈では?

8ー0で折り返した後半、FW+藤村を代えて臨んだ盛商は舘沢や谷村のゴールなどで7点を挙げて快勝。

明日は盛岡四と当たる。さすがにきょうのようなゴールドラッシュは望めないが...