ポカポカ陽気で体調もいい感じ。
そろそろ桜がチラホラ咲き始め、思い出すのは花見かな。
今も花は見るけれど、花見と称して飲み食いするのが私の記憶にある花見。
とはいっても、会社や仕事の関係で行く花見はほとんど記憶に残っていない。
良く覚えているのは、近所の川の淵に沿って咲く桜の気の下で、子供の頃に町内会でやっていた花見。
各家族でそこにシートを敷いて、私なんかは花より団子ではあったけど、記憶にはよく残っている。
思えば私が小学生の頃は、まーよくよく町内会の行事や子ども会の行事があったもんだ。
花見、盆踊り、運動会、七夕、絵灯篭、サイクリング
そんな行事が毎年行われていて、どれも楽しみだった。
そう考えると今は全くそういう行事が見られない。
私が知らないだけかと思ったが、どうも無いらしい。
そこでつながってくるのは、
今の子供は可愛そうだよな
っていう考えだけど、そうしたのは私達の世代であるように感じる。
私が子供の頃、私の両親の世代はそういう年中行事や、交流できるような行事に積極的だったように思う。
でも今は、個人が大事であるような風潮が強く、その流れに乗るように大人も消極的。
そんな事に時間を裂くのが勿体無いという印象もある
寝ている時間が勿体無いと感じるか、得にもならない行事に時間を費やすのが勿体無いと感じるか
私の両親の世代は前者であったのだと強く思う。
だからあんなに楽しい花見の記憶が私にはある。
何年か前、その桜並木のある川は拡張工事をして、桜の木は一本も無くなった。
ちょっと寂しく思ったが、拡張工事が終わって間もない去年、川幅が広がったにもかかわらず、局地的な大雨で一気に危険水位まで上昇した。
何十年も氾濫したことがない川だったが、今までの川幅であれば多分氾濫していたと思う。
その大雨で上昇した川を見たとき、私が一番最初に思い出したのは、あの桜の木だった。
とても複雑な心境だが、あの桜並木は私の記憶の中に生きている。
桜吹雪の舞う中で