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Tcupサ終のため2022年春に移籍しました。岩手盛岡のことやサッカーなどスポーツのことを書きたいと思います。

1999・屈辱の最終戦

2011-06-18 23:19:00 | 蹴歌蹴闘
1999年の盛岡ゼブラは、優勝をあと一歩のところで逃した前年度よりパワーアップした。そして前半戦は首位を走る勢いだった。
しかし10月に入り、昇格2年目のアステール青森に敗れてしまう。それでもまだ最終節まで希望を捨てないんだ、とオラは思い県営運動公園へ。

相手は昨年の覇者トーキンだった。ここでゼブラが勝てば去年とは逆に逆転でゼブラが優勝できた。
しかしこの年はトーキンが強くなった頃でもあった。それにゼブラは押され、DF八重樫伸の退場でたがが外れると、トーキンの攻撃が炸裂。1対4の完敗だった。もちろん植竹もフル出場、相変わらずのキラーぶりを見せた。

このとき、トーキンの佐藤健一監督の胴上げを見てしまった。これ以来盛岡で敵の胴上げは絶対に見ないぞ、とオラは心に決めた。

この頃の付き合い

2011-06-18 22:59:00 | 蹴歌蹴闘
1999年頃のオラの付き合いというものは、大きく分けるとサポーター、関係者、メディアの各筋になる。

サポーターというのは以前に書いたサポーター集会で知り合った仲、ということだが、なかなか集まれず、オラが勝手にやってしまうことが多かったかもしれない。
それでも手紙のやり取りとか、情報交換でいろいろなことを知ることができた。

関係者といえばやはり盛岡ゼブラの人間ということになるか。
ゼブラの人間でよく話したのは新垣一彦さん。ゼブラ入団当時は大通りにあるラーメン店で働いていた。そこでカウンターの奥、サッカーの話題について語り合ったものだ。その中には岩手県民では知りえない情報もあったりした。
たとえばいま国会議員になられた当時地域リーグの某FC所属T選手が、ドイツでの移籍手続きでもめたという話(これは最近岡崎慎司選手が逆のケースで問題になりましたね)。これは将来日本代表選手の海外移籍に波紋を投げかけるぞ、とかオラは言ったが、それが日常茶飯事に報じられることに時代さえ感じる。

そしてメディア。オラのこの当時のメディア付き合いといえば、ラヂオもりおかの吉田広宇さん、それにこれもサポーターミーティングで知り合ったフリーペーパーの編集長さん。
吉田さんとはラジオでお話もした。そこでは東北のサッカーは具体的にどこがいけないか、とか話をした。それに番組にも毎週FAXを送っては「岩手県人サッカー選手シリーズ」とかネタもかかさなかった。

この当時はラジオと文通がコミュニケーションツールだったのだ。

トーキンについて分析…

2011-06-18 09:39:00 | ゼブグルベ!
きょうは、明日対戦するNECトーキンFCの試合を前に、ここまでを振り返りたい。

開幕戦 トーキンの得点はPKとロスタイムの佐藤幸大のゴールの2点だった。
第2節 この試合でもトーキンはPKで1点。しかし追加点は生まれずドロー。
第3節 後半に3点。しかし1点はまたしてもPK。

まずはファールをとられないようにしないと。

取ったのはPK以外では佐藤、小関、阿部。PKは小山、佐々、杉舩。


…しかしこっちも山谷が出停なんだよな。前川頼むよ!

会場は岩手県営運動公園。
11時キックオフです!

ご期待ください!