母親に感謝するのはもちろんいいことだし、何か贈ることもいいことだ。
「母の日」に「カーネーション」を贈るというのももちろん悪いことではないだろう。
しかし、なぜ母の日に「カーネーション」を贈ることがこんなに定番のようになってしまっているのだろう。
一応「母の日」というのに「由来」のようなものはあるようだけれど、「母の日にカーネーションを贈る」ということに由来があるのかどうか、自分は少し調べてみたけれどはっきりしたことは分からない。
たとえばホワイトデーというのはたしか日本のお菓子の業界が決めた日らしい。
「母の日にカーネーションを贈る」ということはどうしてなのかは分からないけれど、花屋さんたちのサイトを見てもはっきりしたことは分からない。
しかしはっきりしていることは、「母の日にカーネーションを贈る」ということを慣習にしてしまえば当たり前のことだが、花屋はもうかるということだ。
別に商売ななのだから、もうけて悪いわけでは全くないが、こういう風に「この日にはこの花を贈りましょう」といったキャンペーンのたぐいはすごく花屋さんにとっては都合のいいことではあっても、消費者には選択肢の幅がせばまるのではないかということだ。
日ごろから思っていることだが、花屋と言うのはおいてある花の種類が実に少ないのである。
自分が好きな花を注文しているとそれがあまり状態のよくない花であったりする。
花屋にしてみれば、客の注文に応じて商品を提供するより、花屋が選んでそれを客が買うと言うほうが都合がいいわけである。
たとえば、料理屋にしても特に日本料理は「おまかせ」みたいな感じにして当日はいったネタを出すのが一番理想的であろう。
割烹みたいなところなどで「今日はこんなのはいってますよ」と勧められた経験がある人も多いことであろう。
花屋がそれと同じかどうかは分からないけれど、やはり花屋もいわば生ものを扱う仕事であるから、自分たちで仕入れたものを客が買うと言う形がいいのだろう。
全く話は違うようだがたとえば一戸建ての住宅にしても注文建築より、メーカーが決めたものを選ばせて売るほうがはるかにメーカーにとっては利益があげやすくまた価格も低く抑えることはできるだろうし、パソコンにしてもカスタマイズ可能ではあってもできるだけ決まったモデルを売った方がコストが安くて済むのではないだろうか。
それとたぶんまったくおなじことが、「花屋」に関してもいうことができて、「母の日にカーネーションを贈る」というのは実に花屋にとって都合のよいことであるとは思う。
自分は繰り返しになるが、こうした風習が悪いとまでは言わないが、こういうことをすると花に関する知識などが増えるとは思わないし、興味も沸かなくなりかねないような気もする。
母の日に限らず、バラが好きな人にはバラを贈ればいいし、ゆりが好きな人にはゆりを贈ればいいのだ。
もしも母の日には花屋の店頭にはカーネーションしか並ばないということになるとなんだかさびしい気がするし、実際今日見た感じではそのようであったのが少し心にひっかかかった。
ちなみに私はこんな風にひねくれ者なので、自分にとっては毎日が「母の日」なのではないかなどとうそぶいている。
毎日が感謝デーというフレーズもどこかで聞いたような。。。