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Tcupサ終のため2022年春に移籍しました。岩手盛岡のことやサッカーなどスポーツのことを書きたいと思います。

忘れえぬ聖戦

2011-06-22 11:30:00 | 蹴歌蹴闘
2001年3月17日、いよいよこの日が来た。この試合に負ければゼブラ、いや岩手のプライドがズタズタにされる。そして僕はこの戦いを「聖戦」と名づけた。
対戦相手は2部北ブロック優勝の北都銀行。監督は現在東北リーグ運営委員の加藤正樹さんだ。

その大事な初戦、まずペースをつかんだのはゼブラだが、ゴール前の北都は及川、田近と固い守備陣。ゼブラはなかなかシュートが打てない。
北都銀行はFWの工藤、主将の光田徹(この年秋田県A代表)が走る。これをゼブラの主将下河原、帷子が止めに入る。
先制点はゼブラ、CKからMF小原がヘッドで 決めた。さらにチームの危機にゼブラ復帰のMF高橋主税、佐々木豪臣が意地のシュートを見せるが決まらない。逆に北都銀行がCKからMF佐藤陽一のパスにDFの小玉のバイシクルシュート。これでゼブラは同点に追いつかれた。
それからは北都ペースに。光田、工藤にMF西本が絡んでリズムを作る。が、ロスタイムにゼブラがCKから高橋主税のヘディング。これが決まって2-1として前半終了。

後半は北都のプレーが目立つ。FWの運動量が落ちない。ゼブラはMF金を下げ、斉藤を投入。それから流れが良くなったが、サッカーは何が起こるかわからない。
ゼブラの攻勢をカウンター気味に食い止めて流した北都、右サイドから西本が独走。一気にゴール前へ走って矢のようなシュートをゼブラのゴールに突き刺した。
ここから北都ペースに戻る。辛くもGK高橋誠やDFたちが防ぐ。そして反撃のチャンスを待つが、これが今の(というか去年の)ゼブラなのか、決めるべきところで決まらない。結局2-2の同点で1日目を終えた。

翌日(18日)、どうしても負けられない(引き分けでもよかったが)ゼブラはスタメンにMFトーマス・エイドリアンを入れる。それによってゼブラは昨日見られなかった「流れ」が出てきたようだ。対する北都も光田が昨日以上の動き。そこに西本のサポート。なかなか見ごたえのあるゲームに見えたが、ゼブラのシュートはゴールの枠を外してしまった。北都も「引き分けでもT-1昇格は出来ない」ということで積極的に打つがダメ。
中盤に差し掛かったところ、両チームエキサイトして警告が相次ぐ。そんな中でゼブラはトーマスが基点となり攻める。しかしなかなか決められない。結局前半は0-0、あと45分でこの聖戦に終止符が打たれる。

そして後半戦。一進一退の展開が続くが、そのなかで北都の小玉翼(現秋田FCカンビアーレ)が走る高橋主税を倒し2枚目の警告(=退場)。ゼブラが数的優位に立ったが、直後のFW蛇口のシュートは空回り。そして北都MF萩原のシュートの処理を高橋誠が誤ったとして両チーム口論になる。
そのあとゼブラが蛇口、高橋主税のシュート。しかし相変わらずゴールネットを割れない。一方の北都は疲れの見えた光田からFW堀江に交代。しかし堀江はボールへの絡みが少ないように見えた。
試合は終盤、両チームとも単調な展開になってしまうが、こんなところでゴールが生まれようとは思わなかった。40分を過ぎたあたり、北都は工藤が退場、9人になってしまう。だがそこで得たFKに上がっていた田近が合わせてついに均衡が崩れた。この一瞬、僕は言葉も出なかった。

しかしゼブラも負けられない。そう、この戦いは「聖戦」なのだから。動きの良くない帷子を下げ、オラがバックラインから藤原監督に訴え続けたFW工藤浩三郎が入った。そして彼へのボールが多くなる。ここから奇跡が生まれたのだ。
DF八重樫のクロスからシュートを打つゼブラ、北都GK千葉の跳ね返りにヘッドは…
10番!工藤浩三郎!!
そして時計が12:51を指したとき、ホイッスルが鳴る。ゼブラは一瞬にして地獄から脱出した。負けた北都銀行は天国から地獄だったけど…。

今回の試合で「来季のゼブラはこうすべき」という点が見えた。
1.本格派FWの補強
高橋峰は本格派とはいえない。蛇口は故障以降得点能力が落ちた。工藤浩は実力はあるが練習で出来ていないようだ。こうなるともう一枚本格派と言えるエースが必要。
2.俊足の選手はぜひともほしい
試合を見ていて思ったことだが、足の速い選手が今のゼブラにはいないのでは?新垣が干されて退団してからのゼブラはスピード感がない。(トーマスはまずありますけど)
中村学、根子ぐらいの俊足はほしいところ。
3.当たり負けしないDF
帷子や小野寺はまだまだ若い。とはいえ
相手に当たり負けはするな!!
ボディコンタクトの強い、マンマークに強いDFを求める。実名出すと近田和也君(盛岡商業~国士舘大)。来て下さい。すぐレギュラーになれますから。
4.中盤のゲームメーカー
僕は高橋峰は中盤がいいと思うのだが。あと主税さんや佐々木豪が戻ってMF完成だと見る人もいたのが気になった。
もうすこしゲーム作れるのがほしい。幸い候補として千葉裕矢君(盛岡商業~帝京大)がいる。 是非来てくれ!

とか書いたが、近田も千葉裕も結局ヴィラノーバ行き。次回はそのへんの話をしたい。

ゼブラ低迷に怒る

2011-06-22 10:36:00 | 蹴歌蹴闘
2000年の盛岡ゼブラは前年のインターハイに出場した大船渡高校のエース工藤浩三郎、前年度東北学院大主将の齋藤仁(現監督)らを加え前年4位からの巻き返しを狙った。

しかしふたを開けてみればなかなか勝てない。工藤もゴールが決まらない。こうした中で結局退団した高橋主税や佐々木豪臣を呼び戻すほかなかった。
中でもいちばんショックを受けた敗戦は秋田でのTDK戦。
盛岡では1-1の引き分けとなったこの試合、秋田に来てTDK有利と見た。というのも、ゼブラは11人しか来ていなかった為、暑さでばてても交代がいないわけだ。TDKは控えも固定されているようで、MF工藤、成田、佐藤英幸、FW佐藤聡、DF佐々木義人といったメンバー。しかしGKは高橋哲ではなく鈴木。 これは驚きだった。
序盤は一進一退の展開。TDKはツートップの伊東、木村に合わせる。ゼブラはFW高橋峰がドリブル突破を試みるが、DF佐藤敬に阻まれた。そして、スルーパスが伊藤の足元に及んだところでダイレクトシュート。これが先制点となる。この後もTDKがペースをつかむ。しかし木村にDFのマークが入りなかなか前に出せない。セットプレーからMF遠藤がシュートを打つが、枠を外れてしまう。ゼブラのほうもFW工藤浩のシュート、さらに高橋峰のFKと 惜しいチャンスがあったが、点が入らない。
両チームとも足が止まってきたところ、TDKはMF佐藤淳に代えて工藤を投入した。そこからTDKはCKにDF斉藤が絡み、少し詰まった当たりのキック。これをMF佐々木一晃が決めて2点目、さらにMF佐々木武彦も続き3対0とTDKは前半で勝負を決めた。

後半、TDKが押し気味に展開したが、ゼブラは工藤浩から高橋峰にパス、さらに前線でDFを翻弄する。そしてMF岸根のパスを工藤浩が決め(DF柳橋の足に当たったが)3対1とした。さぁ、盛岡の再現だと行きたかったのだが、直後に右からのクロスボールを工藤が決めて4対1となってしまった。ゼブラはパスつなぎをしようとするが、TDKになかなか自由にさせてもらえない。TDKは試合を押し気味に進め、工藤がもう1点を狙ってシュートを頻繁に打つ。しかし、木村がゼブラDF帷子の激しいチャージで親指の爪を割ってしまった。ここで伊東から佐藤聡、木村から成田とメンバーを交代した。
工藤、佐藤聡の猛攻が続いた。佐々木武彦も絡んでくる。そしてセンタリングから飛んだ佐藤聡が、ゼブラにこれでもかの5点目をゲット。ゼブラも高橋峰、工藤浩、DF八重樫と反撃したが及ばなかった。結局5-1とTDKが実力を見せつける形で終わった。

それだけならまだ1敗ということになるが、直後の東北総体で岩手A代表(普通なら成年国体選抜と書くところだが、都道府県単位の公式戦が国体しかない現状を鑑みオラは「A代表」と書いている)が宮城(ソニー仙台単独)と山形(山形FC主体)に零封負け。さらに当時ゼブラの主力だった下河原真浩が負傷したとの報を受け、ここにいたってオラはネット上に暴言を書いてしまったのだ。
「藤馬鹿やめろ!オラが次期監督だ」
当時の藤原孝二監督を侮辱するようなことを書いてしまったのだ。それを見た地域リーグファンからは「あんたが監督やってゼブラが強くなるのか」「結果出なかったらそれこそバッシングされる」「アマチュアの分際で監督交代とか馬鹿じゃないか」などと言われた。
こうしたことが、前に書いた盛岡蹴球団へゼブラを預けようか、という考えに発展したわけだが、その後を考えるとあそこでゼブラを上を目指すとかいう輩に売ろうなんてなんてことを言ったのか…情けない。

結局2000年東北リーグ、ゼブラは最終戦を終えて6位、のはずだった。しかし当時はまだ節構成がなく、入れ替え戦対象チームが試合を残していた。そのチームが翌週の試合で勝利したためゼブラは入れ替え戦に回ることになった。これを知ってからオラは東北リーグの節構成開催実現を主張し始めた。それが実現するのは2006年だった。

ネット時代への一歩

2011-06-22 08:53:00 | 蹴歌蹴闘
今でこそオラはインターネットを通じた宣伝、情報発信を考え、行動する人間となった。
そんなオラもネットを始めた頃は大変だった。

パソコン購入、プロバイダ契約をする前は盛岡市南大通にあったNビルのインターネットカフェ、あるいはNTT岩手支店の無料体験コーナーを利用するしかなかった。
そこでサッカーの日程、情報などを仕入れていくうち、こんなサイトを発見したのだ。
「盛岡蹴球団発足準備委員会」
盛岡にJを、ということで立ち上がった数人の有志によるサイトだった。一時期オラも世話にはなったが、方向性を押し付けたとかで除名されている。時期が時期だっただけに盛岡ゼブラをどうにかしようとしたのが失敗だったのだろう。

その関係者の中でも活動方針で後に分裂したようで、発起人ら数名は日本代表応援のウルトラスに、別のメンバーはフットサル活動に専念。後者はのちにフットサルチームを立ち上げた。それがAMV(アミーゴ・ヴィクトリア)であった。これがいまのステラミーゴいわて花巻ということになる。

話をオラのインターネット話に戻す。オラが岩手レボリューションの公式サイトを立ち上げたのは2000年6月のことだった。最初の頃は岩手日報の記事の受け売りなどだったが、徐々にオラの生の観戦記などをアップするようになった。
当時の視聴者からも期待はされた。岩手サッカーの真の革命だとも言われた。だが、肝心のキラーコンテンツが不振だったのだ。