この裁判に関しては以前から自分は疑問を持っていたが、今日の和解の報道にも不可解な点が多い。
まず読売の記事には「高裁で今回の判決を下回る判決が出る可能性がある」とかかれていたようだが、この裁判は今、どのあたりで進行しているのか、ということも含め自分は詳しいことは知らないことをお断りしておきたい。
法律はもちろん、いわゆる会社にも勤めたことはないので、この問題に関しても論じる資格はないかも知れないが、いくつか疑問に感じた点を書きたい。
まずこの和解については弁護団が見解を正式な文書の形で発表しているが、これがまた実に分かりにくい。「本件を和解で終了する理由は、以下のとおりです」としながら、「理由の詳細については、弁護士の依頼者に負っている守秘義務により開示することを差し控えさせていただきます」としている。これでは、そこにかかいてあること以外に何かよほどのことがあって「和解」したとかんぐられても仕方がないのではないか。
なんとも不思議なのは1審?で会社側に200億の支払い命令が出ていながら、なぜ今回8億の支払いで和解したのかということである。200億と8億とではあまりに違いすぎやしないだろうか。
1審で200億の支払い命令が出ていながら、8億で和解というのは数字の上から言えば、原告の完全敗北に等しいのではないかとも思える。
弁護側のコメントにはいろいろなことが書いてあり、他の裁判についてもいろいろ書いてあるが、なぜ他の裁判の事例を持ち出すのかそこがまずおかしいという気がしてならない。もし200億請求したのであれば、その数字にはそれなりに意味があったはずで、その数字にこだわらないのであれば、そもそも原告の請求自体の根拠が問われかねないはずである。
弁護側のコメントには「提訴時(平成13年)以降、職務発明制度につき、大きな変化が生じました。企業は、従来の発明報奨金支払い制度を見直しています」とあるが、これはそもそもこの訴訟の目指したことなのであろうか。他の会社の事例を持ち出すのはいかにも自分たちの和解が「屈服」ではないと強調しているようで、印象はよくない。
「本件8.4億円(利息を含む)の和解金は、額の点で、原審判決に及ばなかったとはいえ、本質的には、画期的勝訴です」としているが、「本件和解金額(8.4億円〈利息を含む〉)は、中村教授の発明より生ずる利益が巨大であるが故に、発明により生ずる利益の額があるレベルに達すると、相当対価の額は頭打ちすることを意味します」とも述べているのを見ると、この和解というものがむしろ他の事例にしたがっているようにも思われ、「画期的勝利」とまでいってよいのかどうか、本人たちが本当にそう思っているのか分かりにくい。
この裁判の意義についてまず第一に「ご褒美(即ち、2万円)から、不十分ながら、発明の譲渡の対価(即ち、8.4億円〈利息を含む〉)への転換です」としているが、どうしてそこに給料が全く含まれていないのかまず解せない。
この裁判の原告はなぜ日本の会社に就職することを選んだのだろうか。もしこのようにある発明に対して日本の会社が十分な報償を与えず、よその国では十分な報償を与えることを知っていれば、その国へ行けばいいだけの話しであるし、その発明・発見をした時点で独立起業することも考えるべきではなかったか。
そもそもこの発明およびその発明による会社の利益というものは原告一人の力によってなしえたであろうか。その辺のところを一切触れずに「会社に対する個(即ち、個人)の確立」ということを言うのはそもそもおかしいのではないだろうか。
自分は、著作権や知的財産権はもちろん大切にすべきであるとは思うが、発明・発見が製品化され成功するには多くの力が必要であると思う。この点に全く原告側が注意していないようであるのは実に残念でならず、訴訟の社会的意義ばかりコメントで論じているのは「問題のすり替え」のようでもっといろいろ考えるべきだと思う。
一度白紙状態でアップしてしまいました。またあとから直したりするかもしれません。
まず読売の記事には「高裁で今回の判決を下回る判決が出る可能性がある」とかかれていたようだが、この裁判は今、どのあたりで進行しているのか、ということも含め自分は詳しいことは知らないことをお断りしておきたい。
法律はもちろん、いわゆる会社にも勤めたことはないので、この問題に関しても論じる資格はないかも知れないが、いくつか疑問に感じた点を書きたい。
まずこの和解については弁護団が見解を正式な文書の形で発表しているが、これがまた実に分かりにくい。「本件を和解で終了する理由は、以下のとおりです」としながら、「理由の詳細については、弁護士の依頼者に負っている守秘義務により開示することを差し控えさせていただきます」としている。これでは、そこにかかいてあること以外に何かよほどのことがあって「和解」したとかんぐられても仕方がないのではないか。
なんとも不思議なのは1審?で会社側に200億の支払い命令が出ていながら、なぜ今回8億の支払いで和解したのかということである。200億と8億とではあまりに違いすぎやしないだろうか。
1審で200億の支払い命令が出ていながら、8億で和解というのは数字の上から言えば、原告の完全敗北に等しいのではないかとも思える。
弁護側のコメントにはいろいろなことが書いてあり、他の裁判についてもいろいろ書いてあるが、なぜ他の裁判の事例を持ち出すのかそこがまずおかしいという気がしてならない。もし200億請求したのであれば、その数字にはそれなりに意味があったはずで、その数字にこだわらないのであれば、そもそも原告の請求自体の根拠が問われかねないはずである。
弁護側のコメントには「提訴時(平成13年)以降、職務発明制度につき、大きな変化が生じました。企業は、従来の発明報奨金支払い制度を見直しています」とあるが、これはそもそもこの訴訟の目指したことなのであろうか。他の会社の事例を持ち出すのはいかにも自分たちの和解が「屈服」ではないと強調しているようで、印象はよくない。
「本件8.4億円(利息を含む)の和解金は、額の点で、原審判決に及ばなかったとはいえ、本質的には、画期的勝訴です」としているが、「本件和解金額(8.4億円〈利息を含む〉)は、中村教授の発明より生ずる利益が巨大であるが故に、発明により生ずる利益の額があるレベルに達すると、相当対価の額は頭打ちすることを意味します」とも述べているのを見ると、この和解というものがむしろ他の事例にしたがっているようにも思われ、「画期的勝利」とまでいってよいのかどうか、本人たちが本当にそう思っているのか分かりにくい。
この裁判の意義についてまず第一に「ご褒美(即ち、2万円)から、不十分ながら、発明の譲渡の対価(即ち、8.4億円〈利息を含む〉)への転換です」としているが、どうしてそこに給料が全く含まれていないのかまず解せない。
この裁判の原告はなぜ日本の会社に就職することを選んだのだろうか。もしこのようにある発明に対して日本の会社が十分な報償を与えず、よその国では十分な報償を与えることを知っていれば、その国へ行けばいいだけの話しであるし、その発明・発見をした時点で独立起業することも考えるべきではなかったか。
そもそもこの発明およびその発明による会社の利益というものは原告一人の力によってなしえたであろうか。その辺のところを一切触れずに「会社に対する個(即ち、個人)の確立」ということを言うのはそもそもおかしいのではないだろうか。
自分は、著作権や知的財産権はもちろん大切にすべきであるとは思うが、発明・発見が製品化され成功するには多くの力が必要であると思う。この点に全く原告側が注意していないようであるのは実に残念でならず、訴訟の社会的意義ばかりコメントで論じているのは「問題のすり替え」のようでもっといろいろ考えるべきだと思う。
一度白紙状態でアップしてしまいました。またあとから直したりするかもしれません。