適当って難しい。
「適当でいいよ」
とか
「適当にやっとけばいいんじゃない」
とか
そんな風に言うと、
適当=いいかげん
みたいな印象があるが、決してそうじゃない
適当って言うのは適度ってことだ。
でもそれってとても曖昧な表現で、人それぞれ適当の基準がばらばらで、とても分かりにくい。
でもそこに表現としての丸みが出るのも事実で、使う時と場所を上手に使い分けなくちゃいけない。
目の前に大量のお菓子が置いてあるとして、子供に適当に食べてもいいよと言うのは多分あまりよくない。
そういう場合は適当ではなく、きちんと分量を分けてあげることが必要で、適当にと言ってしまうと自分の判断でいくらでも食べることが出来てしまう。
だから適当っていうのは、その人の判断に任せられる時や、任せたほうが面白そうな時、それにきっちりと分量を決めることで角が立ってしまいそうな時に好んで使われるべきで、大事な仕事などで軽々と使うと、後で大変なことになるのが目に見える。
それと、適当っていうのは感覚で変化する性質がある。
これから食事をするとして、目の前におかずが山盛りに盛り付けられても、以外と食は進まないもので、逆にちょっとずつおかわりした方が、結果的には食べていることもある。
勉強もそう
分厚い参考書を渡されてもは初めから取り掛かりにくいが、項目別に薄く何日かに分けて渡されると、結構はかどる事も多い。
適当って言うのは、終点が遠ければ遠いほど、終わりが見えないほうが楽である。
人を上手にコントロールする人は、その辺が実に巧妙である。