NHKの土曜スタジオパークという番組ははっきり言って番組宣伝(略して番宣)の番組である。必要ないといえば必要ない。今日も脚本家の三谷幸喜が出ていた。「今日も」というのはこないだも出ていたと思ったからだ。これはこちらの勘違いで三谷幸喜が出ていたのは平日の方の「スタジオパーク」であった。いうまでもなく大河ドラマ新撰組の脚本家である。いったい「スタジオパーク」といい、「土曜スタジオパーク」といい、なぜこうも朝の連ドラや大河ドラマなどの出演者ばかりが出てきて同じ話ばかりするのだろう。
でもひまな私はつい観てしまうのである!特に土曜スタジオパークのほうは面白い。今日はさすがにまたこの人かと思い、ネット将棋をしながら(昨日から全く負け続け)聴くとはなく聴いていたという感じだが。そしたらNHKの台風情報に関する意見が紹介されてこんなに必要ないのではという意見が紹介された。私も同感である。
ちょっとここでまた話はそれるが、この意見の紹介のあとで、半井小絵という7時のニュースに出る気象予報士の人の仕事ぶりが紹介されていてこの人のことは以前から気になっていたのだが、こういう人をこういうところで出すこと自体ちょっとずるい気がする。こういうきれいな人が一生懸命働いている姿を映し出されてしまうと、台風情報に関する放送が長すぎたという批判が薄められてしまうからだ。ずるいといえばはっきりいって、気象予報士でも何でもこういうところに雇われるのは当然きれいな人であるはずで、そんなことを言い出したら会社でも何でもきれいな人間を雇うのが当然といえば当然かもしれないが。
さて、本題?に戻るがたしかこの人が気象情報に関して、自分でも分析して、「人を救う」ような気象情報を出せるようにしているというようなことを言っていたのが気になった。気象予報士を主人公にしたドラマは1年ほど前だったか、連ドラの「まんてん」や日本テレビにもあった。「まんてん」では気象予報士を主人公はずっとしていたわけではないが、気象予報の会社がドラマの中で舞台であることも多くあった。特に「まんてん」の中では「気象予報」ということが、いかに人命にかかわる尊い仕事であるかということを登場人物が幾度となく主張していた。また天気によって何の商売だったか忘れたが、たしかスーパーで品物の入荷を調整するなどして利益を上げるというエピソードもあったように記憶する。
だが、しかしである。いくらNHKが気象情報を出してもそれが直接的に「人命尊重」につながるであろうか?ちょっとおとといのブログと重なるが個人の意識がしっかりしていなければはっきりいって、どんなに気象情報を放送しても無駄である。注意や避難を呼びかけても無駄である。今回そのことをわれわれはよく学んだのではないか。
ことは台風に限らない。地震にかんしても、地震は予知が不可能であるかのような説が出されたようなことがあったと記憶しているが、その後どうなったのだろうか。正直今回のようなことが起きると気象予報や地震の観測に莫大な費用が使われていることがそれほどのことをしなければならないのか、という気がしてならない。
誤解してほしくはないのだが、私は決して人命を軽視しているのではなく、もし人命を尊重するというのなら、それは気象予報やその放送とは直接的には関係のないところでの努力をもっとすべきではないかということが言いたいのである。がけの付近に住んでいる人には正直のところ引越しを考えてもらうのがいいだろうし、当節時々問題になるマンション建設などもこうした面から見て問題がある場合もあるだろう。専門家でなくてもどう考えても坂の途中でのマンション建設というのは危ないのではないか。
また地震がおこった際、どのような被害があるのか瞬時に想定し電車などの動きなどを制御する仕組みを作ることをも視野に入れて?たとえば円周率の途方もない計算をする超巨大なコンピューターを束ねたシステムが作られ、そこに莫大な予算が使われたりしている。本当にこんなものが役に立つのか、その前にやることがあるのではないか、という疑問は文系人間の素人考えであろうか?
でもひまな私はつい観てしまうのである!特に土曜スタジオパークのほうは面白い。今日はさすがにまたこの人かと思い、ネット将棋をしながら(昨日から全く負け続け)聴くとはなく聴いていたという感じだが。そしたらNHKの台風情報に関する意見が紹介されてこんなに必要ないのではという意見が紹介された。私も同感である。
ちょっとここでまた話はそれるが、この意見の紹介のあとで、半井小絵という7時のニュースに出る気象予報士の人の仕事ぶりが紹介されていてこの人のことは以前から気になっていたのだが、こういう人をこういうところで出すこと自体ちょっとずるい気がする。こういうきれいな人が一生懸命働いている姿を映し出されてしまうと、台風情報に関する放送が長すぎたという批判が薄められてしまうからだ。ずるいといえばはっきりいって、気象予報士でも何でもこういうところに雇われるのは当然きれいな人であるはずで、そんなことを言い出したら会社でも何でもきれいな人間を雇うのが当然といえば当然かもしれないが。
さて、本題?に戻るがたしかこの人が気象情報に関して、自分でも分析して、「人を救う」ような気象情報を出せるようにしているというようなことを言っていたのが気になった。気象予報士を主人公にしたドラマは1年ほど前だったか、連ドラの「まんてん」や日本テレビにもあった。「まんてん」では気象予報士を主人公はずっとしていたわけではないが、気象予報の会社がドラマの中で舞台であることも多くあった。特に「まんてん」の中では「気象予報」ということが、いかに人命にかかわる尊い仕事であるかということを登場人物が幾度となく主張していた。また天気によって何の商売だったか忘れたが、たしかスーパーで品物の入荷を調整するなどして利益を上げるというエピソードもあったように記憶する。
だが、しかしである。いくらNHKが気象情報を出してもそれが直接的に「人命尊重」につながるであろうか?ちょっとおとといのブログと重なるが個人の意識がしっかりしていなければはっきりいって、どんなに気象情報を放送しても無駄である。注意や避難を呼びかけても無駄である。今回そのことをわれわれはよく学んだのではないか。
ことは台風に限らない。地震にかんしても、地震は予知が不可能であるかのような説が出されたようなことがあったと記憶しているが、その後どうなったのだろうか。正直今回のようなことが起きると気象予報や地震の観測に莫大な費用が使われていることがそれほどのことをしなければならないのか、という気がしてならない。
誤解してほしくはないのだが、私は決して人命を軽視しているのではなく、もし人命を尊重するというのなら、それは気象予報やその放送とは直接的には関係のないところでの努力をもっとすべきではないかということが言いたいのである。がけの付近に住んでいる人には正直のところ引越しを考えてもらうのがいいだろうし、当節時々問題になるマンション建設などもこうした面から見て問題がある場合もあるだろう。専門家でなくてもどう考えても坂の途中でのマンション建設というのは危ないのではないか。
また地震がおこった際、どのような被害があるのか瞬時に想定し電車などの動きなどを制御する仕組みを作ることをも視野に入れて?たとえば円周率の途方もない計算をする超巨大なコンピューターを束ねたシステムが作られ、そこに莫大な予算が使われたりしている。本当にこんなものが役に立つのか、その前にやることがあるのではないか、という疑問は文系人間の素人考えであろうか?